第5話 とんでもなく強い女
さっきまで僕とリンの愛を育んでくれていた傘 (もちろん皮肉)はリンに貸してあげて、僕は自分の家へ別の傘を取りに行き、それからアルカーナに戻る。なんせまだバイト中なのだ。
旦那様のお迎え業務が終了したところだが(そのほとんどは職場公認の僕の私用)、もうすぐリナが駅の近くにある塾へ行く時間だ。そしてまたその送り迎えは僕がする。
アンドロイドは人間と同じように学校や塾へ通い、勉強をするのだ。
そもそも機械なのだから、勉強などしなくても全ての情報を通信で取得すればいいじゃないかと思うが、世界人口の半分を占めるこの人型アンドロイドは、大原則として中枢システムとの通信を固く禁じられている。許可されているのは一部のアップデートや、遺伝情報として取り扱われるものなど、ごく限られたものだけだ。
そのせいで、超高性能AIを搭載しているのにもかかわらず通信は外部機器に頼らざるを得ない。アンドロイドのくせに、自分自身よりも性能の劣るスマホを持って歩かないといけないという謎。
とはいえ、いくら人間と同じように目で見たものなんかを覚えていくにしても、根本的に機械なのだから記憶効率など人間の比ではない──
と思いきや、記憶力そのものの個人差設定に加えて、「興味のないものを覚えることなど面倒くさい」という気持ちが記憶力にまで影響を与えるなど、超絶細かい個人設定が星の数ほど存在しているようだ。
どれもこれも、人間を徹底的に模倣し「人間らしさ」というものを追求した結果だ。なんなら「忘れる」という機能まで備わっている。
ここまでくるともはや異常。開発者が一体どんな人なのかに思いを馳せると僕はちょっとだけ怖くなる。
しかしそれでも人間が造った以上は、神が創った生物である人間とはどこか異なるはずだ。
これは別に人間至上主義に基づく考えとかではなくてむしろ逆。人間の技術が神の域に到達したと思うのは、驕り以外の何者でもないと思うからだ。
リナの用意ができたので、僕はリナと一緒に傘をさしてアルカーナを出た。
日も落ちてきたし、雨が強くなってきたから、視界が悪くて結構危ないな……。
こういう感じの送迎業務を指示される頻度は割と高めだ。
書店のバイトというか、ほとんどアンナさんちのお手伝いさん、という感じ。そもそもアルカーナに客なんて常連さん以外あまり来ないから、いくら子供が多いとはいえ店番を雇う必要性すら無いのではと思うほど。
退屈といえば退屈かもしれないけど、僕はこの家族が好きだから、このバイトのことも好きだった。
……それにしても、だ。
リンとのことを思い出す。
さっきのは少し──いや、かなり不甲斐ない戦いぶりだった。「落とされない」と宣言したのにあの体たらく。きっとあいつに舐められた。
「可愛い」だって!?
なんたる屈辱か。またそんなセリフを言わせてしまった。だから葵に選ばれないんだ。いくら子供っぽい外見だとはいえ、僕だって男だ。これ以上、舐められてたまるか!
