一話 真なる錬金術師

 私は逃げていた。夜の闇の中、石畳の冷たい王都の路地裏を。マジでガチで逃げていた。


 捕まったら殺されちゃうので。


 長い白金色の髪は後頭部で引っ詰めて、その上からローブを被っている。ローブの下はいつも研究の時に来ている白衣。その下にシャツとスカート。靴はあんまり履かない革のブーツだ。


 息が切れてきた。仕方ないじゃない。ここ何年も研究研究で走った事なんてなかったのよ!


 いつも通り王城にある研究室で実験に勤しんでいたら、いきなり刺客が襲って来たのだ。逃げて寮に戻ったらそこにもやってきたので、私はブーツを引っ張り出して貴重品だけ抱えて逃げ出した。


 気のせいじゃないかって? 白刃を翳して襲われたのよ? あれが気のせいなわけないじゃない!


 王都の迷路みたいな路地を逃げ回って、何度か撒いたり見つかったりしながら私はもう半日は逃げている。逃げ始めた時にはまだ日は高かったけど、今は真夜中だ。暗くなったら刺客の追跡はあからさまになってきた。私は必死に逃げた。


 疲れたしお腹は減ったしでもう限界が近い。くそー! なんだって、なんだってこんな事に! 私はただ研究したいだけなのに!


 私は無言で刺客に毒付きながら路地の隅に身を隠す。どうにかやり過ごして、逃げなければ。……しかし、どこに?


 七歳の頃から十七のこの歳までひたすら研究室で研究に明け暮れていた私には、王都ですらろくに土地勘がない。この辺の路地は子供の頃に遊んだ記憶があるから逃げられているけど、それ以外の所は皆目分からないのだ。つまり、逃げるところがない。


 匿ってくれる人もいないだろう。実家は帝都から引っ越して田舎で農家をやっているという話だし、子供の頃の知り合いなんて家も分からない。


 うぬぬぬ。思い切って王都の外に逃げるべきだろうか。いや、無理よね。街の外なんてそれこそ未知の世界だ。魔物が徘徊してそれ以上に怖い野盗とかがウロウロしているような世界なのだ。街の外は。世間知らずである私なんかが生きていける世界ではない。


 アレ? これもう詰んでない?


 王都の中で逃げ回るには限界がある。広い王都と言ったって、匿ってくれる人もいない状態ではそうそう逃げられるものでもない。どんなに頑張ってもその内捕まるだろう。そうしたら殺される。多分殺されちゃうわよね。


 プルプルと震える。わ、私が何をしたというのか! 七歳で無理やり錬金術師の弟子にされて、毎日毎日勉強して練習して研究して。それしかしてないのに!


 ……心当たりが無いわけじゃないけど、十七歳のうら若き乙女を問答無用に殺そうなんて、酷い、酷すぎる。


 なんて思っている内に終わりは来た。


 ローブを被ってうずくまり、ズダ袋を偽装していたのだけど、誤魔化し切れなかったようだ。仕方ないね。この手使うのもう五回目ぐらいだし。さすがにおかしいと思われたのだろう。


 刺客が二人、私を見下ろしている。わ、私はズダ袋ですよー。人間じゃありませんよー。


「良いかげん諦めな。嬢ちゃん」


 う、うぐ……。


「よくもまぁ逃げ回ってくれたが、これでようやく終いだ。苦しまないように殺ってやるから大人しくしな」


 いやよ。刺されたら痛いもの。勝手な事を言わないで欲しいわ。私は仕方なくローブから頭を出した。


「お、女の子じゃないですかアニキ! こ、殺すんですか?」


 刺客の一人が驚いたように言った。私の事を知らなかったらしい。誰かに命じられて言う通りにしているだけなんだろう。


「仕方ねぇだろ。金はもらっちまったんだ。あの金がねぇと今月の払いが出来ねぇんだよ」


 もう一人も気乗りはしなさそうだ。黒覆面で顔は分からないけど、手に持った短剣は白くギラギラ輝いていた。動揺している方も短剣を構え直している。同情はしても見逃してくれる気は無さそうだ。


