第2話 妖精の湖②


 山中での冒険の中、雪山の魔物に襲われ、天候悪化に伴う猛吹雪を幾度となく体験した。


 ハインリッヒの中では短い時間ながら、レインとの絆が芽生え始め、戦争のトラウマを一時的に忘れ、新しい目的のため、前に進むことができていた。

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「……はぁ。はぁ。ここが、妖精の湖——なのか?」


 まるで、クリスタルのように純度が100%に近く一切の曇りがない水面。妖精が住んでいるかどうかは別として、美しい——その言葉が最も相応しかった。


「綺麗。これは、本に残しておかないと」


 レインは懐からペンを取り出して、空中に文字を書き始めた。光る文字はそのまま空へと消えていった。


「今のは?」


「これは記述魔法。魔法のペンでどんなに遠く離れている本でも、内容が記述される仕組み」


「なるほど。レインは詩人か何かなのか?」


「……違う。これは記録だよ。ただの記録」


「ほーー。この湖を見ながら本を書くのが目的だった訳だ」


 草原に座り、首を左右にブルブルと振った。


「呪いが浄化されるって噂を聞いて来た。そっちが正しいかな」


「呪い? 南の地方で流行っているっていう疫病とかか?」


「まぁ、そんなところ。もうそろそろ日が暮れるみたい」


 顔をあげると、確かに夕暮れ時だ。湖の辺には、小さな家が一件あり、ちょうど、村人が家に帰って来た。


「おや、こんな辺境の地に旅人ですか?」

「はい。他所の国から流れてきたただの兵士です。こっちは——」

「レインと言います」


 レインはぺこりとお辞儀をした。


「そうですか。よかれば今晩泊まって行きます? どうせ、寝床もないんでしょう」


「よっしゃっ! ご遠慮なく……!」「お邪魔します」


 2人は男の提案を承諾して、一泊することになった。今晩のご飯は、見た目からして美味しそうなコーンスープと鹿肉のソテーだ。


「こんな土地に人がやって来るのは何年ぶりでしょうか。ほら、ここは山の中腹でしょ。妖精の湖目当てでやってくる冒険者はいましたが、魔物が頻繁に出るために、最近では途絶えてましてね」


 男性はこの土地の説明をしてくれた。


 厳しい寒さと、年々増加する魔物によって冒険者は滅多にやってこないこと。そして、彼自身も下の村に下山できなくなっており、この土地で死ぬまで生きていくこととしたと。


「確かに猛吹雪だし……魔物も中々手強かったな」


 ハインリッヒは道中の魔物との冒険譚を男に自慢するように話していた。


「ここにある妖精の湖の噂を聞いてきたけど。あれは綺麗だった」


 レインがポツリと喋る。


「あの湖は人間の手が加えられていない完全な自然のものなんです。この光景を毎朝見るために、私はここで暮らしているのですから」


 クスリと笑いながら、彼はそう話した。レインは家の中をチラホラと見ながら、男性に質問した。


「……女性が居たんですか」

「ええ、妻がね。——もう亡くなってからは数年になりますが」


 男は妻との昔話を話し始めた。


 かつて彼は冒険者であり、村一番の女の子に惚れた。彼女の名前はフローラ。可愛らしい花のような名前で、気品があり、誰に対しても優しく、でも厳しく——いい女性であったと。


「ぐっ——そんな話聞かされたら、泣けるなぁ……俺には嫁なんていなかったが。男なら、その気持ち分かるぜ——」


「はい……。ですが、今日は皆さんが来て下さいましたので——妻もあの世ではこの団欒だんらんを微笑ましく見ていることでしょう」


「そうだね」


 レインは目を閉じながら頷いた。


「外の湖を見てくるよ。ちょっと気になることがある」


 そう言って、家を飛び出す。ハインリッヒはこれまでの疲れと満腹により、机に伏せていた。

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「——そういうことか。私の求めていたものなんて、何も無かったな。帰ろうか」


 湖を再び見た彼女はそう溢した。そのまま下山の準備を始める。


 ——その時だった、笑顔を浮かべながら後ろから男が近づいてきた。


「どこへ行かれるのです? 今晩の宿は?」

「帰るよ。湖の事は本にも記述したし。休憩にはちょうどよかった」

「夜は危険です。魔物の数も多くなる。寒さも厳しいですよ」

「……ここには魔物が一匹も居ないのに、少し降りたら魔物だらけだよ。魔物はに近寄れないらしい」


 湖を指差しながら答えた。


「なぜかわかる? この湖に魔物よりも恐ろしいがいるから。肉と血を糧とし、甦る。魔物でも恐怖するほどにね」

「……ははっ。そんな事あるんですかね」


 男の表情は曇る。


「女性を殺したね。そして、何回も蘇らせてる。さしずめ、死霊魔法の類だ」


 ザパーンッ!! 


