第10話 リンの決意①


「夕真。ちょっといい?」


 今すぐにでも水色の闘気を噴き上げそうな気配漂わせる特殊部隊員にこう囁かれる。

 僕は気をつけし、「はい」とだけ答えて素直に従った。


 うろたえる僕の手を引いて、リンは教室から強引に僕を引っ張り出そうとする。振り向くと、そんな僕らを葵は相変わらずの無表情で見つめていた。


 当然だが、リンは一目見ただけで怒っているのが明らかなご様子だ。

 

 僕の手を引きながら、教室に戻ろうとする生徒たちの流れに逆らってすごい勢いで廊下をどんどん進む。小走りすると怪我した脇腹が痛むから、もうちょっとゆっくり進んでほしいのだが。


 この感じだと話を聞いてもらえるかどうか期待薄だとは思ったが、たぶんリンは分かってないだろうから一応忠言しておかないといけないことがあった。


「あの、もう授業が始まっちゃうんだけど──」

「それどころじゃないでしょ。ふざけてんの?」

「ごめん」


 ものすごい剣幕だ。素直に謝らなければならない気持ちにさせられる。どうやらこちらが空気を読み違えたらしい。


 屋上へ続く階段の踊り場へと連れて行かれた。ちょうどこの頃、授業開始のチャイムが鳴った。


 リンは腕を組んで、爛々と輝く水色の瞳で僕を睨みつける。

 あれ、どうしてこんなふうに怒られているんだろう、と思いながらも僕はお腹の前で手を組んでモジモジしていた。

 さて、これから何を言われるのかはもちろん明白ではあったが──


「あの女、何!?」


 ですよね。


 ってか、リンが知らなかったのは、もちろんリンが勝手にサプライズしちゃったのが原因であって、そもそも僕には説明するチャンスすら与えられていないのだ。

 よし、ここはガツンと言ってやる!


「あの、それは──」

「なんでいきなり喧嘩売ってきたの!? どうして先にああいう女がいること、私に言わなかったの夕真!! それに幼馴染らしいけどほんと!?」

「えっと、言わなかったのは、あの、その……。幼馴染はほんとです……」

「ムカついたぁ〜〜っっ!! もう許さない。『お人形』だとぉ!? 次言ったらギッタギタにしてやるからな、あの女狐がぁ〜〜……」


 両拳を胸の前で力一杯握りしめながら、歯をギリギリさせて怒っている。

 凄まじいまでの覇気に無理やり抑え込まれて、ろくすっぽ喋らせてもらえない。


 これやばいんじゃないの? マジでボコボコにしたりしないだろうな!?

 この前の戦いを見る限り、あと一歩でチンピラを殺してしまうほどに気性は荒そうだった。


「そんで?」

「え?」

「え、じゃないでしょ。何トボケてんの? 何も悪いことしてないのに、か弱き転校生にいきなり圧をかけてきたんだよ? しかも、夕真に近づく私のことが相当気に入らなさそうな印象だったけど!?」


 確かに、それには僕も驚いた。僕が誰と何をしようが、葵は一切興味なんて持っていないと思ってたから。

 葵は僕のことを「全部知ってる」と言ったが、僕も葵のことをずっと見続けてきたからわかる。


 葵は、ものすごく怒ってた。


 まさか、僕に近寄るリンに怒ったのだろうか?

 どうしてなんだろう。自分は晴翔と付き合って、キスまでして、幸せの真っ只中にいるだろうに……。


 葵と晴翔が愛し合う妄想は、僕の頭の中へ自由に出入りする。

 悪夢から心を守る方法は皆無で、ひとたび侵入を許せばストレスで全身がピリピリと痺れ、吐き気を催し、じっとしていられなくなった。

 乱れる鼓動と呼吸を必死に整え、かろうじて言葉を絞り出す。


「……そんなこと、ないよ」

 

