第2話 いつもの光景に現れたとんでもない美少女



 今、僕はアルバイト先である古書店「アルカーナ」のレジ席に座っている。


 薄暗くて年季の入った店内は結構天井が高くて、壁が見えないくらいに隙間なく並べられた高い本棚には古書も古本もぎっちりと詰められているから、レジ席に座って下から眺めると感動するほど荘厳な光景だ。

 本棚以外にもそこらじゅうに本は沢山積み上げられて、雑多に塔の容態を成している。


 たまたま家の近所にあることと、この神秘的な雰囲気に吸い寄せられてちょいちょい入り浸っているうちに本の魅力に取り憑かれた……というのが僕がここをバイト先に選んだ表向きの理由。


 漫画を置いてる訳でもないこんな小さい古書店が繁盛するわけもなく、しかもレジの横には店主の趣味で小さなカフェスペースがあり、バイト時間はずっとこのカフェでくつろぐことができたりして。


 すなわち、飲み物を飲みながら好きなだけ本を読み、滅多に客が来ないため人と接する必要がないという、人見知りで根暗な僕にはピッタリの職場である……というのが裏の理由だった。


 レジ席に座りながら頬杖をつき、開けっ放した入口の外でシトシトと降り始めた雨の音を聞きながら、「はあ」と深いため息を漏らす。


 人生最悪の日だ。同じ空気を吸うのも嫌なくらい嫌いな晴翔に、誰よりも大好きな葵を奪われた。


 今さら葵と付き合いたいなんて高望みを本気で持っているわけじゃない。

 そもそも葵は、今までだって他の男の子と付き合ったことがあるしね。その度に、僕は胸が張り裂そうなほどの苦しみに耐えないといけなかったけど……。


 お相手が僕のよく知らない男子ならまだ諦めもつくというものだ。

 なにせ学校一の美少女なのだから。僕だって、そのくらいはわきまえている。


 それが! よりにもよって、晴翔だって!? 

 葵があんな奴のものになるのだけは、絶対に、絶対に我慢がならないよ。


 大体なんで朝っぱらからあんな長いキスをしてんだ!?

 きっと舌だってベロベロに入れ合ってたに違いない。


 それに、あの様子、間違いなく初めてじゃない。二人はもうすぐセックスも──いや、ともすると既に。いつ晴翔の子供を妊娠してもおかしくない状況下に葵は置かれて……




「あ────────────っっっ!!!」




 僕は大声を張り上げた。そうでもしないと、心が壊れてしまいそうだったんだ。


「心の彼女」だった葵が、人生の宿敵・晴翔に奪われたショックは予想外に凄まじいものだった。

 二人のキスシーンを目撃して以降、「どうせ僕なんて」という思いが僕の頭をずっと占拠している。


 今日の下校途上、うつむいて歩いていると目の前で踏切のカンカン音が鳴ったんだけど、遮断機が下がってきたとき、このまま無視して線路の中に入ろうか、なんて考えてしまっている自分に気づいて愕然とした。

 こんなこと、今まで頭をよぎったことすらなかったから……。


 バイト中にいきなり叫んじゃったので、僕は周りをキョロキョロ見渡す。

 店の奥から店主が出てくる気配はないし、道路から誰かが覗き込む様子もない。雨音で紛れて僕の声なんて外には聞こえていないのかもしれない。


 また「ふうっ」とため息をつき、椅子の背もたれに体重を預けて高い天井を見上げる。


「くるしいなぁ……」

「じゃあ、リナが癒してあげようか?」

「ひっ」


 天井を見上げる僕の顔を、不意に真上から見下ろすようにされてビクッとなった。

 慌てて姿勢を正す僕の背後に、店主の長女、セミロングの赤毛が綺麗な十歳のリナが立っていた。


「足音くらい立ててくれる? そっと忍び寄るなんて悪趣味だよ」

「店番のくせにアホみたいに大声張り上げてたじゃん。ほんで来てみれば『くるしいなぁ』だよ? 心配にもなるでしょうが。だから、なんとかして癒してあげたいなぁ、っていう優しい乙女心」

