第3話 気が付けば相合傘



「僕を落とす宣言」を高らかにぶち上げた通りすがりのアンドロイド女子さん。

 彼女はどうやら僕を子供だと思ってたみたいで。


「ところでさ。キミは正味のところ何歳なの?」

「はぁ……。どうせ子供っぽいって思ってんでしょ? 高校生だよ。高二」

「はは、義務教育終わってるようには到底見えないね。どう見ても中一」

「悪かったな。どうせ見た目からして幼いよ僕は」


 彼女は、謎に僕をジロジロ眺めていた。

 なんだこいつ? だからどうしたっての??


 と、彼女はご馳走を目の前にした子供みたいに口を半開きにしていたかと思うと、垂れ落ちそうになった唾液を「ジュルっ」っと派手に音を立てて飲み込んだ。


「ひっ」

「……あ。ごめんごめん。つい」

「え、どういうこと。『つい』って何」

「ううん。なんでもないよ。キミ、ほんと可愛い顔してるよね──……」

「はぁ……よく言われますけど」


 彼女は半分理性を失ったかのような表情で僕を見る。

 やっぱ変なやつだ。ってか若干怖くなってきた。


 ちょっと待って? よく考えたらこいつ、僕のことパッと見「中一かも」って思ってたのにガチで落とそうとしてたってこと!?

 小学生とほぼ変わらない男の子を手籠めにしようとするなんてやばいじゃん。ってかめっちゃ怖くなってきた。


 僕らのやりとりを面白がっているのか、終始ニヤニヤしながら楽しそうに眺めていたリナは、お迎えに行かないといけないことを思い出したようで突如ハッとする。


夕真ゆうま、そろそろ行かないと! お父さん着いちゃうよ」

「あ、そうだね!」


 ナイス、リナ! 


 よかった、これでなんとかこの変な美少女さんから逃げられそうだ。


 赤いエプロンを脱いでレジの椅子へ掛け、それからカウンターの外へ出るまでの間、僕はあえて美少女さんに目線を合わさないようにしていたのだが、しかし彼女は全く僕のことを見逃してはくれなかった。


「どこへ行くの?」


 えぇ……あからさまに目を逸らしてんのになんで喋りかけんのさ。


「この子のお父さんをね……って、君には関係ないし」

「君じゃなくて、私はリン。リン・ラミレスっていうの。ね、佐々木夕真くん?」


 リンと名乗った美少女は、そう言って僕のエプロンについていた名札を指差す。 


「……そうだけど。なんにしても、これは本屋のお客さんには関係のないことだから──」

「本屋のお客さんとしてじゃなくて、私自身に関係あるから言ってんの。さすがに離れてちゃ落とせないし」

「離れなきゃ落とせるっての? すごい自信だね。だいたいね、自然に出会ったならまだしも、『今から落とします』なんて言われて落ちるわけないじゃんか」

「ふふっ……さぁどうかなぁ。ほら、私のこともう一度よく見てみ。可愛いと思わない?」

「────っっ」


 得体の知れないヤバさを秘めてはいるが、僕にズイッと顔を近づけてこう言った彼女は、正直言って普通なら僕なんかじゃ話さえしてもらえないレベルの超絶美少女だ。

 スクールカーストの頂点と最底辺の差。決して埋まることのない歴然とした身分の違い。悔しいがこの自信も頷けるというものだ。


 だけど、だからといって僕を落とせるかどうかはまた別問題だ!

 いくら最底辺の奴隷でも、アンドロイドに落とされたりしないぞ……っっ

 

「ま、まあ少しはね」


 意気込んだくせに、目の前の女の子があまりにも可愛いせいで「可愛くない」とは嘘でも言えなかった。


 というか、こいつ、僕に彼女がいないって決めてかかってないか?

