十話 夜遊びの理由

 私はその日からしばらく、アズバーグの夜遊びに同行した。私は翌日は朝早くから研究所や王妃様の所に行くから、あんまり夜更かしすると大変なんだけどね。


 アズバーグは私が同行しても何も言わなかった。私があまりにも酒が強すぎるので驚いてはいたけどね。彼自身は非常に酒に弱く、ワインでさえ水で薄めないと一杯で潰れてしまうのだそう。


 彼は酒場に入っても、酒場の主人や酔客と交流する様子はない。もっと派手に騒いでいるのかと思ったのだけどそうでもないようだ。むしろ何日か同行した私の方が馴染んでしまい、色んな人に気安く声を掛けられて酒を酌み交わし、しまいには肩組んで歌を歌ったりして大騒ぎしたわよね。


 金貨を常に払うのかといえばそうでもないようで、景気の良さそうな居酒屋に入った時は満足そうに笑うだけで普通の銅貨で支払っていたまた、女性店主でない店に行って何やら店主と話をするような事もあったわね。


 ある日には娼婦街に行った。娼館ではなく、街路にポツポツと女性が立っているような所だ。こういう所に立っている女性たちは、主に年齢上の理由で娼館を追い出されたような娼婦が多い。娼館より非常に安い値段で身体を売っているのである。


 盛り場と違って灯りはない。暗がりの中、アズバーグはフラフラしながら女性達に歩み寄ると、一人一人に何やら声を掛けて歩く。


「リーゼ、体調はどうなのだ? 無理をするなよ」


「フーリン、そろそろ引退してはどうだ。メルベアの店で女給を一人雇っても良いと言っているぞ」


「アナンダ。そろそろ寒くなるから気をつけるのだぞ?」


 というような話をして、場合によってはお金を渡す。女性たちは大体むっつりと頷くだけでアズバーグに何も言わない。だが、たまに小さな声で「ありがとう」と礼を言っていたわね。


「やれやれ。其方がこんなところまで付いて来るものだから、今日は女を買い損ねた」


 などと言っているけど、あの態度はどう考えても女を物色している感じではなかったけどね。


 どうもアジトを出る前にサージェルと打ち合わせをして、その日の予定を決めているようで、多分サージェルが盛り場の情勢を事前に調査しているのだと思うのよ。


 そして何か問題がある店に行って、お金を払うなり話をするなりしているみたいね。お酒を呑むのはついでのようで、どうも酒場なのだから呑まなければ悪い、というような意味合いがあるようだった。


 ……ここまで見れば私にも分かる。


 アズバーグのこれ、夜遊びじゃないわ。彼は盛り場の管理、統治をしているのだ。


 特に困窮している女性の保護である。どうも年齢などの理由で娼婦が続けられなくなった女性にお金を貸して、盛り場で居酒屋を経営させたり、酒場の従業員として雇うよう斡旋したりしているようである。


 もちろんそのためには、盛り場の酒場の店主たちとの良好な関係を築く必要があり、だからこそ酒もろくに呑めないくせに何軒もの酒場をはしごするような真似をしているのだ。


 同時に、下町の孤児の社会復帰のために仕事を斡旋したり、店同士の揉め事の仲裁もしたり、多分だけど治安維持も行なっているのだろう。そういえば何日も盛り場を歩いたのに、噂に聞くヤクザ者とはついぞ出会わなかった。せいぜいチンピラがせいぜいで。そのチンピラもアズバーグには敬意を払っていたし。


 ……なんだこれ。私はちょっと呆れてしまった。どうして彼がそんな事を? そんなのアズバーグの、王子の仕事じゃないわよね。彼が主張するように単なる伯爵であっても違うだろう。


 彼がそういう役回りを喜んでやっているのは間違いない。盛り場の女性と仲良く笑い合っているところなんてとても楽しそうだったし、子供達と戯れあっている時には屈託なく笑っていた。酔客と言葉を交わす時などはまるで平民の若者のようだった。


 ただ、忙しいアズバーグが夜通し盛り場を徘徊するのは大変だし、酒に弱いくせに毎晩深酒するのも健康には良くないだろう。費用だって、あんな勢いで金貨を撒いていたらいくら王子でも足が出るのではなかろうか。


