第2章 4は最初の不運な数(6)

 翌日、ハリーから仕事の都合で来られなくなったという連絡が入った。ラルフは残念がったがブラッドは内心ほくそ笑んだ。すると


「パーティまでに時間がある。魔法陣の準備をしよう」とラルフがいった。

「方法を考えたのか?」


「ああ。まず、この屋敷中にある鏡を全部封鎖して、書斎の鏡だけを残す」

「そうすればその書斎の鏡に彼女が現れるんだな。それから?」


「魔法陣を描く。魔法陣の描き方はもう調べてある。始めよう」


 それから二人で屋敷中の鏡に布を掛けてまわった。リビング、バスルーム、マントルピースの上、寝室などなど意外に鏡が多い上に大きなものもあり、かなり骨の折れる作業だったが午前中一杯で済ませた。


 それから一階の書斎に移動した。そしてラルフは壁に掛かった精緻で豪華な装飾が施された黒い額入りの縦長の楕円形の鏡の前に立った。


「彼女はここに現れるはずだ」

「額は黒いからいかにも悪魔が映りそうな鏡だけど、どうしてここだと思ったんだ?」


「ドールハウスに一つだけあるのがこの鏡なんだよ。この鏡を通じて戻るつもりに違いない」


「そういえばそんな鏡があったな。で、壁に鏡を囲う魔法陣を描くか? それだと彼女自身に自分が魔法陣に入っているのが見えないから効果がない」


「うん。それも考えてある。まずファーマシーに行ってくる」といってラルフは書斎を出て行った。


 なんでファーマシー? 風邪薬でも買うのか? このタイミングで? ブラッドは首をひねった。

 

 夕方になってタキシードに着替えてから二人はホールに集合した。ラルフはさすがにタキシードを着慣れているらしくとても様になっていて自然だ。

 玄関を出ようとすると呼び鈴が鳴ったのでドアを開けると制服姿の男性が立っていた。


「マクシミリアン様からのご指示でお迎えに参りました。パーティ会場に送迎するようにと」

「さすがマクシミリアンだ! どうやって行こうかと考えていたんだ。まさかこの格好でバスというわけにもいかないし」


「彼は優秀だな」

「ま。それは否定しないね」

「ところで連れの女性は?」

「会場で待ち合わせしたんだ。まさかリムジンが来るとは思わなかったから」


 というわけで二人はマクシミリアンが手配した黒塗りのリムジンでパーティ会場である黒薔薇の庭教会の隣のホールに横付けした。リムジンを降りたところでドレス姿の女性二人が待っていた。


「ラルフ!」

 ブルネットの髪を結い上げた同じ年くらいの女性がラルフを見るなり嬉しそうに手を振った。


「やあ、アイビー。久しぶりだな。今日はありがとう」

「いいの。ラルフから誘ってくれるなんて嬉しいわ。この子は友人のルシル・バークレアよ」


「はじめましてルシル。ブラッド、こちらは幼馴染のアイビー・バレンシア。アイビー、こちらは友人のブラッド・ロックウェル君」

「はじめまして、アイビーです。こちらは友人のルシル・バークレアです」


「はじめましてバレンシア嬢。バークレア嬢。ブラッドです。お目にかかれて光栄です」

「どうぞアイビーと呼んでください。わたしもブラッドと呼ばせていただきます」

「はい」


「お父上は元気かい?」ラルフがアイビーに話しかけた。

「ええ、相変わらず研究に没頭していて忙しそうよ」

「じゃあ、家業の方はお兄さんかい?」

「そうなのよ」


 話しながら会場へ入っていく二人の後ろをブラッドはルシルと並んで歩いた。ラルフの幼馴染というくらいだから、かなりの令嬢なのだろうけれどアイビーは気取ったところもお高く留まったところも全くない女性だった。美人というほどではないが愛嬌がありチャーミングだ。


 親友のルシルも同じく気さくでブロンドにブルーアイの美人だった。ラルフの周りにはこんな美女がいるのかとブラッドは驚いた。


 四人は受付で招待状を見せ、パーティ会場へ入った。パーティは立食形式で、既に大勢の着飾った紳士淑女で埋め尽くされ賑わっていた。


「料理のお酒も無料か?」

「もちろんだよ。好きなだけ食べろ。ただし飲みすぎるなよ」

「クラレンス・ホールに行ってからサンドイッチくらいしか食べてないからね」


 というわけでブラッドは好きな料理とお酒を取り、適当な場所に陣取って食べ始めた。料理は抜群に美味しい。料理を持ったアイビーがやってきた。


「きみたちは学生?」ブラッドが聞いた。

「そう。大学院生なの。ブラッドはラルフと仕事をしているの?」

「うん。まあ、そんな感じだな」

「あのラルフと一緒にいられる人を初めて見たわ」


「やっぱりそうだろうね」どうかしていると思うことがよくあると言おうとした矢先に

「彼って優秀過ぎるのよ」


 ブラッドはワインをこぼしそうになった。そっちに解釈するか? 「そ、そうなのかい」


「ええ。彼はどこに行っても首席。大学も飛び級で主席で卒業。お父様たっての願いで行ったビジネススクールも一年で主席で卒業。卒業後お父様の事業を手伝うようにいわれたけど彼は拒否してお婆様から引き継いだ地所の管理とその中にある牧場と渡り鳥のサンクチュアリになっている湖の保護活動を主にやっているわ。いずれはお父様の事業も引き継がなきゃいけないんだろうけど」


