第6話 この気持ちは何なんだ



 病院のベッドで目が覚めて、真っ白な天井をボーッとしながら見上げる。


 顔を横に向けてみた感じ、贅沢にも個室だ。父さんや母さんがお金のかかる部屋なんて僕に選ぶわけはないと思うから、ここしか空いていなかったのかもしれない。


「はあ……ひどい目に遭ったなぁ……」


 それにしても、あんなチンピラみたいな怖い人たちに立ち向かうなんて、初めての経験だった。

 リナが乱暴されてしまいそうで、それで、居ても立ってもいられなくなって……。

 

 そういえばリナはどうしたんだろう。無事だろうか。

 確か記憶ではリンが助けに来てくれたから、リナだってきっと無事のはずだ。


 無造作に動かした僕の手に、何かサラサラとして温かい気持ちいいものが当たる。

 ベッドに横たわったまま目をやると、それは綺麗な黒髪をした女の子の頭。


 リンは、ベッドの傍らにある椅子に座りながら、僕が寝ているベッドに突っ伏して眠ってしまっているようだった。

 この様子だと、きっと僕のことを看病してくれていたんだろう。僕は上半身を起こして、複雑な気分でリンのことを眺めた。


 奇妙な縁もあるものだなあ、と感慨深い気分になる。

 偶然知り合っただけの女子──まあアンドロイドだけど。いきなり「落としてやる!」とか宣言されたうえに、大変なピンチから助けられて。


 それにしても破格の戦闘力。一般人では到底歯が立たない。反則もいいところだ。

 リンは怒らせるとかなり怖い人なのかもしれないし、ちょっと気をつけないといけないな……

 

 なんて考えていたにもかかわらず、僕は無意識のうちに、リンの顔に垂れてかかった髪を手でそっとよけていた。

 自分が何をしているのかに気づき、ビクッとして手を引く。


 やばっ、つい勝手に触っちゃった! 


 なんかわかんないけど体が勝手に。気がついたら動いていた、という言い方が正しいか?

 痴漢の気持ちってこういう感じなのだろうか。

 これってヤバい世界に足を踏み入れているのでは……。


 寝起きからゴチャゴチャ考えていた僕の思考は、髪をよけて露わになったリンの顔を目の当たりにして、完全フリーズしてしまう。


 すー、すー、と寝息をたてるリンの寝顔は、まるで天使みたいで……。


 ほんと、マジで可愛すぎる。なんなんだこれ?

 クラスでも一人でいることが多い僕は、アンドロイドのことなんて間近でじっくり見たことはないけど。

 これ、ほんとにアンドロイドで間違いないの? 実は人間なんじゃないの!? 違いなんて全然わかんないぞ……。


 しかも、漂ってくる匂いが相当ヤバい。個室で密室状態なのがいけないのか、嗅いでいるだけで頭がボーッとしてくる。

 これはおそらくスキル「誘惑テンプテーション」とかそういうのだ。きっとこの技は、彼女の半径何メートルか以内にいる男を数ターン行動不能にする類の──


 ウーン、と唸るリンの声が聞こえたと同時に僕は飛び上がった。


 彼女に見られてもいいように急いで死んだふりをする。

 しばらく経っても物音が聞こえないので薄目を開けて様子を窺ったところ、どうやら起きていないようだ。そうとわかると、僕はまた恐る恐るリンの顔を覗き込む。


 悪い夢でも見ているのか、しかめた表情がまた堪らなく可愛い……

 ……って、何考えてんだ。なんかすごい混乱してるな、僕。


 なら、いったいどの時点から混乱していたのか。いや、今が混乱中なのかどうかすら、もはや。

 混乱魔法をかけられたらきっとこんな感じなのかもしれない。ってことは、これは数ターン持続するタイプの混乱魔法で、彼女はきっと強力な魔法を使うマーリンみたいな魔術師か何かで……


