九話 アズバーグの夜遊び

 アズバーグは結構忙しいようなのだ。


 彼は夜遊びを頻繁にして、午前中は寝ている事なんて珍しくないのだけど、午後には起きてちゃんと領地の管理の仕事や王子としての仕事をしている。


 お屋敷には結構頻繁に領地からやってきた代官や、王城の官僚が出入りしていて、セイルイや他の家臣達も忙しく歩き回っている。私も昼間は研究所に行ったり王妃様のところに行ったりしているから詳しくは知らないんだけどね。


 正直な話、そんなに忙しいのなら夜遊びなんて止めて、夜はちゃんと寝て朝から働けば良いのに、と私は自分の事を棚に上げて思うんだけどね。はい。すいません。私も研究に没頭するあまりお屋敷で夜更かしをして、徹夜をしてしまった時にはさすがにモルメイにもの凄く怒られました。


 だけどアズバーグは毎日のように夜遊びに、しかもあまり治安もよろしく無い下町の盛り場に出掛けて行く。私と出会ったあの辺は娼婦街もあり、女好きの彼は当然娼婦を抱いているのだろう。病気とか大丈夫なのかしらね。


 私としては契約結婚相手の彼がどこで何しようと関係ないし、白い結婚の約束だから彼が性病を持っていても関係無い。危険に関しては彼も対策していて、男を一撃で伸してしまうセイルイの他に数名の護衛を連れているから心配はあるまい。


 という事で私はアズバーグの夜遊びには無関心で、ただ放置していた。


 しかし、王妃様、国王陛下、それと王子様達はそうもいかなかったようだ。特に王妃様は末っ子のアズバーグの事を可愛がっていたから、彼が危険な下町の盛り場に出て行く事を心配し、放蕩者という評判になってしまっていることにも心を痛めていた。


 もちろんだけど王妃様も国王様も、王子様達も顔を合わせれば口を酸っぱくして彼に夜遊びを止めるようにと忠告していたのだけど、アズバーグは聞く耳を持たないそうなのよね。


 アズバーグは国王陛下や王妃様を尊敬していたし、王子様達とも仲は悪くない。それなのにどうしてこの件に関しては頑なに夜遊びを止めないのかしらね。


 私との婚約前はそれこそ数日間下町から帰ってこない、なんてこともあったようだけど、私と婚約してからは渋々だけど毎日お屋敷に帰ってくるようになっている。私に夕食時にどんな研究をしているか、危険はないかの報告を義務づけた関係上、自分もお屋敷で夕食を食べなければならない羽目になっただけなんだけど。


 だけどそれを聞き付けた(どうもお屋敷の使用人の誰かが王妃様のスパイらしいのよね)王妃様がそれを大層喜んで、私がアズバーグを更生させられるのではないかと期待してしまったのよね。


 そんな期待をされては困る。私は確かに婚約者だけど、契約結婚予定の婚約者なんだから。でも、王妃様と仲良しになって、自分も王妃様の娘みたいになってしまうと、王妃様の期待に何とか少しでも応えたいと思うようになってしまう。


 それに、結婚してもあまりにも素行が改まらないと、結婚相手の私の評判にまで関わってくる可能性がある。それに、アズバーグが王子に相応しくないという話になったら、契約結婚の目的である王族予算使い放題の件にも関わってきてしまうかもしれない。


 というわけで、私はちょっとは婚約者様の行動に目を向ける事にしたのだった。


  ◇◇◇


 面と向かってアズバーグに「夜遊びを止めなさい」と言ったって彼が聞く筈はない。王妃様が言ってダメなのに私が言ってもダメに決まっている。


 錬金術師と魔術師の違いは、魔術師は結果を得るのに原因を必要としない事に対して、錬金術師は結果を得るために原因を利用するという所だ。


 つまり魔術師は火を付けるのに、魔力そのものを炎に変換するから、火がどうして燃えるのか、燃やすものが燃えるのかどうかなど調べる必要はない。一方、錬金術師は火を魔力で付けるのは同じとしても、その先に炎を大きくするのは物質に異存する。そのため、火を付ける先の物質や燃焼の構造などを理解しておく必要があるのだ。


 なので錬金術師的な思考は「物事には原因があるから結果がある」というものだ。その思考方法から言えば、アズバーグの夜遊びには何らかの理由がある筈で、結果である夜遊びを止めさせたいのなら、夜遊びの原因になっている何かを取り除けばいい、という事になる。