 そう、そんなことはないはずなんだ。自分勝手な思い込みは今まで何度も妄想してきたけど、何一つとして現実ではなかった。

 これなんて、その中でもとびっきりだ。僕に近寄る女の子がいたとして、葵がそれに嫉妬するとか、そんなことは有り得ない。


 うなだれる僕の様子を見て、リンはハッとしたような顔になる。


「待って。……幼馴染? まさか。夕真が大好きな女の子って」


 ダメだ。とうとうバレてしまった。

 どうしよう。これじゃリンは、葵を目の敵にしちゃう……。


 この後に及んでも、僕は葵がリンからケンカを吹っかけられちゃうんじゃないかと心配になって、守ってあげたくて、まだこんなことで悩んでいた。

 リンは、何やら面倒臭そうな顔をして髪を片手でガシガシし、深いため息を吐く。


「ねえ夕真、一つ教えてよ。葵は確か、夕真の弟と付き合ったんだよね? それでも夕真は、まだ葵のそばに居たいの?」


 葵が近くにいると、気持ちが落ち込んで、胸が締め付けられて。

 こんなのが続くと、気がどうにかなってしまう。


「…………居たくない。今は」


 うつむいて、リンに聞こえたかどうかわからないほどに小さな声で呟く。

 リンは、う〜〜っ、と唸っていたが、突然「よしっ」と叫んで僕を真正面からギュッと抱きしめた。


「マジで転校してきて良かった。こんな状況、離れてたら対応しきれなかったよ。辛かったね。安心して、夕真。あんな女のことなんて、思い出せなくなるくらいに私の思い出を積み上げてやるから。ずっと一緒にいて、あんな奴が入り込む隙間なんて全部無くしてやるから!」


 僕の耳元で、なんか不思議なことを言っている。

 僕との思い出を作るつもりなの?

 ずっと一緒に居ようとしているの?

 君は、そんなに必死になって僕のことを落として、それで、どうするつもりなの……?


 気持ちが混乱してる。もういっぱいいっぱいだ。全然頭が回らないや……。

 でも、リンからこういうふうに言われるとなんだか気持ちが楽になる。


 リンの言葉が嬉しかったのに、いま尋ねなくていいはずのことを、僕はつい口にしてしまった。

 

「……僕がまだ、葵のことを好きだとしても?」


 リンからすれば、それこそ「なんか不思議なこと言ってんな」ってところだろう。僕もテンパっちゃってたんだと思う。

 僕のことを落としたいだけの、落としたら終わりにするつもりの女の子に向かって言うことじゃないよなぁ……。


 リンは僕から体を離すと、僕の唇に人差し指を押し当てる。


「教室に戻ったら、ケジメをつけに行こう」

「…………?」


 リンは、僕の唇に当てていた指先を、自分の唇に当ててチュ、っとする。

 えっ、という顔を作った僕に、彼女は言った。


「今はこれで我慢しとく。さ、行くよ!」

 

 リンが言ったことも、したことも。

 頭の中がごちゃごちゃになって、何が何やらわからない。

 でも、一つだけ、明確になったことはある。


 僕との勝負、リンは性的魅力だけで押し切ろうだなんて微塵も思っていない。

 彼女は僕の体も、心も、何もかも全部、丸ごと落とそうとしているんだ。


 考えが整理できないまま、ツカツカと歩いて行くリンに手を引っ張られて教室へと戻る。


 リンは何のためらいもなく教室の後ろ側の扉をガラッと開けた。

 クラスメイトたちはもう全員が着席していて授業中だ。勢いよく扉が開いた音で、ほぼ全員が僕らのほうへ振り向いた。もちろん、葵もだ。


 リンは、教室に入っても僕の手を離そうとしない。

 えっ、このまま入るの!?


 ドキマギしながら席に向かうと、前に立っている先生が僕らをジロッと睨んだ。


「おい、佐々木、ラミレス。もうとっくにチャイムは鳴ってるぞ。きちんと時間までに戻れ」

「はぁい、すみません!」


 いったいどういうつもりなのか、手を挙げて元気よく返事するリン。

 二人揃って、しかも手を繋いで教室に戻ってくる僕たちへ、当然のことながら、みんなが好奇と懐疑の混ざった顔を向けてザワザワし始める。

 

 葵は、また無表情で僕らを眺めていた。

 痛いくらいに葵の視線が突き刺さる。この状況、果たしてどう思われているのだろうか……。


 いや、僕のことなんて、どう思われてもいないはずなんだ。葵から好かれる可能性なんて最初から無いんだ。だから、本当は気にする必要なんて少しもないんだ。


 なのに、心臓はバクバク鳴って、まだ葵に「これは誤解だ」って言いたい自分がいた。


 次の休み時間が怖くて怖くて仕方がない。こんなの、何も起こらないはずがない。

 案の定、チャイムが鳴って先生が出ていった瞬間、リンは葵のところへズカズカ近づいた。


「葵、ちょっといい?」

「……なに? まあいいよ、どこへでも行ってあげるけど」

「いーや。ここでいい」

「……?」


 転校生が声の音量も抑えずに妙なことを言い出したので、教室中の生徒がシンとして注目した。


 それも、突っかかっている相手はこの学校で一番可愛いとされる上原葵。

 新参者が転校初日からスクールカーストの頂点に君臨する女王に下剋上を突きつけたのかとみんなドキドキワクワクしている様子だ。互いにヒソヒソ耳打ちする、好奇心丸出しのニヤつき顔がいくつも目に入る。


 そんな中、リンは一切臆することなく胸を張って、声高に言った。


「私は、佐々木夕真のことが好き。これから私は夕真の彼女にしてもらうために、一生懸命アピることにした」



 ……へぇ?