 まあ、いないんだけどさ。それにしても、あまりにも失礼だろ。

 よし。ここはハッタリをかましてやるか……。


「あのさ。僕に彼女がいたりするかも、っていう発想は浮かばないわけ?」

「だから?」

「えっ? いや、彼女がね──」

「いてもいなくても同じことだよ。夕真が私に落とされるかどうかに、彼女のあるなしは関係ないと思うけど」

「関係あるよ! 彼女がいれば、当然僕は彼女から心が動いたりしないわけで──」


 リンは、僕のほっぺに無断で手を触れる。

 優しく撫でるようにされて、ゾゾ、と望みもしない快感が走った。


「へぇ、そうなんだ。彼女への愛を貫けるといいね」


 可愛い声でとんでもないことを言い放つ。

 こわ。恋愛漫画で読むような修羅場が訪れるところだったな。

 彼女とかいなくてよかったと初めて思った。


「そんで? 彼女はいるの?」

「いないよ」

「いないんかいっ。仮定の話で私を踊らせないでよ」

「君は踊ってないでしょ。むしろ僕が踊ったよ」

「あはは。そだね。めっちゃ動揺してたもんね。そんな可愛い態度ばっかとってると、もっともっと虐めちゃうよ?」

「いじ……君は初対面の男子に一体何を言ってるの?」


 ふふ、と嬉しそうに笑う。

 何こいつ? どういう心境?

 すっかり書店の客であることを忘れてタメ語で喋っていたが、こんな変なやつ、これでいいと思う。


「そんな訳だから、夕真が行くところには私もついていくって自動的に決まってんの。さ、これからどこへ行くの?」

「そんな訳ってどういう訳ですか? ってか本腰を入れて僕を落とす作業に取り組むのやめて欲しいんだけど」

「冗談な訳ないじゃん。目がマジだったでしょ?」


 自分で言うな。

 はぁ…………。どうなっちゃうの、これ。


 アンドロイドの感情アルゴリズムなんてよくわかんないけど。

 ちょっと狂っちゃってんじゃないの? もしかして故障?


「いやね……君は用事とかないの? 暇人なの?」

「用事、今できたの。君を落とすこと。あはは」

「くっ……。お、教えない、って言ったらどうするの」

「どこまで〜も、ビッタリ離れずについていく」

「っ…………。リナ──この子のお父さんを駅まで迎えに行くんだよ。雨が降ってきたから。これでいい?」

「私も行くっ!」

「わあっ」


 僕が反応するいとまもなく、彼女は勢いよく僕に抱きつく。


「なっ、なっ、何すんのっ!!」

「なによ、いいじゃない。アンドロイドから何をされても、夕真は魅力を感じないんでしょー?」


 彼女は僕の肩に顎を乗せているので表情は見えないが、温かい頬が擦れ合う感触でなんとなくニヤニヤしているのがわかる。

 柔らかくてサラサラの髪が首筋に触れて、リンのほっぺが僕の頬に押し付けられて。

 ふわっと漂う香りはシャンプーの残り香なのか、ボディソープか、洗濯洗剤か、それとも……。


 アンドロイドからこんなふうにされたことなんて今まで一度もない僕は、「そんなバカな」と心の中で何度も繰り返していた。


 もちろん、公式的には「人間と異なるところなど無い」とまで言われている彼女たちのことは、学校でも街中でも普段から頻繁に目にするし、ぱっと見、違いなんてわからないのは十分承知しているが。


 だからと言って、機械は機械。人間は人間。


 いくら精緻に造られようが、ブルドーザーと人間を間違わないのとさほど変わりはない……くらいに思っていたのだが、そんな僕の認識はいとも簡単にひっくり返された。


 目の前の美少女に対して、僕の五感が人間以外の異物を認知してくれないのだ。彼女をアンドロイドだということを理解可能にしたのは、唯一「事前知識」のみだった。

 しかし、百パーセント正しいことが確定しているはずの事前知識ですらが、今まさに僕が感じ取っている現実の感覚の前には霞み、疑いの対象となりつつある。

 


 これ、ほんとにアンドロイドなの…………?


 

 やばい。なんか体がフワフワしてくる。

 なんとかしなければ、このままじゃ……。

 いや違うけど! そりゃあ、機械なんかには断じて落とされたりしないんだけど!