 知らず知らずのうちに胸に込み上げていたなんとも言えない感情を、僕はこんなことを考えながら必死に分解処理しようとしていた。


 と、リンがうっすら目を開ける。


 眠そうに瞼を擦っていたが、突如ハッとして、僕がちゃんといるのを確認したかのように見えた。いるのがわかると、安心したように表情を緩める。

 そんな仕草が、理由もわからないまま僕の体温を一度くらい上げた。


 今のリンは、瞳が水色ではなく、濃い茶色のような色だ。

 感情が昂ってはいないのだろう。僕の前ではずっと水色だったので、むしろこちらのほうが新鮮な気分だ。


「……眠っちゃったか」

「アンドロイドでも眠るって、不思議だよね」


 ついうっかり軽口を叩く。

 そのせいで、リンは瞳の奥にうっすらと水色の光を灯らせてしまった。


「あ──……まぁたアンドロイドを馬鹿にしたぁ。そろそろシバくよ」

「ごっ、ごめんなさい……」


 可愛い声色のまま脅してくるリンに、体がビリビリ痺れて鳥肌が立った。

 こわ。彼女の真の実力を知ってしまった今、安易に口を開いてはいけない。ただ、今感じた痺れが謎に気持ちよかったのが若干気にはなるが。

 

「ふふ。気が付いたんだね。よかったぁ……心配したんだよ」

「あれから、どのくらい経ったの?」

「えっとね……夕真がこの病院に運ばれて、先生に診てもらって、病室に移されて。そのあと夕真のご両親とか、君のバイト先のリュークさんとアンナさんがリナを迎えに来て。でも、それからはまだ、あんまり時間経ってないよ。今は午後八時」

「そうなの? でも、ここには君しかいないけど」

「アルカーナの二人はまた改めて夕真にお礼とお見舞いに来るって。夕真のお父さんは帰ったけど、お母さんは何か食べ物とか飲み物とかを買いに行ったはずで……」

「そっか。……僕の親と話したの?」

「うん」


 僕の親が、リンに会ったのか。

 なんか不安だな。そこで交わされた会話内容が。


「僕の親は、なんて言ってた?」

「え──っとねぇ……『可愛いお嬢さんですね、息子をよろしくお願いします』だって! あはは。もはや親公認だね」


 意地悪そうな顔をして僕を見つめる。

 あのバカ親二人は揃って何を言ってんだ!? それに、こいつも何を呑気に。


「あのねぇ……。それで、君はなんて返したの?」

「こちらこそ、よろしくお願いします、って」

「はあっ!? なっ、なんで!?」

「だってさぁ、無下にできないじゃん、あんな顔されたら」


 どんな顔だよ。大した顔してないはずだ絶対。

 それにしても、僕を落として勝負に勝ちたいだけのくせに、僕の親に彼女認定されてよく平気な顔してられるな……。


 ……とか色々思うところはあるけれど、リンが僕とリナを重大危機から救ってくれたことに違いはないわけで。

 だから僕は、ふう、っと息を吐いて、親とのやりとりのことはとりあえず頭から追い出す。


「改めてお礼を言うよ。助けてくれて、ありがとう。本当に感謝してる」


 リンは僕のお礼の言葉に微笑みで返してきた。 


 それにしても、ほんとカッコ悪かったと思う。

 僕だけじゃ、全然リナのことを護れなかった。女の子の助けを借りなきゃ大事なもの一つ護れないなんて、やっぱ男としてはカッコ悪いよな。


「はあ……かっこわる」


 つい、声に出る。


 体裁を取り繕う気も起こらない。事実だし、リンは助けてくれた本人なのだし。

 ケンカで強くなるのは無理があるとしても、せめて絡まれた瞬間に反転ダッシュできるくらいの心の瞬発力は必要か。しかしあの場合、それはそれで人間としてどうかとも思うが……。

 