改めて決意を固めつつ、ザアザアと降りしきる雨の中をリナと並んで歩いていると、リナが口を尖らせる。
「もうね、いちいち塾になんてついてこなくていいよ! 一人で行けるから」
「アンナさんたちは心配なんだよ、リナのことが。素直に言うことを聞いときなよ」
「へぇ、じゃあ夕真は自分の親に言われたら、素直に言うこと聞くの?」
痛いところを突く。
こんなこと言うと心配されちゃうから言わないが、僕は家族なんてあまり好きじゃない。
父さんは自分の興味のことしか頭にない人だし、母さんは優秀な晴翔しか眼中にない。親の期待を実現しそうにない僕のことなんて、まるで見捨てたかのような態度をとるのだ。
リナは普段から親と仲良さそうに見えたけど、もしかしてリナにはリナなりに、色々あるのだろうか。
「別に、夕真と一緒に歩くのがイヤってわけじゃないからね」
「そうだろうね。帰りにアイスクリーム買ってもらったりとか、お菓子買ったりしてもらえるわけだし」
「わぁい、今日は何を買ってもらえるのかにゃあ〜」
リナは傘をさしたまま、くるくるっと回ってジャンプした。
着地したと同時に水たまり。リナは長靴を履いているから大丈夫だが、水が飛び跳ねて周りに飛び散った。
「こらこら、周りの人にかかったら──」
「う〜わ」
うんざりした気持ちをあからさまに込めた男の唸り声が僕の言葉を遮った。
傘をあげて見回すと、リナのすぐ横に、逆方向に通り過ぎようとしていた明らかに怖い感じのベタなチンピラ三人組が。
真ん中にいる男は、膝上あたりまで泥水がついたズボンを手で摘んでいる。
やばっ……謝らないと──
こちらが泥水を引っ掛けたのだからもちろんそうすべきなのだが、僕はこういうタイプがすこぶる苦手だった。生理的に苦手だから話しかけるのにも勇気がいる。僕はフリーズしてしまい、すぐに言葉が出せなかった。
リナも、もしかしたらそうだったのかもしれない。普段から明るい性格のはずのリナは、恐怖で動揺しているようだった。サッとピンク色に移り変わった瞳をチンピラに向けたまま、口をパクパクさせながら固まっている。
二人ともが硬直したせいで、僕らが言葉を発するよりも先に大きい声で恫喝されてしまった。
「コラァ!!! 謝れボケ、どういう教育されてきとんじゃ、このクソガキどもが」
こうなると、余計に言葉は出なくなった。僕の体は意思に反して勝手に震え、痺れ、立ちすくむ。
しかも、泥水を引っ掛けてしまった真ん中の奴の瞳が、暗い青色に点灯し始める。
恫喝したことで感情が昂ってきたのだろう。すなわち──
「……アンドロイド!!」
「アンドロイドだからなんだコラァ、差別すんのか!?」
いきなり腹部を蹴られる。
激昂した男は、体が「くの字」に曲がった僕の顔面に、下から拳をめり込ませた。
「夕真っっ!!」
「かっる。発泡スチロールかと思ったぜ」
大雨の中、器用にも傘を持ったまま攻撃を繰り出す輩。
僕は体ごと吹っ飛ばされ、何がどうなったのかもよくわからない。
手を掴まれ、引き摺られ、脇道の路地へと連れ込まれた。
大雨に打たれ、水たまりに座り込んで、自分の顔を触った時に手のひらについた血を眺め──
視線を上げると、チンピラ三人はニヤニヤ笑いながらリナの腕を掴んでいた。
三人のうち一人の男が、我慢できない、といった感じで言う。
「俺さ、実はロリコンでさ。このくらいの女の子が堪らなくて」
「お、ちょうどいいじゃん、連れて行こうぜ。よく見りゃ可愛いな、俺もイケる」
一人の男がリナの両腕を後ろからガッチリ掴み、もう一人が正面から頬を鷲掴みにする。
明るいピンク色に光るリナの瞳は、男たちに囲まれてたちまち見えなくなった。
「夕真っ! 夕真、助けてぇっ」
僕は喧嘩なんてしたことがない。こういう輩と出会った時、僕は目が合いそうになったらすぐさま視線を逸らして、いつだって隅のほうをコソコソ逃げてきた。
でも、僕が逃げればリナは乱暴される。
こんな小さい女の子がだ。何のために僕がリナに付き添っているのか、まさに今、その理由が試されているんだ。
