第4話 危うく負けるところだった
駅の入口で待っていると、リナのお父さん──リュークさんが、改札の向こうから手を振りながら歩いてやってくるのが見えた。
めちゃくちゃいい人なんだけど、あの人を見るたび僕は自信が喪失されてあまりいい気分にはならない。
なぜなら、リナのお父さんは、背が高くてイケメンで、筋肉もついていて、歩く後ろ姿さえもカッコいいという、誰からも「カッコいい認定」を受けるような女性から引く手数多のモテ男。
対して僕は正反対のタイプで「カッコいい」とは無縁、子供に間違えられる幼い系キャラ。中学校以降は根暗でオタクという属性も付加されて尚更「カッコいい」から遠ざかる。
一番ショックだったのは、ずっと僕のことを好きだと言ってくれていた葵が、中学へ上がる前くらいには突然「カッコいい人が好き」とか言い出したことだ。
だから、リナのお父さんと同じく、多くの女子から「カッコいい認定」を受けている晴翔と葵が付き合うのは、至極自然な流れであって。
わかってる。そんなこと、わかってるけど……。
ああ、また吐き気がする。
この気分、本当に誰かなんとかしてほしい。
そんなことを考えながらふとリンに目をやると、相変わらず綺麗な水色に灯った瞳で彼女も僕を見つめていた。
不思議な感覚だ。
ついさっきまで赤の他人だった──いやもちろん今もただの他人ではあるけれど。
アンドロイドとはいえ、これほどの美少女がこうして僕につきまとって落とすだなんだと騒いでいるんだから。
人型アンドロイドのことについては、小学校くらいから授業でボチボチ習う。
彼女らは超高性能AIが作り出す感情や心を持っていて、コミュニケーションにしても外見にしても、人間と異なるところなど何一つ無い──というのが学校での教えだ。
構造的には、人間でいう「骨」にあたる部分が特殊な金属──すなわち「生ける金属」でできていて、その「骨」の中にはアンドロイドが
よって、本来アンドロイドは金属骨格だけで生存できる。
なのに、あえてその上から「肉」、つまり生体組織で覆っているのは
なぜ、そこまでするのか?
当初は製品として販売された人型アンドロイドのセールスポイントも、のちに人型アンドロイドの人権が憲法に明記されたときに解説された内容も、だいたい似通ったものだった。
要約するなら「ともにこの世界を生きる仲間」ってところか。
見た目も、肌に触った感触もがリアルこのうえなく、かつ、普通にコミュニケーションをとる程度じゃ人間と区別がつかないレベルに到達している彼女たちだが、明確に人間と見分ける手段がたった一つだけある。
それこそが「瞳の色」。
感情が
公式的にはあらゆる面で人間と同等であると認められている人型アンドロイド。
にもかかわらず「アンドロイドには人間らしさがない」なんて言っちゃう僕は、無自覚のうち、多くの人間たちと同じく人間至上主義者になっちゃっているのだろうか。
考え事に耽っているところへ、アンドロイドの旦那様はいつものように明るく呼びかけながらやってきた。
「やあ、佐々木くん。毎回毎回ごめんね、ありがとう! リナもまた来てくれたんだね。……あれ?」
リュークさんはリンに目をとめるなり、口を開けたまま呆気に取られたような顔をする。
「……ここで何してんの?」
「あ、初めまして! 私、リンと言います! 夕真と一緒に、お、お迎えのお手伝いにっ」
「……えっと。初めまして……?」
語尾が半疑問形のままリュークさんはぎこちなく挨拶した。
なんだこの感じ? 二人、知り合い?
