第3章 6で不運を逃れる(3)
「エリザベス」とラルフが呼びかけると鏡の中で雨がしとしと降り始め、その向こうに女性の影が映った。影はオーロラの様に揺れている。
『公爵。よくもわたしを。ここから出しなさい!』
「聞きたいことがあるんだ。これを隠したのはきみだな」といって銀の魔導書を鏡に見せた。
『……見つけたのね。あなたが?』
「そうだ」
『なかなかやるわね』
「この本の使い方を教えろ」
『ということは地獄への鍵をまだ持っていないのね? わたしなら鍵が無くても開けられる』
「なら開けて使い方を教えろ」
『わたしをここから出せば教えるわ』
「出せばお前に殺されるだろう」
『出せば許す。公爵に興味はない』
「自分で開けられるなら自分でこれを使ってそこから出られるだろう」
『……』
「なるほど。開けられるが自分のためには使えないんだな」
獣のような叫び声をあげて鏡の中からエリザベスが飛びかかってきたが、鏡の中からは出られない。『出しなさいっ! 公爵!』
ラルフは動揺することなく続けた。
「ボーシャ男爵一家が殺された」
『……』
「きみがやったのか」
『わたしではない。契約を破った者は殺されても仕方がない』
「もう一度聞く。これの使い方を教えろ」
するとエリザベスも抑揚気味に答えた。
『あなたはあの女に騙されている。あの者を開放すればみんなが死ぬ。わたしを解放しなさい』
「魔導書のこと、考えておけよ」
『公っ』
ラルフはレースをまた鏡にかけると鏡を床に下ろして壁に立てかけ、書斎を出てドアを閉めた。
「教えてくれなかった」
「そりゃそうだろう」ブラッドが抱いていた卿を床に下すとドリアン卿はとことこと廊下を歩き去って行った。
「けど分かったことがある。エリザベスはこの本を鍵無しで開けられるみたいだけど自分のためには使えないらしい」
「かといってエリザベスがいうことを聞くわけじゃないだろう」
「うん。彼女を従わせることが出来れば鍵無しでもこれを使えるかもしれないんだが」
ドリアン卿が階段を上がっていくと入れ替わるようにカーラが現れた。
「これまでどこにいたんだ」驚いたブラッドが聞いた。
『猫がいたり、彼女の監視が厳しくて出て来られなかったの』
そこでブラッドはカーラにラルフがエリザベスを鏡に閉じこめたことをまず伝えた。
『本当に?』
その時の話をブラッドから聞くとカーラはとても感心し、安堵したようだ。それからデザイナーズ地区の地下室は黒薔薇の庭教会になっていたことを伝えると
『そう。あの地下室は教会に利用されたのね』とカーラは悲しそうに目を伏せた。『悪魔崇拝に利用されると知っていたら設計なんてしなかった』
「知らなかったんだから仕方がないよ。あ、それから」
さらにチェスナット通りに行きボーシャ男爵家を見つけたこと、ドールハウスの中からカード二枚を見つけたが、男爵家の人たちは亡くなったことを伝えた。
『そう。男爵家の方が亡くなったのね。学会と関係があるとは思っていたけどやはりそうだったのね。カードはドールハウスの中に隠してあったとは知らなかったわ。わたしのあのメッセージでよくそこまで調べたわね。公爵、あなたってなんて素敵なのかしら』といってカーラはラルフに抱きついて頬にキスしたがラルフは気づかない。
お。俺もカード見つけたんだけどな。たまたまだけど。とブラッドは思った。そして魔導書を見つけたことも伝えた。
『魔導書を見せて』
「魔導書を見せてくれってさ」
ラルフが魔導書を見せるとカーラは手を伸ばしたが当然掴むことはできない。
『やはり地獄への鍵が必要ね』
「きみはこの本を開けられないのか?」ラルフが聞いた。
『鍵が無ければ無理よ。地獄への鍵の所有者がこの本の所有者。現在に至るまで鍵の所有者はエリザベス。彼女しか鍵無しでは開けられない』