 私は一応言ってみる。


「お、お金なら私も少しは持っているわ! 払うから見逃してくれない?」


 私の台詞に刺客の二人は明らかに心が動いたようだった。特に私に同情的な方の刺客はあたふたともう一人に言った。


「あ、アニキ!」


 しかしアニキとやらは首を縦に振らなかった。


「……いいや、ダメだ。依頼主は貴族だからな。しっかり殺した証拠を持っていかないと、今度は俺たちの命が危ねぇ」


 貴族? 私は刺客の言葉を聞いて嫌な顔になってしまう。やっぱりか。実は心当たりは沢山有る。ここ数ヶ月、私は貴族からの面会要請やら勧誘やら、脅迫やらの書簡を大量に受け取っていたのだ。


 やっぱりアレが原因か……。こんな事ならあんな実験をしなければ良かった。後の祭りだけど。


「……まぁ、そういうわけで悪く思うなよ。嬢ちゃん」


「思うわよ!」


 私は叫んでしまうが、相手は動揺を見せない。もう一人も仕方なさそうではあるけど短剣を構えている。どうやら人殺しにはそれなりに慣れている連中のようだ。こ、これは逃げられないかも……。


 逃走用に持って来た小道具はみんな使ってしまった。こんな事なら魔法も少しは勉強しておくんだった!


 私は数限りない後悔を頭に浮かべながら、それでも足掻こうと脚に力を入れた。


 その時。


「良い夜だというのに無粋ではないかね?」


 突然大きな声が響いた。反射的に私も刺客の二人もそっちの方を見てしまう。路地の暗がりの中、黒い影がゆらゆらと揺れていた。どうやら、マントを羽織った男が立っているようだった。揺れているのは、男の足下が怪しかったからだ。酔っ払っているのかしら。


「こんないい夜は酒が似合う。血ではいけない。止めておきなさい」


「な、なんだてめぇは!」


「何でも良いではないか。ただの酔っ払い。そういう事にしておきたまえ」


 ……どうにも人を食ったような男だった。刺客の二人も戸惑いを隠せない。


「て、てめぇも一緒に殺してやろうか! どっかに行け!」


「それは困るな。それと、そこの娘も殺されては困る」


 のらくらした返答に、刺客たちは遂に切れた。


「めんどくせぇ! やっちまえ!」


 刺客の一人が叫ぶと、もう一人(積極的じゃなかった方)が俊敏な動きでマントの男の方に飛び込んだ。そして短剣をシュッと引くと、マントの男に突き出した。あ、っと言う間もない。吹き出す血しぶきを幻視して、私は思わず両手で目を覆う。


 が、次の瞬間、刺客は崩れ落ちた。へ? 私は顔を手で覆ったまま唖然としてしまう。いつの間にか倒れる刺客の横に、黒い影がスッと立っていた。本当に闇から現れた影のようだ。どこからいつから現れたのか全然分からなかったもの。


「バーグ様。あまり無茶はなされませんように」


 なんと女性の声だった。マントの男は相変わらずのんびりとフワフワした声で女性に言う。


「ああ、セイルイ。助かった。もう一人も頼むよ」


 セイルイと呼ばれた女性は返事をせず、軽く溜息を吐いたようだった。


「くそ! な、なんだ!」


 残された刺客は慌てて私からセイルイの方に向き直った。しかし、その時にはセイルイはツツっと音も立てずに間合いを詰めていたのだ。刺客が慌てて短剣を振ろうとするが、その時にはセイルイの手が刺客の男のみぞおちに突き刺さっていた。


「ガッ……!」


 刺客は呻きつつ息を吐いて身体をくの字に折ると、伸びてしまった。なんと、一撃で大の男を気絶させちゃったわよこの女の人! 