ああ……こんな場面をサラッと切り抜けられる男子とか、カッコいいよなぁ……。
……この後に及んで逃げようなんて考えが頭によぎるから、「可愛い」から抜け出せないのか。
「カッコいい」になりたい。葵に認められたい。
少なくとも、今、僕がやるべきことは────
「あああ──────っっ!!」
僕は立ち上がって叫びながら男に掴み掛かったが、膝蹴りを腹に喰らい、肘打ちを後頸部に打たれ、倒れたところで顔面を蹴飛ばされた。
痛みや痺れが体のあちこちにあるが、どこがどうなっているのかなんてもう自分ではよくわからない。
「いやああああっっ、夕真ぁっ」
このまま倒れていよう、もう立ち上がるな、と頭のどこかで声がするのに、こんなふうに叫ぶリナの声を僕は聞いたことがなくて、それがショックで、僕はまた男の足を掴みに行く。
泣き叫ぶリナの顔が一瞬見えたが、男たちが僕の顔面を蹴り、体を踏み始めたのでまた見えなくなった。
と、その時、
「うあっ……痛ってぇ」
男の呻き声が聞こえた。どうやらリナが男の腕に噛み付いたらしい。
男の顔からヘラヘラとした笑みが消えた。
男は無言でリナの顔面をぶん殴り、リナはまるで人形のように吹っ飛ばされる。
僕はほとんど四つん這いのようにして駆け、気を失ったリナに覆い被さった。
男たちは、僕の背中や脇腹や頭部を強く蹴り、踏みつけた。
感じたことのない痛みが脇腹に起こる。反して、蹴られてピンボールのように跳ねる頭は痺れて、もうあんまり痛みを感じていなかった。
耳鳴りがして、音も満足に聞こえなくなってきたその時、
「やめろ!!」
耳のあたりで鳴り続けるキーン、という音に混じって女性の声がした。
男たちは、声のしたほうへゆっくりと顔を向ける。
「その子たちから、離れろ」
「へえ……可愛いな。ありえねえくらいの上玉」
「聞こえなかったか? その子たちから離れろと言った」
帰ったはずのリンが、そこにいた。
どうしてだか理由はわからなかったけど、今は、そんなことは問題じゃなかった。男たちはリンを見た瞬間、三人が三人とも瞳を青やら黄色やらに明るく光らせたのだ。
どこに持っていたのかナイフを取り出し、それをリンに見せびらかしながら三人で相談を始める。
「なあ、この小学生とあの女子高生をよ、このチビ野郎に見せつけながらってのはどうだ?」
「見られながらのほうが良いのは賛成だが、俺は小学生メインにしてくれ」
「俺はあの女子高生専門にして欲しいなぁ……マジでタイプだわ」
「とりあえずロリコン、お前には小学生を与える! 俺たちは女子高生だ。お前が使った後なんて嫌だから上と下で固定制だ」
「ええ……? どっちもしたいなぁ。俺、お前が使った後でもいいけど」
「俺は嫌なんだよ! ……そうだ。なあチビ、お前の意見も聞いてやる。リアルAVのS席オーディエンスだからなぁ、くっくっ。お前は、あの女子高生を、どうして欲しいよ? お前の願望通りにやってやらぁ」
僕の頭をグリグリと踏み躙りながら喋る男の声と、押し殺すように笑う残り二人の声、どこからともなく頭の中で鳴り響くキーンという音。
徐々に体に戻ってきた痛みが、否が応でも死を意識させた。
でも、このままじゃリンまで
だから僕は、ガラじゃないなぁと思いつつも、残る力を全部使って、全力で叫ぶことにした。
「ダメだ!! 走って逃げるんだっ」
「聞かれたことだけ答えろぁ、ぶち殺すぞチビが──」
「特別制圧隊『アームズ』コードNo.5 リンから統括指令室ネリム」
……誰が喋った?
僕と暴漢三人組は、一斉にリンのほうを向いた。
リンの声だった気がするのだ。でも、何を言っているのかわからなかった。
すると今度はどこからともなく、リンとは違う幼女のような声がする。
「ハーイ、リンちゃん呼んだぁ? こんな雨の日でもお仕事大変だねぇ」
「大変だねぇじゃないよ。ちゃん付けで呼ぶなって何回言ったらわかんの? あんまふざけてるとぶっ殺すよ……」
「ひっ……きょ、今日は怒ってるね。ごめんね、すぐやります!