 そのはず、なんだけど。

 でも、なんか……なんか危ない。危ない……気が。


 僕はリンの両肩を掴み、慌てて引き離す。

 

「ちょっ……ダメだよ、女の子が知らない男子にいきなり抱きついちゃ! ってか、どこに行くかはちゃんと教えたじゃない! なんでついてくるの!?」

「教えたらついていかないとは言ってないじゃんか。ちゅーかあんたはいつの時代の人よ? 私が誰に抱きつこーが、私の勝手ですぅ」

「あのね! 抱きつかれる側の意思は?」

「嫌なのぉ?」

「…………っっ」

 

 至近距離から繰り出される可愛い顔アンド見つめ攻撃。

 これだ。これがやばい。心が縛られて、体の自由が奪われるのだ。僕に「嫌だ」と言わせない、得体の知れない魔力が働く。

 そのせいで、制限時間に追われるクイズの回答者のように、僕は思考力をがっつり削がれてしまった。


「で、で、でもさ、お迎えにそんな大人数で……それにこの雨だし。ほら、リナも言ってやってよ!」

「リナは大丈夫だよ。ぜひ一緒に行こうよ! こんな超可愛いお姉さんとお知り合いになれるなんてリナも嬉しいぃ」 

「あぇっ!?」


 なんだこいつ、どっちの味方なんだ!

 しかもアンナさんまでニヤニヤしてる。一体どうなってんだ?


 くそぅ。もう一緒に行くしかないのか……?

 ……いや待てよ! よく考えたら、そんなにたくさん傘、あったか?


 僕はリンを待たせておいて奥にある傘置き場へ走り、彼女から見えないように確認した。

 元々アルカーナにある傘が三本、ちゃんと天気予報を見ていた僕の傘が一本、合計四本。見る限り、あのリンとかいう女子高生は傘を持っていない。アンドロイドって天気予報を見ないのか?

 いずれにせよ、僕も傘を忘れたことにしておけば……。


 僕は、アルカーナにあった三本の傘を持って、リンのところへ戻る。


「ほら見て、傘が三本しかないよ! 僕と、リナと、リュークさんで、限界ギリギリだ。ああ、残念だけどしょうがないなあ! リナが行かなきゃ大丈夫だけど、リナはお父さんのこと、迎えに行きたいもんね!」


 僕はしきりにリナへウインクする。

 すると美少女さんがとんでもない提案を。 


「じゃあさ、私と夕真は相合傘にしようよ」

「っっ────」


 僕は絶句した。相合傘だって!?


 自ら罠にハマってしまった。このままでは色気ムンムンの美少女アンドロイドにビッタリ引っ付かれてしまう。しかしそんなアイデア、童貞に予測対応しろと言うほうに土台無理があるのだ。僕は悪くない。


「……じゃあ、しょうがないから帰りはそうしてもいい」

「えー、行きからでいいじゃん、ケチ」

「なんで!? だって行きは傘が余ってるよ!? ケチって何!?」

「だあってさぁ。アンドロイドに落とされたりしない〜、なんて威勢よくタンカ切ったくせにさ、最初っから逃げ腰なんだもん。そりゃ呆れもするでしょ」


 確かに……。


 こいつはアンドロイドなんだから、すなわちロボットであって、エロで一本釣られる危険性はあれど人間の僕が心ごと陥落する訳もないし、そんなに過剰に心配する必要なんてないよね、根本的に。

 というか、


「今バカにしたな!? 見てろ。絶対に、ぜぇ────っったいに、落とされたりしないからな!!」

「じゃあ、どうするの?」

「いいよ。相合傘しよう」


 くっくっく……と押し殺したように笑うリン。

 舐めるなよ! 伊達に2Dの女の子やアイドルに傾倒してるわけじゃない。もはや現実の女子になぞ興味すらないわ!


 と、ちょいちょいリンがアンドロイドであることを忘れさせられてるところが不安材料なのだが。

 そんな僕を前にして、リンは不意に柔らかな笑顔になって。


「ねぇ、夕真」

「なんだよっ!」

「ありがとう。なんだかんだ言って相合傘してくれて、すごく嬉しいよ。夕真、優しいよね。私、君のことホントに好きになっちゃうかも」


 不意に見せられた優しい笑顔に、自分の鼓動の音が聞こえた僕。


 なななな何何言ってんの!? 

 どうせこれも嘘に決まってる! こいつは僕を落として「ほれ見たことか」と言いたいだけなんだ! 気をしっかり持て!!


