三話 突然のプロポーズ?

 バーグは、アズバーグ・アイヒルーク伯爵。だと名乗った。当主なのだという。


 ?? 道楽息子と呼ばれていたのに当主なの? 私は戸惑ったのだけど、アズバーグもセイルイもその辺は説明をしてくれなかった。


 でも、伯爵家当主が保護者になってくれるなら願ったり叶ったりだ。……相手がこの胡散臭くて酔っ払いでどうやら女好きのこの男でなければ。


 本邸に移動するということで、私は一度寝ていた部屋に戻された。セイルイが付いてきてくれて私に言う。


「バーグ様が保護して下さってようございましたね」


 随分とホッとしたような表情だ。私は首を傾げる。


「これから私もアズバーグ様の家臣になるわけだし、丁寧な言葉遣いでなくて良いわよ」


「錬金術師は貴族相当のご身分だと聞いていますよ。お気になさらずに」


 一応はそういう事になっている筈だけど、そんな丁寧な扱いを受けたことはないけどね。


「アズバーグ様は随分お若いのに貴族の当主なのね? 私はてっきり高位貴族の三男くらいかと思っていたわ」


 セイルイが驚いた様に目を見開いた。


「鋭いですね。流石は錬金術師。その通りですわ」


 セイルイ曰く、家名はちょっと言えないけど、高位貴族の四男なのだという。四男なのに伯爵家として分家を許されているのだとしたら、本家はもの凄い高位の家柄に違いない。侯爵か公爵といった雲の上のお家だろう。私は貴族社会に詳しくないから、家名を聞いても分からないと思うけど。


 私は大して持ってもいない荷物を持って階下に降りた。アズバーグはマントと帽子を被って待っていた。ドアを開けると目の前に黒塗りの大きな馬車が停まっていた。セイルイが馬車のドアを開けるとアズバーグが手を差し出した。なにこれ?


「エスコートを知らんのか。さぁ、手を出せ」


 促されて私は右手を伸ばす。アズバーグは私の手を取ると、ニヤッと笑ってその甲にキスを落とした。ひー!


「バーグ様?」


 途端にセイルイの冷たい声が飛ぶ。アズバーグは首をすくめて私の手を引くと、私を馬車の中に丁重に導いた。


 内貼りもしっかり張ってあるなかなか高級な馬車だった。普通の馬車で、魔術道具の馬無し馬車ではない。あれは大きな魔力が必要なので、余程の高位貴族でなければ使用していないのだ。製作も大変だからもの凄く高価だしね。


 私はアズバーグの向かいに座り、私の隣にセイルイが座る。


「一応は警戒させてはいるが、まぁ、何も起こるまい」


 というアズバーグの言葉通り、特に何も起こることなく、馬車は帝都の路地をゆっくりと走り抜け、帝都の東に広がる貴族の邸宅街に入っていった。


 鉄柵で護られた貴族の邸宅が続く通りを馬車は進み、比較的すぐに門を潜った。帝都の配置は北に王城があり、一番西が下町。そこから東に行けば行くほど身分が高い者が住むようになる。それほど貴族街に入ってから東に進まなかった所を見ると、アズバーグの貴族としての身分はそれほど高くはなさそうだ。


 まぁ、伯爵といえば公爵、侯爵の下で三番目だ。低いわけではないけども、伯爵にも色々あるとは聞いている。特にお偉い家の分家だというアイヒルーク伯爵家はそれほど家格の高くない伯爵家なのかもしれない。


 お屋敷は、私の目から見ると広くて大きくて立派だったけど、私は貴族の事を全然知らないからね。貴族的にはどうなのかは分からない。青い屋根で壁は乳白色。庭園には木々が多い茂り、噴水などもある。良いところだと思ったわよね。