 私はセイルイにその辺りの事情を答え合わせを兼ねて聞いてみた。セイルイはちょっと複雑な表情で笑った。


「バーグ様は、最初は本当に遊び歩いていたのですよ」


 もう三年ほども前の話だという。アズバーグは王城を抜け出して、夜な夜な盛り場に繰り出しては遊んでいたのだという。


 とはいえ、その頃から酒には弱く、簡単に酔い潰されては身ぐるみを剥がされて裸で帰る羽目になっていたそうだ。


 娼館にも入り浸って女を取っ替え引っ替えにして、挙句にお金が足りなくなってやはり下着一枚で王城に帰ったりしていたらしい。


「私もモルメイもその頃、バーグ様のお相手をさせて頂いたものですよ」


 セイルイたちは当時娼館にいて、娼婦としてアズバーグの相手をしたこともあるという。アズバーグが現在支援している女性店主も、ほとんどが元娼婦なんだとか。


「当時のあの街の風紀や治安は酷いものでした。娼婦の半分くらいは騙されて拐かされて来た少女で、奴隷のように働かされていました」


 セイルイやモルメイもおそらくそうして拐われて来たのだろう。


「治安も最悪で、簡単に殺人事件が起こり、ヤクザものの抗争は絶えず、路上の乱闘に巻き込まれて死傷する者も多かったのですよ」


 私が師匠から聞いていた盛り場の様子は確かにそんな感じだったわね。下手をすると売り飛ばされてしまうから、一人で行ってはいけないと師匠に言われたからね。


「そういう様子を見て、バーグ様は次第に憂慮の念を深められ、それで改革を志したのです」


 アズバーグは私財を投じてまず、娼婦の中でも扱いが酷い者たちを買い取って自由の身にしたそうだ。あの中にはセイルイたちも含まれていた。


 そして女性たちにお金を貸す形で、店を始めさせたり、場合によっては故郷に帰したりした。この時セイルイ達は頼み込んでアズバーグの侍女になったのだそうだ。


 アズバーグはセイルイ達を(この時に侍女以外にも護衛や執事の名目で何人もの食い詰め者を雇ったらしい)雇うために、アイヒルーク伯爵として独立して王城を出て屋敷を構えた。王城に元娼婦や元ヤクザものの家臣を入れるわけにはいかなかったからだろうね。


 彼はお金を惜しみなく投じてヤクザものの社会復帰にも力を尽くした。各方面に話をしてカタギの働き口を用意し、組織同士の抗争を硬軟取り交ぜた交渉で解消したのである。おかげで盛り場の治安は劇的に良化した。


 アズバーグの尽力によって、不幸な目に遭う少女は激減し、盛り場には女性店主と女性従業員が増えて、ヤクザものは減って治安は改善したのである。


 もちろんだけど完全ではなく、女性店主の店が上手く行かなかったり、年老いたり病気になって娼館から追い出された娼婦の扱いには苦労していたりするのだけど、アズバーグは諦めずに地道にこれも解決しようとしているそうだ。


 なるほどね。事情はだいたい分かった。でも、疑問なのはどうしてアズバーグがそんな改革を自分一人で始めたのか、ということよね。


 だって、彼は王子なのだ。王子だけど、王様じゃない。


 王都は、文字通り王様の都市だ。王都を管理運営するのは王様の仕事なのよね。下町の猥雑な盛り場だって国王陛下の物で、管理下にあるのだ。


 だから、もしもアズバーグが盛り場の現状に問題点を発見したのなら、それは国王陛下に改善するように依頼すべきなのである。彼はなぜそうしなかったのだろうか。


「そんな事をしたら、お父上の統治に瑕疵があったと文句を付けることになってしまうからではないでしょうか」


 というのがセイルイの意見だった。それは確かにその通りではある。事実国王陛下の目が行き届かないから、盛り場は荒れていたのだろうからね。


 ただ、それはある意味仕方がない。国王陛下は万能ではないし、政治は貴族によって動かされる。国王陛下が対応するのは主に貴族同士の利害調整であって、平民の事など二の次三の次にならざるを得ない。まして下町の盛り場なんて国王陛下の目には入るまい。