 それには調査が必要だ。ちなみに錬金術師的にはこれは調査ではなく研究である。目的のために対象のものを隅々まで研究しないと、求める結果は得られないというのが錬金術師の考え方なのだ。


 つまり私はアズバーグを研究する事にしたのである。


 アズバーグを知るには、彼をよく知っている人からの聞き取りを行うのが一番だ。私は手っ取り早くこれをするのに、私の一番側で私の世話をしてくれているモルメイの話を聞く事にした。


「バーグ様の事ですか?」


 モルメイは驚いた様にその黒い瞳を瞬かせた。彼女は年の頃は二十代後半。背は私と同じくらいで、少しもちもちした体格。髪も黒くて肌も少し濃い色をしているけど、これは人種的な特徴だろう。十分に美人で、実は私はアズバーグの愛人の一人ではないかと疑っていた。


「そう。アズバーグはどうしてあんなに夜遊びが好きなのかしら。何か理由を知らない?」


 モルメイは少し不審そうな顔をした。


「どういう風の吹き回しですか? レーム様」


 やはり疑問に思われたか。この時まで私は婚約者だというのに、アズバーグにさっぱり興味がなく、彼の行動について口を差し挟むような真似は一度もしたことがなかったのだ。私は正直に言った。


「王妃様があんまり心配なさっているからね。私にも出来る事があればと思って」


 モルメイはそれを聞いて少し眉を寄せた。ちょっと怒ったような顔になる。意外な表情だったわね。彼女は穏やかな女性だったから。


「バーグ様は別に、ただ遊んでいるわけじゃありません。王妃様はそれをご存じないだけです」


 モルメイの固い声色に、彼女が敬愛する主人であるアズバーグに対して為される悪い噂に、傷付き怒っている事が分かった。ただ、夜遊びは事実なんだし、それは悪い噂になるのは仕方がないだろうと思っていた私は、モルメイが怒る理由がいまいち分からないでいた。


「では、どうしてあんなに毎日夜遊びばかりしているのかしら? 理由を教えてくれない?


「……言いたくありません」


 珍しくモルメイは私の要求を拒否した。いつもは相当な私の無茶振りもなんとかして叶えようとしてくれるのに。私は首を傾げてしまう。謎が深まったわね。


 私は続けてセイルイにも聞いてみた。セイルイは実はモルメイよりもやや年少で、細身の黒髪黒目の美人である。こちらは絶対にアズバーグの愛人だろうと思われる。なにしろアズバーグの側をほとんど離れず、夜遊びの間中彼を間近から常に護衛しているくらいなのだ。


 婚約者の私よりも遙かにアズバーグと親密なのである。私はセイルイを捕まえてモルメイに聞いたのと同じように尋ねてみた。


 セイルイは怒ることはなかったが、少し困ったような表情になってしまった。


「そうですね。別にお話ししてもバーグ様は怒らないと思いますけども、王妃様に伝わると面倒な事になりそうです。私からはお話出来ません」


「王妃様にお話しなければ良いの?」


「ミルレーム様は婚約者ですから、知っていた方が良いと思います。でも、それはバーグ様ご本人から聞いた方が良いと思いますよ」


 つまり自分からは話せない。話したくないという事だろう。


 アズバーグの夜遊びには何らかの理由が、複雑な理由があるらしい。その理由は家臣達からは話難い事なのだ、ということが、他数名の家臣からの聞き取りで分かった。全員、アズバーグの夜遊びについての噂には心を痛めていながら、彼の夜遊びを止める気は無い。たぶん、その辺に鍵があるのよね。


 多分、アズバーグの夜遊びは単なる遊びではないのだ。夜中呑みあるいて大騒ぎをして、それで果たしたい何かの目的がある。何なのかは皆目見当が付かないけども。それは家臣にとっても応援したいことで、だから誰も彼も彼の夜遊びに協力をしている。


