第9話 不穏な空気になっちゃった
えっと。まず状況を整理しよう。
朝のホームルームが始まって。それで、転校生が来て。
その転校生が、リン……
うん。わけわからん。
リンは、最後列の角席にいる僕へ向けて、水色になった瞳で満面の笑みを浮かべながら小さく手を振った。
教室中の全員が一斉に僕のほうを向き、明らかに怪訝そうな顔をズラッと並べる。
体験したことのない妙な圧を受けて、僕はガバッと姿勢を正した。
心臓がドッ、ドッ、とうるさく働き始める。
リンの顔……満面の笑みっていうか、これはニヤニヤだ! ビックリしている僕の顔を、楽しむように眺めているんだ奴は。サプライズってこれかぁ……
しかし、いくら僕を落とすって言っても、ここまでするか普通!?
僕はイスの背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。
「みんな仲良くするように。それで、ラミレスの席だが──」
「先生、私、夕真の隣がいいです!」
「はあっ!?」
誰よりも早く、僕が口走っていた。今度は心の声ではない。
こんな大勢の前でいきなり下の名前で呼び捨てしやがって……
クラスのみんなにどう思われると思ってんだ、僕は目立たぬ『端っこ族』なんだぞ!
そもそも、席の場所なんて目が悪い奴とか以外は自己主張してなんとかなるものじゃない──
──はずが、なぜか偶然にも最後列である僕の隣は空席。
「何が『はあっ』だ佐々木。空いてんだろが」
「えっと、……はい」
こんな空席、あったっけ?
まさか……! リンが転校してくるから、わざわざここに置かれたのか?
となると、クラスどころか席の位置まで指定したってことだ。そんなこと普通できるもんか?
まさか──もしかして、仕事関係の影響力を使ってるんじゃ!?
いやでもさすがにこいつの個人的な勝負事のために国は動かんだろ……。
いろんなことが頭の中を駆け巡ったが、この後に及んで僕が一番気にしたのは葵。
葵は頬杖をついたまま、無表情に僕を見ていた。
周囲を渦巻くあれやこれやの空気感など一向に気に留めないリンは、ルンルンしながら机の間を歩いてこっちに近づいてくる。
「ね、驚いたでしょ?」
「『ね』じゃないよ。あのね、一体どういう──」
通常ありえない珍妙な光景のせいで、みんなこっちに注目しっぱなしなのだ。もちろん、葵も含めて。
ハッとした僕は声の音量をほとんどヒソヒソ声レベルまで下げた。
「……どういうことだよ!」
「言ったでしょ、びっくりすることがある、って!」
リンもヒソヒソ言う。それがまた僕に耳打ちするように言うので、教室のみんなの怪訝な表情が深さを増した。
「びっくりさせるにも程があるよ! 大体、転校してくるんなら一言くらい相談──」
「佐々木! お前ラミレスと知り合いだったな? ラミレスにこの学校のことを教えてあげなさい」
僕の小声を打ち消すような大声で、佐久間が僕をリンの案内役に抜擢した。
僕とリンが知り合いであることを先生が知っている。やはり転校の処理段階で、なんらかの陰謀が……!
うーん、僕、いったい何の陰謀に巻き込まれてるんだろう。
「マジかよ……」
「あんなめっちゃ可愛い子、なんで佐々木が?」
「親戚?」
「でも苗字『ラミレス』だぜ」
「あれはアンドロイドの名前だよ。俺たちってそんな感じのが多いから」
「だね。瞳だって、教室に入ってから色、変わってたし」
「それにしても超弩級だろ顔のランクが」
「実はオタク繋がりか?」
「決定、それ以外ないわ。きっとコミケ繋がりだよ。あの子、なんのコスプレしてんだろ? うわ、めっちゃ見てぇ! 俺もオタクになろっかな……」
「すでにどっぷり沼ってる感漂ってんぞ」
様々な憶測が勝手気ままに飛び交い、それがまたチクチク耳に入ってくる。
「なんで」とか、僕が一番知りたいよ。
隣の席に座ったリンは、したり顔でニヤついていた。どうやら、僕はこいつのことをまだ侮っていたらしい。
休み時間になると、男子・女子に限らず、クラスのみんなは遠巻きに僕らをジロジロしながらコソコソと話していた。いつもクラスの端っこで目立たないようにひっそり暮らしている僕は、こういうのが心底ウザい。
「どうして転校なんてしてきたんだよ!?」
「どうしてって、そりゃ夕真を落とさなきゃなんないからに決まってんでしょ。完全に合理的じゃん。他に何があんの?」
むしろそっちのほうが意味わからん、とでも言いたげな顔。
「いやいやいや! だからってここまでする!? 君の個人的な用事は普段の生活の範囲内で何とかしてよ!」
