八話 お妃様教育

 せっかく研究室に入れるようになった私だけど、残念ながらひたすら研究に没頭出来る日々は帰ってこなかった。


 週に一度(本当は三度だったのをお願いして減らしてもらった)、私は国王宮殿に通って、王妃様とお会いする時間を作る事になってしまったのだ。


 それはまぁ、王子の妃が全くの平民ではまずいのだろうからね。王子は王族である間は儀式や式典に夫婦で参加する機会も多くあるらしい。その際にみっともない無作法を晒してしまうと、王族の権威に関わる。


 なので最低限のお作法を身に付け、ついでに義理の母たる王妃様と交流を深めましょう、という話なのだ。


 ……勘弁して下さい、と言いたかったのだけど、私は形式だけとはいえ王子であるアズバーグの妃になるのだし、そうなればやはり王族の義務は最低限は果たさねばなるまい。それに、義理の母にしてこの王国屈指の権力者である王妃様のご機嫌を損ねれば、私の地位も身もたちまち危うくなるだろう。ご機嫌取りは大事だ。


 というわけで、私は渋々、泣く泣く、週に一度だけ豪華なドレスを身に纏って国王宮殿に上がったのだった。仕方がない。何もかも予算のためだ。


 王妃様はいつもご機嫌麗しく私を迎えて下さったわよ。この方は最初から私に好意的だったのだけど、接するに従ってどんどんフランクになっていった。


「美しい娘が出来て嬉しいわ」


 と手ずから私の髪を梳かして下さって、髪を編んで下さる事もあった。職人を呼んでドレスを注文して、届いたドレスを私に試着させて華やいだ笑顔を見せるなんて事もあった。


 私も最初は緊張したんだけど、こんなに愛情を示され、隔意なく実の娘のように扱ってくだされば、それは私だって王妃様に親愛の情が湧く。


 もちろん、お作法や儀式や式典の手順、王国の歴史などを教えて下さって、その時は真面目に私も授業を受けたんだけどね。それ以外の時間は王妃様と仲良くお茶を飲んでお話しして。その時間が私はいつしか楽しみになるまでになった。


 これは随分後で聞いたのだけど、王妃様は既に三人の王子の嫁との付き合いがあったのだが、この三人の嫁は公爵家侯爵家出身のバリバリ気高いお姫様で、王室に対して常に実家の利益を主張するような、非常に扱い辛い方々だったのだそうだ。


 それは王妃様だって公爵家出身のお姫様なので、嫁たちの事情は分かるのだけど、内心ではせっかく嫁に来てくれたのだから娘として接したいという思いがあったらしいのよね。


 そこに平民丸出しでなんの警戒心も気取りもない私が来たものだから、王妃様は喜んで私を可愛がって娘扱いして下さったのだそうだ。私も七歳で実の母と別れているから、王妃様が娘扱いして下さってそれは嬉しかったわよね。


 それと、王妃様は末っ子のアズバーグの事を非常に可愛がっていて、それだけに彼の放蕩を随分と心配していた。それで嫁の私になんとか彼を更生させて欲しいという思いもあったようだ。


「あの子は呑気な所があるから、貴女みたいなしっかりした人がお嫁に来てくれて良かった」


 と言われたんだけど、こんな研究バカの女のどこがしっかりしているのだろうか。絶対誤解されているわよね。それに。


「アズバーグ様は意外としっかりしていると思いますよ」


 思わず私はそう言ってしまった。王妃様は驚いていたけどね。


 だってアズバーグはああ見えて、伯爵領の統治はかなりちゃんとやっているのだ。彼と会うのはほとんど夕食の時間だけなんだけど、その直前まで執務室に篭って書類を決済したり領地からやってきた代官と打ち合わせをしていたりする。


 他にも王子として振られている仕事がいくつかあるようで、昼間はああ見えて結構忙しそうにしているのだ。ただ、夕食を終えたらそのまま馬車に乗って下町に出かけてしまい、朝まで呑み歩いているというのも本当らしけど。