アンドロイドデータベースと照合完了。あいつらはただのチンピラだね。特別なバトルアビリティはないよ。どうする? パワーチャンネル、開通する?」
「早くしろ」
「おっ、OK! 基幹システム『メティス』への
開通処理開始。…… …… …… ……
パワーチャンネル開通完了──1ギガワットを上限としてワープシステムによるバトルエネルギー転送待機状態
パワートレイン・MAX値まで強化完了
オートプロテクション・出力完了
戦闘モード・アクティブ──現在時刻よりアンドロイドデータベースへの戦闘記録同期開始
次いでメティスより通知。個体識別名称『リン・ラミレス』にアビリティ『ファルシオン』を許可」
リンの手に、バリバリっ、と強烈な音を発して水色のビームサーベルみたいなのが現れる。
水色の光の塊でできたような剣を、ヒュン、と振って水平に構える。
大雨が降りしきる中、傘を放り投げたリンは、光り輝く水色の蒸気を身体中から放散させ、剣と同じ色に光らせた瞳でチンピラたちを睨みつけていた。
「とっ……特別制圧隊だとっ……」
「ボケ! ビビんなタコがっ、どうせハッタリ──」
人間ではあり得ないほどの瞬発力で駆け出したリン。
足跡の波紋をほとんど全て同時に雨の溜まる路地上へと浮かばせ、男がセリフを言い終える前に、通りすぎざま三人の男たちの手首と足首を軒並み斬り落とす。
「ぐああああっ!!」
ええ──────────っっ
なんじゃそれ……。
リンは、仰向けに倒れたリーダー格の男のナイフを蹴り飛ばし、胸を踏みつけながら男に視線落とした。
夕暮れと大雨で暗くなった路地の中、ついさっきまで僕に向けていたのとはまるで違う、燃えるような水色の瞳。
体中を流れる動脈までもが凍りつかされそうな慈悲のない視線に、男は自然と口を突いて言葉が出たのだろう。
「い、命だけは」
「クズが。命の尊さを身をもって知れ」
男の一言は、余計にリンの逆鱗に触れたかのように見えた。なぜなら、命乞いを境に、彼女の体から立ち昇る水色の蒸気の量が飛躍的に増えたからだ。
リンは水色の剣を逆手に握り、大きく振りかぶる。
え…… 殺すの……?
リンは、ハッとしたように僕のほうを向いた。
見開かれた目が、僕の目と合う。
やがて僕から目を逸らしたリンは、一度だけ大きく深呼吸をしてから、勢いよく剣を振り下ろす。
エネルギーが凝縮されたかのようなオーラの剣は、男の頬をかすめてガイン! という音とともに地面を突き刺した。
「……制圧完了。ネリム、付近の警察官を現場へ要請。併せて、怪我人がいるから救急要請も」
「了解! もう要請済みだよっ。お疲れ、リンちゃん」
「ちゃん付けすんな」
呆れた顔をしてため息をついたリンは、落ちた傘を拾って僕らのところへ駆け寄り、僕とリナが直接雨に打たれないようにしてくれた。
「スキャンした感じ、肋骨が折れてる。内臓とか詳しくはお医者さんに見てもらわないと……。リナは──顔を殴られちゃったみたいだね。骨は大丈夫だけど、脳に異常がないかはやっぱり病院に行かないといけないな。二人とも、すぐに救急隊が来るから」
とんでもない戦闘力のことを問い詰めたい気持ち満々だけど。
まずは……
「あの」
「うん?」
「ありが、と」
「喋らないで。傷に
僕の上半身を片手で抱き起こしているリンの髪を、そっと撫でてやる。
「結局、雨、濡れちゃったね」
「……ごめん。助けに来るのが遅れたせいで、ひどいことになっちゃった。よく頑張ったね、夕真。君はすごくカッコいいよ」
カッコいい、かぁ。
そりゃよかった。少しは目標に近づけたのかな。
リンは、僕の頭をそっと抱きしめた。
遠くで鳴るサイレンの音を朦朧とした意識で聞きながら、冷たい雨の温度感と、柔らかい胸の感触を同時に味わう。
──特別制圧隊「アームズ」。
有名な特殊部隊だから番組なんかでもその存在は紹介されていて、もちろん僕も知っている。
人間とアンドロイドの軋轢が数えきれないほど発生するこの世界で、凶悪な犯罪者が現れた場合に出動する特殊部隊。一般人にも紹介されたりするのは、彼らの存在を周知して犯罪の抑止力とするためだろう。
でも、まさかこんな女の子が隊員だったなんて。
窮地から助かりホッとしたのも束の間、すぐに僕は戦慄した。
家に上がり込まれても、最悪、男の僕ならなんとかできる……なんて甘く考えていたけど、とんでもない考え違いだった。
彼女は、この国を護る最強部隊の隊員で、この国最強の女の子だったんだから。
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