 なので、もしもアズバーグが盛り場の荒れ方を指摘しても、国王陛下は「よく気が付いたな」と思うだけで決して不快には思わないと思うのよね。アズバーグは国王陛下にも可愛がられているし、その程度で遠ざけられたりはしないでしょう。


 その辺はセイルイには分からない話のようだった。ちなみに彼女はアズバーグを護衛出来るように、下町の元用心棒から(アズバーグが生活支援をした見返りに)戦闘技術と隠密の技術を教わったのだそうだ。並大抵の努力じゃ無かっただろうね。


 アズバーグの家臣はセイルイと同じように下町の裏社会から救い出された者ばかりなのだそうだ。ちなみに、私を襲ってきた刺客の二人も反省の上雇われて、王都での情報収集などに従事しているらしい。知らなかった。


 そうやって多くの家臣を雇い、盛り場の人々を支援してどんどんお金を使ってしまうので、伯爵領の経営も頑張らざるを得ないらしい。王子としての予算もあるけど、それにはなるべく手を付けないようにしているとか。


 ……なんというか、色々不器用よね。見た目は軽薄で器用そうなのに、やっている事が物凄く不器用だ。


 自分で色んなものを抱え込んで、勝手に大変な思いをして、挙句にこんな怪しい錬金術師の私を契約上とはいえ結婚しなければならない羽目に陥っている。


 私みたいに研究のためなら後先すら考えない。自分の研究最優先。自分至上主義の私には、婚約者殿のそんな不器用な所は理解し難いものだったわね。


 ある晩、私はアズバーグを例によって支えて歩きながら、つい彼に「何もかも自分で抱え込まなくても良いのに」と言ってしまった事がある。すると、彼は酒臭いため息を付いてこう言った。


「そんな大した話ではない。やりたいことをやりたいようにやったらこうなっただけだ」


「それでボロボロになっていたら世話ないじゃない。長生きできないわよ」


 アズバーグは皮肉な笑みを浮かべた。


「其方は自分の研究のために命を惜しむのか?」


「惜しまないわね」


 私は即答した。ただ、死んだら研究が出来なくなるから死にたくはないけどね。


「同じようなものだ。私は自分のやりたいことを精一杯やって死にたい」


 下町の盛り場の困窮している人々を救うのがアズバーグのやりたい事なのだろうか。なんだかそれも違う気がする。


  ◇◇◇


 とりあえず、アズバーグの夜遊びは王妃様が心配なさっているような放蕩ではないことが分かった。以前はそうだったみたいだけどね。


 ただ、あんな生活をしていたら体を壊して早死にするだろう。そんな事になったら王妃様も国王陛下も悲しむし、私は早々に未亡人になってしまう。そうなると再婚相手を王妃様辺りに紹介されて面倒な事になるかもしれない。


 アズバーグとの契約結婚というのは錬金術師の私にとっては理想的な結婚なのだ。再婚相手と契約結婚をするわけにはいかないだろうから、アズバーグに死んでもらっては困る。


 それに盛り場の女性達に注ぎ込み過ぎてアズバーグが破産しても困る。一応私は伯爵夫人になるわけだし。


 私は考えた末に、アズバーグと同行して娼婦達と会った際にこう提案した。


「手隙の時間に、これを作って売ると良いですよ」


 私が娼婦に見せたのは、手首に巻くミサンガだった。アズバーグが興味深げに覗き込む。


「なんだこれは?」


「お守りです」


 もちろん、ただのお守りではない。錬金術で作成したものだ。


「これと同じ紋様を編み込んで下さいね。これは魔法陣になっています。保温と撥水の効果がある魔法陣です」


 つまり、このミサンガを付けていると、身体が温まり雨に濡れにくくなるのだ。


「編むのは大変だけど、簡単に編めたら売り物にならないからね」


 つまり、娼婦や盛り場の女性達が副収入に出来るように、私は簡単に作成出来る商品を考えたのだ。


 結局、盛り場の女性達が貧しいのは、仕事がないからだ。娼婦を辞めても仕事がないから、道端に立たざるを得ない。


 なので、稼げる方法を何か考えてあげる必要がある。アズバーグがしたように出資して酒場を経営させるのも一つの手段だが、娼婦しかやった事がない者が居酒屋を経営したりそこで働いたりするのは難しい場合もあるだろう。


