七話 王子の婚約者
冗談でも何でもなく、私はアズバーグと婚約してしまった。
国王ご一家に紹介された半月後には婚約式が行われたのだ。王城の中にある礼拝堂にて、国王ご一家と王国の傍系王族である三公爵家の皆様をお招きして。
婚約式なので近い親族だけを招いたという事だったけど、そのメンバーが王国でも上から数えての三十人だもの。とんでもないわよね。全員が王族。その中でダントツで身分が低い錬金術師の私。どういうことなの。
でも、王族の皆様は別に私を蔑むような事はなさらなかったわね。非常にフレンドリーに接して下さった。国王陛下と王妃様や王子様方からこの婚約の重要性と必要性について根回しがされていたからで、私の発明で王族の権力が強化されるなら傍系王族の皆様としても文句はないという事なのだろう。
王国では王族とは国王陛下のご家族と、それと公爵家の皆様の事をいう。公爵家は王族の皆様と非常に血縁関係が濃いお家で、歴代の王妃様はほとんどが公爵家の出だ。元は王子が王家から独立した時に出来たお家で、その意味でいうとアズバーグもこの先、公爵家を興す可能性は十分にある。
ただ、流石に何の実績もない王子では公爵家は起こせないのが普通で、大抵は侯爵家を興すものなんだとか。ということはアズバーグは将来侯爵になるという事で、私は侯爵夫人になるってことじゃない? マジか。
そもそも今の国王陛下、次代の国王陛下(アズバーグのご兄弟が国王になるのは間違い無いので)のご治世の間はアズバーグは王族として扱われるので、私は侯爵夫人どころかお妃様として扱われる事になるらしいんだけどね。はははは。マジか。
というわけで、私は薄緑色のドレスを身に纏い、濃紺のスーツを着たアズバーグと並んで王族の皆様に囲まれる事になったのだ。
婚約の儀式自体は礼拝堂で女神様像の足下にアズバーグと並んで跪き、誓いの言葉を述べるだけで終わった。平民ならやらないことも多い婚約式だもの。それほど難しい事はない。だけど、婚約というのは一族に結婚の事を周知して、今後行われる結婚式やその後の生活について支援してもらうとために行われる。その辺りは平民も一緒よね。
私たちの場合は他の貴族への根回しを王族の皆様にも頼む事になるから、婚約の重要性は平民のそれとは比較にならないほど高くなる。特に私は危険な錬金術師として命を狙われてもいるので「アズバーグ王子と婚約したのでもう手を出さない方が身のためですぞ」と王族の皆様から貴族たちに釘を刺してもらわないといけない。
なので私はこれから王族の皆様に気に入って頂かなければならないという重大なミッションを抱えていた。これに失敗した場合は、私は王族の一員にはなれず今後も貴族達から命を狙われる事になるだろうし、更に言えば私の研究のために王族予算を使い放題という話も怪しくなるに違いない。
もっとも、婚約式時点で王族の皆様は十分に私に対して好意的だったので、私はちょっと拍子抜けになったほどだった。それだけ私の発明は王族の権力の強化に役立つと期待されているという事なのだろうね。それに加え皆様が仰ったのは「アズバーグが結婚する気になったのはめでたいことだ」という事だったわね。これまで彼はありとあらゆる縁談を断わってきて、王族の皆様を不安がらせていたのだそうだ。
貴族男性は大体が十八歳から二十歳くらいまでの間に結婚するものだ。アズバーグは十九歳でそこまで結婚が遅れたという事はないと思うけど、とにかく放蕩者で通っているアズバーグは将来を不安視されていて、早く結婚して落ち着かせるべきだというのは王族の皆様の一致した見解だったらしい。
とにかく国王陛下も王妃様も「こんなに美しくて魔力も多い女性なら文句はあるまい」と私を強く推して下さっていたので、王族の皆様もそれは文句を言いかねたという事情もあるだろうね。