 ただでさえ動揺している僕に、リンはまた抱きつく。

 僕より少しだけ背が高い彼女は、僕を覆うように抱きしめた。その上、どさくさに紛れて自分の頬で僕の頬をまたスリスリと。



 あ……あぅ。


 

「三人とも、気をつけてね。いってらっしゃい」


 アンナさんの一言はまるで格闘技のラウンド終了を告げるレフェリーのようだった。


 完全に理性が消え失せて危うく自ら抱きしめにいくところだった僕を、リンはこの一言で離す。

 本来なら僕の味方であるはずのリナでさえセコンドを放棄してむしろ敵であるというこの状況。僕は深呼吸してなんとか精神状態の回復に努めた。


 微笑ましそうにするアンナさんに見送られ、徐々に強まってザアアと鳴る雨音のなか、僕らは駅のほうへと歩き出す。

 もちろん僕は、リンと相合傘で。



 体と体が触れ合う距離に、超絶美少女がいる。



 えーと……今更だけど、なんでこうなった? 

 


 状況の急展開に頭が全然ついていかない。しかし今僕にできることは、「気を確かに持つ」こと以外にないと思われた。


 そう。短い時間のうちにもう何度も自分自身へ言い聞かせたことではあるが、よく思い出さなければならない。

 彼女は人間じゃない。人間らしい外観を形造る生体組織の下には、金属でできた機体があるんだ。

 すなわち彼女は機械。ロボットだ。そんなのに人間である僕が心を奪われる訳はない。

 

 これは、その。

 違うんだ。

 きっと、恋愛感情とは違う気持ち。ただの性欲。エロ動画を見ているのとなんら変わりない、生物として備え付けられただけのもの。

 すなわち「人間らしさ」とは関係のないものなんだ。

 

 リンは傘を持つ僕の腕に自分の腕を絡ませ、僕の手の上から、自分の手をかぶせて握った。


「ひいっ」

「なにそのお化け屋敷で出すような声。あまりにも失礼じゃない?」


 リンは、ほっぺを膨らませて拗ねたような顔をする。

 その顔がまた、かわい……


 僕は頭をブンブン振った。


「か、傘は僕が持つからさ。君は濡れないようにしてくれたらいいよ」

「夕真の肌に、触れていたいの」

「ちょっ……肌、って、」

「こうやって」


 リンは、傘を持つ僕の手の甲をさするようにする。


 いたたた。待って。やばいって。ギンギンだ。もう限界だよっ!

 なんとかしないと、これではまともに歩くことすらままならない。


 剣を収めなければ。こういう時は……


 そうだ。葵と晴翔のキスキーンを思い出せ! げんなりして萎えるはず── 

 と思ったが、今の僕には地獄であるはずの例のキスシーンでさえ、もはやオカズと化していた。

 


 ああああああっ



「どうしたの?」

「なんでもないデス。ちょっとだけ向こうを向いてていただけますか?」

「???」


 リンから見えないようにしながら僕はポジション修正し、比較的歩行にダメージの少ない上方へと逃した。


「……ふっ」

「あっ、鼻で笑ったな!? 僕は、こんなのじゃあ、到底っ、」

「わかったわかった。ほら行くよ」


 ニヤつきながら、手のひらの上でいとも簡単に僕をコロコロするリン。

 その後ろから、かすかに聞こえた罵倒の声。それはリナの声で、僕の耳が確かならば、リナのセリフは「ほんとクソ野郎だな」だったはずだ。


 駅に着くと、屋根のあるところで傘を畳む。

 旦那様はまだ着いていなかったので、三人並んで駅の壁に背もたれて待った。こうしていると、リンによって狂わされていた心は徐々に落ち着いてきた。

 だけど、雨模様の空を黙ってじっと見つめていると、否が応にも葵のことを思い出させられる。それは、やはり僕の胸をグッと締め付け、胃のあたりをチクチクと刺した。


 僕がこの妙な子に絡まれている間にも、あの二人は手を繋いで、人目のないところまで来たらキスをして、「この雨だから外は無理だし、今は親いないんだけど、うち寄ってく?」みたいになって、それで、それで──……。