 簡単ですぐ出来て小銭になる商品を考えたのだ。これを自分で作って自分で売れるようになれば、自立の助けになるだろう。娼婦の他に生き方を知らない女性に、違う稼ぎ方を教えられるだけでも人生の幅が拡がるに違いない。


 それで私が考えたのがこのミサンガだ。魔法陣は他にも数種類考えてある。重要なのはしばらく使っていると切れてしまって使えなくなる使い捨てだという事で、安価だが何回も買わなければならない商品なのだ。


 これならいくら作っても需要がなくなる事はないだろう。頑張って作れば作るほど儲かるようになれば、盛り場の女性の重要な副業に出来るに違いない。


 私の説明を聞いてアズバーグは呆然としていたわね。


「これは、君の発明か?」


「? そうですよ?」


 理論的にはそう難しいものではないから、発明というほどの物ではないけどね。


 アズバーグは唸ってしまった。


「確かに、これは良いな。他には何かないのか?」


 アズバーグは勢い込んで私に尋ねてきた。彼は居酒屋を繁盛させる方法は何かないかと言った。彼が元娼婦に経営させている居酒屋の経営が苦しいのは無理もない事だった。なにしろ料理も酒にも特徴がないのだから。あれでは競争相手の多い盛り場で繁盛するのは難しいだろう。


 私だって居酒屋の経営なんて知らないし、料理も酒にも詳しくない。うーん、そうねぇ。


「お酒を入れると光るガラスコップとかどうかしら。アルコールと反応して光る素材で絵を描いておけば面白いわよね」


 根本的解決にはならなそうだけど、話題作りにはなるわよね。私の提案を聞いてアズバーグは大袈裟に感心した。


「よくもそんなに簡単に思い付くものだ」


 まぁ、それほど難しい技術じゃないしね。新しい術を開発した訳でもない。


 私はこの発明を無償でアズバーグに供与すると宣言した後「ただし」と付け加えた。


「条件があります」


「な、なんだ」


「お酒を控えなさい」


 私は発明を無償で使わせる代わりに、アズバーグに酒を止める事を約束させた。元々あんなに酒に弱いアズバーグが、毎晩深酒したら絶対に体を壊す。


「それと、徹夜は止めなさい。ちゃんとお屋敷に帰って来て寝ること」


 まぁ、正確にはアジトで寝てはいるんだけど、翌日も忙しいのだからゆっくり休養は取るべきだ。


 私の提案にアズバーグは渋い顔をしたけど、私の発明の魅力が勝ったのか、結局は提案に同意した。


 私の発明したミサンガはかなり評判が良く、よく売れたらしい。盛り場の女性達はこぞって編んでこれを露天で売ったり居酒屋のお土産にした。中には娼婦を辞めてこれを大量生産するのを生業にした人もいるみたいね。


 女性が作れる商品については、私はそれからもいくつか考案して女性達に作らせた。いくつかは成功して女性達の生業にすらなって、困窮していた娼婦達を救うことに成功したらしい。


 光るコップも、私が作成していくつかの店で使ったら、物珍しさから集客に成功したようだ。後はお店の女性達の頑張り次第だろうね。


 こうして私の発明は文句のない成功を収め、その結果アズバーグは私との約束を守らざるを得なくなり、渋々夜遊びの頻度を減らす事になったのだった、


「どうも、其方に嵌められたらしい」


 とアズバーグは嘆いていたけどね。しかし、深酒をしなくなり、休養も取るようになった事でアズバーグの顔色は見違えるように良くなったわね。それと、どうやアズバーグの夜遊びが減った事を知った王妃様が、その原因は私にあると知ってそれはそれは大喜びなさったようだ。


「レーム! よくやってくれたわ! 本当にありがとう!」


 と私を抱擁して離さなかったほどだ。まぁ、王妃様が喜んでくれたのは私も嬉しかったわね。


 アズバーグもなんだかんだ言って私に感謝はしてくれたようだった。とはいえ、私とアズバーグの関係はそれまでとそれほど変わってはいなかった。契約結婚の相手。愛情などない。私も、アズバーグもだ。


 ここまではね。

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