第12話 あーん


 

 この調子だと、お昼休みにはとうとう全面的に開戦しちゃうのではないかと気が気ではなかったが、葵や川口たちはラッキーなことにあっさり教室から出て行ってくれた。

 ただ、去り際に僕らへ向けた目つきは、いつまでもそっとしておいてくれそうな優しい気配ではないように思ったが……。


 それにしても、よくリンは葵の挑発に耐えてくれたと思う。

 ほんと、マジで殴り飛ばしたりしなくてよかったぁ……。

 

「ごめんね。僕──……」


 相当不愉快だったと思うが、その割にリンはなんだかカラッとした笑顔。

 目をキラキラさせて僕の言葉を遮った。


「ねえ、もうあんな奴らのことは忘れてさ、お昼にしようよ! 貴重な時間をあんな奴らへの愚痴に割くのは勿体無い! 私、お弁当持ってきたから一緒に食べよっ!」

「え!? お弁当!?」


 なんか、今日は想像だにしなかったことが次から次へと起こるなぁ……。

 完全にキャパを超えている。もうビックリ箱開けるの疲れたよ。

 早く帰ってゲームしたいわ──……。


「そうだよ。あ、まさか『料理作れない女子』だと思ってた?」

「そういうわけじゃないけど……いや、確かにそれは否定できないなぁ。いくら女の子って言っても、特殊部隊の隊員って職業からは料理をしそうなイメージは湧かない」

「ほーう。んなら、その偏見を払拭して差し上げましょうぞ。さ、行こ行こ。教室で食べると周りの目も気になるだろうから、どっかいいところない?」


 妙な自信を発揮するリンを連れて、僕らは中庭に行くことにした。リンは「お弁当を温めてくる!」と言って食堂にある電子レンジのところへ行った。


 この学校はロの字型に校舎が建てられていて、中央には公園みたいになった中庭が作られている。

 ここは春になると桜が満開で、同じく中庭に建てられた食堂でサンドイッチなんかを買った生徒たちが花見をしながら食べたりする。


 よく晴れて澄み渡った空の下で、幾人かの生徒たちに紛れて、僕らは中庭に設置されたベンチに座った。


 僕は、お昼はいつも教室で一人で食べていた。だから、女の子と二人っきりでのお昼なんてのは初めてだ。

 リンがなぜこんなことをするのか疑問だったが、しばらく考えてみた結果、「男を落とすには胃袋から!作戦」を敢行しようとしているのだと結論付けた。


 考え事をする僕の目の前で、リンは持っていた弁当包みをドカッとベンチに置く。


「はい!」


 ヒラヒラとした包みを解き、タッパーの弁当箱を開けた瞬間、そこにある青色のドロドロしたものを見て僕は絶句した。

 

 カレー……か? いまいち匂いではわかんないが……。

 こんな鮮やかな青色のカレー、初めて見た。

 こわ……。青って、どうやったらそんな色出せるの? 何を使った?


「さ、食べよ?」

「……あの、その前に一つ質問が」

「どうぞ」

「これって、何かのレシピを見て作ったんだよね?」

「まあ、参考にはしたね」


 発言の意図が分かりかねた。

 料理のレシピなんてネット上にいくらでも転がってるんだから、それ通りに作れば無難に美味しいのができるのだが。


「あっ、色はちょっと変わってるかもしんないけど、これね、私の瞳の色をテーマにしてるんだよね! ほら、これを食べると、唇から肛門まで全部青くなっちゃうでしょ? 夕真のこと、内臓まで私色に染めていこうと思って」


 どういうコンセプトで料理作るんだよ。込められた思いも怖……

 てか、もはやそれ僕を落とすことと関係なくない?