それと、アズバーグは所詮は王位継承には何の関わりもない第四王子である。それほど王族の中では重要度は高くない。王族の皆様としては王族全体の利益になるのなら、彼の結婚相手個人の事情にさほど興味はないというのも本音だっただろう。
ということで、私とアズバーグは恙なく婚約式を終え、王族の皆様に祝福されだ。私は「王子の婚約者」の称号を得て準王族になってしまったのである。
◇◇◇
準王族になった私は久しぶりに研究所の私の研究室に向かった。アズバーグのお屋敷から馬車に乗り、それほど遠くもない王城の東の外れの、森の中にあるのが錬金術師の研究所だ。
研究棟は石造りの無骨な三階建ての大きな建物だ。ここに大体二十人ほどの正錬金術師と三十人ほどの見習いが入っている。私の研究室は二階にあった。ちなみに、例の根本物質実験で融解させた実験室は研究棟から少し離れた所にあったのだけど、今は魔術ですっかり建て直されている。
「随分狭くて汚いな」
アズバーグは言った。彼は私の研究室が見てみたいと言って付いてきていたのだ。周囲に、私が間違い無く準王族になったと他の錬金術師に見せ付けるためにも都合が良いので私は許可をした。
確かに研究棟は穴蔵のような作りで、石がむき出しの廊下には窓がなく、すれ違うのが難しいくらい狭い。私は木で作られたドアに鍵を差し込み、更に私の手の平をドアに描かれている魔法陣に当てた。するとドア全体が一瞬輝いて解錠される。
研究室の中はそれなりに広い。全部荷物を出せばお屋敷の私の部屋よりも少し広いんじゃないかしらね。
でも、その八割ほどは書物や実験道具で埋め尽くされている。私のデスクの上にもうずたかく書類が積み上げられており、実験用のテーブルには薬品が入ったビーカーなんかが三段重ねくらいになっている。ホコリだらけゴミなんだか良く分からない物だらけの酷い惨状に、アズバーグは絶句して一緒に来ているモルメイとセイルイは呆れた顔をしていた。この侍女二人は私の寮の私室の惨状を見ているからね。驚きはなかったのだろう。
研究室というのはこういうものだと思っている私はなんとも思わない。椅子は私の物と辛うじてもう一つしかないから、アズバーグ以外の同行者は立っているしかない。というか、モルメイとセイルイ以外の者、護衛の兵士なんかは入りきらないので廊下で待ってもらうしかなかった。
この研究室は師匠から受け継いだもので、書物もほとんどは師匠の遺品だ。こういう書物は貴重なので、大体が弟子が代々受け継いで行くものである。師匠の蔵書もかなりのものが、師匠の師匠から受け継いだものなのだろう。
研究室の中の状態は刺客に襲われて逃げ出した時と変わりはなく、私はほっと一安心だ。
「なんとも凄まじいな。こんなところで実験など出来るのか?」
「ここでは小規模な実験しかしません。大規模な実験には実験室を借ります」
借りていた実験室を溶解させてしまったせいで怒られて、ここ数ヶ月は私は実験室を借りられていないんだけどね。まぁ、さっき私とアズバーグが研究棟に入る時に挨拶に出てきた錬金術師協会のお偉いさんは目を丸くして恐縮していたので、準王族の地位を盾にすればきっと新しい実験室を貸してくれるでしょう。
「小規模な実験というのは、危うく屋敷を燃やしそうになったあのレベルを言うのか?」
「あれよりもう少し規模の大きな実験もしますよ」
「……よくこの部屋が燃えてしまわないものだ」
アズバーグは余程私が火事を出しそうになった事に驚き、根に持っているらしい。確かにあれは失敗だったけど、ちゃんと防御結界を組んでから実験しているんだから、お部屋全体が燃えることは絶対になかったのだ。うっかりして不燃の術を掛けていなかったから机は燃えてしまったけども。
「研究棟全体にもこのお部屋にも不燃術が施してありますし、このテーブルなんかは強力な防御結界を組み込んでありますから、たとえテーブルの上で爆発が起こっても周囲には影響しません」