すると、二人の会話に割り込むようにリナが言う。
「夕真はさ、このままお姉ちゃんと少しだけデートしてきなよ! リナはお父さんと二人で帰るし、お母さんにはうまいこと言っておくからさ!」
健気にサポートしようとする十歳児に、僕はもう唖然とするしかなかった。
デートって……なんか危険な香りしかしない。それに、僕はまだバイト中なんだけど。
勝手に段取りを決め込んだリナは、じゃあね、と笑顔で手を振ってリュークさんと去っていく。満足そうな笑顔のリナとは正反対に、リュークさんは最後まで怪訝そうな顔をしていた。
僕と並んで立ってリナと旦那様に笑顔で手を振るリンは、なんか嬉しそうにニコニコしてる。
かと思うと、僕へ向き直って唐突に、
「夕真、家はどこ?」
「えっ、どうして!?」
いくら美少女といえど、初対面なのに家の場所まで教えるのは怖いんだが。
さすがにここらで追っ払わないといけない気がしてきた。
「てかさ、君はいつまで僕についてくるの?」
「夕真がどんなところに住んでるのか見たいなあ、って思ってさ。今日のところは、それを見てから帰ることにするよ」
「やっぱ、今日だけってわけにはいかないんだね」
「当然でしょ? だって、君が落とされないって言ったんだから」
「落とすだけなら、家は見なくてよくない?」
「夜這いが必要になるかもしれないし」
「ちょっ……」
「冗談だよ」
こっちが絶句するようなユーモアをかましてケラケラ笑うアンドロイド。
しかし、これじゃどっちが男かわかんないな。
「でも、正味の話、永久に続けるわけにもいかないでしょ。そういえば期日を決めてなかったから、決めておこうよ」
「永久に耐えられるつもりなのが草」
「落とせると思ってるほうが大草原」
「だーめ」
「はい?」
「ルールは、勝負を開始する前に決めたものだけ。あとから言ったものは無効だよ。だって、お互いの気分次第でどんどん変えれちゃうじゃない? 開始前に期日は決めなかったんだから、勝負に終わりはないなぁ。実質的には私が諦めるまで終わらない、ってことになるかな」
「いつ諦めるご予定で……?」
「いつ、落とされるご予定?」
「僕は落とされないよ」
「私も絶対に諦めない」
駅の入口という多くの人が行き交う場所。周りを歩いていく人たちは、まさか高校生の僕らが──いや人間とアンドロイドの僕らが、こんな話をしているとは夢にも思ってないだろうな。
しかし、諦めない限り永久に続けるって? あまりにもしつこすぎる。
そんなに彼女のことを怒らせちゃったのだろうか。
でも、僕が落とされないってのだって、引くわけにいかないし。
今日一日で終わらないってことは、どこかで連絡先を聞かれるんだろう。
が、聞かれるまでは黙っていよう。
とりあえず、家の場所を教えたら当面は帰ってくれるらしいが……。
どうしよう。自宅の場所を教えるなんて、大丈夫だろうか?
でも、リンは女性タイプのアンドロイドだ。
確か、人型アンドロイドに採用されている各種アクチュエーターを含むパワートレインシステムは、人間が身体能力を向上させるためにトレーニングするのと同じで、鍛える動作に伴って強さを上げていく設定になっているはずだ。
だから、こんな女の子のアンドロイドなら、男の僕ならいざとなればなんとかできるかもしれない……知らんけど。
だってほら、肩のラインだってこんなに細いし、首だって。
顔、小さ……。
胸は「ふくよか」の中でもそこそこ大きい気が。制服のブレザーがこんなに大きく曲線を描くなんて、一体これ、中身どうなってんの?