「聞いてたの」

「あんなでっかい声出してりゃ当然」

「じゃあ、どう癒してくれるんだよ」

「一緒にお茶、付き合ったげる!」


 あ〜っ、と叫びながらカフェスペースに置かれた革製ソファーにダイブするリナ。

 どうせ自分が飲みたかっただけだろうが、僕を気遣った末の好意ということなのでありがたく受け取ることにした。


 僕が飲み物を作り、二人用ソファーの前にあるアンティークなテーブルの上へ置く。

 リナは、早く座れと言わんばかりに自分の隣の空きスペースを笑顔でポンポン叩いた。

 二人で並んでソファーに座り、ほっ、と一息つく。


 コーヒー好きの僕は常にホットのブラックで、リナはオレンジジュース。

 リナはストローでちゅうちゅう吸って、ぷはあっ、と息を吐いてから丸くなって寝っ転がり、僕の膝枕で満足げにゴロゴロ喉を鳴らす。まるで猫みたいだ。


「おいしーっ。たまらんわぁ」

「年寄りくさ。十歳とは思えないな」

「そんなこと言ってーっ、わかってるよ? リナの可愛さに癒されてたでしょ」


 僕の膝の上から見上げて、歯を見せながらニッとするリナ。

 無邪気な様子に、僕はついほっこりする。


「はは。……うん、確かに癒された。ありがと」

「どういたしましてー」


 ぴょん、と起き上がってまたストローをパクッと咥える。

 僕らがダベってると、リナと同じ真っ赤な髪をポニーテールにした店主のアンナさんが、まだ一歳にもなっていない息子を抱っこしながら奥からやってきた。


「ほんと、あなたたちは歳の近い兄妹みたいね」


 どっちがどっちに近いんですか、と尋ねるまでもなく、正しい答えとしては「両方」だ。

 

 リナは小学校四年生のくせに大人びていて、中学生だと言ってもきっと信じてもらえるだろうな。

 反面、僕は高校二年生のくせに、童顔だとか可愛いだとか言われるようなチビだから、中学生だと言えばすんなり信じてもらえちゃう。


 つまり、二人並べば中学校の低学年と高学年。

 下手すると同学年と間違われるような有様だった。

 

「佐々木くん、ダンナが傘忘れちゃったみたい。また駅までお迎えお願いしていい? 店はあたしが見ておくから」


 アンナさんには、いま抱っこしている生後六ヶ月のリクトくんを最年少として、一〇歳の長女リナに至るまで、全て年子の子供が一〇人いる。

 子沢山なのだ。確かに、美人でグラマラスな体型のアンナさんを見ていると、旦那様の気持ちはわからなくもないなぁ、と思う。


「わかりました。今日は何時頃に駅着ですか」

「リナも行くーっ」


 いつものことながら、大好きなお父さんを迎えに行けるのが嬉しいらしい。

 両手を挙げてソファーから飛び上がったリナの瞳が、黒から美しいピンク色へと変化した。


 人型アンドロイドは、感情が昂ると瞳の色が変化する。どのような色に変化するかは、個性というか、各個人によって違うのだが──要するに、リナは人型アンドロイドだった。



 僕らが住んでいるこの世界は、「人間と同等の心と外見を持った人型アンドロイド」と人間が共存する世界。



 学校でも、職場でも、ショッピングモール、ライブ会場、歓楽街、刑務所や戦場に至るまで、どこに行っても人型アンドロイドは存在する。


 人間がショップ店員として働き、アンドロイドが客として来店することなど普通の世の中。


 彼らの金属骨格には稼働するために必要な全ての機能が詰め込まれ、その上から人間と同等の生体組織で覆っている。

 そうして出来上がった機体は完全に人間にしか見えはしない。そのうえ感情や自我を持ち、心すら兼ね備えるのだ。


 もはや人間と区別などつかないとされる人型アンドロイドは憲法で基本的人権さえも保障され、人間とアンドロイドの恋すら一般的になっていて。


 店主のアンナさんも、夫のリュークさんも、他の子供たちも全てアンドロイド。

 ここ「アルカーナ」は、アンドロイド一家が経営する書店なのだ。


 どうしてアンドロイドの夫婦の間に、子供がいるのか?