 そこまで調べて私の調査は行き詰まった。それ以上調べようがない。後はアズバーグを尾行するとか、下町に行って聞き込みとかをするしかないんだけど……。


 迂遠よね。私はある晩、アズバーグとの夕食の席でこう言った。


「今日もこれから下町に出掛けるの?」


 意外な質問にアズバーグは首を傾げた。


「ああ、そのつもりだが……」


 私は頷くと言った。


「付いて行っても良いかしら?」


「は?」


「貴方が何処で乱痴気騒ぎをしているか興味があるわ。連れて行ってくれない?」


 私が何を言い出したのかと目を丸くしていたアズバーグだったが、私の言葉を理解すると苦笑して言った。


「構わぬが、下町の居酒屋だぞ? 君には似合わぬ」


「あら、私の生まれは下町だし、錬金術師の師匠と下町の居酒屋で飲み食いしたことはあるわ」


 私の師匠は金勘定が下手で貧乏だったから、貴族出身なのに下町の食堂で食事をすることが多かった。私も何度もお相伴に預かったものだ。なので下町の盛り場の雰囲気を知らないということはない。


 アズバーグは目を細めて何やら考え込んでいる。私が何か企んでいることに気が付いたのだろうね。しかし、アズバーグはそれでも笑って頷いた。


「よし分かった。私が下町での遊び方を教えてやろうじゃないか。婚約者殿」


 私は食事を終えるといつも研究するときに着ている服に着替えた。スカートにブラウスに、白衣だ。髪は縛って後頭部で巻く。もちろんだけど、装飾品なんて身に付けない。化粧もしない。下町の盛り場で目立つ格好をしていたらたちまちチンピラに因縁を付けられる。


 なので、派手なジャケットとズボン。マント。そして山高帽という目立つ格好のアズバーグを見て、これじゃあ因縁を付けて下さいと言わんばかりだな、と思ったわね。でも、これで毎日遊び歩いているんだから大丈夫なんでしょう。


 私とアズバーグ、そしてセイルイは黒いお忍び用の馬車に乗り込んだ。セイルイはなんだか胡乱な目付きで私を見て言ったわよね。


「物好きですね。ミルレーム様」


「私は錬金術師だからね。疑問は探求しないではいられないのよ」


 私達はまず、例の下町のアジトに行った。そこには例のひげ面の男性が待っていた。おそらくここに住んでここを守っているのだろう。彼は私を見て驚きの表情を浮かべたわよね。


 アズバーグはそこでそのひげ面の男、サージェルとなにやら暫く話をしていた。私はソファーに座って待たされた。それから「では行くか」というアズバーグに付いてアジトを出る。


 アジトは盛り場からはそれほど遠くはない。やがて、盛り場独特の酒と汗とタバコと、それと色んな料理の匂いが漂ってきた。色んな看板の出ている店が立ち並んでいて、軒先には様々な色の魔力灯が点っている。様々な年齢の男女が細い路地を歩いていて、大きな声で話したり歌ったりしている。中には喧嘩をしているような怒鳴り声も聞こえてきた。


 気が付くといつの間にかセイルイはいなくなっていた。彼女は怪しい術を使って物陰に完全に身を潜める事が出来るのだそうだ。そこからこっそりアズバーグを守っているのである。ふむ、その内どういう理論で隠れているのか聞いてみよう。魔術道具に利用出来るかもしれないし。


 アズバーグは慣れた足取りで一軒の店に入っていった。入り口にはドアもない。中は二十人も入れば一杯という感じの居酒屋で、テーブルが五つ。カウンター席が三つ。カウンターに立っていた赤毛の女性が入って来た私たちに声を掛ける。


「ああ、バーグ。いらっしゃい。……おや? 女連れとは珍しい」


「おう、メルベア」


 バーグと私は既に半分くらい埋まっているテーブル席の一つに座った。給仕の黒髪黒目の女性がやってくる。


「いつもので良いんでしょう? そっちの人は?」


 下町の歯切れの良い話し方に懐かしさを覚えながら、私はエールを注文した。


「酒が呑めるのか?」


「多少ね」


 実は多少どころではなく、もの凄く呑めるんだけどね。奢りだからとドンドン呑んだら師匠には「二度と呑ませてやらん」と怒られたっけ。まさかアズバーグならそんなケチな事は言うまい。


 意外な事にアズバーグはワインを水で薄めた物を呑むのだという。大酒飲みかと思っていたのだけどそうでもないようだ。そう言えば思い出せば、彼は夕食時に酒を呑んでいた記憶がない。