 車寄せで馬車を降りる。当然のようにアズバーグがエスコートしてくれるけど、慣れない。


「とりあえず客間に入るが良い。数日そこで過ごせ。その間に私が錬金術師協会や王城の連中と話を付けてくる」


 アズバーグは言い残し、セイルイを連れて去って行ってしまった。後に残された私は背の高い、いわゆる侍女服を着た女性に頭を下げられた。


「お世話を言いつかりましたモルメイと申します。ご案内させて頂きますね」


 モルメイもセイルイと同じ黒髪黒目だ。名前の響きといい、もしかしたら二人とも異国人かも知れないわね。王国では異国人は結構迫害されているのに、使用人に何人も雇っているというのは珍しいかも知れない。


 案内された客間は私の寮の部屋の二倍はあろうかという巨大なお部屋だった。天蓋付きのベッドまである。さすがは貴族。私が驚きに目を丸くしていると、モルメイが申し訳なさそうに言った。


「狭くて申し訳ございません。正式なお部屋は後ほど、ミルレーム様のご意見を伺いながら整えて行く予定ですので」


 別に全然このお部屋で良いのだけど、今モルメイがちょっと聞き捨てならない事を言ったわね?


「私の正式なお部屋?」


「はい。お屋敷にミルレーム様の正式なお部屋を用意するようにとバーグ様がお命じになりました」


 つまり私にここに住めというのだ。私は狼狽した。


「聞いてないわよ!」


「……主は気まぐれな人ですから」


 私はこの後、お茶に呼ばれたのでアズバーグにどういう事なのかと問いただした。白いシャツに着替えて無精髭も剃り、なんだかキラキラした美麗な笑顔で、アズバーグは言った。


「まさか寮には戻れまい? ここに住むしかないではないか」


 確かに、もう寮で寝泊まりするのは危険かもしれないけど。


「心配するな。ここから王城まではそう遠く無い。正式に手続きが終われば、其方は私の専属錬金術師となり、この屋敷から王城の研究室に通うことになるだろう。送迎はさせる」


 通いで研究所にやってくる錬金術師は多いから、別にそれは問題にはならないだろうけど。それにしても屋敷に豪華な部屋まで用意してくれて、送迎までしてくれるとは至れり尽くせりだ。昨日偶然会ったばかりの私に対して、随分な好待遇じゃない?


「私も馬鹿では無い。既に其方の話の裏は取った。確かに其方は『真なる錬金術師」だ。そんな高名な錬金術師なら、私もそれなりの待遇を示さねば失礼になるだろう」


 言いながらアズバーグはニヤニヤ笑っていたわね。顔の造作はよいのだけど、どうもそのイヤラシい笑顔が気に入らない。私は鳥肌が立ちそうな腕をさすりながら彼の顔をなるべく見ないように顔を背けつつ言った。


「そ、それはどうも。でも、寮の荷物を一度引き取りにいかなきゃいけないわね」


 私は当然の事を言ったのだが、アズバーグはとんでもない事を言った。


「ああ、それなら家臣達が既に行って、其方の部屋を片付けて一切合切屋敷に持ち帰ってくれる手筈になっておる」


 ……え? な、何ですって?


「な、何ですって!」


「な、何がだ?」


 ぎゃ、ぎゃああ! 


 あ、あの部屋を! あの部屋を他人に見られた!


 あの散らかし放題で、着るものは下着にいたるまで全部脱ぎ捨てで、ベッドは本で埋もれてて、机の上も本と実験道具で埋もれて、しかもそこら中蜘蛛の巣だらけホコリだらけな、あの部屋を見られた! ぎゃー! 流石に恥ずかしい!


「なんてことしてくれるんですか! なんで一言私に許可を取ってくれないんですか!」


 私はアズバーグに喰って掛ったのだが、彼は私の抗議を一蹴した。


「一刻も早く其方の私物を回収する必要があったのだからやむを得まい。心配するな。セイルイが侍女を連れて行ったからな」


 男性には見せていないということだが、そういう問題でもない。実際、寮の片付けから帰ってきたセイルイの表情は半笑いだったわね。どれが必要なものでどれがゴミだか分からなかったので、とりあえず一切合切を持って帰って来たので、ミルレーム様の方で分別して下さい、と言われた時は穴があったら入りたかったわよ!


