ガラス越しの海

徒文

ガラス越しの海

 今日もまたここにきた。

 水族館の一角、たくさんの魚をいっぺんに眺められる、大きな大きなアクアリウム。


 分厚いガラスの向こう側で、魚たちがそれぞれに泳いでいる。


 ゆったりと泳ぐ魚も、忙しなく泳ぐ魚も、水底でじっと泳がずにいる魚も、海藻や岩陰に隠れてしまって見えない魚もいる。


 なんて窮屈きゅうくつな場所だろう。


 ただ同じ場所を泳ぐだけ。

 それでなにが得られるわけでもない。


 ううん、得られたとしても無駄なんだよ。

 なにも得られないよりもっとひどい。

 この水槽の中でなにを得ようと、最後には死んでいくだけなんだから。


 一匹の魚が、別の魚にぶつかりかけて避けた。

 そこに心のようなものを感じて、いっそう悲しくなった。


 この水槽の魚たちにも、私と変わらない心があるんだろうか。

 ガラスに囲まれた狭い水槽の中に、お気に入りの場所や毎日訪れる場所があって、会いたいひとがいて、行きたくない場所がある。

 だとすると、もしかして人気スポットなんかもあるのかな。魚たちがこぞって行きたがる場所。


 あの海藻はなみなみとしていて芸術的だよね、デートスポットにもってこいだよ!

 あそこの砂利は色や形の整ったものが多くて絶景だよ、ぜひ行ってみるといいよ。


 そんなうわさが飛び交っていたらどうしよう。

 閉じ込められていることにも気付かずに、ううん、気付いているのかもしれないけれど、とにかくこの水槽に適応してしまっている。


 なんて可哀想なんだろう。

 なんてみっともないんだろう。


 私は絶対に、水槽の中には入りたくない。

 だって、ほら。今もいろとりどりの魚たちが、あちこち泳ぎ回っている。


 なんのために泳いでいるのかわからない。

 機械みたいで気持ち悪い。


 それに、きっと、エサや縄張りを奪うほかの魚のことを、みんな疎ましく思っているんでしょ。

 醜い。醜くて、どうしようもなく美しくて、目が離せない。


 小さな魚も大きな魚も、それぞれにそれぞれが生きるために、ただひたむきに頑張っている。

 ある日突然エサやりをする人がいなくなったら、きっと弱い魚は食べられちゃうんだろうな。

 みんな必死に生きているから。


 それが、私の目にはこの上なく綺麗に映る。


 みっともなくて醜くて仕方がないのに、どうしても愛してしまう。


 体が傷ついている子もいる。

 もうずいぶん弱っていそうな子もいる。

 群れをなしている子たちもいる。

 なにかに驚いたのか、すごい速さで泳ぎ去っていくような子もいる。


 傷ついていても弱くても、それでも生きていこうと、命をかけて生きているんだよ。

 完璧なものより欠けたもののほうが美しい。

 強いものより弱いもののほうが美しい。

 この水槽で生きる魚たちは、絶対に逃げられないガラスの中で、それでも生きようと懸命に頑張っている。必死に生きている。

 だから美しい。


 けれど、それは私が人間だから。

 私がもしこの水槽の中にいたら、そんなふうに感じることはできないだろう。


 生きるために必死になって、エサや縄張りを奪うほかの魚たちを疎ましく思うに決まっている。


 そんなのはもったいないでしょう。

 だってこんなに綺麗なのに。


 魚たちに混ざらずに、ガラスの向こうには決して行かずに、こうして一方的に魚たちを眺めているのがきっと一番幸せなんだよ。

 水でおぼれてしまうし。


 ところで、私はいつここから出られるのかな。

 これじゃ魚たちとなんにも変わらないんだけど。

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ガラス越しの海 徒文 @adahumi

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