 私の言葉に王妃様は目を潤ませた。


「あの子をちゃんと見てくれる、貴方みたいな娘が来てくれたのは女神様の思し召しね!」


 となんだか随分喜んで下さった。珍しく息子を褒められて嬉しいのだろうね。まぁ、アズバーグをよく言う人は多くはないのだろう。事実あの人は品行方正とは言い難いからね。


 私だって正直、あの男の事は好きにはなれない。軽薄だし大酒飲みだし女好きだし。


 でも真面目なところでは非常に真面目だし、ああ見えて彼は私が嫌がる事は基本的にはしない。抱き寄せたり頬を寄せたり(それだって十分にアウトだけど)がせいぜいで、研究所を守っていた兵士だとか下町の市場にいるごろつきのように、尻だの胸だのに手を伸ばすような真似はしない。


 お屋敷に入った当初は夜這いされないかと警戒していたものの、全然その気配はない。モルメイにそう言ったら「ミルレーム様にその気がなければ大丈夫ですよ」と言われた。どうやらその辺は紳士であるようだ。まぁ、もしかしたら私の身体がお気に召さないだけかもしれないけど。胸ないし。


 そういう意味では私はアズバーグの事は、ある程度認めていた。彼はそれなりに有能で誠実で信用に足る人物であると。


 それと。モルメイやセイルイ。それにお屋敷のみんながアズバーグを強く慕い、忠誠心を示しているというのもある。ただの放蕩者を、あんなに大勢の家臣が慕うというのはあり得ないのではないか。


 私が彼を認めちゃんと褒めると、王妃様は私をますます可愛がって下さるようになった。国王陛下もたまにだけどお茶をご一緒して下さったりしてこちらも実に気さくに接して下さった。


 王子様達は三人とも王城の中に離宮を構えているそうで、王太子殿下であるセリヤーズ王子は国王宮殿に近接したところに離宮を構えていらっしゃる。なので彼だけはたまに目にしたが、他の王子様とはほとんど顔を合わすことはなかったわね。


 貴族の家族関係なんてそんなものなんだろうけど、だからこそ頻繁にやってくる私が可愛がられたという面はあるみたいね。ちなみに、アズバーグも稀にだけど私に付いて来る事があったわね。


「其方が私について有る事無い事母上に吹き込んでいないか心配なのだ」


 なんて言ってたけど、彼も王妃様とお話をする時は表情が随分柔らかかったわよ。


  ◇◇◇


 お作法や歴史の授業自体はそれほど難しくはなかった。私があっという間に覚えてしまって、講師を勤めた王妃様は驚いていらっしゃったわね。まぁ、暗記は錬金術師のお仕事みたいなところあるから。


 でも、一つだけ。ダンスだけはどうにも苦手で困ったわね。私は生来リズム感というものがないようで、歌も下手だ。研究中無意識に歌っている歌も、何の歌かわからないくらい下手らしい。


 ダンスは式典の後の宴の席で必須の技能だそうで、一生懸命練習したのだけどてんで上手くならなかった。お屋敷で、アズバーグにも手解きしてもらって練習したんだけどね。


 アズバーグはあまりに上達しない私に苦笑して言った。


「大丈夫だ。いざとなったら私がフォローするからな」


 遊び人だけにアズバーグは結構なダンスの名手らしい。手本にセイルイと踊ってもらったら、確かに腹が立つほど見事だった。


 ダンス以外は早々に合格点が出て、正直、お作法のために国王宮殿に上がる理由は薄くなっていたんだけど、私は王妃様と過ごすのが楽しくなっていたから、週一度の宮殿通いは続ける事にした。


 そんなある日、国王宮殿に上がると何やら宮殿内が珍しく騒ついていた。なんだろうとは思ったけど、王妃様をお待たせするわけにはいかないから、私は案内の侍従に付いて、いつも王妃様がお待ち下さっているサロンへと向かった。


