六話 アズバーグの名案
それからは国王陛下も王妃様も、三人の王子様も、私とアズバーグが結婚する前提で話を始めてしまった。解せぬ。色黒王子が楽しげに言った。
「そうだな。王子の妃にするのだからただの錬金術師では不味くないか?」
「いや、かつて大魔法使いの女性が平民身分で王子に嫁いだ事がある。それが慣例になるから問題はなかろう」
アズバーグがうんざりしたような顔で言った。
「セリヤーズ兄。私はもう王子ではなくアイヒルーク伯爵ですよ」
しかしアズバーグの主張は王族達に鼻で笑われてしまった。ちなみに、アズバーグよりもがっちりした体型の長兄がセリヤーズ王太子、髪を肩くらいまで伸ばしているのが次兄のフレイトン王子、色黒で少し痩せているのがマルメート王子だ。王妃様はイレイヤ様という。
後で知ったけど、王子には生まれた時に伯爵領が授けられるのだそうで、アズバーグに授けられたのがアイヒルーク伯爵家である。ただ、アズバーグは四男だから国王にはなれないにしても。将来的には王族として国王を支えることが期待されている。何か実績を残せば公爵か侯爵に叙せられて傍系王族として新たに家を興すことになるだろうと言う。
しかしアズバーグは王族にはなりたくないと思っていて、事ある毎に「自分はただの伯爵だ」と主張しているのだそうだ。まぁ、王子なんだからそんな我が儘は通らないわよね。
「しかしミルレームは平民出という割には魔力が随分多いのではないか?」
フレイトン王子がなんだか表情を輝かせて言った。この方はどうも好奇心旺盛な方のようだ。私が行った鷹の剥製を飛ばした術に興奮して、何をしたか詳細に知りたがっていた。錬金術の知識がないからほとんど理解出来ていないようだったけど。
「そうですね。かなり多いと思います」
「ならば魔術師になるべきだったのではないか? その方が名声を残せただろう」
魔術師は魔術で現実を改変する者だ。伝説に残る大魔術師は一撃で山を吹っ飛ばし、大河の流れを変え、冬を春にしてしまったという。そんなトンデモ魔術師に現代の魔術師はとても及ばないが(全体として魔力が減ってしまっているというのが理由としては大きいらしい)、それでも人が何百人も何ヶ月も掛ってやる土木工事を一瞬で終わらせるような術は使えるし、それこそ戦争では千人の兵士よりも重視される戦力になるのだという。
それに対して錬金術師は地味だ。もちろん、土木工事を楽にするための魔術道具を設計作成するのは錬金術師で、それがなければ工事の期間と員数は倍にも十倍にもなるだろうし、不可能な工事だって出てしまうだろう。兵士を強力に護る防御術式を使用した強固な鎧なんかがなければ多くの兵士が命を落とすことになる。しかし、魔術師の派手な手柄に比べれば、錬金術師のそれは如何にも地味で評価されにくい。
なので私くらいの大魔力持ちは魔術師になるのが普通である。錬金術師になるのは魔力が魔術師になれるほど多くなかった者が多いのだ。勿論、科学理論が好きな変わり者の大魔力持ちが錬金術師を目指す例がないわけではないけどね。
「私は錬金術師の師匠に買われてしまいましたし、錬金術も好きですから」
七歳の時に師匠に買われて錬金術を仕込まれたのだから、選択の余地がなかった事は事実だが、今の私は錬金術が好きだ。科学理論と魔力の組み合わせには無限の可能性があると思う。まして最近、科学の発達は著しい。これに上手く魔法理論を組み合わせる事が出来れば、文明は飛躍的に発展するだろう。
「ふむ。確かにな。隣国では蒸気の力で大きな機械を動かすという話があるようだしな」
「そうです。その蒸気機関に魔力を加えて新しい魔術道具が生み出せれば、歴史が変わります」
国王陛下のお言葉に私は全力で食いついた。是非やってみたい研究だった。他にも新たな薬品や金属や機構が近年色々発見されつつあるのだ。
これに錬金術を組み合わせれば、きっと凄いものが出来るに違いない。魔力だけで出来る事にも、科学だけで出来る事にも限界がある。しかし、科学と魔力を融合させる錬金術ならその限界を突破出来る。そうすれば人間の生活は楽になり、豊かになり、平和になるに違いない。
そう! これからは錬金術の時代なのよ!