 アンドロイド同士では子供が作れるからだ。

 それは、技術革新によって発明された「生ける金属」のおかげ。


 金属自体が生きている。すなわち、成長する。


 この性質を利用し、一組のアンドロイドから個体情報をそれぞれ抜き出し、ミックスし、双方の特徴を混ぜ合わせた新たな個体を生み出す作業を、「アンドロイド同士の交配」と「母親の胎内で新たな命を誕生させること」を経て──……


 つまり、「人間と同じ子供の作り方」によってアンドロイドの夫婦から子供を作らせることに、科学者たちは成功したのだ。


「じゃ、リナ、そろそろ用意しよっか」


 リナに声を掛けて、僕はソファーから立ち上がる。

 傘を忘れたアンドロイドの旦那様のことを迎えに行かなければならない。


 アンドロイドなのに「忘れる」のだ。リュークさんは、傘なんてもう何回も忘れている。

 相当に忘れっぽい人だ。男前だが温厚で、おっとりした天然タイプの人だから──

 とかそういう問題ではない。

 

 そもそも「人型アンドロイド」など、作る意義すら疑問の余地が大いにあるものだが、例え作らなければならない相応の理由があったとして、人間らしい見た目を実現しつつも人類が施せる最高レベルの機能を持たせることだってできたはず。

 

 なぜしなかったのか。

 その理由について、学校の教科書にはこう載っている。

 


 ──人型アンドロイドは、「人間らしくなる」ことを最優先事項として作られている──



 まあ、特段勉強好きでもないし教科書に載っていることなんてこれ以上深掘りする気にもならないしな……とか思いながら制服がわりの赤いエプロンを外そうとした時、一人のお客さんが駆け足でお店に入ってきた。

 

 急に降り始めた雨を凌ぐ間の暇つぶし、って印象のそのお客は、女子高生。


 僕と同じくらいの歳かな……きっと高校生だろうが、グレーのブレザーはこの付近ではあまり見慣れなくて、どこの高校なのか僕にはわからなかった。


 こんな古書店にはまるで似合わない、部活で使うような大きなショルダーバッグを肩から掛けているから、もしかすると体育会系女子かもしれない。そんな女の子がこの店に来るなど年に一度あるかないかだろう。


 黒く美しいセミロングの髪を耳にかけていたから、耳からぶら下げられた十字架のピアスがよく見えた。

 全体的にはやや細身であるにもかかわらず、女の子としてかなりふくよかな胸と、短いスカートのせいでよく見える適度に肉付きのいい太もも──って、こんなところにばかり目がいってしまったが。

 そんなことよりも何よりも。この子の一番の特徴は……


「可愛い」。これに尽きた。


 お店に入ってきたときに一瞬だけ目が合ったが、まるで体の芯を電気が走ったようだった。

 突き抜けた可愛さは完全に一目惚れ製造機。アイドルなんて間近で見たことはないが、仮にこの子がトップアイドルだと言われても素直に信じてしまいそう……


 クールで男を寄せ付けないようなオーラを発していて、仮に僕のような童貞じゃなくても声をかけるのは相当の勇気を要したのではないだろうか。


 彼女に見惚れる僕の様子に気づいたのか、リナが僕の脇腹を肘でツンツンする。

 僕の服を引っ張りながら興奮した様子で僕に耳打ちしようとする赤毛の子猫に、背が低いとはいえ一応高校生の僕は、頭を下げて耳を貸してやった。


「可愛すぎだよあの子。やばくない?」

「……まあ、そうだね」


 リナの言うことに反論は一切無い。こんな子と付き合える男子って、一体どれほどのイケメンなのだろうか? 自分との差を考えるとなんだか悲しくなってしまう。


 本棚を眺めていた美少女は、おもむろに一つの本を手にとってレジにやってきた。

 僕はその本を受け取ったが、タイトルを見た瞬間に固まる。



『一流の殺人術』



 …………えっと。


 

 僕がそのタイトルを見て動揺したのを気取られたのか、美少女の瞳がブワッと明るい水色に変化した。

 つまり、この美少女はアンドロイドだったのだ。


 ってか、そんなことより……まずい! 彼女、感情が昂った! 

 こんなタイトルの本だから、きっと彼女も店員に渡すのが恥ずかしかったんだろう。ここはさりげなく、日常会話を。


「殺人術に興味がおありですか?」 

「ふぇ? あ、い、いや。その。あ、兄が、そういうのがすすす好きで」


 途端に慌てふためく美少女は、毛先を指でクルクルしたり、前髪を触ったりしながら一生懸命に釈明した。さっきまでのクールな印象とは正反対の照れた様子がまた途轍もなく可愛い。


 そうかあ、お兄さんがそういうのにご興味が。しかしこれはいくらなんでも余計なお世話だったな! 店員が、客の買う本のことなんかにいちいち質問しちゃダメだよね。

 こっそりプレゼントするつもりなのかな……

  