「カッコ良かったよ」

「え?」

「リナのことを、最後まで護ろうとした。あんなひどい目に遭ってるのに、私のことを巻き込まないようにするために逃げろって言ってくれた」


 確かに、助けてくれた時もリンは僕のことをカッコいいって言ってくれたけど。

 せっかくフォローしてもらっておいて悪いが、僕はそれをカッコ悪いと思っているのだ。

 護れる・護れないに関して言えば、結果が何よりも大事だと思う。護れなければ意味はない。

 カッコいい男は、大切なものくらい自分でちゃんと護れないといけないと思うんだよな……。


 愛想笑いで誤魔化す僕へ、リンは微笑んだ。


「強い力を持っていればいるほど、苦も無くできちゃうことなんだよ。勝つ手段を持っていないのに助けに行くなんて、選ばれた人しかできないことなんだ。夕真はめちゃくちゃカッコいいよ」


 世間一般的には、それを「バカ」だと言うだろう。

 負けるとわかっていて勝負を挑むんだから結果は見えている。

 僕だってあの時、倒れて死んだふりでもしようかと思った。それをやめさせたのはリナの叫び声であって、やっぱり僕自身の意思とかではないんじゃないかなぁ……


「そう……かな」

「うん。間違いないよ」


 僕は疑心暗鬼だったが、リンは満足そうな顔をして、なんだか嬉しそうだ。

 意味がわからん。どうして君が嬉しそうにするのか? 


「……それより、びっくりしたでしょ? 私の正体」

「びっくりしたなんてもんじゃないよホント。完全に君のほうこそカッコ良かったよ。君のおかげで助かったんだから」

「……カッコ良くなんてない。私はカッコ悪いよ」


 リンはうつむいて、沈んだ表情になった。心なしか声も小さい。

 ますますわからない。やっぱこの子は変わっているのだ。


「何言ってんの。そんなわけないよ」

「うちの隊長がよく言うんだけどね。『アームズ隊員たるもの、いついかなる状況であろうと大切なものは命に代えても護り抜きなさい』ってさ。なのに、夕真があんなことになってるなんて知らなくて、私は危うくあなたを死なせるところだったかもしれないんだから」


 へー、そっかぁ。なかなかカッコ良いことを言う隊長さんだな。一度お目にかかってみたい気もするなぁ。


 …………ん?


 えーと。

 こともなげに言い放ったが、言葉をまんま受け取ると、それはつまり僕のことが命よりも大切だと言っていることにならない?


 ……まあそんなに気にすることじゃないか。人命のことを指しているんだきっと。うん。


 しかしなんだか胸がモヤモヤしてしまって、僕は何か別の話題がないかと頭を回す。

 カッコ良い繋がりで言えば……


「え、えっと。気概のことに関しては褒めていただいて光栄だけどさ。見た目に関して言えば、本来君とは釣り合わないよね、僕は」

「そんなことないよ」

「そんなことなくないよ、めちゃくちゃ可愛いじゃん。自分の顔わかってる? それにねぇ、カッコ良いってのは、アルカーナのリュークさんみたいな人のことを言うんだよ。マジで中学生と間違われちゃう僕みたいなのは──」


 うっすら顔色を赤っぽく変えたリンは、それよりも速い速度で瞳の色を水色に変えた。


「へへ。可愛い、かな」

「ええ? ああ、そりゃまあ……レベチだよ」

「だよね。知ってる。あはは」

「……自信過剰女」

「自信過剰男と自信過剰女で、ピッタリだね」


 ……ピッタリ? 何が?


 言ってることはよくわからないし、「自信過剰男」も事実と反するが、しかしそんなことはどうでもいいように思えてきてしまった。

 僕のことを受け入れているかのような笑顔をする彼女と意思疎通するだけで、妙な満足感が得られる。

 不思議なことに、僕は、リンとこうやって話すのが少し楽しくなってきていた。

 

「私、夕真の顔、好きだよ」

「……い、意味わかんないよ。そ、そ、その意見には注釈が必要ですけど……」


 この子の言うことにはいちいちドキッとさせられる。大体からして、僕の顔なんて好きだと思う理由が全く思い浮かばない。だって、そんなこと、今まで言われたこともないんだから。


 リンは首を傾げて、ふふ、と微笑む。頭の動きにつられて艶のある黒髪がサラッと揺れた。こういう何気ない所作が破壊力抜群だ。

 

「夕真は、童顔で可愛い顔をしてるよ。よく言われるって自分でも言ってたでしょ?」

「そうだけど……ただ、『カッコいい』とは言われたいけどさ。『可愛い』なんて言われる男はダメでしょ」

「どうして?」


 ずっと僕のことを大好きだと言ってくれていた葵は、ある日、突然「カッコいい人が好き」だと僕に告げた。

 女性として成長したからだろうか。男の好みが変わったのだろうか。それとも、実は最初から……?