 

 僕が半固体形状の青色をただただ眺めていると。

 リンは、おもむろにそれ・・をスプーンで掬い上げた。


「夕真、はい」

「えっ?」

「あーん、だよっ」


 カップルたちが行うと言われている伝説級イチャラブ行為の一つ「あーん」。

 僕にはもう夢のまた夢だと思われていた手技が、まさか今日ここで展開されるとは思ってもいなかった。


 しかしこの毒々しい青色、本当に食べられるものなんだろうな!? せめて食材の確認を先に──

 ……ダメだ。もうリンの持つスプーンは、僕の口のすぐ前まで来てしまっている。

 

 されてみて初めてわかるが、この行為は強制力が凄まじい。女の子を傷つけないように拒否するのがトンデモなく難しいのだ。拒否るには良心を捨てるしかない。

 いつの間にか瞳がカレー (推定)と同じ色になっていたリンは、ニッコリ笑顔を向けてくる。



 あ──……。やっぱ可愛いなぁ……。

 それだけは認めるしかない。マジで可愛い。覇王級だ。


 

 うん。ま、いっか、細かいことは。さすがに食べ物でもないものを入れたりはしないだろうから当然ガチの毒ではないだろうし。


 気が付けば僕は、ただ言われるがままに、まるで餌を待つ鯉のように口を開けていた。


「いい子いい子」


 せめて少量で味見をしてみたかったのだが、まるで子供をあやすようにこう言ったリンは一発目からまあまあの量をぶち込んでくる。


 初っ端から噛まずに飲み込んだり吐き出したりしたらリンが泣いてしまうかもしれないから、噛んで味わう以外の選択肢を取りようがなかった。まあ、胃袋を掴んで勝負に勝とうとしたくせにこんなものを作ってきたこいつが泣こうが喚こうが本来僕が責任を感じることではないはずなのだが。

 僕は、恐る恐る料理を噛み締めた。



 …………。



 味的にはやはりカレーだ。

 カレーなのにどうして匂いでわかんないのか。印象でしかないが、きっとカレー以外の何かが大量に混ざっている。

 不味いと断ずるほど不味くはないが……だからと言って美味しくもなく、強いて言うなれば「普通」と「不味い」の中間というか。


「美味しい……?」

「……うん。そう、だね……」 


 あ、声が死んでたかもしんない。ついでに目も。

 でも、だからといって今さら開き直るのも案外勇気がいるなぁ。


 リンは、頭を傾げて濡羽色の髪を垂らし、不安そうに僕の顔を覗き見て、恐る恐る尋ねてきた。


「……あんまり美味しくない、かな」


 リンの声のトーンが落ちて、元気な水色だった瞳がスッと焦茶色に変わる。


 やっぱ気付かれた。

 でも、落とされるかどうかの勝負を受ける立場の僕が、リンを気遣って美味しくない料理を美味しいと言う必要もないのだ。


 ……と思ったので、僕はこう返す。


「うん……まあ、ちょっと微妙かな」

「…………」

 

 リンは、下唇をキュッと噛んでうつむく。

 その表情が、よく分からない棘となって僕の胸をグサグサと雑に刺す。

 

 やっぱり、演技してでも嘘をつき通したほうがよかったかな……。

 目的の如何は別として、僕のためにお弁当を作ってきてくれたのは事実だし。いくら勝負だとはいえ、こんなふうに言うのはあまりにも無神経だったかもしれない。


「あっ、あの。その……でも、食べれないってわけじゃないし……もう一口もらえる?」

「うぅっ……。無理しなくていいよ。食堂でパン買お?」


 リンは、タッパーをそっと閉じた。

 なんか余計に畳み掛けるような形になってしまったか? 不味い料理を作ってきた女子へのフォローのやり方なんてよくわかんない。


 あーあ、女の子って難しいな……まあ、アンドロイドだけど。


 あれこれ考えても言ってしまったものはもうしょうがない。それに、正直に言わないと、今後も同じ料理が続くかもしれないし。それはそれで辛いしな。

 

「なんかごめんね。せっかく作ってきてくれたのに」

「大丈夫。こっちこそ、変なの作ってきてごめんね」


 リンは無理して笑顔を見せようとする。

 やはりその表情は僕の胸を締め付けて、僕は、何度も何度も自分自身に言い聞かせてきたことを、ここでも繰り返した。

 