 ただ、実際早く寮を片付けないと、刺客を送り込んできた貴族に寮の部屋を荒らされる懸念があったので、アズバーグの判断は間違っていなかったと思う。私の心には甚大な被害が生じたけど、私物は何一つ欠ける事なく私の手元に届いたし。


 特に研究成果をまとめたノートや実験器具、膨大な書物なんかは二度と手に入らないものもあるから失われなくてホッとしたわよね。


 という事で、私は数日は客間で私物の整理(ゴミといるものを仕分ける作業)をして過ごした。セイルイの話では錬金術師協会とは早々に話が付き、研究室が荒らされるような事もなかったようだ。まぁ、研究室には強力な魔法鍵があるから、私以外の人間はそうそうは入れないけどね。


  ◇◇◇


 私はアズバーグのお屋敷では賓客として過ごした。もの凄く落ち着かない。だってお貴族様扱いだったんだもの。私はそんな扱いを受けた事がこれまでなかったから。


 錬金術師は一人前になると、国王陛下からメダルを頂き、貴族相当であると認定される。そうすると国家予算から研究費用を頂き、研究室を開設することが出来るのだ。私は十歳で研究室の開設が認められたけど、これは私の実績というより師匠が亡くなって研究を引き継ぐ者が必要だったからだ。


 なので貴族相当になったのは早かったんだけど、何しろ錬金術師で元々平民だからね。錬金術師の中には国王陛下から頂く予算と、パトロンからの支援、それと研究成果で作成された魔術道具の特許料で貴族として贅沢に暮らしている人もいるんだけど、私はパトロンはいなかったし特許で稼げるほどの発明はまだしていない。それにお金があればあるだけ研究に突っ込んでしまっていたからね。


 なので私は王城の片隅にある錬金術師寮と研究室を往復する生活を送っており、他にはたまに市場に出て来て必要品を買い物するだけ。食事は寮や研究棟の食堂だし、平民と変わらない生活を送っていたのよ。平民といっても相当裕福な平民レベルだけどね。


 それがいきなりお貴族様扱いを受けても困惑してしまうのよ。ドレスを用意され、夕食の時はそれを着て下さい、と言われた時にはどうしようかと思ったわよね。雇い主であるアズバーグの命令では仕方がないから着たけども。


 他にもお部屋の掃除や着替えやお風呂の世話のためにモルメイが付けられて、お部屋の中に控えているんだけど、自室に他人がジッと立っているというのはまったく落ち着かず、私はモルメイに頼んで部屋の外に控えていてくれるように頼んだ。


 何しろ私は研究について考えると没頭してしまい、どうやら無意識に歩き回ったり変な顔をして考え込んだり、うにゃうにゃと変な奇声を上げたりするようなのだ(昔師匠に言われた)。そんな所を観察されたくはない。モルメイは苦笑しながら受け入れてくれた。


 私のお部屋というのは最初は客間の三倍くらいある凄いお部屋を用意されそうになったのだけど、私が全力拒否して客間と同じくらいのお部屋にしてもらった。ただ、それなら続き間にして隣は研究室にしてはどうですか? と言われたのでそれは喜んで採用させてもらった。


 内装も、最初はなんだかピンクでひらひらした内装を用意されてしまってひっくり返りそうになったわよね。私はなるべくシンプルに、色ももう少しシックなものに、と主張して、最終的には薄緑色の内装に変更してもらった。ベッドも小さな物を選んだ。色々好みを反映させてもらったので、自室に入った時にはすっかり気に入っていたわね。


 アズバーグとは毎日会わされた。彼は私が来てからは毎日屋敷にいたわね。私はてっきり夜な夜なお忍びで下町の歓楽街で遊び歩いていると思ってたんだけど。私がそう言うとモルメイは変な笑い方をした。


「ミルレーム様を専属錬金術にする為に奔走しておられて、なかなか忙しくてそれどころではないようですよ」


 またまた。私はこれを冗談だと思ったんだけど、後から本当の話だと知ることになる。


 何しろ私は「真なる錬金術」になってしまい、沢山の貴族から勧誘を受ける身になっていたのだ。確かに手紙をやたらともらったわよね。あれは冗談でもなんでもなく、かなり高位の貴族からも勧誘されていたらしい(ろくに手紙に目を通してもいないので知らなかった)。