と私はいつの間にか熱弁を振るっていた。王族の皆様は真剣なお顔で聞いていたわね。我に返った私は慌てて一礼したんだけど、セリヤーズ王太子殿下は感心したように頷いていたわね。
「ふむ。きちんとした考えをお持ちのお嬢さんだ。それに国の将来の事を展望出来るというのは王子の妃として相応しいと思うな」
「そうだな。確かに今のミルレームの話を聞いて錬金術には大きな可能性があると感じた。我が王国は錬金術に関しては他の国よりも優れているのだから、それを伸ばして行かぬ手はない」
フレイトン王子も頷く。王妃様もニッコリと笑って仰った。
「大きな魔力、錬金術についての深い洞察と知識。それに王子の妃という地位が加われば、将来的には貴女を錬金術師の長にして錬金術師協会を管理させるのが良いでしょうね」
一気に話が大きくなってきた。私は慌てる。
「い、いえ、そんなの私には無理ですよ! そもそも王子の妃なんて柄ではありません! 私がしたいのは研究と実験ですし! ただの錬金術師なんですから!」
慌てる私をアズバーグが呆れた様に見ていた。余計な事を言うからだと言わんばかりだ。
色黒のマルメート王子が慌てる私を見て笑って言った。
「その事だがなミルレーム。アズバーグの妃になる事は、錬金術師としての其方にとっても大きな利益になる事なのだぞ?」
へ? 私は戸惑う。王子の妃になんてなったら面倒なだけで、研究や実験に使える時間が減る未来しか見えない。実際に王子の妃がどんな仕事をしているかなんて知らないけど。
「王子の妃になれば王族だ。ということは、予算は王族予算に直結となる。其方の研究に王族予算を投入する事が可能になるのだ」
……え?
「これまでの予算とは比べものにならないくらいの予算が使えるようになると思うぞ」
そ、そ、そ……。
それは凄い!
私は一気に興奮度が振り切れてしまった。王族予算が使い放題! それは凄い! 素晴らしい!
錬金術の実験や研究に必要なのは知識と時間と、何よりお金だ。予算だ。実験器具や素材の購入、そして考案した道具を職人に作らせるために支払うお金なのだ。
これまでパトロンがいなかった私は、振り分けられた予算だけで何とかやりくりしていた。そのせいで例の根本物質変成実験に全ての予算を投入していたせいで他にやりたい実験があっても出来なかったのだ。
それがアズバーグの妃になれば無制限にお金が使えるようになるらしい。そうすれば今まで諦めていたあの実験もこの研究も出来るようになるに違いない。
目をギラギラと輝かせ始めた私を見て、まずいと思ったアズバーグが口を挟んだ。
「マルメート兄、それは……!」
「更に!」
マルメート王子はサラッとアズバーグをスルーしてニヤニヤしながら私に言った。
「王族なのだから王立図書館の禁書庫にも入ることが出来る。歴代の大魔術師や大錬金術師の残した研究所も読み放題だ」
「な、なんですってー!」
私は思わず叫んで立ち上がってしまった。
だって、禁書庫だよ! 王国で研究された魔法や錬金術の全てが詰まっていると言っても過言では無い禁書庫。
当たり前だけどこれまで駆け出しの錬金術師である私には入る事が許されていなかった。錬金術師協会のお偉いさんにでもならないと入れないという話で、中には封印された危険で貴重な研究が山ほど詰まっているという。
その禁書庫に大手を振って入れるようになるというのだ。アズバーグの妃になって王族になれば。そ、それは凄い!
魔術は古代の方が理論体系も優れていたとされ、それを利用した錬金術も現代の物よりも優れていた部分があったようだ。あまりに強力過ぎて封印された術も多くあり、それはすべて書物として禁書庫に保管されていると言われている。
それを読む事が出来れば、現代の技術では行き詰まっている研究の打開策も見つかるかもしれない。是非、是非入りたい! 書物が読みたい!