 周囲の人々は酒と、料理を大量に頼んで食べているが、アズバーグと私は夕食を食べてから来ているから、つまみにナッツを頼んでそれだけでお酒を呑んだ。


「おう、殿様、また来たのか!」


 酔客が馴れ馴れしくアズバーグの肩を叩く。その様子だとこの人が貴族のお忍びだと言う事は知っているのだろうけど、まさか王子様だとは思っていないのだろうね。


「お、今日はえらい美人を連れているな? 恋人か?」


「ああ、ただの連れだ」


 恋人と紹介されても困る。私達は事実恋人同士ではないし。契約結婚の相手だなんて紹介されても困る。


 酔客はひとしきりバーグに構ったら店を出て行ってしまった。アズバーグは一杯だけ薄めたワインを呑むと、フラっと立ち上がった。


「メルベア、勘定を頼む」


「はいはい」


 アズバーグはメルベアになんと金貨一枚を握らせた。私は目を剥く。どう考えても過剰な支払いだ。メルベアと呼ばれた赤毛の女性は、サッと手の平に金貨を隠すとアズバーグに頭を下げた。


「すいません」


「ああ」


 アズバーグはただ頷くと、フラフラと店を出て行った。あんな薄い酒でもう足下が怪しくなったらしい。私は慌てて彼の後を追う。


 アズバーグはそのまま歩いて、今度は露天の酒場に入っていった。そこはまだ子供と見える少年が三人で忙しく働いている酒場だった。


「バーグ様! いらっしゃい!」


 少年達は元気に叫んでアズバーグと私を出迎えた。


「こんな美人を連れて来るなんて、バーグ様も隅におけませんね!」


 ませた子供(そりゃ、ませてないと盛り場で露天なんて経営出来ないだろう)がアズバーグを揶揄った。アズバーグは苦笑して、ここでも薄めたワインを一杯呑むだけ。そして今回も金貨を少年の手に握らせた。少年は三人ともアズバーグに深く頭を下げていた。


 そんな感じで、アズバーグはフラフラヨレヨレと歩いて、なんと七件の店をはしごした。最終的には泥酔してしまったわね。私は彼の十倍は呑んだのだけど、全然酔っていなかったから結局彼の肩を支える羽目になった。


 こんな派手な身形をして、泥酔していたら、チンピラに身ぐるみ剥がされてもおかしくないとは思うんだけど、不思議な事にアズバーグを見ても盛り場をうろついているイキった若者達は絡んで来なかった。なんだろうね。既にセイルイ辺りに打ちのめされた経験でもあるのかしら? と思ったのだけど、どうもそういう様子ではない。


 アズバーグに親しげに声を掛けてくる者は多かったのだけど、声を掛けてきても二言三言で、しつこく絡んで来る者は皆無だった。アズバーグはなんというか、この盛り場のみんなに暖かく迎えられているという気がしたのよね。


 まぁ、金払いが良かったのは間違い無いけども。それだけが理由ではあるまい。それと、今日回った店は共通点があった。


 全ての店で、店主や店番が女性か子供だったのだ。他にも店は沢山あったのだけど、アズバーグは泥酔していながらもちゃんと女性が経営している店を選んで、注文して、金貨を払ってすぐに店を出る。


 全員、アズバーグの愛人なのかしらね。私は一瞬だけそう考えたが、すぐにその考えを否定した。最初のメルベアの店での様子を思い起こす。メルベアも給仕の少女も、アズバーグに全く近寄って来なかった。ただ、金貨を渡された時の泣きそうな、この上ない感謝を表す表情。長いお辞儀が印象に残った。


 そのまま私はアジトに向かった。途中からセイルイがアズバーグの反対側の肩を支えてくれて助かったわよ。重いんだものこの男。アジトに入ると、アズバーグはソファーにひっくり返ってグースカ寝息を立て始めてしまった。うーむ。私は考え込む。


 なんというか、あれは夜遊びというより、巡回ね。お仕事として巡回しているように思えたわよね。店で酒を呑む事が目的なのではなく、店に行って代金を払うことが目的であるような……。


「何か分かりましたか?」


 セイルイが私を覗き込むようにして言った。ちょっと面白がるような、期待するような視線だった。私は苦笑する。


「いいえ。まだ分からないわね」


「本当ですか? ミルレーム様の勘の良さならもう分かっているのではないですか?」


 そうね。私はしかしそれでもこう言った。


「私は錬金術師だからね。錬金術師は確証のないことを語らないものよ。だから、私が自分の考えに確信を持てるまで、もう少し彼に付き合おうかな」

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