「この使い方をさっきラルフがエリザベスに聞こうとしたんだ」
『なんですって! なんて危険なことを』
「俺もそういったんだけどね」といってブラッドはこれまでの会話をラルフに伝えた。そこでラルフは聞いた。
「カーラ、この本はどうやって使うんだ?」
『わたしが聞いたところによると、鍵を開けて命じるだけ。右に回せば魔を封じ込め、左に回せば魔を解放できる。次に鍵を使って開けた者が新たな魔導書の所有者よ』
「それだけ? 意外に簡単だな。呪文とか必要ないのか?」
『残念ながらそんな芝居がかったことをする必要はない。使い方は簡単に見えても、その本を持つことは危険よ。この世の全ての悪がその本を求めて追ってくる。忘れないで公爵。わたしを解放したらその本は直ちに廃棄すべきよ』
ブラッドから説明を聞くと「分かった」とラルフは答えた。
『それにしても彼女が呼びかけに応じるなんて驚きだわ。あなたを気に入ったんじゃないかしら。怒りまくっていると思ったのに』カーラはチャーミングに微笑んだ。
「そんなに彼女と話すのは困難なのかい」ブラッドが聞いた。
『わたしが知る限り、この百二十五年の間にエリザベスとちゃんと会話したのは彼だけじゃないかしら。誰の呼びかけにも応じたのを見たことがないわ』
「へえ。悪魔にも好みがあるのかな」
『でしょうね。彼ってセクシーだもの。ふふふ』と笑ってカーラはウィンクをした。『お願いよ、あなたたちなら鍵を見つけられる。彼女の信者より先に鍵を見つけて』
「わかった。ひとまず明日、この家とボーシャ家にあったドールハウス作家の末裔を訪ねてみるつもりだ。そこに行けば彼女が手掛かりを隠した経緯が分かるかもしれない」
『ドールハウスの作家まで突き止めたの?』
「ああ、エリオット・ホックニーだ。知ってる?」
『エリザベスお気に入りの当時の有名作家だと思う。何かわかることを祈っているわ』
そういうとカーラは消えた。
「いなくなった」
「カーラはなんだって?」
「エリザベスはきみがお気に入りだってさ。彼女が呼びかけに応じたのは百二十五年ぶりらしい」
「まさか」
「それにきみはセクシーだってさ 。ちなみにカーラに頬にキスされていたぞ」
「本当か? それは霊的接触をしたということだな」
「嬉しいのか!」
「ひがむな」
「ひがむかよ! あほらしい。それよりホックニー氏について何か知っているか、電話でうちの父親に聞いてみよう」
ブラッドはその場で電話をかけ、エリオット・ホックニーなる人物について父に聞いた。少し話して電話を切った。
「父親によると、まだその家は続いていて、その場所に人が住んでいるそうだ」
「よし。明日ここへ行ってみるしかない」
「そうだな。ただ車がないと不便だぞ」
「今度は僕に任せろ」といってラルフはスマホを取り出し電話を掛け始めた。
「また奥の手? マクシミリアンだろ? おい、まさか。よせよ。よせよせ!」
と止めたにもかかわらず通話の相手が出るとラルフはいった。
「やあ、アイビー。元気ぃ? アリバイの証言助かったよ。うん無事釈放された。重要参考人にはもう慣れたよ。ところできみ、乗らない車があったら貸してくれないかな? もちろんきみが使わなければなんだけど。本当に? ありがとう。実は明日必要なんだ。助かるよ。出来れば午前中。なるべく早めに。じゃあ。おやすみ」
そういって電話を切るとラルフは「よし、車はこれで準備オッケー」
「お前という奴は! 彼女の人のよさにつけ込んで使い倒しているじゃないか」
「アイビーが相性が悪くて乗らない車があるっていうんだ。たまには走らせなきゃいけないらしい。僕らには車が必要。ウィンウィンじゃないか」
「都合よく捉えているだけだろう」
「とにかく、明日車が来たらすぐに出発だ。明日は早いぞ」
ラルフはそういって遠足前の子供のようにウキウキしながら階段を上がっていった。
