十一話 アズバーグの変貌

 私とアズバーグの盛り場見回りは習慣化してしまった。


 私はアズバーグとお屋敷で夕食を食べるとすぐ黒い馬車に乗って盛り場に向かい

アジトに行く。そしてそれから何件かの店を見回ったり、娼婦街に行ったりして、お屋敷に帰る。私はアズバーグにお酒を呑ませず(私は呑むけど)夜半を過ぎる前には必ずお屋敷に連れ帰った。


 セイルイには「良い奥さんぶりですね」と揶揄われたわね。王妃様にも「アズバーグはレームに任せておけば安心ね」なんて言われたけど、私はまだ結婚していないんだけどね。


 盛り場に行き始めたのは夏でその日は秋の終わりだったわ。私とアズバーグは春には結婚の予定だったけど、私は別に式を挙げたからって契約結婚なのだから何が変わるわけでもないと信じていた。


 予算が増えた私は実験室を借りてやりたかった大規模実験に取り組めるようになっていた。その頃取り組んでいたのは、例の金を創った実験の副産物である魔力貯蔵の魔術道具を改良して、それを使って魔術道具に一々魔力を供給しないで済むように出来ないか? という実験だった。


 つまり、魔力を溜めたそれを魔術道具にセットすれば、暫く魔力を供給しないでそれが使えるシステムの構築で、これが出来れば何度もは行き難い場所に魔術道具を置いて使えるようになるだろう。貯蔵装置をユニット化出来れば魔力供給に一々行く必要もなくなる。鉱山とか工事現場とか、危険な場所で使う魔術具で役立つんじゃないかしらね。


 ちなみに、私の研究には既に王妃様やアズバーグの王族予算が投入され始めていたので、私の発明の優先使用権は王室にある、という事になっていた。というか、アズバーグも王妃様も国王陛下も「発明品は細大漏らさず必ず報告せよ」と何度も言っていたわね。どうも私は自分の発明品を考え無しに人に譲渡し過ぎるらしい。


 アズバーグの家臣で書類仕事に詳しい者が、特許の出願やその他事務処理を代行してくれたので、私はその辺の面倒な事は全て丸投げした。


 研究は順調だし、盛り場の人たちもこの頃にはすっかり私をアズバーグの奥さんと誤解して気易く楽しく接してくれたし、お屋敷の者達とも打ち解けた。国王陛下も王妃様も王子様達も優しくしてくれる。充実していたわね。


 アズバーグとの関係も悪くはなかったわよ。そりゃ、毎日一緒に盛り場を歩くんだからね。関係が悪ければそんな事は出来ない。ただ、私にもアズバーグにも恋愛感情めいたものは全くなかったわよ。アズバーグは女好きだから私にしきりにちょっかいを掛けようとはしていたけどね。毎回私とセイルイで撃退していたけど。


 そんなある日の事だった。


  ◇◇◇


 私はその日も研究を終えてお屋敷に帰ってきたのだけど、夕食の席にアズバーグが出て来なかった。私は首を傾げる。


「アズバーグは?」


「バーグ様はちょっと体調を崩されたようで、今日は食事はいらないとの事でした。盛り場へも行けないそうです」


 この所、アズバーグの体調は以前よりも良くなったと思っていたんだけどね。私は夕食を食べながら考えた。ちょっと心配だわ。


「夕食を終えたらお見舞いに行きましょうか」


 私が言うとモルメイが目を細めた。


「良いことです。バーグ様もお喜びになるでしょう」


 私なんかに見舞われるよりも、もっと美人の巨乳の女性に見舞われた方が彼も喜ぶんじゃないかしらね? 私は夕食を終えるとモルメイと共にアズバーグの私室に向かった。


 考えてみればアズバーグの私室に立ち入るのは初めてだ。アズバーグはお屋敷の主人で私はまだ婚約者で、客人扱い。正式に結婚したら私も主人区画に移る予定なんだけど、勿論同居ではなく離れた部屋に住む予定だ。


 質素な木の扉をモルメイが叩くとセイルイが顔を出し、私を見ると意外そうに目を見張った。


「お見舞いに来て下さったのですか? どうぞ。アズバーグ様も喜びます」


 そして私はセイルイが大きく開いたドアからアズバーグの部屋に入っていった。


 流石に主人の間だから大きな部屋だった。入り口から一番奥まで二十メートルはある感じよね。南側は大きな窓があってバルコニーに繋がっているんだろうけど、今は青いカーテンで覆われている。文様の入った臙脂色の絨毯は毛足が長くてほとんど足音がしない。


