第2章 4は最初の不運な数(4)
司祭が微笑を浮かべ二人に近づいてくると悪寒は消えた。気のせいか。
「単なる見学です。ここに教会があることにいままで気づかなかったものですから、勝手に入ってしまいました」と咄嗟にラルフがでまかせを言った。
「みなさんそうおっしゃいますよ。住宅街ですからあまり宗教色を出さないようにしているのです。もちろんいつでもご自由に入っていただいて構いませんよ」
「もしかしてこちらの教会は黒薔薇の庭学会と関係があるのですか?」
「お若いのによくご存じで」司祭は嫌な顔一つせず答えた。「結論からいいますと無関係です。確かに黒薔薇の庭学会として発足した過去がありますが、一九二四年に学会が解散してから、我々は学会と縁を切り、一九三〇年にまったく新しい宗教法人黒薔薇の庭教会として生まれ変わったのです」
その瞬間、司祭の顔が能面のような顔になり、また元の表情に戻った。嘘だ。すぐにブラッドには分かった。
「名前は残りましたのでそのように誤解される方はいます。それを一つ一つ説明し信頼を回復するのも我々の務めだと思っています。わたくし、司祭のサンチェスです」
「ラルフ・ローレンスです」
「ブラッド・ロックウェルです」
「失礼ですがもしかしてあのローレンス家の方ですか?」
「そうです」
「ローレンス家とお付き合いある方々からも当教会はご寄付を頂いていますよ」
「ほう。僕も教会の建物に興味があるんです。内部を見学させてもらうわけにはいかないのでしょうか?」
「普通は内部まではお見せしないのですが、ローレンス家の方に頼まれましたら断るわけにはいきません。特別にお見せしますよ」また司祭の表情がニヤリと笑う能面に変わった。
知ってるんだ! ブラッドは直感的に思った。俺たちが学会を調べに来たと知っている。
それをラルフに伝えるわけにもいかず、ブラッドは二人について教会の祭壇横のドアから内部に入った。中はいたって普通の作りで一般のオフィスと変わらない。事務所や司祭室や諸々の部屋があるだけだ。
ただ一つ、立ち入り禁止の札が掛かったドアがあった。
「ここはなんですか?」ラルフが聞いた。
「ああ、ここは祭事に供えた道具などをしまってある倉庫のようなものですね」
「なるほど」
ひととおりの見学を終えると二人はまた礼拝堂に戻った。
「突然きたにもかかわらずご親切にありがとうございました」
「とんでもありません。我々に隠し立てすることは何もありませんから望まれればなるべくお見せしているのです」
「これは気持ちです」といってラルフはポケットから現金の札束を出し寄付箱に入れた。
ああああああ! なんてことを! 人に寄付している場合か! こっちが寄付を貰いたいくらいなのに。ブラッドは穴が開くほど寄付箱を凝視した。
「ありがとうございます。もしよろしければこちらのパンフレットをどうぞ」といって教会のパンフレットを渡された。それをざっと見たラルフが聞いた。
「隣の建物と関係あるのですね」
「ええ。あちらはイベント用です。ウェディングパーティやその他のイベントで貸し出します。教会も寄付だけではやっていけない時代ですから。当教会の信者でなくてもあちらは貸し出しておりますので、ローレンス様も何かの際にはよろしくお願いします」
「ええ。では帰りにあちらも見学させていただきます」
「ぜひに。サンチェスから聞いてきたとおっしゃっていただければしっかり見学させて貰えます」
「それはありがたい」
サンチェス司祭に挨拶を済ませて二人はひとまず教会を出た。そこですぐにブラッドはラルフに聞いた。
「お金全部寄付したのか?」
「うん」
「『うん』じゃねえよ! 金が無いのに寄付してどうするんだ?」
「だってタダで見せてもらったら悪いじゃないか。それにきみの金があるし」
「馬鹿か! あるっていっても少しだぞ。寄付するにしても少額でいいだろう。小銭とか。それにあの司祭、嘘ついているんだぞ」
「なんでわかる?」
「それは……。勘だよ」
「大丈夫だ。明日になったらハリーが来るから、すぐに前借できる」
そのハリーが一番ヤバいのに。父親が過保護になるのも分かる。自分だけに出来る仕事を見つける前にこいつは放っておいたら破滅だ。