「なんてやつだ」とブラッドはプリプリしながらその後に続いた。
「ただ問題は」と二階のリビングに入るとラルフが真顔でいった。「僕らに尾行がついていることだよ」とカーテンの隙間から通りの反対側の様子を伺った。
「尾行がついてる?」
「気付いてなかったのか? 署を出てからずっとさ」
「あれ、尾行なのか? じゃ、明日はどうする?」
「バレて困ることは何もないが、足手まといだ。アイビーに協力してもらおう」といってラルフはまたスマホを取り出して電話を掛けた。「もしもしアイビー。明日のことなんだけど」
+++
翌朝、向かいの道路に止まった覆面パトカーの中からクラレンス・ホールを監視していた刑事二人は若い女性がクラレンス・ホールにやってきたのを確認した。女性がインターホンを押すと、ラルフとブラッドが笑顔で出迎えた。女性が家の中に入るとドアが閉まった。
+++
二人はすぐにアイビーを二階のリビングに通した。
こんなに朝早くからラルフに会えるなんて。素敵な一日になりそう。アイビーの胸は高鳴った。
お茶でもどう? といいかけたブラッドより先に
「悪いけど僕らすぐに出るんだ。また今度お茶でも」といってラルフはアイビーの頬に軽くキスした。アイビーはもうめまいがするほど感激して「うん」と答えた。
「え、もう行くのか?」
「そうだ。急ごう。鍵受け取れよ」といってラルフは歩きかけたが「あ、そうだアイビー」といって振り返った。「帰りが遅くなるから、ドリアン卿に朝ご飯と晩御飯を出してもらえるかな。二階のキッチンにあるから。丁重に扱ってくれよ。これ家の鍵。それ以外は自由にすごして。ただし、二階にいること。一階は駄目だ」
「分かったわ」ポオっとしたままアイビーが答えた。
様子がおかしいのでブラッドがアイビーの目の前で手を振ったが全く反応がない。すごい。催眠術にかかった人みたいだ。
「ア、アイビー、悪いけどお茶はまた今度にしよう」
「ええ」
「鍵を貸してもらえるかな?」
「はい」といってアイビーがロボットのように機械的に差し出した車の鍵をキーを受け取るとブラッドはそのままポケットに入れた。
「車はどこ」
「四番街のインペリアルホテルの前」どこを見ているのか分からない。夢遊病者のようだ。
駄目だこりゃ。ブラッドは急いでラルフの後を追って階段を降りて行った。
「あ、行ってらっしゃい!」とようやく我に返ったアイビーがいったときにはもう誰もいなかった。
ラルフったら、今朝もなんて素敵だったのかしら。シャツのブルーが地球より似合ってた。もう宇宙一だわ。しかもここでラルフが生活しているのね。
アイビーは夢見心地でリビングを見回した。いろいろ見なくっちゃ。ところでドリアン卿って誰? そんな名前の友達いたかしら? それに確か……この家って出るのよね。
急に心細くなったアイビーだが、ひとまず二階の廊下を歩きながら
「ドリアンさん?」と声を掛けてみた。どの部屋にいるのだろうか。まだ寝ているのかもしれない。応答がないのでキッチンに向かった。
冷蔵庫を開けてみたが朝食になりそうなものはない。冷蔵庫を閉めてカウンターの上を見ると、シリアルやベーグルが置いてある。きっとこれのことね。
そう思ってお皿の準備をしようとしたらキッチンの入口に毛の長い猫が坐ってこちらを疑り深そうな目でじっと見ている。
「まさか、あなたドリアン?」
猫は反応しない。
「ドリアン? おいで」
猫はそっぽを向いた。
「ドリアン卿?」といい直すとミャアと答えた。
な、なんか言葉が分っているみたい。猫のことだったんだわ。ということはシリアルやベーグルじゃないわね。アイビーはキャットフードを探し始めた。
その頭上にあるランプが微妙に揺れ始めた。
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