 北側の壁際に大きな天蓋付きのベッドがある。緑色のカーテンで覆われていて、中は見えない。私はちょっと眉間に皺が寄ってしまう。


「大丈夫ですよ。レーム様。中に女性はいませんから」


 とセイルイに見透かされてしまった。まぁ、体調が悪いのなら女を抱く元気はないだろうけどね。


 ただ、このお屋敷にはセイルイやモルメイもそうだけど、若い女性が結構いる。元娼婦でアズバーグに救われた者達だ。彼女達は当たり前だけどアズバーグに深く感謝して強く慕っている。ベッドに誘われれば断わるまい。私を助けてお屋敷に誘ったのも、そういう女性を雇ったのと同じような感覚だったんじゃないかしら。


 セイルイがベッドのカーテンの中に入り、アズバーグに声を掛けた。そして、カーテンから出てくると、私を呼んだ。


 ベッドのカーテンを少し開けてセイルイが場所を譲ると、アズバーグが布団に埋もれるように寝ていた。ただ、目は開けていてちょっと不機嫌そうな表情だったわね。


「大丈夫だと言っているのにセイルイが聞かぬのだ」


 声もしっかりしていて、確かに大した不調ではないのだろう。心配したセイルイがベッドに押し込んだものと思われる。私は手を伸ばしてアズバーグの額に触れた。


「熱はないようね」


「ないとも。少し頭痛と食欲がなかっただけだ」


 それでも頑健なアズバーグにしては珍しい不調だったとの事だった。まぁ、休養して悪い事はないから良いんじゃない? いつも忙し過ぎるのだから。


 私はベッドサイドに椅子を持って来てもらって腰掛けた。アズバーグは居心地が悪そうだ。


「其方が私の部屋にいると変な感じだな」


「そうね」


 私も変な感じだ。この女好きなら、元気であればこんな無防備に寄ったら私をベッドに引きずり込んでもおかしくないと思うので、本当に体調は良くないんじゃないかしら。勿論、そういう目に遭わないように護衛の魔術道具は持っているわよ。


 私は彼の部屋を見回した。広い部屋で、ここでも仕事をするからかデスクには書類が沢山積まれている。もちろん、セイルイ達が掃除をしているので非常に清潔に保たれている。私は視線を移して、それに気が付いた。


 絵を描くためのキャンパスが一枚、イーゼルに立て掛けてあった。


 絵? アズバーグは絵を描くらしい。私は興味を惹かれて椅子から立ち上がり、その絵の所に寄っていった。


「あ……」


 アズバーグが慌てたように身体を起こすのが分かったが、絵まではほんの数歩。私は既に絵の前に立っていた。


 それは、夜の盛り場を描いた絵だった。


 暗い路地に、様々な色の灯りが輝き、多くの人が行き交っている。石造りの建物や石畳の質感や、暗い夜空の色合い。光の表現なんかも盛り場の雰囲気をよく映し出していた。


 印象的だったのは、盛り場の人々がみんな笑っていた事だった。誰が誰と分かるほど似てはいないけど、きっとこれはあの人だろうな、という人々が楽しそうに笑っていたのだ。そして中心に、アズバーグと、もう一人女性が描かれていた。


 女性の髪の色は白金色だった。


「あら、これ私ね」


 私は自分の髪と絵の女性の髪を見比べてしまった。アズバーグと私が、盛り場の人々に囲まれて笑い合っているという絵だった。暖かな、楽しげな絵だった。


「……いい絵ね」


 私はベッドのアズバーグに向けて賞賛を送ったのだが、アズバーグは返事をしない。こちらも見ずに反対の方を向いている。セイルイが肩をすくめてみせた。


「意外な趣味ね。知らなかった」


 私がベッドの横に戻って言うと、アズバーグはくぐもった声でぼそっと言った。


「女々しい趣味であろう」


「あら? そうなの? そうでもないと思うけど」


 貴族男性の趣味として、絵画はあまり例が無いというのは後で聞いた話だ。私は貴族の事をよく知らないからね。アズバーグ曰く、昔から絵を描くことが好きで、暇さえあれば描いていたのだけど、国王陛下や王妃様、そして兄君達からは難色を示されたらしい。


「男であれば乗馬や剣術などをたしなめと言われた」


 アズバーグはそれらも一通り学んだのだけど、趣味としては絵画が一番好きなのだそうだ。そもそも絵描きは職人で、職人は平民なので階級が貴族よりも低い。なので貴族が絵筆を持つなんて、という考えもあったらしい。