 馬鹿だとは思わないが、どんな鷹よりも爪の隠し方がうますぎる。「でもきみも幼馴染だから付き合いが長いんだろう?」


「ええ。四歳から知っているわ。けど長いといっても頻繁に会うわけじゃないから」

「へえ」とはいえ、彼女はラルフの父から排除されていないということか。

「彼といられるんだからブラッドも優秀なのね」

「それはどうかな」


 そこへ料理とお酒をもってアイビーとラルフも合流した。ラルフはどこから教会に入るのか気になるらしく会場内を常に見回している。


「ラルフ」とアイビーが話しかけた。「最近自宅に戻っていないの? 五番街のお屋敷で暮らしているって本当?」

「本当さ。ブラッドも一緒さ」

「ラルフが幽霊屋敷に住んでるって噂は本当だったのね」


 上流階級は噂が早いらしい。ブラッドはお酒を飲みながら聞いていた。


「まあ、確かに出る」

「え! そうなの」アイビーはルシルと顔を見合わせて驚いている。

「でもわたし」とルシルが言った。「そういうの興味があるわ」

「そうかい? だったら今度見に来ればいい」

「ええ、ぜひ!」ルシルは微笑んだ。


 それを見たアイビーが一瞬ハッとしたことにブラッドは気づいた。裏の顔でも何でもない。彼が目ざとく気づいただけだ。もちろんアイビーはすぐ平静を取り戻したのでラルフとルシルは気づいていない。


 ははーん。アイビーはラルフが好きなのか。だったらこんな美人を連れてきちゃいけない。アイビーはきっとお人よしなんだな。一方、ラルフはというとまったくアイビーの気持ちには気づいておらず、アイビーには幼馴染以上の感情は持っていないようだ。


 しかしアイビーのライバルはルシルだけではない。ラルフの元へは次から次へと洗練されたモデルや女優、又は美しい令嬢たち、さらには娘同伴の母親が挨拶に来る。知っている子もいれば、今日初めて会う子もいるようだが例外なくみんな美しい。


 それにいちいち、丁寧に応じているのでラルフはほとんどゆっくりする間はない。マクシミリアンがラルフはパーティに行かないといっていたのはこのせいだとブラッドは思った。


 俺もごめんだな、こんなのは。と思いながらブラッドは気楽に美味しいお酒を飲んだ。


 ところでアイビーはというと、一緒に来たにもかかわらず、我こそはと名乗りを上げる令嬢たちに押しのけられ徐々にラルフから遠のいていき、ついには島流しにあったように壁際に追いやられ令嬢たちとにこやかに談笑するラルフを遠目に見ているではないか


 アイビー、控えめ過ぎだぞ~。ブラッドは助け舟をだすことにして、アイビーの元にいき、ラルフの近くまで連れてきた。


 そのとき司会者の声が会場内に響いた。


「皆様。本日はケリー子爵家のチャリティーパーティにご参加くださいまして誠にありがとうございます。集まった寄付金は、恵まれない子供たちの学費に当てられます」


 参加者から拍手が起きた。司会者は続けた。


「さてここで、特別に大口の寄付をいただいた方をご紹介して感謝申し上げたいと思います。ラルフ・ローレンス様です」


 嘘だろ! ラルフは驚いた。マクシミリアンの奴、一体いくら寄付したんだ。


「ローレンス様からは、過去最高額のご寄付を頂きました。皆様、ローレンス様に盛大な拍手を」


 すると会場にいた全員がラルフに向かって拍手を送った。ラルフは慣れた手つきでグラスを持ち上げ、にこやかに頷いて拍手に謝意を表した。


「まあ、さすがだわラルフ」


 アイビーは誇らしげに拍手を送ったのでラルフがアイビーの頬にキスをするとアイビーは頬を赤らめはにかんだ。すると周囲で飛び切りの笑顔で彼に拍手を送っている女性たちの顔が嫉妬で歪み頬が引きつりアイビーを射るような目つきに変わったのでブラッドは眼をそらした。


 いかん。お酒のせいで俺のガードが緩んで余計なものが見えやすくなってるぞ。これだから人が集まるところは嫌なんだ。


 そこで拍手を送りながら口の端だけを動かして

「お前、俺から金借りてるよな?」とラルフにいった。


「驚いているのはこの僕さ」同じく笑みを浮かべたままラルフは唇を動かさずに小声で答えた。


「さてみなさま。せっかくですので、ローレンス様よりご挨拶をいただきたいと思います」


「正気か? いくら寄付したかも知らないのに」とまたラルフが小声で囁いたのでブラッドはおかしくなってきて思わず笑った。


 さてはマクシミリアン、こうなると知ってて嫌がらせをしたな? しかしラルフは咄嗟に何かを思いついてブラッドに小声で囁いた。


「僕がスピーチでみんなを引き付けている間に、きみは教会へ行け」


 ブラッドの顔から笑みが消えた。

「冗談言うな。お前がやるっていったんだろ。俺はついてきただけだ」


「でも今しかない。あそこのドアから廊下に出て教会に行くんだ」といって顎で教会側の壁のドアを指した。

「僕もスピーチが終わったらすぐ行って、人がこないように見張っておく」

「嫌だね」

「じゃあきみがスピーチで引き付けてくれるか?」


 くっ…。「分かったよ」


 ラルフはアイビーに持っていたシャンパングラスを手渡すとにこやかに司会者がいる方へ向かって優雅に歩いて行った。会場にいる誰もが若く美しい次期公爵に目を釘付けにされラルフの行方を目で追っている。


 その隙にブラッドは教会へつながるドアを開けて教会へと向かった。 

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