書物の一つ一つにも不燃の術が掛っているから、火の中にくべても燃えはしないしね。
「それでも、実験室を溶かしてしまったのだろう? 全く信用出来んな」
あんな規模の実験はそうは出来ないし、そもそも実験棟はそういう不測の事態に備えるために研究棟から離れた所に建っているのだ。私も馬鹿ではないからあんな危ない実験はこの部屋やお屋敷ではしませんよ。
私は研究室の様子を一通り確認すると、婚約者様に向けて言った。
「さ、研究室の様子はよく分かったでしょう? 私は研究を始めますからお帰り下さい」
アズバーグは不満そうな顔をしたけど、これ以上彼がいたって役には立たないし面白い事もないと思うのよね。
「まぁ、其方の邪魔をするのもなんだから帰るのは良いとして、其方も毎日ちゃんと屋敷に帰ってくるのだぞ? ここに寝泊まりするような事は許さぬからな」
……もう何度もこれは釘を刺された事だった。
というのは、私は研究に没頭すると時間の感覚がなくなってしまう。書物を読み込んだり魔法陣の構成を考えたり、薬品の調合などをしていると周囲の音すら聞こえなくなるのだった。
そのため、お屋敷にいてさえモルメイが無理矢理引っ張り出さないと私は実験から離れないのだ。お風呂にも入りたがらず着替えも面倒がる私にモルメイはもの凄く手を焼き、アズバーグに訴え、私は何度かアズバーグに叱られた。放蕩息子のアズバーグに叱られるんだから私も大概よね。この事を王妃様が知っていたら私たちの結婚に許可を下さらなかったんじゃないかしら。
そんな私が研究室に入れば、それは簡単に出てこなくなるだろうとは簡単に予測できるわよね。アズバーグはここに来る前に私に「研究に打ち込み過ぎて泊まり込むような真似をするなら研究所には行かせない」と厳重に申し渡していたのだった。
私は諦めて頷いた。
「分かっているわよ。大丈夫だから、じゃ、そういう事で……」
と、私は我慢できずにアズバーグに背を向けて、研究モードに入った。ここで最後にやっていた実験とお屋敷でやった実験結果、それと書物にある法則を比べて齟齬がないかを確認してゆく。
最近やっている研究はある地方に算出する岩石に含まれる物質の分析で、この岩石の中に未知の物質が含まれていないかを調べているのだ。
砕いてさまざまな薬品で溶かして、加熱して冷却して魔力を通してと、ありとあらゆる方法で岩石を分析するのである。
この研究は錬金術師協会から回って来たもので、多分どこかの貴族からの依頼だろう。鉱山の石を分析して何か有用な物質が含まれていないかを調べさせているのだ。
私の師匠はこういう岩石や鉱物の分析の専門家で、その研究を受け継いだ私もこの手の研究が本職である。根源物質の研究はその延長線上にあると言ってもいい、
もっとも、研究している途中で違うモノに興味が湧いてしまえば、脱線してドンドン違うことに取り組み始めるのが錬金術師の困ったところで、私も今のこの研究以外に三つも四つも並行して進めている研究がある。時間と費用がいくらあっても足りゃしない。
……私は研究を始めると周りが見えなくなってしまうので、肩を揺さぶられてもしばらくは何が起こっているか分からなかったわね。
「……ミルレーム様! ミルレーム様!」
ようやく声が届いて私はハッと我に返る。私の顔の間近にモルメイの顔があった。そして私の肩を揺すっている。
「……何? モルメイ?」
「何ではありませんよ。もうお時間です。帰りますよ!」
もう帰宅時間らしい。うーむ、やっと調子が出てきたところだったのに。
「もう少しなんとかならない? 今良い所なのよ」
「もう無理です。お外は真っ暗ですよ?」