 私が唖然としている間に、セイルイは手早く男たちを縛り上げてしまった。両手を後ろ手に縛って、脚も縛り、口には猿ぐつわを噛ませる。全てをほんの三十秒ほどで終わらせると、セイルイはマントの男の元に跪いた。セイルイはマントの男の家臣なんだわね。


「ご苦労」


 マントの男はそう言うと、フラフラと私の方に近付いてきた。近くに寄ってくると、服装が暗がりでもはっきり見えてきた。マントに、その下には少し派手な色のジャケットとズボン。首元には白いタイ。マントには刺繍が入っていた。羽根飾りの付いた帽子を被っていて、全体的に身形が良い。……貴族よね。


 護衛の家臣が付いているところからして、貴族が下町にお忍びで遊びに来ているのだろう。いや、あるいは……。


「安心せよ。私はこいつらの雇い主では無い。君の事など知らん」


 私の心を読んだようにマントの男は言って、私の直ぐ横までやってきた。そして身を屈めて私の事を覗き込むように見て、失望を露わに言った。


「なんだ。大して美人ではないな。細くて胸もなくて目付きはキツくて顔色も悪い。助けるんではなかったか」


 ビシッと、私の心がヒビ割れた。な、何よ! なんてこと言うのよ! そりゃ、私は痩せてるしプロポーションは良くないけどね! 少しつり目だけど! 顔色が悪いのは当たり前じゃない! たった今、命を狙われてたんだから!


 私は怒り狂って男を怒鳴り付けようとしたんだけど、男は私の勢いを削ぐようにひょいと身体を起こすと言った。


「まぁ、良い。殺されて酔いを覚まされても溜まらなかったからな。セイルイ。案内せよ」


 マントの男はそう言うと、よろよろフラフラと歩き出した。随分と泥酔しているようだ。それにしては口調ははっきりしていたけども。


 と、音もなく私の横にセイルイという女性が立った。真っ黒な装束で目の所だけが開いている。暗くて目の色は良く分からないが、黒か紺のようだ。


「ご安心下さい。身を隠せる所にご案内しますよ」


「あ、貴女は? というか、あの男は?」


 私が動揺を隠せずに言うと、セイルイはひょいと肩をすくめた。


「ただの、道楽息子とその家臣ですよ」


  ◇◇◇


 私はセイルイに導かれて路地を進んで、やがて一軒の建物に案内された。隣の建物と近接して建てられている、何の変哲も無い隣近所と変わりない石造りの建物だった。あれ? あのマントの男は貴族だと思ったんだけど、違うのかしら。


 木で出来た粗末なドアをセイルイが三回叩くと、ドアは向こうから開いた。灯りが漏れてくる。男の声が聞こえた。


「バーグ様は?」


「もう少し呑んでくるそうです。護衛にはザムザンが」


「そっちの女性は?」


「バーグ様の気まぐれです」


 中の男は溜息を吐いて、ドアを大きく開けた。灯りの中にはがっしりした体格のひげ面の男がいた。私を鋭い視線で睨んだけど、口では何も言わず、私とセイルイを迎え入れる。


 建物の中は暖かく、明るく、私はホッとしたあまりペタンと座り込んでしまった。何しろ昨日から走り通しだったのだ。体力の無いこの私が。


 そして今更震えが起こり始める。恐ろしかった。それは怖かったわよ。命を狙われるなんて生まれて初めての経験だったもの。私は両手で自分の肩を抱いてガタガタと震えた。


「大丈夫ですか? 気付けの蒸留酒です」


 セイルイが優しい声で言いながら私にコップを渡してきた。私はそのコップを受け取ると、それを一気に飲み干してしまった。


 途端に、頭がくらっときた。疲れ、寝不足、気疲れ、不安。そこに強いお酒が直撃したのだ。ひとたまりも無い。


 私は速やかに伸びてしまい、板がむき出しの床に仰向けにひっくり返った。慌てるセイルイの声が遠くに聞こえて、次の瞬間視界は暗転した。


 ……私は丸一日以上、覚まさなかったらしい。起きたらベッドだった。寝ている間に着替えさせられたようだ。誰のものか分からない寝間着用のワンピース姿になっていた。目が覚めても、暫くそこがどこだか分からなかったわね。


