8 「尊い生き物」


19時。


メンマを連れて中目黒の実家に帰ってきた。


俺のミッションはまだ終わっていない。


一度実家に足を踏み入れたら、食事も作らなくてはならない。


それが俺と父さんの暗黙のルールだった。



「メンマ! パパが帰ってきまちたよー。寂しかったでちゅかー?」



父さんが赤ちゃん言葉でメンマに話しかける。


厳格な父は、実の息子に一度もそんな言葉で話したことはない。


愛猫の前では、父さんは別人のようだ。


メンマの餌は父さんに任せて、俺は夜ご飯を作った。


カプレーゼと、キャベツのペペロンチーノ。


汁物がないと怒られるので、余ったキャベツで簡単にコンソメスープを作る。


両親が離婚してから、料理担当はずっと俺だ。


最初の頃は一緒に作ってくれたが、小学校高学年になると、父は何もしなくなった。


家事は全部俺。


父さんは母さんを家政婦のように扱っていたが、その後釜が息子になった。


家では父さんが皇帝。


俺はそれに従うしかない。


母さんは父親に引き取られた俺を、よく気にかけてくれたが、全く苦ではなかった。


家事さえやって、学校の成績も悪くなければ、父さんはガミガミ言ってこない。


褒めることも無いが、父さんが人を良く言うことなんてまずないのだから、そこは期待しない。


欲しいものは何でも買ってくれるし、毎年旅行にも連れて行ってくれる良い父親だ。



「たまにしか帰ってこないくせに、こんな簡単なものを父親に食べさせるのか」

 


俺が作った食事を見て父さんが不満そうに言うが、これは挨拶のようなものだ。


何を作っても、文句しか言わないのだから。



二人で食事をとろうとダイニングテーブルに座ると、メンマが父さんの膝の上に乗った。



「メンマは甘えん坊でちゅねー」



俺に負けないくらいいつも無表情な父さんが、猫相手にこんなに表情が緩むなんて。


やはり猫は素晴らしい。


尊い生き物だ。

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