 ところが珍しく王妃様はいらっしゃらない。すると侍女がお部屋に駆け込んできてこう言ったのだった。


「王妃様が階段で足を滑らせて、お怪我をなさってしまったのです。ですから今日のご面会は中止ということで……」


 私は仰天した。今や母とも慕う王妃様が怪我をしたなんて聞いたら平静ではいられない。


「だ、大丈夫なのですか? お怪我の具合は?」


「お医者の話では捻挫という事でしたので、大事ではありません」


 捻挫も拗らせると歩けなくなることもある。私はいてもたってもいられなくなって叫んだ。


「お見舞いさせて下さい! お願いします!」


 幸い、すぐにお見舞い出来る事になった。私は逸る気を抑えながら廊下を進み、王妃様の寝室に到着した。


 王妃様の寝室は流石の豪華さで、薄緑色で統一された内装に、そこここにアンティークな家具が配置されていた。


 王妃様はソファーに腰掛けて足を侍女に濡手拭いで冷やしてもらっているところだった。私の顔を見て苦笑なさる。


「私も、いつまでも若いつもりではダメね。ちょっとよそ見したらこのザマよ。ごめんなさいねミルレーム。せっかく来てくれたのに」


 私は慌てて王妃様の元に駆け寄ると、侍女に場所を譲ってもらって王妃様の脚に手を伸ばした。


「あら、ミルレーム。お医者の知識もあるの?」


「錬金術では生き物の構造を利用する事がありますから」


 生き物の身体の仕組みは精巧で、理にかなっている。機構を考える時の参考になるのだ。なので私は生き物を解剖した事が何度もある。その副産物で『生き返らせる術』を考えだしたのだ。鳥の骨格や構造を知らなければあの術は出来ない。


 手で触った感触では確かに骨に異常はないようだ。しかし王妃様のたおやかな足首は大きく腫れ上がってしまっている。あまりにも痛々しくておいたわしくて私は涙目になってしまった。


「大袈裟ね。でも、ありがとうミルレーム。貴女は優しい娘ですね」


 王妃様はそう仰って私の頭を撫でて下さった。私は涙を拭って、侍女に命じた。


「包帯と、インクと筆を持ってきて!」


 侍女は私の剣幕に目を丸くしてしまったが、すぐに動いて私が望むものを用意してくれた。


 私はまず包帯を手に取ると、王妃様の足首に巻き始めた。


 ただし単純に巻いたのではない。人間の足首の構造を思い浮かべながら、足首が動かないように、固定されるように巻いて行く。腫れた部分は露出するようにした。


 あんまり分厚くすると目立ってしまうので目立たない程度に巻くと、私は包帯に魔法陣を描いた。すると、包帯がギュッと硬化する。


「あら、少し楽になったみたい」


 王妃様が驚きの声を上げる。捻挫は、誤って患部を動かした時が一番痛い。なのでしっかり固定してあげれば幾分楽になるのだ。


 そして手拭いに魔法陣を描き、インクが乾いたら水で濡らす。それを王妃様の患部に当てる。


「あら、随分冷たいのね。冷却の魔法なの?」


「正確には水分の蒸発を促進させる魔法です」


 水分は蒸発する時に熱を奪う。これを利用して患部を冷却するのだ。捻挫は冷やすと痛みが引くからね。


「冷却の魔術は加減が難しいのです。こちらの魔法陣は調整が効きます。あまりに冷た過ぎてもよくありませんから。お加減はどうですか」


「大丈夫。冷たくてとっても気持ちいいわ。痛みも引いたし」


 私は侍女に、だいたい半日に一回手拭いを濡らすように指示した。侍女は真剣な顔で頷く。


「これで歩けるくらいにはなったと思いますけど、ご無理は禁物です。ご自愛下さいね」


 私がホッとした心地で言うと、王妃様は私の頭を抱えるようにして抱き抱えて下さった。


「ありがとうミルレーム。おかげで助かったわ。それに、貴女がこうして手を尽くして私を助けてくれた事を嬉しく思います」


「王妃様」


 私も思わず王妃様の背中に手を回してしまった。なんというか、すっかり忘れていた本物の母親の温もりを思い出し、私は心から喜びを感じたのだった。


 王妃様のお怪我自体は大したことはなかったのだが、この事件で私と王妃様は更に絆を深めたのだった。


 この事件以降、王妃様は私を「レーム」と呼び、私は王妃様を「お義母さま」と呼ぶようになった。王妃様をお見舞いに来たアズバーグは、親愛の情も露わに抱擁し合う私と王妃様に仰天していたわね。