王族予算、禁書庫、その巨大な誘惑は思わず私にこう叫ばせたのだった。
「なります! 私! アズバーグ様の妃になります!」
◇◇◇
「馬鹿なのか」
冷たいアズバーグの言葉に私は頭を抱えたまま顔も上げられなかったわよ。どうしてこうなった。
お屋敷に帰る馬車の中である。正面に座るアズバーグに、私は叱られている最中だった。
「まんまとマルメート兄に乗せられおって、これでどうにも逃げようがなくなったではないか」
確かにもう逃げ場はなくなってしまった。
なにしろ私は「妃になる!」と宣言してしまったのだ。すると王族の皆様はすっかり安心して、婚約式はいつが良いか、発表は秋の祭りのタイミングで、結婚式は一年後だな、なんて具体的な話に入ってしまったのである。
王妃様から王族として知っておいて欲しいことや、やはりお作法の教育もあるから、結婚まで週に二回くらいはこの宮殿に上がるように、って言われた時には卒倒しそうになったわよ。もちろん、研究の邪魔にならないよう、日程には配慮するからと言われたけど。
貴族から私を守るために婚約式はすぐにでも行い、そうすれば私は準王族になるのでそう簡単には危害を加えられない身分になる。王国軍の兵士から護衛も付けられるから今は封印してある研究室にも戻れると言われたのは嬉しかったけど、それはつまり「準王族の錬金術師」として研究所に通うという事だ。護衛付きで。周囲の同僚の視線がいたたまれない事になるだろうね。
それにしても王族の皆様は平民出の単なる錬金術師である私が王子の妃になる事について何にも抵抗がなさそうだったのよね。なんでなんだろう。王妃様なんて息子の嫁の話なんだから、家柄とか品格とか気にするべきだと思うのよ。でも、なんだか王妃様が一番私がアズバーグと結婚することを歓迎しているみたいだった。
「母は私を早く結婚させたがっていたからな」
アズバーグの夜遊びや女遊びをなんとかしたいので、何でも良いからアズバーグを結婚させてしまいたかったという事情があるらしい。これまでも色々縁談が持ち掛けられていたのだが、アズバーグが全て断わっていたのだそうだ。
それが今回は重要な錬金術師である私を保護するという大義名分がある。王妃様としてはチャンスだと思えたのだろう。しかしそれにしても身分差の問題は良いのかしら?
「大魔力持ちを血筋に取り込むために、魔術師を王族の妃にすることはこれまでもあったことだからな。それと、所詮私は第四王子だ。それほど王族の中では重要性が高くない」
なのでアズバーグを結婚させられるなら身分差には目を瞑ることにしたのだろうとの事だった。裏を返せばアズバーグの夜遊びを王妃様がそれほど懸念していたのだという事になる。
実際、この男は私と夕食を共にした後は出掛けていって、下町で呑んでは朝帰りしているようだったからね。ただ、モルメイ曰くそれでも私と夕食を食べる必要があるからと毎日お屋敷に帰ってくるだけでもマシな方なのだという。以前は例の下町のねぐらに泊まって屋敷に帰らない事もしばしばだったそうだから。
これは後で聞いたんだけど、王妃様はアズバーグが私と夕食を食べるために夜遊びを少し控えるようになった事を報告で聞いて喜んだらしい。どうもその時点でアズバーグが私を気に入っているのではないかと考えたようなのね。それで結婚させれば夜遊びが収まるのではないかと期待したのが、あれほど私との結婚を推した理由だったようだ。
実際にはそんな色っぽい話ではなくて、私がお屋敷で怪しげな実験をしていないかどうか毎晩報告させていただけなんだけどね。私はもらったお部屋で好き勝手に研究して、時に爆発事故を起こしたりしていたから。それでアズバーグは私を放置出来ないと考えて、毎晩の報告を義務付けたのだ。
「其方は私と結婚したいのか?」
「そんな筈ないじゃないですか! 嫌ですよ!」
「ならなぜあんな事を言ったのだ!」
「それは、その、お金、欲しかったし……」
「この俗物錬金術師が!」
「お金がないと研究が続かないのよ! 何をするにもお金が必要なの! 錬金術師ほど切実に予算を必要としている者はいないと言って良いわ! 科学の進歩には研究と実験と、それと失敗が必要なのよ! 失敗するにはお金が要るんだからね!」
実験の失敗で、途方も無い費用を費やして作った実験用具や設備がおじゃんになるなんて日常茶飯事なのが研究というものだ。多額の費用を費やして長い期間続けた実験の果て「出来ないという事が分かった」というような事は良くあること。それだって重要な成果なのだ。