 アズバーグも習った事はないのだけど、王室お抱えの画家の描き方を見て独学で学び、こっそり画材も買い集めて、特に独立して屋敷を構えてから本格的に描き始めたのだそうだ。しかしながら、そういう過程を辿ってもいるので、自分が絵を描いている事は隠していたし、内心恥じてもいたらしい。


 私はこっちを見ないアズバーグの肩をポンポンと叩いた。


「気にする必要はないわよ。短い人生、好きなことを思い切りやった方が良いに決まってるじゃない」


「それは其方は好き放題に生きているからそう言えるのだろうな」


 アズバーグの憎まれ口に私は口を尖らせた。


「あら? 私は平民の生まれで七歳で親に売り飛ばされて、それから必死で勉強してまだ子供の内に師匠は死んじゃって、死に物狂いにで研究してようやく今があるのよ? それほど恵まれて好き放題に生きてるとは思えないわね」


 アズバーグは思わず、といった感じで起き上がり、私の方に向き直ると頭を下げた。


「す、済まぬ。そういう意味で言ったのでは無い!」


 あらあら。この王子様はなんというか、本当に人が良い。この程度の軽口で恐縮されると困ってしまうわ。


「まぁ、今は好き放題しているのは本当だけどね。で? 貴方は何がしたいの? 私に出来る事があればなんでも協力するわよ?」


 私も彼のおかげで身の安全を確保出来たし、予算は大幅に増えたし、お義母様とも出会えたし、これでも何気に私は彼に恩義を感じてるのだ。


 彼の望みを叶えるために協力するくらいは、恩返しとして当たり前の事だろう。なので私は嘘や冗談を言ったつもりはなかった。


 しかし、アズバーグは目を丸くしてしまった。私がそんな事を言い出すとは思わなかったのだろう。


「其方がそんな事を言うとはな。其方は私の事などどうでも良いのだろうに」


「私はそこまで薄情でもないわよ」


「そうですよ。ミルレーム様が尽力して下さったおかげで、バーグ様はかなり助けられているではありませんか」


 セイルイが私を擁護してくれる。アズバーグは苦笑した。


「そうだったな。すまぬ」


 そして彼はフーッと息を吐いて天井を見上げた。


「私の望みか。私の望みは最初は自由だったな」


 アズバーグ曰く、彼は最初は王子としての束縛された生活が嫌で、盛り場で羽目を外して遊ぶ事で自由を感じたかったのだという。


「しかし、平民として何の束縛もなく暮らしているはずの、盛り場の連中は大して楽しそうではなかった。彼らは、自由だけど自由ではなかった」


 それはそうね。平民にだってしがらみがある。お金を稼がなければ、隣近所と上手くやらなければ、ギルドやお上に上納金や税金を納めなければ。生活していかなければ、ならない。平民達は「王族は自由で気楽で良いな」と思っているに違いないわよね。


 それに気が付いたアズバーグは、自分が自由になることよりも、盛り場の平民が自由でないことが気になってしまったようだ。それで、盛り場の状況を改善しようと動き始めたのである。


「だが、上手くいかなかったな。結局、私は与える事しかできなかった。なるほど、自分たちで稼いで自立する。それが本当の自由だ」


 それほど卑下する事もないと思うけどね。私がやったことは、アズバーグの施策の上に乗っかっているのだから。アズバーグが娼婦達を半自立させていなければ、いくら私の発明品を与えたところでその稼ぎは娼婦を囲っていたヤクザものに奪われただろう。


「……私は、どうやら自分が自由になるよりも、人々を自由にすることに喜びを感じるようだ」


 自分が遊び歩くよりも、人々が楽しんで生きているのを見るのが好きだ、ということだろう。そう自覚したアズバーグは、だからお酒もろくに呑めないのに、あれほど楽しそうに盛り場を歩き、領地経営にもあんなに真面目に取り組むようになったのだと思われる。


