人機恋愛〜人間と見分けのつかないアンドロイド女子に落とされちゃうっ!

翔龍LOVER

第1話 ひどい朝

「ねえ。兄ちゃんさ、彼女いたっけ」


 僕が弟を嫌いな理由の一つはこれだ。


 こういう態度はいつものことだけど、僕の一つ年下、高校一年生の晴翔はるとは、間違いなく僕に彼女なんていないことをわかっていて、朝食のためにリビングダイニングのテーブルにつこうとした僕へ、朝っぱらからこんな不快な問い掛けをしているに違いなかった。


 晴翔は背が高くて、部活でのトレーニングのせいか体は細マッチョで、顔は男前で勉強もできて、話し上手で人懐っこく、中学の時にはサッカーで全国も行ったという先天プラス後天で武装されたモテ体質。


 最近は色気付いてきて、髪をダークブラウンにしてゆるふわパーマなんてあてている。僕がリビングへ入ってきたタイミングで当てつけるように喋ったあいつと母さんたちの会話によると、彼女も今まで五人くらいはいたらしい。


 それに比べて僕は黒髪で背も低いし、顔についてよく言われるのは「童顔」。

「可愛い顔だね」なんて言われてよく中学生に間違われちゃうから初対面の人からは晴翔の弟だと思われることのほうが圧倒的に多いし、下手すると妹と間違われる。


 勉強はそこそこだけど運動オンチ、クラブ活動なんてやってないから帰宅後即ゲーム三昧。

 人見知りだから会話も全然続かないし、性格が顔に出てしまってよく「根暗」とか「オタク」だとか言われてしまうから、結果、女の子にもモテない。


 思えば僕は、このよく出来た陽キャの弟と、陰キャそのものの自分の性格のせいで、ずいぶん前から嫌な思いをしてきた。

 だから僕は心底晴翔のことが嫌いだし、こんな自分の性格も大っ嫌いだ。


「それがお前に何か関係あんの」

「確か兄ちゃん、あおいちゃんのこと、好きだったような気がしてさ」


 こいつの言う「葵」は、僕と同い年で、同じ団地に住んでいる幼馴染の女の子。

 僕は、葵のことがずっと昔から大好きだった。

 

 小学校のうちは、僕と葵は仲良く遊んでたし、葵のほうも僕に好意があるように見えた。


 彼女はすごくモテたから、小学校どころか幼稚園の頃から男の子がたくさん寄ってきていたけど、それでもずっと僕のことを「一番大好き」と言ってくれていた。かまってちゃんな彼女はいつも僕にベッタリくっついてきて、どこへ行くにも二人は一緒だった。

 好きだって言われるのが照れ臭くて僕からは積極的に気持ちを表現できなかったけど、心の中では、葵が居てくれるだけで他には何もいらないくらい葵に心惹かれていたんだ。


 中学生になると葵はすごく可愛くなっていって、学校一の美少女認定は軽くクリアし、周辺の学校からも噂されるほどになる。

 その頃から、葵とはだんだん遊ばなくなった。彼女はもはや僕が軽々しく声をかけられるような存在ではなくなっていた。


 僕は友達とあまり遊ばないタイプだったし、小学生のとき習っていたサッカーも中学生になった頃には辞めてしまって運動もしなくなったし、だから家でゲームをすることが多くなり、ますます雰囲気が暗くなって彼女なんてできそうもないから、なんとなくそういう願望も持たなくなった。


 漠然と「彼女がいればなぁ」くらいは思うが、現実的な欲求とは少し違う。

 どうせ叶うことのない願望よりは、2Dの中にいるキャラクターやアイドルのほうが好きだったりする。


 だけど、そうなった今でも、僕は葵が大好きだ。


 今、葵は同じ高校の同じクラスにいるけれど、声をかけるなんて無謀なことを僕はしない。

 クズを見るような目で見られたら、昔慕われていた時とのギャップできっと立ち直れないし、そもそもみんなのアイドルである葵を僕なんかの彼女にするなんて到底無理な話だから。

 僕は、自分の席から葵の後ろ姿を眺めているだけで満足することにしていた。彼女は、ずっと僕のアイドルだ。


 そういうわけで、晴翔に何をイビられようが僕には葵がいる。それだけで僕は頑張れる。葵は、僕の心の支えだ。

 