アンドロイドなのにこんなに人間らしい体を与えられた理由は、公式的には「ともにこの世界を生きる仲間」だが、人間たちの間では、まことしやかに裏の理由が囁かれている。
それは、「人型アンドロイドは人間の恋愛相手になるために造られた」だ。
公に発言するとアンドロイドの人権問題になってしまいそうなその噂話によると、人型アンドロイドが人間と同じレベルで話し、笑い、泣き、怒り、悲しみ、様々な感情を共有することができるのは、全て人間との恋愛のためだというのだ。
どう聞いても「下世話な話」の範疇を超えないのだけど、この説を真面目に信じる人たちは一定数存在する。
その理由は、次のとおりだ。
人型アンドロイドはアンドロイド同士でセックスして子孫を残す。
どうやら射精の瞬間に遺伝情報をデジタルで送信するようになっているらしいのだが、そもそも論として、セックスしなければならないように造る必要性なんか無い。
しかもセックスによる「快感」まで自覚できるように感覚器が設計されているのだから首を傾げてしまう、というのだ。
まあ、別に僕はいいんだけどね。お気に入りのエロ動画はアンドロイドの女優が出ているやつだし。彼女は何度も何度も瞳の色を変え、その度に涎を垂らして痙攣しながら絶頂していて、異常なほどのエロさの虜になった僕はほんと長らく彼女のお世話になっているから。
そう……「感情が昂ると瞳の色が変わる」というところがまた堪らない。
色が変わった瞳は本気の証明。エロ動画であろうが「女優」なんだから演技するのは当然なんだけど、ああ、これ
確かに、ともにこの世界を生きるだけなら、ここまで作り込む必要はないという主張は一理ある。どのような高機能であろうとも人間らしくなるためなら排除する開発コンセプトと併せて考えると、「人間の恋愛相手になるために造られた」以外に考えられない、というわけだ。
そこから波及して、「狙った人間を虜にするための最適フェロモンを体内合成している」だとか、「アンドロイドたちの性器は男女ともに微妙に変形するのではないか」などという憶測まで飛び交う始末。それほどまでにアンドロイドたちは、人間の
これらは当局が公表しないため未だ証明されてはいない都市伝説の類だが、こんなに広がってしまったのも、「アンドロイドとのセックスにハマった人間たちがまるで覚醒剤に手を出してしまったかのように抜け出せなくなった」という情報がネット記事で蔓延したからだろう。
加えて、まるで人間のような感情と心を持っているからこそ、人間同様の愛憎劇も勃発するようだ。
アンドロイドの女性と不倫した人間の男性が、「こいつはアンドロイドだからいわば人形であって、ダッチワイフと同じだから、すなわちこれは不倫じゃない」と言い張り、女性アンドロイド側から侮辱罪で訴えられたのは有名な話だ。
いずれにしても週刊誌が好きそうな話ばかり。だから僕は、こんなのただの噂話だと今まで一笑に付してきた。
なのに……ここにきて、あながち眉唾物ではないと僕には思えてきたのだ。
思えてきた? いや、「思い知らされている」が正しいかもしれない。
今まさに、僕は、アンドロイド本人からその一端を思い知らされていて……
「ねぇ夕真ぁ……離れないでよぉ」
パーソナルスペースをブチ破り、真正面から遠慮なくひっついてくるリン。
視線を逸らすことだけが、今や僕にできる唯一の抵抗……。
「という訳だからさ、おうちの場所、教えてよ」
「だからどういう訳だよ、なんの説明にもなってない! 仮に僕を落としたいと思ってる人がたくさんいたら、その人たち全員に無条件で教えないといけないっての?」
「あははっ! 自信過剰男ぉ!」
「あのね……」
「どうしても教えてくれないの?」
「初対面の人に自分の家の場所なんて教えないのが普通なの」
「大丈夫、家の中まで押しかけたりしないよ。今は一緒に、二人で歩けるだけでいいんだ。でも、教えてくれないと──」
リンは、自分の手のひらを僕の首の後ろにそっと引っかけた。
この行為がリンの次の行動の予兆だとするなら、次に彼女が何を目論んでいるか誰もがピンとくるだろう。だが、それはあくまで客観的にこの状況を観察することができた場合に限るのだ。
駅の入口という人通りの多い場所で、しかもいざ自分自身がその行為を受ける側になってみると、リンが何をしようとしているのか、一瞬理解できなかった。
一足遅れて気づいた瞬間、驚きは
僕の状況理解が追いつくのを待っていたかのように、リンはゆっくり顔を近づけ始める。
そんな彼女の表情に、僕は心底動揺させられていた。