なので錬金術師の研究は湯水のようにお金を使う。それは「錬金術師はお金ばかり使って成果を出さない」「王国予算を食い潰す穀潰し」と言われてしまうのも無理からぬ話なのである。それでも現在の国王陛下は錬金術に理解がある(なにしろ息子の嫁にしようというのだから)から多くの予算を錬金術師協会に下さっているけど、何代か前の国王陛下は「錬金術など無駄だ!」と叫んで大幅に予算を削減してしまったのだという。
私の血の出るような叫びにアズバーグは流石に沈黙する。彼だって私を即座に保護すると決めただけあって、錬金術の重要性には理解があるのだ。私が切実に予算を欲する事情も理解出来るのに違いない。
それと自分の結婚話は別なのだろう。なにしろ彼は夜遊び好きで、女好きだ。一人の女に縛られる生活などゴメンだと思っているに違いない。特に私は研究の事になると後先を考えない。お屋敷を燃やしかけた時には流石にこの寛容な男が激怒したのよね。こんな危険な女は放置出来ないと、毎晩の報告を義務付け自分で聞かなければならなくなったくらいなのだ。結婚などしたらどんな暴走をするか恐ろしくて、夜遊びをしている場合ではなくなってしまうかもしれない。
しかし、話は王族の皆様の同意を得てしまった。もうちょっと今更「やっぱりなし」とは言い難いところにまで来てしまったのよね。それに私もこの男の嫁になるのは嫌だけど、予算と禁書庫は是非とも欲しい。そのためなら嫌だけど、彼との結婚も辞さないくらいに。嫌だけど。
私とアズバーグは同じ姿勢で頭を抱えてしまったんだけど、やがてアズバーグは唸るように言った。
「こうなっては仕方がない。結婚は、するとしよう」
アズバーグは顔を上げて、非常に嫌そうな顔で妙な事を言った。
「だが、私と其方は愛し合うことは出来ない。そうだな?」
何を今更。もちろんでしょう。私は貴方みたいな遊び好き女好きで不誠実な男は好きになれません。本当は手も触れて欲しくない。でも、研究のためなら魂だって売るのが錬金術師というもの。王族予算と禁書庫という私の研究のために是が非でも欲しい巨大な利益のためなら、私だって錬金術師の端くれ。て、貞操くらいは捨ててみせるわよ。ええ。
「そこでだ。私は其方に『契約結婚』を提案する」
……はい? 契約結婚? なんですかそれは。
「結婚はする。しかし、お互いに干渉しない。そういう契約をするのだ」
アズバーグ曰く、彼が結婚に対して一番恐れているのは、自由を失うことだという。彼は自由を愛しており、そのために王族の地位を離れて一介の伯爵になりたがっているのだ。それくらい自由を愛している彼にとって、結婚して夫としての誠実さを求められ、夜遊び女遊びを制限されてはたまらないという事なのだろう。
「だから『結婚してもお互いに干渉しない』という契約を結ぶのだ」
つまり、妻である私は夫であるアズバーグの夜遊びに干渉しない。夫であるアズバーグは妻である私の研究に干渉しない、という契約だ。
「私は其方に妻としての役目は何も求めぬ。だから其方も私に夫としての役目を求めるな。そういう契約を結ぼうではないか」
随分と突飛な話に私はさすがに驚いたんだけど、よく考えればこれは悪い話でもない。
私がアズバーグと結婚したいのは王族予算と禁書庫のためだけだ。彼自身はまったく全然一切ありとあらゆる意味で必要ないのだ。一方、アズバーグの方も私を錬金術師として保護したいだけ。そのためにどうしても結婚という方法を取らざるを得ないというだけなのである。
二人の目的を効率良く果たすには、そういう「契約」をして形だけの結婚をするのが一番理にかなっている。なるほど! 私は全力で同意した。
「それは素晴らしいわ! 是非そうしましょう! そう私と貴方は契約して形だけの仮面夫婦になるのよ!」
「ああ、そうだ。それが一番だな!」
私が叫びアズバーグが全力で同意し、私達が手を取り合って名案の誕生を喜び合っている様をセイルイとモルメイが呆れ顔で見詰めていたわね。でも、本当に名案だと思ったのだ。これなら私は必要無いアズバーグは排除して、欲しい予算と禁書庫だけを手に入れる事が出来る。
「アズバーグ様! ありがとう! よく考えてくれたわ! 見直した!」
私が彼の手を握りながら目を輝かせると、アズバーグは嬉しそうに頷いた。
のだが、そこで彼はニヤッと笑って、私の手を自分の手でスリスリと撫でた。
「うむ、まぁ、夫婦なのだから、ベッドを共にするくらいはしてやっても良いがな。なにせ形だけでも夫婦になるのだから」
ひー! 私は全身に鳥肌を立てながら悲鳴を上げてしまった。私は彼から自分の手を奪うと、近寄せてきた彼の顔を全力で押しのけた。
「それもなし! 夫婦生活も絶対になし! この結婚は契約結婚で『白い結婚』です!」
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