「なら、プレゼント包装しますか?」

「お願いします……」


 僕は殺人術の本にブックカバーをつけて、プレゼント用の袋に入れる。こんな客の来ない古書屋に必要なサービスとは思えないが、店主の配慮なのだから仕方がない。


「……あの」

「はい?」

「アンドロイドのお客は、珍しいですか?」


 そう尋ねてきた美少女は、頬を赤らめながらモジモジしている。

 まあ、女の子があんな本を買うところなんて誰にも見られたくないだろうから、こうなるのも無理はない。

 なんだかフォローしてあげたい気持ちになっちゃうなぁ。


「あ、いや。というか、このお店はそもそもお客さん自体がすごく少ないので。どうしてですか?」

「なんとなく、私の瞳の色が変わった時に、あなたが動揺したような気がして」

「そんなことはないですよ。お買い上げの本が珍しいやつだったので、少しびっくりしたというか」

「あはは。変な本買う奴だと思いましたよね。よかった、アンドロイドだからってびっくりしたわけじゃなかったんだ。アンドロイドと人間のカップルなんかも珍しくない時代ですからね」

「そうですよね。まあ、なかなかアンドロイドと付き合うってことは無いのかもしれませんけど……」


 美少女の顔から笑みが消えた。


「どうして?」

「え?」

「どうして、なかなか付き合うことはない、と思うんですか?」


 ん?


 心なしか声がワントーン低くなった気が。

 気のせいかな?

 

「まあ、当然ですけどアンドロイドは機械ですからね。『心も外見も人間と違いはない』って言われてますけど、機械なんだから根本的に人間とは違うと思うし。人間の恋愛対象には、『人間らしさ』みたいなものが必要な気がするんですよねー」


「はぁ?」


 え?


「アンドロイドの魅力が、人間に劣るっていうんですか?」

「……ええっと……いや、そういう、わけでは」

「今、言いましたよね? 人間らしさが、アンドロイドには無いって」

「あ、いや、その」


 気のせいじゃなかった。

 沸々と怒りエネルギーをチャージし始めたアンドロイド美少女が詰めてくる。

 こりゃちょっと見逃してくれそうにない気配がビンビンと。

 どうしよう、何か言わないと──


「すみません! 違うんです、僕はただ、その……アンドロイドはアンドロイドと付き合えばいいし、人間は人間と付き合うのが、その、適切っていうか。そのほうが互いの魅力がわかるというか」

「アンドロイドの女の子と付き合ったこと、あるんですか?」

「あ、いえ、ないですけど……」


 偉そうなことを言ったが、僕はアンドロイドどころか人間の女の子とすら付き合ったことはない。

 なので当然、


「じゃあ、わかんないじゃないですか」

「まあ、そうなんですけど。いずれにしても、僕はアンドロイドを異性として好きにはならないかな……」


 ピリッと眉毛を動かした美少女が下唇を噛む。

 スッと瞼を閉じて──再び開いた時には、その美しい水色の瞳に何か途方もない覚悟が込められているように僕は思った。

 彼女は声色を挑発的なものにガラッと変える。


「へぇ。なら、アンドロイドの女の子には、魅力を感じたりしないんだね?」

「へ?」

「私に何をされても。君は、私に、絶対に落とされたりしないんだよね?」


 いきなり何を言ってんの、と僕はしばし呆然とする。


 まあ……彼女の言う通り、僕はまだ彼女なんてできたこともないから詳しくはわかんないのだけど。


 この子がいくら可愛くても、元を辿ればあくまで人間によって造られた機械にすぎない。

 総合的に見れば、神が創りたもうた人間である葵の魅力にAIのこの子が敵うわけはない、と僕は妙な自信を持っていた。


 だから──


「そうだね。落とされたりしないよ」


 と、堂々と言い放つ。

 すると美少女は両の口端を不敵に引き上げ、心の底から嬉しそうな顔をして僕を指差し、声高に宣言した。

 

「決めたっ! 絶っっっ対に、君のことを落としてみせる。毎日毎日、いっぱいいーっぱい会いに来るから、覚悟しとけよ!」

「はあっ!?」


 いつもの平和に包まれていた筈の薄暗い古書屋で、僕はこの日、アンドロイドの女の子から謎の恋愛宣戦布告をされてしまった。

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