 リンはアンドロイドだ。傷ついているように見えるこの様子も、感情表現のアルゴリズムに従って作り出されているだけなんだ。だから気にする必要なんてないんだ……と。


 僕らは食堂でパンを買い直し、また元のベンチに座った。


 リンはすっかり元気を失くしてしまった。リンの横に置かれているお弁当箱を、パンをかじりながら横目で盗み見ていると、感じる必要がないはずの罪悪感に苛まれる。

 でも、お弁当の中身を思い出した途端、逆に僕はなんだかおかしくなってきてしまった。


 ほんと、妙なお弁当だったな。

 ふふ。


「どうしたの? ニヤニヤしちゃって」

「いや……ふふ、なんか、君といると元気が出るよ」

「どうして? 不味いお弁当を作ってくる奴なのに?」

「でも、僕のために一生懸命作ってくれて嬉しかったよ。ありがとう、リン」


 ちょっとキツいことばっかり言っちゃったからな。このくらいのお礼は言って然るべきだろう。これは落とされたとかじゃない、人として、ってやつだ。うん。


 リンは少し頬を紅潮させて、表情に嬉しさを混じらせる。同時に、瞳は綺麗な水色を取り戻した。

 それが、僕の心をフワフワさせる。僕は、さっきと同じことをまた自分に言い聞かせた。


 とりあえず、これでちょっとは機嫌を直してくれたかもしれないな……。

 なんて思っていたけど、どうやら機嫌が直ったのはお礼の件の影響だけではなかったようで。


「……初めて、私の名前を呼んでくれた」

「そうだっけ?」

「うん。そうだよ」

「まあ……そうかもしれないけど。それって重要なことなの?」

「重要だよ! そうするとね、夕真の中で私が生きている、って思えるんだ」


 ……うん?


 それって、僕の中でもリンの存在が大きくなってきた、ってこと?

 つまり、「落とされる」に一歩近づいたってこと?


 だとすると、あんまり名前で呼ばないほうがいいのかな。 

 でも、そんなに重要なことだとは思えないし。

 ま、気にしなくていいか……


 リンは、ベンチの背もたれに上半身を預けて、ぐーっ、と背伸びをした。

 制服のブレザーが左右に開いて、大きい胸が白いシャツをパツパツに押し上げている。それを見せられているこっちが赤面してしまいそうで、僕は慌ててリンから顔を背けた。


「あーあ! 次は美味しいって言わせるぞーっ」

「はは。でもさ、あれってレシピ通りに作ってないでしょ、あんな料理食べたことないもん。どうしてレシピ通りに作らなかったの?」

「だってさ。レシピ通りにきっちり作るなんて、そんなのまるで機械みたいじゃない? 嫌なんだよね、私そういうの。もっと自分で考えて、オリジナリティを出していかないと!」


 口をへの字に結んで、両拳を胸の前で握りしめながら鼻息を荒くする。


 そんなことを気にしてたのか。

 よく考えれば、僕を落とすというこの勝負も「機械であるアンドロイドには人間らしさがない」と言われたことにリンが怒ったのが発端だったな。アンドロイドであること自体が、リンのコンプレックスなのかもしれない。


 リンはアンドロイド。機械であり、いわゆるロボットだ。


 それは厳然たる事実であり、リンのあらゆる反応は、彼女の頭脳であるAIがプログラムに従って導き出した計算結果に過ぎない。


 そう。単なるプログラムのはず。


 ……だとしても。


 そのプログラムに、今、僕はこんなにも元気をもらったり、胸を締め付けられたりしている。

 



 人間と同等……か。




「人間だって、レシピ通りに作るよ」

「……そっか。確かにそうだよね」


 やっと、リンも心からの笑顔を見せてくれる。二人で顔を見合わせて笑い合った。


「でもさ、うちは母さんがお弁当を作ってくれたりするんだよ。まあ、毎日ではないけど……。お弁当がない日は食堂でパンを買うんだ。良かったよ、今日はたまたま母さんが不精した日でさ」

「たまたまじゃないよ」

「ん?」

「ちゃんとお義母さんに確認して許可をとったからね。病院で」

「……ああ、そう……」

 

 としか言えなかった。あの時から想定してたんだ。

 外堀って、やっぱ知らないうちに埋めるからダメージが大きいのかなぁ、とか考える。

 いやだからさ、前もそうだったけど、親に根回しするタイプの外堀、埋める必要ある!?