「私だってどうせ学校に通わないといけないからさ、それなら転校して夕真と一緒に過ごせれば一石二鳥でしょ? 学校にいる間まで夕真のことを攻略できると思うとなんかワクワクしちゃってさ。思いついたらすぐに行動しちゃったぁ」
それを聞いて絶句。こいつと出会ってからもう何度絶句したかわからない。
「しちゃったぁ」じゃないよ……
こんな不純な動機で転校するなんて聞いたことない。とんでもなく嬉しそうに言ったところを見るに、リンにとって「佐々木夕真攻略ゲーム」は相当に楽しい娯楽らしい。
僕は口を半開きにしたまま、理解できない奇妙な生物を眺めた。
「あの……初めまして」
声で誰だか一瞬でわかる──というのが良いのか悪いのか。いきなり葵に声を掛けられるとどうしてもびっくりしてしまうのだ。
僕の鼓動は瞬間的に跳ねた。
あっ、あっ、葵……。
別にわざわざ来なくていいのにぃ。
「あたし、上原葵って言います。ラミレスさん……リン、って呼んでいい?」
何も知らないリンは、ニコニコしながらそれに応える。
やばい。僕の好きな相手が葵であるという事情くらいは事前に話しておきたい。
いや、話したほうがむしろ余計にややこしくなるか? なら、このまますっトボケるしか──
「もちろんだよ。葵、よろしくね!」
「ええ、こちらこそ。突然であれなんだけど、リンって、アンドロイドだよね?」
担任・佐久間がリンのことを「アンドロイドだ」と紹介しなかったように、学校ではそんなことを公式には持ち出さない。
なぜなら普通に生活する限り、その人物が人間かアンドロイドかは特段、問題にならないからだ。
だから、学校だけでなく職場においても、例えば採用試験などでは「人間求む」みたいな条件は基本的に掲げられない。意味もなく掲げると人権侵害でアンドロイドから訴えられてしまうからだ。
金属骨格は完全防水仕様だし、その上から全体的に隙間なく生体組織で覆っているので雨もプールも海も問題はない。
通常、体を動かすエネルギーは空間伝送型大電力ワイヤレス電力伝送システムによって各個人に送られ、電力切れなんかで動けなくなることはない。
食べ物も食べるし、排泄もするし、汗もかくからトイレも風呂も人間と同じ。
「睡眠」という欲求を与えられたせいで授業中に居眠りもするし、「性欲」も実装されているから強姦のような性犯罪も発生する。
このように、社会を生きる上では良い意味でも悪い意味でも人間との違いを感じることはないため、その人物が人間かアンドロイドかを敢えて確認するのは健康診断に関することくらいである。
それ以外の場面では差別行為として取り扱われる危険性が高く、だから人間たちは人間たちだけで影でコソコソとアンドロイドに対する偏見を言い合うのだが。
このような社会的背景があるにもかかわらず、そのうえで葵はリンがアンドロイドであることをわざわざ確認してきたのだ。
「ええ。それが何か?」
「ゆうちゃんのことを見つけた時に、瞳の色が変わったよね」
「そう? そんなふうに見えたかな。……
リンの声色が変わった。表情から笑顔が消える。
「このクラスの人はみんな、夕真のことを『佐々木』って呼んでるよね。あなた、夕真とどういう関係なの?」
「あなたこそ、転校初日からゆうちゃんのことを下の名前で呼び捨てにしてるし、どういう関係なんかなぁ」
「恋人候補、ってとこかな」
……えっと。なに言ってんの?
落とした時点でゲーム終了だから「その先」なんてないだろ、誰が付き合うなんて言った!
こいつ一体何考えてんだ!?
見知らぬ女子からの襲撃にもめげず、なぜか僕の恋人候補であることをアピールし始めるリン。
それに対抗するような謎の態度をとる葵も、目を細め、首を
「へぇ……わかった。あなた、ゆうちゃんと相合傘をしてたって人だね。ゆうちゃん、『お人形さん』と付き合うことにしたんだ。あたしは幼馴染だよ? 小さい頃から一緒だから、ゆうちゃんのことはなんでも知ってる。あれ? ゆうちゃんから聞いてなかったんだ」
葵はわざと優しい口調で喋った。
葵にだけはこんな偏見を口にしてほしくなかった。僕は、葵のことを嫌いになりたくなかったから。でも、彼女はいとも簡単にそれを口にした。
リンは、歯を噛み締めてギリっと音を鳴らす。
正直嫌な予感はしてたけど、やはり不穏な空気が流れてしまった。
ってか、これはまずい!
幼馴染うんぬんは別にいいが、僕の好きな人が実は葵だなんてリンに知れたら、一体どうなる!?
リンの強さはこの目で直に見たから知っている。ついでに、怒った時の怖さも……。
僕は、冷や汗を机に垂らしながら、鼓動を一段と高鳴らせて二人の隣で戦慄していた。
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