第11話 リンの決意②
教室へと帰っていく生徒たちの流れに逆らいながら、今度は僕がリンの手を引っ張って大股で廊下を歩く。
何も考えられなかったけど、とりあえず、いくらか離れたところまで来てから僕は立ち止まった。
息が切れているのは早歩きのせいか、それとも頭の片隅にすら思い至っていなかったこの展開のせいか……。
「夕真、どうしたんだよぅ。そんな深刻そうな顔して」
「どうしたんだよぅじゃないよっ! 突然何をやってくれてんの? いきなりあんな危険な奴らに喧嘩売って──てか僕のこと好きって言った!? 彼女にしてもらうって何!!?」
精神的に疲弊しきった僕の頭には、リンが掛けた混乱魔法は非常に良く効いていた。
当の魔術師は僕から視線を逸らして、照れくさそうに後ろ頭を掻く。
「まあ、あれはその……あれくらい言っておかないと、葵は引き下がらないんじゃないかって思ったんだよ。だって、『どうして無関係のお前がしゃしゃり出てくんの?』ってなっちゃうじゃん。私が夕真のこと好きだって言っとけば、夕真を落とそうとしても、葵のことを牽制しても、どっちにしても筋は通るでしょ」
筋は通る……かもしれないが、だからって。
「私が夕真を落とそうとしているのは事実なんだし。周りから見れば不自然なところはないって。大丈夫だよ、心配しなくても」
「そこを心配してるんじゃなくてだね……まあいいや、それはもう。あいつらはクラスを牛耳ってるし、というか学校でも有名な悪い奴らなんだよ。あんなのに喧嘩を売っちゃうと、酷い目に遭わされるに違いないんだ!」
「だぁってさぁ。葵がさぁ。いくらなんでもあれはヒドくない?」
わかってる。リンが怒るのは無理からぬことなのだ。世間一般では、『人形』はアンドロイドへの差別用語としては最悪レベルのやつだと認識されているのだから。
人間と同等の複雑な感情と心、人間と見紛うほどの体と繁殖機能まで持ち合わせたアンドロイドたちは、自分たちのことを「人間と機械の良いところを合わせたハイブリッド生命体」だと誇りを持っている。
人間が陰でどう囁き合うかはともかくとして、表立ってはメディアも「アンドロイドを毛嫌いするなど人間至上主義に囚われた誤った考えだ」と報道するし、それが社会としての正義なのだ。
「まあ……それはそうなんだけど。何も正面切ってケンカを売らなくても」
「あっちから絡んできたんだよ。私は別に喧嘩しようだなんて思ってなかったのに。そしたら、どんどん余計な奴らが湧いて出て」
「目をつけられるだけで、これからすごく悪いことが僕らの身に起こっちゃうんだ。お願いだから、大人しくしててよ」
リンは不服そうに視線を床へ落とし、人差し指と親指で、僕の制服のブレザーをキュッとつまむ。
「でも」
「もうあんなふうにケンカしちゃダメだよ」
「……うん」
ようやく大人しくなってくれた。
どうやらわかってくれたようだ。と言っても、もう今さら手遅れかもしれないが……。
◾️ ◾️ ◾️
次の休み時間になった。
休み時間が来るごとに「次は一体何が起こるんだろう」と嫌な痺れで体がピリピリしてしまう。
「早く休み時間になれ」と念じることが授業中の学生の頭を占める一番の思考タスクなのに、今や「授業よ終わるな」だ。こんなの初めての体験だった。
「夕真、トイレ行ってくるね」
本来ならこんなこといちいち言わなくてもいいのだが、今の状況ではリンが居なくなることの心細さがハンパない。ちゃんと言ってくれて、なんとなく安心感があった。
僕とは反対側、廊下側の最後列に座っている菱山が、ポケットに手を突っ込んだまま背もたれに体重を預け、自席から顎を上げて僕を睨みつけている。
その一つ前の席では、同じく椅子に座った川口が、完全にこっちを向いて、肘を膝につけて前のめりになりながら睨んでいた。
二人の視線に気づいた瞬間、僕は慌てて目を逸らす。
「目が合う」というのは古来から通ずるオーソドックスな喧嘩の売り方、もしくは買い方だ。野生動物ですら、そういうルールで動いている。
このままでは絡まれてしまう。リンから貸してもらった「一流の殺人術」をカバンから取り出し、急いで読むふりをした。もちろん、僕がつけてあげたブックカバー付きだ。
しばらく本を読む演技をするつもりだったが、読み始めてみると案外この本がおもしろかった。
素手により一撃で殺害するには後ろから首を絞め折るのがベストらしく、瞬殺のコツが事細かく書いてある。成功すれば確実に人を殺せてしまうため一般人相手に練習することはできないが、知っているだけでなんだか強くなった気分になれた。もちろん菱山に試す気など僕にはないが。
ちなみに、超一流の戦士であるリンさんは元から全て習得済みであり、だから「貸してあげる」となったわけである。
リン、実際に人を殺したことがあるのかな……と、つい気になってしまった。
学び舎で読むにはあまり相応しくない本に夢中になっていると、突然、僕の耳元で声がした。
「何読んでるの?」
「わっ…………!」
葵が、僕が読んでいる本を覗き込んできたのだ。
互いに向き合えばキスできてしまう無防備な距離に葵の顔がある。女の子らしい甘い香りがふわっと漂い、僕はガチガチに体が硬直してしまった。
「へぇ、ゆうちゃん、敦史のこと殺る気なんだ」
「ちっ、違うよ!」