 水飛沫を上げてナニカが這い上がってきた。だが、人間の面影はなく、ドス黒い怨霊の塊となっている。


 悍ましいほどの、怨念と全てを飲み込んでしまう強力な思念体である。


「ええ。私は彼女を愛していますから。これは愛です。彼女に取り憑かれてしまったんです」


 レインに全てを見透かされ、男の表情は180度変わった。彼は魔法で、剣を創り出した。


「——死んでもらいます」


 レインに向かって剣を射出する。だが、彼女はそれを避けようとしなかった。まるで自らの死を望んでるかのように、一歩も動かなかった。


 グシャッ……。



「ッ……痛ぇや。こんな痛いんだな」


 剣はハインリッヒの体を鋭く貫いた。血がドバッと溢れ出し、致命傷を負う。


「ハインリッヒ。なんで……どうして——」


 彼は膝から崩れ落ち、その場に倒れ込んだ。血が止まらず、地面に血が染み込んでいく。同時に、レインの表情に曇りがかかる。彼女の中でも——確実に、ハインリッヒの存在は大きくなっていた。


「ガハッ。目的があるんだろ、レイン。なら……成し遂げないとだ……俺にとって」


「喋らない方がいい……傷が深いけど、まだ助か——」

 

「——いいんだ。これでいい。俺はさぁ地獄行き確定だけどよぉ、最後ぐらい、格好つけて死なせてくれ。最後の最後に」


 ハインリッヒは自分の最期が近い事を感じ取っていた。


「はぁはぁ。特別なナニカには……なれなかった。けど、特別な人の命を救うことが出来た……。あり、がとぅ……」


 口から血が溢れでる。ハインリッヒを握っていた手は、身体は急激に冷えていった。


「ごめん……私、こういう時に、どういう表情をすればいいのか。よく分からないの。どれだけ頑張ってもっていうものが出ないんだ——けれど、あなたはいい人だった」


 レインの白く小さな手は——ハインリッヒの瞼を静かに閉じた。


「その男が勝手に飛び出してきたんです。仕方のないことだ。湖の噂を悪評にさせる訳には行かない。ここで逃す訳には行かないんです」


 男は「死んだかな?」とハインリッヒの死を嘲笑うと同時に、レインに向けて剣を放った。胸元を剣が貫通する。血が溢れ出て、彼女も死んだ。

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「哀れな冒険者よ。あなた方の血肉は嫁の糧となる。今晩の食事は豪華なものになりそうだ。ククク。ハハハハハッ」


 男がレインの遺体に手を出そうとした瞬間、レインは目を見開いて喋った。


「そうだね。彼女の呪いを解いてあげないとだめだ」

「はっ?」


 男の体は黒白い光線で数カ所を貫かれた。


「——ガフッ。どういう」

「呪いだよ。不老不死の呪い。この呪いは——私が死んだと判断した瞬間、死んだ直前に私の情報を全て元通りにして、再びこの世に誕生させる。でもね。痛いんだよ。死ぬ時の苦痛は感じるんだ。今の君みたいに」


 男は——という表情でレインを見上げる。


「どんな呪いでも解呪かいじゅする神秘に包まれた——妖精の湖。そこでなら死ねるかなと思ったんだけどね。本当は妖精ではなくて、死霊の湖だった。本にはそう記述しておく」


「あっ、あぁ……あぁ。フローラ。フローラぁ」


「湖の怨霊よ。それの魂を喰らえば——あなたは楽になれる。もう、苦しまなくていい」


 ドス黒い怨霊体は、這いつくばる男に近寄って行き——「ホシ、ホシ、ホシイ」と叫びながら男を丸呑みにして、消えた。


「ハインリッヒ。あなたの名前は本に記述しておくよ。湖のほとりで勇敢な死を遂げた優しい戦士だ。あなたは、本によって後世まで語り継がれる。だからもう、おやすみ」


 業火を出す魔法でハインリッヒの遺体を骨まで焼いて、遺灰を湖に流した。遺灰はゆっくりと、時間をかけて湖の底まで溶けていった。




 少女はまた——歩き始めた。







〜拝啓、読者様へ〜


筆者の作品をお読みくださり、ありがとうございます。冒頭の展開はダークですが、人間ドラマやギャグ要素も多めの作品となっております。


よろしければ、この先もお読み頂けますと幸いです^ - ^!

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