「母さん、なんか言ってた?」

「こんな可愛い女の子に毎日お弁当を作らせようだなんて、うちの息子もやるようになったわね、だって」


 これを毎日作る気だったのか。やっぱ、はっきり言っておいてよかった……と考えながら僕はすぐそこに置いてあるタッパーに目を馳せる。


「僕が作らせたわけじゃないんだけどね……」

「夕真の意思は関係ないよ。女の子を恋の奴隷にしちゃった、って話なんだから」

「あくまで勝負の一環で、だけどね。じゃなきゃ、僕なんかがまともに『あーん』なんてしてもらえるわけないし」

「どうして『僕なんかが』って言うの?」


 一瞬、話すかどうか迷った。

 自分の内面を他人に話すなんて、いつもの僕なら絶対にしないだろう。

 でも、リンは勝負にこだわっているだけだから、僕の内面がどうとかは大して興味もないはず──。

 それが、僕の口を軽くしたのかもしれない。


「……こんなこと言うのは恥ずかしいんだけど、ずっとモテなかった。体格だってヒョロヒョロだし、顔だってカッコよくないし、背も低いし。それに、性格だって……僕は、自分の性格が好きじゃないんだ。僕のことを好きになってくれる女の子なんていないよ」


 ダメだ。自分で言っていて悲しくなってくる。

 自分だけは、言っちゃダメなやつだったかもしれない。


「そんなことないよ。顔はすごく可愛いし、性格は優しいし、いざという時には護ろうとしてくれる。『僕なんか』なんて思う必要ないよ」

「……はは。ありがと」


 なら、どうして葵は僕を選ばなかった? 小学生の頃にはベタ惚れされるというこれ以上ないアドバンテージがありながら。

 それは魅力がないからだ。欠陥があるからだ。どう褒められても、現に僕は何をやっても晴翔に勝てない出来損ないだから。

 

 僕のことを見つめていたリンは、空を見上げた。


「私ね。自分でこう言うのはなんだけど、自分のことすごく可愛いと思ってる。中身がどうかって言われるとそんなに自信があるわけじゃないんだけどね……ま、見た目だけで言えば、そう簡単にそこら辺の男子が付き合えるような女じゃないって自覚してたりしてさ」

「知ってるよ。最初から物凄い自信に溢れてたから」

 

 僕が目を細めると、歯を見せてニッとするリン。 

 まあ、確かに見た目についてはその通りだと思うし、中途半端にぶりっ子するよりは振り切っていてスッキリするか。


「でも、そんな私の大好きな男の子は、一向に私に振り向いてくれなかったりするんだよね」

「リンくらい可愛くても無理なの?」


 突然言葉を止めて、目を泳がせる。なんか、また少し顔が赤くなったような。

 さっきからなんなの、これ。だいたい、自分で可愛いと思ってるくせに、可愛いって言われていちいち照れないでよ。


 リンはコホン、と咳払いをして続けた。


「あ──……。うん。まあまあ手強くてさ、今のところ難航してるね。そんな時はね、『どうせ私なんかじゃダメなんだ』って挫けそうになることもある。私も夕真と同じなんだぁ」

「リンでもそんなこと思ったりするんだ」

「そうだよ。一緒だよね」


 ならば、リンはこんなところで油を売ってる場合じゃないはずだ。

 空を見つめるリンの横顔がさみしそうに見えて、僕は胸がキュッとなる。


 僕のことを落とす、なんてロクでもない勝負事をふっかけてくる奴だが、一緒にいると楽しくて、安らいで、ドキドキすることもあって、まあヒヤヒヤすることもあるけれど、この子はすごくいい子だと思う。

 だから僕は、リンには自分の幸せに真っ直ぐ向かって欲しいと思った。


「あのさ。それなら、僕なんかに構ってる場合じゃないんじゃない? すぐにでもその男の子のところへ行かないと、一生後悔することになるよ」

「………………」

「な、なに? 僕、なんか変なこと言った?」

「……そうだよなぁ、って思ってさ。じゃあ、時間ないからさ、さっさと落とされてくれる?」

「それとこれとは別」

「手強いよね、君も」


 リンは、そう言って嬉しそうに笑った。


 リンの瞳は晴れた空よりも美しく透き通った水色に灯っていて、柔らかい笑顔で僕を見つめている。こんな彼女の笑顔を見ていると、なんかこっちまで自然に笑顔になってしまう。


 お弁当だって毒々しい青色だったけど、一生懸命に考えて作ってくれてすごく嬉しかった。

 女の子に「あーん」をしてもらうなんて一生叶うことはない夢だと思っていたけど、リンが叶えてくれた。まあ、アームズ隊員の料理の腕前については、偏見を払拭するには至らなかったけどね。

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