「そもそもハリーに払う金はどうするんだ?」
「支払い期限までに口座の凍結を解除させる」
「当てになるもんか!」
「それはそうと見たか? 立ち入り禁止のドアがあった。おそらくあそこに地下室につながる入口があるに違いない。もしかしたらあそこに地獄への鍵があるのかもしれない」
「あったな。分かったところで入れるわけじゃない」
「ひとまず今は隣のホールを見にいこう」
やっぱりこいつは単なるバカ息子だ。さっさと紹介状貰って逃げるに限る。ブラッドは決意した。
隣のホールは教会と繋がっていて教会で式を挙げた人がそのまま外に出ずにホールのパーティ会場に入れる作りになっていた。ホールの受付でサンチェス司祭の紹介で見学しに来たと告げるとスタッフがすぐに中を見せてくれた。ホールはどんな用途にも使えそうな普通のイベントホールで天井が高く真っ白い。
こちらも邪教とは無縁の雰囲気だ。ひととおり見せてもらってから受付に戻るとイベントスケジュールが貼りだされていた。明日の夜の予定に『ケラー家』と書かれていた。
「明日ケラー家のパーティがあるんですね」ラルフが聞いた。
「ええ。チャリティーパーティです」
「参加は自由ですか?」
「いえ、チャリティーなので寄付代わりのチケットをご購入いただいた方だけのようで、もう締め切られました」
「そうですか。残念だ」
二人はホールを出て、来た時と同様、徒歩とバスで帰宅した。
クラレンス・ホールに戻り、書斎に入るとブラッドは思い切ってラルフに切り出した。
「もうカーラから十分情報を聞き出したと思う。僕にできるのはここまでだ。給料はいらないから紹介状だけ書いてくれないか」
「いや、給料もちゃんと払う」
「どうやって? 無い袖は振れないだろう。ここに泊めてもらえたし食べさせてもらったし、給料はもういいよ」こいつ悪い奴じゃないんだけどな。ブラッドの胸が少し痛んだが、こちらも背に腹は代えられない。
「わかったよ。じゃあ、明日のケラー家のパーティに行くのだけは付き合ってくれないか?」
「え? まさか地下室に入る気じゃないだろうな?」
「そうだよ」
「それ泥棒だろ。捕まったらどうするんだ」
「捕まらないようにするためにきみの助けが必要なんだ」
「アホか。捕まるに決まってるだろう。あいつら俺たちが学会を調べてるって気付いているぞ。あの名刺はきっと罠だ。きみがカードを二枚持っているのももう知っているかもしれない」
くそっ。裏の顔が見えたといえたら説明は楽なのに。
「確かにあの名刺はバレるのが前提だよな」
「だろ? それにテロリスト容疑に泥棒まで疑われたら俺は終わりだ。きみは捕まってもローレンス家の力があれば無罪放免だと思っているんだろ。自分の力でといいながら結局は全部父親と家名頼みじゃないか。自分の力でやってみたいのが地獄への鍵探しか」
「僕は何も頼んでないのにあっちが勝手に手を回してくるだけだ」
「勝手に手を回してくるのも織り込み済みなんじゃないのか」
「違う!」
「じゃあこの屋敷を買った金はどこから出たんだ?」
「僕の財産だ」
「親から譲り受けたものだろう。たったの六億っていうけど六億は普通の人間が一生かけても稼げない金だぞ」
「『たったの六億』というのは物の価値に対して使った表現だ。訳の分からないブランド品のバッグが数百万は僕だって高いと思うさ。きみは僕を金持ちという色眼鏡で見ているんだろうけど、僕はきみと同じ人間だ」
「違うね」
「……。そうだな。違うな」
「なんだと?」
「いまきみは『一生かけても六億稼げないのは普通だ』っていったな。自分がそう思っているんだろ。自分が信じられないと思うことを信じてみろよ! 僕は信じるね」
「それはローレンス家の人間だからできることだ」
「それは挑戦しない奴のいうセリフだ。父はこんな屋敷は買わない。利益にならないからだ。僕はリスクを取ってしたいことをしているんだ。金持ちだからできるわけじゃない。
紹介状を書いてやるよ。新聞社に行って何がしたいのか知らないけどな。どうせならこの家のことを書けばいいのに」
そういうとラルフは書斎から出て行った。
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