 ベッドの上で呆然としていると、黒髪の女性が部屋に入ってきた。私の顔を見て表情を和らげる。


「やっと起きましたね。良かった。まさかひっくり返るとは思いませんでしたよ」


「…セイルイさん?」


「ええ。そうです」


 大男を一撃で気絶させたとは思えないような、細身の美人さんだった。黒髪黒目で背も大きくはない。年は二十代くらいだろう。彼女は私の顔色を確かめ、頷くと言った。


「服は洗濯してそこに置いてあります。洗顔の水は今お持ちします。身支度が済んだら主とお会い頂きます」


 ハキハキとした歯切れ良い口調だった。働き者の有能な女性という感じだ。


 私は頷いたけど、一つ気がついて渋面になってしまう。


「主?」


 てあのマントの酔っぱらいのことよね? 失礼な。


「そうです。……そんな顔をしないで下さいませ。主が保護を命じなければ、貴女は殺されていたんですからね」


 確かにその通りだ。命を救ってもらったのだから、失礼は許して更に礼くらいは言わなければなるまい。


 私は顔を洗って白金色の髪を梳かし、シャツとスカート、それと白衣を着て部屋を出た。狭い建物なので二階は私が寝ていた部屋ともう一部屋しかない。中階段を降りて一階へ。一階は一部屋だけだった。私がひっくり返ったのはここね。


 そこにソファーがあって、その上に大柄な男がのべーんと寝そべって大いびきをかいていた。……金髪青目の男。口元には金色の無精髭が見える。だらしなく口を開けて気持ち良さそうに寝ていた。


 ……あのマントの男なんだろうね。今はマントは着ておらず、ジャケットも脱いで水色のシャツ一枚の姿だけど。


 セイルイは男の肩を掴んで最初は優しく。次第に強く、最終的にはかなり乱暴に揺り動かした。


「バーグ様! 起きてください!」


「なんだ。セイルイ。まだ眠いのだ」


「お客人が目を覚ましましたよ」


 バーグと呼ばれた男はむーんと唸ると、私の事を不機嫌そうに睨んだ。


「おお、やっと起きたのか。命を狙われたのにあんなに熟睡出来るとは良い度胸だ」


 バーグが身を起こすと、セイルイがさっと水の入ったコップを差し出す。バーグはその水を一息に飲んでしまうと、途端にヘラっと笑った。


「おう。明るい所で見ればそれなりに美人ではないか。顔色も良くなったしな」


 ……少しも嬉しくないわよね。そんな取って付けたように褒められても。


 でも、命を救われたのは間違いない。不快な思いを押し殺して、私は頭を下げた。


「助けて下さってありがとうございます。私はミルレーム・オルベス。錬金術師です」


 私の名乗りを聞いてバーグは鷹揚に頷いた。


「バーグだ。礼には及ばぬが、事情は聞かせてもらいたいな。王都の夜は物騒だが、さすがに殺人騒ぎはそう起きるもんじゃない。しかもあれは物盗りじゃなかっただろう。なんで命を狙われた?」


 ……心当たりはあるけど、確証はないのよね。それを言い訳にどうにか言い逃れられないか、と私が考えていると、バーグは不意に「ああ」と言った。


「錬金術師、錬金術師か。そういえば、先だって錬金術師が何やらやらかしたと話題になっていなかったか? セイルイ」


 ち、気付かれたようだ。やはりこの男は貴族、しかも高位の貴族のようだ。社交か何かで噂を聞いたのだろう。私のやらかした事は結構な話題になったようだから。


 セイルイはバーグに問われて首を傾げていたが、思い出したようで一言一言確かめるように言った。


「えーっと、確か、しん……、そう『真なる錬金術師』がどうとか」


 ……正解です。私は観念した。


「その『真なる錬金術師』が私なのですよ」


 

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