 ふむ。私は感心する。この人、遊び人どころか理想的な統治者の資質を持っているんじゃないかしら。


 こういう人が王様になったら、もっと平民を慈しんでくれて、平民が暮らし易い世の中になるかもね。と、私は軽い気持ちで思ったのだった。それで、うっかり口が滑った。


「あなた、王様になんなさいよ」


「!」


 アズバーグが愕然とするが、私は大して深い考えもなく言った。


「あなた、王様に向いているわ。王様を目指したら良いと思うのよ」


「ば、ばかな! 私は王にはなれぬ! 私は第四王子だぞ!」


「別に、この国の王様じゃなくても良いんじゃない? どこか違う土地に国を創るとか」


 私はこの時、別に具体的なプランがあってこう言ったわけではない。単純に、この国がダメでも方法はあると言いたかっただけで。


 錬金術師の悪い癖で「不可能ではない」を「可能性がある」と言い換えたのだ。アズバーグが王様になれる可能性はあるんだよ、と言いたかっただけなのである。


 それがアズバーグの心に火を灯すとも知らずに。


 そう、アズバーグがあらゆる意味で激変したのは正にこの瞬間だったのだ。


「わ、私に出来ると思うか?」


 アズバーグは私を怖い顔で睨んで言った。声が震えていたわね。初めて見るアズバーグの厳しい表情に、私は思わず気圧された。でも、まだ私は彼の問いの重みなど全然分かっていなかったのだ。


「で、出来るんじゃない? 私が協力出来る事はするし」


 何か発明品が必要なら考えるし。他にも知恵を出して欲しいならそうしましょうかね。と、私は愚かにもそんな事を考えつつ軽々しく言ってしまった。


 次の瞬間、アズバーグはギュッと目を閉じた。なんでしょう? 私が首を傾げていると、次の瞬間、アズバーグは青い目を輝かせながら、いきなり私を抱きしめた。


「うえぇ⁉︎」


 変な声が出てしまう。しかし、アズバーグは私を痛いほど抱き締めて、いや実際本気で痛いくらいにギリギリと抱きしめつつ叫んだ。


「今わかった! 分かったのだ! 君こそが、私が求めていた女性だ!」


 は?


 私は目が点になってしまう。何がどうしてそうなった? 私の戸惑いを置き去りに、アズバーグは熱い声で叫び続ける。


「君ほど、私を理解してくれる人がまたといようか! いや、いまい! 君こそが、私の女神なのだ! なんという幸運だろう!」


 いやいやいやいやいや、どういう事? なんで? 私は思わずセイルイに視線を送って助けを求めたのだけど、セイルイはなんだか呆れたような、それでいて嬉しそうに笑っていたのだった。どういう意味の表情なのよそれ。


「ちょっと、落ち着いてよ。どうしたのよアズバーグ」


「落ち着いているとも。ああ。君と出会えた幸運に、君と婚約している幸福に、興奮しているだけだ」


 それは落ち着いていると言っても良いのかしら? そんな疑問を持ったのだけど、とりあえず私は腕をアズバーグと自分の間に潜り込ませてなんとか彼を引き剥がそうと試みる。そろそろ息が苦しい。


 と、アズバーグは不意に拘束を緩めた。私はプハっと息を吐く。気が付くと間近からアズバーグのキラキラした笑顔が私を見上げていた。ロイヤルブルーの瞳がうるうるしている。


 そもそもかなりの美男子のアズバーグだが、いつも気怠げで元気がなかったのだ。その彼の表情に生気が漲っている。そんな輝く瞳で見詰められると、ちょっと困ったわよね。


「私は君に誓おう」


 いや、誓わなくても良いです、と言いたかったけど、アズバーグの様子があまりにも厳かであったため、私は口を挟みかねた。


「私は王になる。そして我が臣民を自由に幸せにする。そういう国を創る」


 一瞬、私の頭の中に、アズバーグの描いた絵の様子、多くの人々が笑って生活しているあの光景が浮かんだ。アズバーグが目指す国はああいう国なのだろう。


「その時は、君をその国の王妃とする事を誓おう」


 ……それも面白いかなぁ、なんて思ってしまった。錬金術師としてその技術と発明を最大限使って、一国を立ち上げるというのは、なかなか夢があって面白そうよね。


 うん、そうなのだ。この頃の私は所詮は世間知らずの研究バカの錬金術師。一国を立ち上げるというのがどういうことなのか、全然分かっていなかったのだ。


 もちろんだけど、アズバーグはその困難さ、とんでもなさを知っていたに違いない。だから内心では王になりたいという望みを抱えながら、そんな事が出来るわけがない。そんな事を望んではいけない、と望みを押し殺していたのだ。


 それなのに、この考えなしのバカ女(私)が彼の望みを全肯定してしまった。彼にとっては暗闇から差した一条の光、干天の慈雨、救いの女神に見えたに違いない。彼の感動、感激、そして湧き上がった感情。その全てをその麗しい笑顔に現して、アズバーグは私にこう誓約したのだった。


「そして私は今日この時より、君の事だけを愛すると誓う。生涯、私の妻は君一人だ」



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