ふふ、と微笑んだ葵は、リンの席に座って頬杖をつき、僕に笑顔を向ける。
予想もしなかった事態に、鼓動がドクンと飛び跳ねた。
ここ最近遠目でしか見れなかった、目線すら合わせてくれなかった葵が、今、僕に満面の笑顔を向けてくれている。
それにしても、どうして今日はこんなに僕に近寄ってくれるんだろう? 中学生になって以降、一度たりともこんなことはなかったのに。
僕がずっと大好きだった、ちょっとやんちゃそうな可愛い笑顔。
晴翔に
「可愛い子だね。ゆうちゃん、リンと付き合うの?」
「…………」
僕は、うつむいたまま何も言わなかった。
机の上で本を持っていた手が震え始める。それを葵に気づかれたくなくて、僕は本を鞄にしまって手を膝の上に置いた。
「ま、ゆうちゃん優しいし。顔だって可愛いしね」
「……それは、褒め言葉なの?」
そうじゃない、と思ったからこそ僕は言葉が口を突いて出た。
もし葵が本気で褒め言葉だと思っているなら、僕を葵の彼氏候補にしてくれたってよかったはずだ。
葵が自分で言ってたことだ。「カッコいい人が好きだ」って……。
でも……そうだ。仮に今のが本当だったとしても。
僕は根暗だから。背だって低いし、童顔と相まって中学生と間違われたりする。運動だってできないし、体もヒョロヒョロ。
勘違いするな。結局、僕は葵に相応しい男なんかじゃない。僕になんて、最初から無理なんだ。
「そうだよ。あたしはずっと好きだったよ、ゆうちゃんの顔。
想像もしていなかった言葉に体が瞬間、熱くなる。
血液が沸騰したようになって、まるで体の全細胞が温度を上げたかのようだ。
髪を弄ぶように触りながら、僕は心を落ち着けようと必死だった。
「小学校の頃に、あたしがゆうちゃんと約束したこと、覚えてる?」
急に、何を。
そう思ったが、強く焼きついた記憶は直ちに復元された。
大好きだ、って。
大きくなったらゆうちゃんと結婚する、って。
遠い記憶の彼方にしか残っていなかった、人懐っこくて、でもちょっとだけ悪そうな、可愛い笑顔。
再びそれが僕に向けられ、間近で見ることを許された喜びが体中に広がっていく。
同時に、今は晴翔のものであるという事実が、
どうして? なんで?
葵がこんな話をする意味がまるでわからない。
僕のことが好きなら、なんで僕に話しかけてくれなくなったの?
僕のことが好きなら、なんで他の男子と付き合ったりするの?
僕のことが好きなら、なんで晴翔と────…………
葵の言葉で、遠い昔に諦めたはずの希望を無理やり引き戻されてしまった。
葵の言うことを信じたい気持ちと嘘だと思う気持ちが正反対の方向へ心を引っ張り、もう裂けてしまいそうだ。
胸を鷲掴みにして、目を閉じて、はあ、はあ、と呼吸を荒げる。
ここだ。ここで言うしかない。ずっと……ずっと言えなかった言葉。
葵。僕も。僕も、ずっと、君のことが────
「何をしているの?」
その声が、迷い彷徨った僕の思考を一時的に掻き消した。
甘くて痺れる葵の匂いが立ちこめた濃霧の森を一瞬にして吹き飛ばし、僕の目を醒まさせる。リンが葵の向こう側に立っていたのだ。
葵は、さっきまでの笑顔が嘘だったんじゃないかと思うほど表情を完全に消して、頬杖をついたままリンを見上げて低くした声で答える。
「さっきも言ったでしょ? ゆうちゃんとあたしは幼馴染。あなたと出会うずっと前から友達なんだ。いつ二人で話そうが、あなたには関係ない」
「さっきも言ったでしょ。夕真は、もうあなたに近づきたくないって言ってるの」
「そうかなあ? そんなふうには見えなかったけど。あなたが勝手に言ってるだけなんじゃない?」
葵を見つめるリンの瞳が水色に変わっていく。
僕を見つめる時には優しい水色に灯るその瞳が、今は冷たく沈んで見えた。
それに気付いた葵が、さらに挑発を重ねる。
「へぇ……怒った? 図星なんだね。あんまり自分勝手にゴリ押しして、ゆうちゃんを束縛しないほうがいいと思うけどね。
「そう? 私を惑わそうとしても無駄だよ、葵。むしろ夕真にはそれがピッタリ合ってる……でしょ?」
「……案外よく見てるんだね。さすが『お人形さん』は分析やら計算やらが得意だね」
葵のことを引っ
僕はこの時、そう思った。
リンは両手の拳を握りしめて、一瞬だけ僕に水色の視線を向ける。
リンの言ってることは嘘じゃない。僕が、「葵のそばに居たくない」って言ったんだ。
だからリンは僕のために行動を起こした。なのに、こんなふうに貶されて……。
釈明してあげたかった。でも、それを言ってしまうと、近づいてほしくないということを、僕から葵に明言することになってしまう。
全部終わっちゃう。
ずっと、大好きだった人。
怖い。
現実的にはもう無理なんだとわかっていても、糸のように細く垂らされた希望に、まだすがり付いていたかった。
僕は、リンから目を背ける。
ふう、っとリンのため息が聞こえた。
僕が想像したのと違って、リンは何もしなかった。きっとリンは、「あんなふうにケンカしちゃダメだ」と言った僕のお願いを聞いてくれたのだろう。
「……どいて。私の席だから」
「ふふっ。どうぞ」
葵は立ち上がって、そんなリンにキスでもするのかと思うほどリンに近寄り、こう言った。
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