 なんにせよ、葵の主張は誰が聞いても納得できるものだ。こう言われたあたりから、僕は葵の気持ちがわからなくなった。


 せっかく忘れていた苦痛が戻ってくる。


 好きな人を奪われるというのは、「生きる気力を根こそぎ砕かれる」という特性のせいで悪党にボコボコにされるより辛いかもしれないな……。

 内臓を焼かれるような痛みに、僕はしばらく目を閉じて耐えなければならなかった。


 ガタッと音が聞こえる。


「私はツボ・・なんだよね。夕真の可愛い顔」


 椅子から立ち上がって、リンはベッドに腰掛けた。

 えっ、と驚く僕のほっぺに手のひらを触れ、つつつ、と指先を這わせて目尻近くを優しく愛でる。


「この泣きぼくろも、堪んない」


 リンは、勝手に僕の体をまさぐっていく。


 首筋に、そっと手を触れられた。温かい体温が伝わるような触り方をしたかと思うと、触れるか触れないかくらいで撫でられる。

 経験したことのない快感でゾクゾクした。それにつれて、リンもなぜかそんな顔をして──……


 直後、リンの顔から表情が消えた。さっきまであった「ちゃんとしたもの」が、どこかへ行ってしまったかのような。


 かと思うと、僕の両手首を掴んでベッドへ押さえつけ、上から見下ろすようにじっと見つめる。

 ベッドが軋む音を聞きながら、僕は軽くバンザイするような形で身動きを取れなくされた。

 

「え…………」

「こんなふうに、されるがままになっちゃうところとかも」


 リンは髪を垂れ下げながら、おもむろに顔を僕へと近づける。

 黒髪の合間から見える美しい水色の瞳は、さっきまでより輝きを強くしていた。


「夕真は、もっと自信を持っていいと思うよ」

「ちょっ……えっ。僕、動けないんだけど」

「本気で抵抗してる?」

「怪我した脇腹が痛いんだよ」

「じゃあ、『嫌だ』って言えばやめてあげてもいいよ?」


 なら言ってやるよ! と意気込んだ僕の意思とは裏腹に、ドクン、ドクンと跳ねる鼓動が拒否する言葉を言わせない。

 僕は結局、真正面からリンを見つめたまま、荒くなったリンの吐息を口で飲み込める距離になっても、なんの抵抗もしなかった。



 ガラッ



「……っと。お邪魔だったかしらね」


 ガラガラッ、ドン!


 母さんの声だった気がするが。

 僕が視認する前に、その人は出て行ってしまった。

 ガラガラ音と同時に飛び上がってベッドから離れていたリンは、おそらく母さんであろうその人を慌てて呼びに行こうとしたが──


「おっと、そうだそうだ」


 ……ん? なんだ?


 リンはUターンして僕に近寄り、小声で耳打ちした。


「今の、落ちてたよね?」

「バッ! バカやろっ、落ちてない! あんなことされたからビックリしてパッと口が動かなかっただけだよ! わざわざ言いに戻ってくるなっ」


 そうだ。今のは完全に襲われた。力づくだ。驚いて動けなかっただけだ。だから、僕は落ちてない。つまり、負けではない。

 しかしこいつ、可愛い顔だとか僕の顔はツボだとか言ったりして、どんどん巧妙になってくるな……。


 ふふ、と微笑みながら母さんを呼びに行くリンの様子が、また僕をフワフワさせた。

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