仮にこんなことをされても、僕をおちょくったような、意地悪そうな表情にでもなってくれていたら、まだ正気を保てたように思う。
だけど、今のリンの表情には、アルカーナで僕に宣戦布告した時のような挑発的な笑みは無いのだ。
僕が普段女の子から向けられることの多い嫌悪感とか、知らない男に対する警戒心とかも無く、美しい水色になった瞳のまま、ただ顔を赤らめて、リンもドキドキしているかのような、つまり、その、友達とかじゃなく、きっと大好きな男の子へ向けるような──。
そんな。これじゃまるで、本当に僕のこと好──わ、
わっ、まってまって! だめ、これ以上────
「わかったっ! わかったよっ! 僕の家は市営高層マンション『空のまち』だよっ」
リンは近づくのをピタッとやめ、残念そうに笑みを浮かべる。
そんな彼女の様子を呆然と見つめながら、僕は、息も絶え絶えに突っ立っていた。
「ふふ。もう降参しちゃうの? 今のは私から無理やり迫ったんだから、平常心を保てたなら、キスしたって君の負けにはならないよ?」
汗で肌に張り付いたシャツをパタパタさせながら、暴れる鼓動を整えて必死に気持ちを立て直そうとした。
確かにリンの言うとおりのはず。なのに、今のを受け入れても本当に負けじゃないのか、一瞬わからなくなった。
話を聞くと、どうやらリンの家は、僕の家と方向が同じらしい。
「一石二鳥だね!」と言われたが、二鳥の「二」は何と何なのか具体的に教えて欲しいところだ。うっかり忘れるところだったが僕はまだバイト中で、リンとの
思考力がゼロのまま、相合傘をしながら駅を出て雨の中を歩き始める。
自宅の場所を教えることで決定的な危機は脱したが、相合傘を続ける限り、僕はリンの繰り出す
団地の入口に着くと、リンは絡めていた腕を離した。
ようやくか、と僕はホッとしたが、彼女は僕の袖をクイクイと引っ張る。
なんか嫌な予感がするな……今度は一体なんだ??
「ね、もう一つお願いがあるんだけど」
「なっ、なに??」
「はは、そんなに構えないでよ。連絡先、交換しよ」
来たか。
まあ想定の範囲内だし、今までの感じからして教えないと家までついてきて部屋番号まで知られるのがオチだ。そうなったら玄関前で待ち伏せされたりする危険性もある。
とりあえず、少なくともリンとは建物へ入る前に別れて、僕の家が何階かすら教えないようにしておこう。
……と、こう思うのだが、ここは一回くらい拒否しておかないとな。
「イヤだって言ったらどうするの?」
「このまま家まで上がり込んで、夕真の部屋で押し倒す。その流れで、お義父さんやお義母さんにご挨拶でもしよっかなっ。『彼女です!』って。てへ」
「『てへ』じゃないよ、一体どういう脅し方だよ!? 父さんと母さんのことなんて僕を落とすことと何の関係もないだろ! 無駄にダメージ与えようとすんなっての」
「関係なくないよ? 将を射んと欲すればまず馬を、って言うでしょ」
「ナルホド……って、この勝負に馬、全然関係ないじゃん! そりゃ結婚とかする場合の話じゃない!?」
「ナルホドー。確かに、結婚に持ち込んでも私の勝ちだなぁ」
「なっ……ま、待って待って! わかったよ……」
「ニシシ……素直でいい子だね」
リンは意地悪そうに笑いながら僕の頭をナデナデした。
頭を撫でられ、謎にしっくりくるこの感じ。僕は目を細めて、ニコニコするリンを睨みつけてやる。
何なの、このアンドロイドは!?
異常だ。やっぱイカれてる。ってか、故障してる。本当にネジが何本か外れてるんだと思う。
ヤバいよ。どうしよう……。
僕らは二人してスマホを取り出した。
人間である僕はもちろん当たり前だが、彼女もまた、自分自身がアンドロイドのくせしてスマホを使う。人型アンドロイドたちは、通信にかかる手段はすべて、基本的に外部機器を使用するのだ。
僕は、むうう、と唸りながらもチャット型メールアプリで渋々リンと「友達」になってあげた。
彼女はスマホの画面をじっと見ながら、へへへ、と
くそぅ。なんだかんだ言って、こんなところがなんか胃のあたりをフワフワさせるんだよな。
単なる勝負なのに、そんな顔をするなんて芸が細かいんだよ……。
「約束通り今日はここで帰るね。一緒に歩いてくれて、ありがと」
これも僕を落とすための演技なのか。
なんの承諾も無しにまた僕のことをギュッと抱きしめながら、耳元でこう囁く。
彼女の吐息のせいで耳から全身へと鳥肌が駆け巡った僕は、一瞬にして大半が消失した理性の残り数パーセントを使って、かろうじて頷いた。
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