 なのでアズバーグが私を自分の専属錬金術師にする手続きを始めると、彼の元には抗議が殺到し、大揉めに揉める事になったようだ。優れた錬金術師は大きな利益を産むことがある。まして金を創り出すと誤解されている私は相当な金づるだと思われたのではないだろうか。実際には私は金など生み出せず、まだ大した発明もしていないんだけどね。


 アズバーグは大変だったみたいよ。夕食は私と毎日屋敷で一緒に食べたんだけどその席でたまに「聞き分けのない連中が多くて大変だ」とぼやいていた。私は何も知らず「大変ですね」とか言って美味しく料理を頂き、部屋では「早く新しい実験をしたいなぁ」なんて言いながら書物を読んだりこれまでの実験結果を書面にまとめたりしていた。


 何しろ部屋の掃除も洗濯も買い物も身支度すらしなくて良いのだ。あまりにも楽ちんな生活に私はあっという間に堕落した。すごいわお貴族様。研究以外の何もしなくて良いのだもの。貴族出身の錬金術師が身ぎれいな格好をしていた理由が分かったわよね。


 ただ、当然だけど以前のように何日も着の身着のまま何日も研究に没頭するようなことは許されなかった。すぐに私の扱いに慣れたモルメイにより、私は食事と着替えとお風呂の時間には無理矢理研究から離れさせられた。嫌がってもこればかりは全く聞き入れてもらえなかったわね。


 それも当然で、私は夕食だけは毎日綺麗なドレスを着せられて、アズバーグと差し向かいでの食事を強いられた。モルメイとしては主人の前に、汚れ放題の私を出すわけにはいかないのだろう。アズバーグはドレス姿の私を見て目をパチクリさせ「其方はそういう格好の方が似合うのだな」というような褒め方をした。多分、服以外にもこれまで全く手入れをしていなかった私の肌や髪をモルメイが丁重に手入れしてくれて、お化粧もしてくれているせいもあると思うけどね。


 モルメイはしばしば嘆いたものだ。


「素材は良いのですから、手入れをしなければ勿体ないですよ」


 手入れして綺麗になってどうしようというのか。私は自分の外見には全く興味がなかったのよね。別に何日もお風呂に入らなくても平気だし、染みついた薬品のにおいを漂わせていても平気だ。徹夜で目の下に隈を作るなんてこれまではしょっちゅうだった。


 錬金術師として研究室に籠もっているのが性に合っている私は、男性に全く興味がない。というか、身近に若い男性がほとんどいなかったのよね。一人前の錬金術師は大体年寄りで偏屈だ。弟子には若者もいるけども、師匠にこき使われているからいつも忙しいし、一応正式な錬金術師である私とは身分差もあるから会話をする事もない。


 男性との恋愛経験皆無だった私は、一生結婚しないつもりだった。というか出来ないと思っていた。子供の頃に親と引き離され、錬金術師という特殊な環境で育ってきた私には、世間一般のいう結婚というものがどうにもイメージ出来なかったという事もある。


 なのである日アズバーグが言い出した事は本当に私にとっては突然で困惑するしかない事だったのだ。


「どうも結婚するしかなさそうだぞ」


 夕食の席でアズバーグがなにやら難しい顔をして言ったのだった。私は前菜の兎肉のテリーヌをもぐもぐと食べながら、特に何も思わずに相づちを打った。


「はぁ、大変ですね」


 お貴族様の結婚かぁ。大変なんだろうなぁ。という感想しか出なかった。そんな興味なさげな私の態度を見て、アズバーグが呆れた様に言った。


「何を間抜けな顔をしておるのだ。其方にも関わりがある話だぞ?」


 何故にアズバーグの結婚に私が関わってくるのか? それは専属錬金術師なのだから無関係とは言えないのだけど。もしかして結婚式とか披露宴で錬金術で何かをしろという話なのだろうか?


 私はそんな事を考えていたのだけど、アズバーグが言い放った次の一言で私は硬直する事になる。


「結婚するのは私と、其方だ。ミルレーム」


「……ひゃい!?」

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