 その葵のことを、今、なぜか晴翔が突然尋ねてきたのだ。

 なんか妙に嫌な気分にさせられる。


「……だから? 僕が誰を好きかなんてどうでもいいだろ。お前にどういう関係があるんだよ」

「別に。まあ、オタクの兄ちゃんには、どっちみち無理だろうけどな」


 兄を兄とも思わないこいつの無礼な物言いはいつものことだが、今日は一段と棘があるように感じた。

 こいつの喋る言葉の一つ一つがいちいち僕をイライラさせる。これ以上話を続けたってストレスが溜まるだけで何の意味もないから、僕はもう何も言わなかった。

 

 僕と晴翔は同じ高校なので家を出る時間帯は同じ。

 一緒に家を出たりしたら、マンションのエレベーターでこいつと二人っきりになるという最悪の事態になり得る。だから、僕はいつも時間をズラして家を出ている。

 なんでこっちが気を遣わないといけないのか腹立たしくなるが、晴翔のほうは全く気にする様子がないのだからどうしようもない。それがまた腹立たしいのだが。


 でも、今日あいつは珍しく僕よりもかなり早めに家を出た。

 ラッキーだ。

 僕は、ゆっくり登校準備をすることにした。


 僕の住んでいる市営高層マンション群「空のまち」五号棟の一〇階からエレベーターで一階へ降り、エントランスを出て団地の敷地内を歩く。


 ここはマンモス団地だから、団地内の敷地はかなり広くて公園もたくさんある。

 朝の時間帯は、体操をする人や散歩をする人をよく見かけたりする。僕は、いつもの光景を眺めながら、道路へ出るために団地内を歩いていた。

 その僕の目に、一組の男女が映る。


 あれ……?

 向こうの公園にいる、二人。


 男子のほうは──晴翔? 先に家を出て学校へ行ったはずのあいつが、一体こんなところで何を?

 女の子のほうは向こうを向いているので顔は見えない。

 けど、あれは僕の高校の制服……。 


 晴翔は、突然その女の子のことを抱きしめた。


 呆気に取られる僕の前で、晴翔の片手が、女の子の首の後ろに回される。女の子は、晴翔の胸の辺りに抱きついて……。

 互いの頭がそれぞれ違う方向に傾いて重ね合わさり、晴翔が目を閉じているのがわかった。


 ……キスをしてる。


 くそ。何やってんだよあいつ、こんな時間に。

 心底ムカつくがあいつはモテる。悔しいがまあ仕方がない。これ以上見ていても気分を害するだけだし時間の無駄だ。僕には「心の彼女」の葵がいるし、そもそもあんな奴が誰と何をしようが関係な……い……


 ………………


 ……あの女の子の後ろ姿。


 肩より少し長いくらいのダークブラウンの髪。

 背格好も、何もかもに見覚えがある。だって、ずっと、ずっと見続けてきたんだから。


 まるで金縛りに遭ったように立ちすくみ、鼓動が暴れて、胸が苦しくて……。

 それでも、長い長い二人のキスシーンの映像だけが、僕の脳裏に焼きつき続けた。

 

 晴翔が、目を開ける。


 あいつは、キスをしながら女の子の肩越しに僕のことを見つめていた。間違いなく僕の存在に気づきながら続けている。

 晴翔はもう一度目を閉じ、今度は女の子の後頭部に両手を回す。二人は周りの目もはばからず、夢中で求め合い続けた。


 無限に思える愛の時間が終わりを迎え、晴翔が女の子から体を離す間際、口元が僅かに動く。

 一言二言、晴翔が喋ったのだろう。それを合図にしたかのように、女の子が僕のほうへ振り向いた。


 晴翔の相手の女の子──葵は、僕を見ると少し驚いたような顔をした。

 心臓を万力で押し潰されてるんじゃないかと思うような圧迫感を感じながら、心の中で何度も何度も繰り返す。


 どうして……? と。


 自然と胸を鷲掴んでいた。体を締め付けるような、息ができなくなるような苦痛。


 葵は晴翔の顔を見上げる。

 晴翔の言葉で小さく頷くと、二人は手を繋いで団地の敷地内を歩き、そのまま道路のほうへ向かっていく。


 僕は二人が見えなくなってからも、その場で突っ立ったまま二人が歩いて行った方向を見つめ続けていた。

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