「な、何があった」


 王妃様は私が適切な治療をしてくれたおかげで、ご典医が驚くくらい捻挫が早く治ったのだと語り、私に大袈裟なほど感謝を表して下さって、更にこう言った。


「ありがとうアズバーグ。貴方がレームと結婚してくれることが一番の親孝行よ!」


 アズバーグの複雑な表情ったらなかったわね。


 ちなみにご典医も驚いた硬化包帯と気化湿布だけど、王妃様の勧めで私の名前で特許を取る事にした。大した技術じゃないし、既存の術の有り合わせなのでどうかと思ったんだけど、ご典医の口から医者の間に広まってこれが結構な評判になったらしい。同時に、準王族の錬金術師である私の名も広まっていったようだ。


 アズバーグは私と王妃様が仲良しになった事にはかなり驚いていたけども、歓迎もしているようだった。なんだかんだ言っても彼は実は結構母親っ子で、自分の放蕩が母親に心配を掛けてる事を気に病んでもいるようだった。


 それで、契約結婚とはいえ、自分の婚約者が母親に絶賛され娘のように仲良くなったことで、少しは母親の心配を軽減できたのではないかとホッとしたらしい。なら、まずは夜遊びを止めればいいのにと思うんだけどね。


 私と王妃様が非常に仲良くなった事は他の王子様にもすぐに知れたようで、マルメート王子などはわざわざ私と王妃様が仲良くくつろいでいるところを見物にいらしては「そういえば母上は娘を欲しがっていましたね。私が姫に生まれた方が良かったですか?」などと言って王妃様を揶揄っていた。


 ただ、私と王妃様が四人の王室の嫁の中でダントツに仲良くなってしまった事は、後にちょっとした火種になる。


 王妃様は可愛い私にと、王妃様の予算から多額の研究費用を下さった。私は既にアズバーグからも予算を貰っていたから、これに元々の予算を含めると、私は一気に錬金術師の中でも潤沢な予算を持つ部類になったのだ。私はホクホクしながら、これまでは予算的に諦めていた実験道具や素材などを買い求めた。


 この先、結婚して正式に王族になれば王族予算を引き出し放題になるから、どんな大貴族をパトロンに持つ錬金術師よりも、私は豊富な予算を誇る錬金術師になるだろう。そうしたら助手や他の錬金術師を雇ってかなり大規模な実験が出来るようになるだろう。夢が広がるわね! うははははは!


「まぁ、結果が出せるなら良いのではないか?」


 アズバーグは領収書の山を呆れた顔で眺めながら言ったものだ。セイルイなんかは領収書見て絶句してたけどね。彼も王族としてかなりの額を動かせる身分の筈なのだが、実際には彼は王族予算には手を付けず、伯爵としての領地からの収入だけでやり繰りしていた。それでもかなり黒字らしいので、彼には領地経営の才能があるのだろう。


 彼は私が錬金術にセイルイが引く程の予算を投入しても基本的には何も言わなかった。ただ、何度か「君が使っているその金は、領民が心血を注いで稼いだ金から徴収した税から出ている事を忘れるな」とは言われたわね。私はそんなこと考えた事もなかったから随分驚いた。


 アズバーグは家臣を、領民を、平民を慈しむタイプの統治者であることがこの頃には私にも分かってきていた。だからこそ全くの平民である私を形式的にでも嫁にする事に抵抗がなかったのだろうし、家臣達からあれほど慕われてもいるのだろう。


 婚約して数ヶ月も経てば私もアズバーグもお互いに慣れ、お屋敷で夕食で同席すれば軽口ぐらいは言える関係になってはいた。


「ふむ、以前と比べて作法はずいぶん上達したのではないか? まぁ、以前がひど過ぎたのだがな」


「それはどうも。私のお作法は王妃様譲りですからね。貴方の方こそちょくちょくお作法が怪しい時があるみたいだけど?」


「なに、私は伯爵だからな。伯爵程度の作法に落とした方が良いのだ」


「なんなら私が教えて差し上げますわよ」


 という感じで色っぽい感じは全然なかったんだけどね。


 そう。確かにこの頃までは私にもアズバーグにも、お互いに気安い関係ではあったけども、男女間の感情は何もなかった。私は無論、アズバーグだって私には特に思うところはなかった筈なのだ。


 私は王族予算と身の安全のため。アズバーグは結婚して王妃様を安心させるため。お互いに自分の利益を守るための契約結婚の相手でしかなかったのである。


 その二人の関係が妙な方向に捩れてしまう事になる、その原因の事件が起きたのは、秋のある日の事だった。


 

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