あら? 言われてみれば窓の外はもう暗く、室内の魔力灯が灯されている。本当は陽のある内に帰宅の予定だったので、モルメイは随分待ってくれたのだということになる。
仕方が無い。アズバーグとのお約束。婚約者としての最低限の勤めとして、彼とのお食事のために帰りましょうかね。
私は立ち上がって大きく伸びをして、身体中からバキボキと音を立てると、腰を捻った。
すると後を向いたそこに、椅子の背もたれを前にして。そこに寄りかかるようにして私を見上げているアズバーグの姿があった。興味深そうな表情で、凛々しい青い目で私の事を見詰めている。
まさか彼がいるとは思っていなかった私は驚いた。
「うわっ! な、なんでいるの!」
とっくに帰ったと思ったのに。驚愕した私の表情がよほど面白かったのか、アズバーグはクククっと笑った
「ふむ、研究に没頭している其方を見ていたら、面白くてつい帰りそびれた」
……面白いって。私はただ書物を読んだり薬品を調合したり加熱したりしていただけだと思うけど。
「何やら怪しげな言葉でブツブツ呟いたり、うにゅむにゅと奇声を上げたり、突然頭をグルグル回したり、見ていて飽きなかったぞ。あの不思議な歌はどこのなんという歌なのだ?」
……ぎゃー!
確かに、師匠には研究に没頭すると奇行に走るとは言われていたけど、師匠が死んで以来、人に見られながら研究に没頭した事など無かったので忘れていたのだ。
そんな奇行を他人に、まして男性に、形だけとはいえ婚約者にじっくり見られるなんて! どんな羞恥プレイなのか!
私は頭を抱えて悶えてしまったのだけど、アズバーグはなんだか暖かい表情で微笑んで、立ち上がると私の頭を優しく撫でた。
「気にするな。モルメイから既に奇行については報告を受けていたからな。知っていた。もっと酷いかと思ったが、なかなか可愛らしい仕草だったぞ」
そりゃ、お屋敷でも散々研究に没頭していたのだから、モルメイや侍女達は私の奇行を既に目にしていただろうし、アズバーグが報告を受けていてもおかしい話ではないわよね。可愛いと言われても気休めにはならない。私は顔が真っ赤になってしまう。
「それほど没頭出来るものを持っているというのは羨ましい話だと思うぞ」
アズバーグは少し暗い顔でポツリと言った。この男にしてはちょっと深刻な響きがある言葉だったわよね。私は思わず彼の端正な横顔をジッと見つめてしまった。
それに気が付いたのか、アズバーグはおどけた表情を作り、いきなり私を抱き寄せた。
「しかし、昼食もお茶も摂らずにこんな時間まで没頭するのは良くないな。そんなだからこんなに痩せているのであろう。もう少し肉を付けてくれた方が私好みなのだがな。特に胸に」
くっ……。私は寄ってくる彼の顔を両手で思い切り押し除けた。
「貴方なんかに好かれたくないからどうでも良いです! 胸なんてあんなの飾りです!」
「まぁ、スレンダーな身体にもそれはそれで美はあるものだからな。どれ、其方の良さを一度ジックリ見せてもらおうか」
「断固としてお断りいたします!」
私とアズバーグが揉み合っていると「ゴホン!」という咳払いが聞こえた。見ると、モルメイがちょっと怖い笑顔を浮かべていた。
「はい。お二人とも。戯れ合うのはそれ位にして帰りましょう。これ以上遅くなるとセイルイに怒られますよ」
確かに、夕方に帰る予定だったのにもうすっかり夜である。アズバーグの護衛兼侍女であるセイルイは怒らせると結構怖い。夕食の用意を無駄にさせたら怒らせる可能性がある。
「では仕方ない、帰るか、我が家へ。婚約者殿」
アズバーグが芝居掛かった仕草で私に手を伸ばす。私もため息を吐きつつ、彼に自分の手を預ける。
「仕方ないですね」
そうして私は錬金術師から準王族に戻って、婚約者と共に馬車へと向かったのだった。
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