 僕は机に座ったまま、僕とリンを交互に見る観衆の視線なんて気にならないくらい呆然としていた。


 意味不明なリンの宣言は、「はあっ?」とか「マジ?」とか「アリエナイ」とか、さまざまな喚き声を教室内に渦巻かせる。

 まるで教室の床に魔法陣を描いて、この空間にいる者全てに混乱魔法を掛けたかのようだった。その効力は絶大で、見る限り、もれなく全員が瞬時に混沌の底へと突き落とされたらしい。


 葵もしばらくは唖然としていたけれど、やがてフッと余裕の笑みを浮かべる。


「あなたが夕真に告るのは勝手にしたらいいけどさ。だから何なの?」

「金輪際、あなたは夕真に近づかないで」


 えっ。ななななになに何言って…… 

 僕の意思が介在しないところで勝手に話が進んでいく。

 この話、いったいどこに向かって進んでるんだ!?

 

「……ハッ。さっきも言ったけど、別にあたしは幼馴染なんだからさ。『近寄るな』ってのはいくらなんでも──」

「夕真が、そう言ってるの」

「……はあ?」

「あなたに、もう近寄ってほしくない、ってさ」


 ちょ、待って。まだ、葵にそんなことを宣言する心の準備ができてないよ……


 ひどい。

 こんなふうに、あからさまに言われちゃうなんて思ってなかった。

 

 葵の視線が痛い。葵の顔が見れない。胸が苦しい。

 違うんだ。葵、嫌わないで……


 リンは、うろたえる僕には構わず、葵にキスでもするのかと思うほどに葵の近くに立って言った。


「まさか未練でもあるの?」

「冗談。どうぞご勝手に」


 ああっ、完全に喧嘩を売って! やめてやめてっ

 葵は一人じゃないんだ。葵に喧嘩を売れば、葵の後ろにいるあいつらが敵になる。

 いつも一緒にいる、あいつらが──


「葵ぃ、ガチで喧嘩売られてんじゃん」


 葵の肩に手を回した一人の女子。

 それは、葵の親友、川口玲奈かわぐちれいな。僕が恐れる人物の一人で、彼女はヤンキーだ。


 髪は金色。ちなみに、髪色や髪型については校則で指定されていないから、クラスには他にも青やら緑やらドレッドやらがいて、川口が特別派手ってわけではない。


 が、内面が滲み出ているのか、可愛い割に迫力のある切れ長の目つきでキッと睨まれると僕はもうキンタマがキュッと縮み上がってしまうのだ。

 このクラスで一緒になった最初の頃、言葉遣いが敬語じゃないという理由で教室中に鳴り響くほどのビンタをかまされて以来、僕はもう川口とは喋りたくなかった。


「佐々木ぃ。お前よー、なに突然イキってんの? 葵に喧嘩売れる立場かおのれは。次は風船みたいに頬が腫れるまでぶっ叩いてやっからな」


 やめて……いやだ、こいつらだけは。

 こういうのが、僕は一番弱いんだ。道端で出会ったこの前のチンピラと同じく、メンタル的に苦手なのだ。

 そして、こいつが敵になるということは、もう一人、最悪な奴が敵に加わる──


 ほら来たっ


「転校生の女子相手とあっちゃあ、俺がイジめちゃうと可愛そうだと思ってたけどよ。オタク野郎が相手だってんなら何の遠慮もいらねえなぁ」


 川口の頭を撫でた男子は背が高く、髪はピンク色のツーブロックで、まるで格闘家のような体格。こいつは川口の彼氏、菱山敦史ひしやまあつしだ。

 

 人間たちの不良を従えてアンドロイドに暴力を振るうこの学校の有名人。

 有名企業の代表取締役である父親と、地元出身でこの街のあらゆる有力者と繋がりのある市会議員の母親を持つこいつは、さまざまな悪事を親の力で抑え込んでいるという噂だ。


 リンというよりはむしろ僕のほうをメインターゲットにしようとするこの二人を、葵は手を挙げて制した。


「玲奈、敦史、いいよ。まだ転校してきたばっかだから良くわかんなくてこんなこと言っちゃってるんだと思うし。いきなりイジメちゃ、可哀想だよ」


 なんだこの展開!? あまりにも訳がわからなさ過ぎだっ。

 タイムタイムっ……もう無理もう無理っっ!!


 さっきとは逆に、今度は僕が強引にリンの手を引いて、教室を出た。

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