 はぁ……と大きくため息をついて僕がうつむくと、リンは腰から体を傾けて、綺麗な黒髪を垂らしながら、下から僕の顔を覗き込んできた。


「ん────? なに考えてるのかな」

「なっ、何にも! 君には関係のないことだよ」

「夕真はねぇ、大好きだった幼馴染の女の子を、大嫌いな弟君に持って行かれちゃって、今、傷心中なんだよ」

「こらっ! リナ、余計なことを──」

「いいじゃない。お姉ちゃんに傷を癒してもらえって」


 リンは、無表情のまま僕を見つめる。

 なにを考えてるんだろう? よくわからない表情だ。ほんとにこの子はわからない。


 確かに、アンドロイドのアイドルユニットなんかには、男たちはみんな恋をしているかもしれない。


 僕もそのうちの一つ「ハニー・エモーション」、略して「ハニエモ」とかは大好きだ。

 あれは五人組のユニットで、正直言ってグッズや新曲の売り上げにどれだけ貢献しても後悔しないほど推している。


 特に僕の推しはユキっていう女の子で、メンバーの中ではクールで塩対応のドS系女子だ。

 基本、歯に衣着せぬ発言をして他人をグサグサ刺しているが、それに見え隠れする優しさとか、たまに照れ隠しも紛れているのが可愛くてめっちゃ刺さるのだ……。


 けど、だからといって現実に付き合いたいなんて考えたことはない。もちろん、学校のクラスにいるアンドロイド女子たちもだ。


 人間と同等の心と外見を持つという人型アンドロイド。


 人間と恋愛すらできるほどに心も体も精巧に作られた彼女らのことを、筆おろしとして、または浮気や不倫の相手として、要するに遊びの恋人として選ぶ人間は世の中まあまあいるらしい。だが、本気の恋人として選ぶ人間はごく少数派のようだ。

 

 僕は別に遊びで女の子と付き合おうとか考えてはいないし、童貞だからといって筆おろしのことなんて考えているわけじゃない。


 が、世間の人間たちと同じく、本気で愛する恋人としてアンドロイドを選ぼうという意識は無い。

 

 リンの言う「落とす」が具体的に何を指しているのかはわからないが、仮に、今リンから受けているような「女の子の体を使った誘惑」のせいで性欲を我慢できずに僕がリンへ迫ってしまったとしても、それのみをもって僕の負けとするなら、正直それはもうそれでいい。


 性的魅力は確かに大事だが、それだけでは僕は心を持っていかれたとは認めない。それは僕にとって、負けじゃない。


 アンドロイドの女優が出演するエロ動画なんて人間でも普通に見てる。

 二次元の女の子でも、本当の性格なんて何もわからないアイドルでも、興奮しようと思えばいくらでもできるのだ。


 アンドロイドが完全に人間と同等の感情と複雑な心を持ち、単なる機械ではないというなら、「好きにはならない」と僕が言った言葉の意味がわかるはず。

 性的魅力という人間の一側面だけを真似て、それのみで押し切ることが勝ちだと思っているなら、それこそ彼女は自分自身の負けを証明しているのと同義だ。


 だいたい、リンだって本気で僕のことが好きとかではないんだ。アンドロイドのことを馬鹿にされたと思って、怒ってるだけ。そうだ。きっとそうだ。



 ……と、思うのだけれど。



 ただ一つだけ、ずっと気になっていることがある。

 アルカーナで出会った瞬間からずっと、リンの瞳は一度も光を失わずに水色に灯っているんだ。


 フィルターコンタクトなんかで光を遮断することは可能だ。アンドロイドが自らの感情を周囲に悟られないようにするために購入したりする、コンタクトレンズ。

 でも、光っていないのに光っているよう偽装することはできない。つまり、この子は今、紛れもなく気持ちが昂っているんだ。 


 性的感情で? いや、それならレジに来た時から光っていることの解釈として適切ではないと思う。

 僕に一目惚れしてソソられた、とかでない限り。悲しいかな、そんなことは現実的には有り得ないだろう。



 なら、いったい何に?



 僕を見つめる彼女の不可解な表情をいくら眺めても、僕には理解できないことだった。

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