進展!
セミの鳴き声が日に日に増えていく。
時間の感覚をこんなふうに感じるのはいつぶりだろう。
世界の音を遮断していたときの時間の経過は、視覚がほとんどで、暑さや寒さは希薄になっていき、日に日に世界と乖離していった。
でも、それでよかった。
自分で選んだことが間違っていないと確信してた。
「はい、そこ違う」
「あー、もーう!」
晴歌が髪をバサバサと掻き乱す。
「何回いえば分かるのよ、半音ズレてるの。歌い方でごまかしちゃダメ」
「はーい」
窓から入るぬるい風に、重さを感じる。
揺れたカーテンからは、どんな素材で出来ているのかを教えられる。
「ていうか、朱音さっきから全然歌ってないじゃん!」
「あたりまえでしょ! 今日はあんたのトレーニングなんだから。自分からいっておいて忘れたんじゃないでしょうね」
「分かってるけど。でも、朱音だって歌いたいでしょ?」
グランドでは、運動部の吠えるような掛け声がいくつも響いていて、連日の日照りで乾ききった土埃がボワボワと鳴っている。
「べつに」
「嘘だね」
「嘘なんていってないわよ」
「なら一緒に歌おうよ」
スカートにTシャツ姿の晴歌は、さっきから汗だくで、けれど覇気はいっさい衰える気配はない。
「わかった」
「やった! なににしよっか?」
「うーん……やっぱりあれじゃない?」
「だよね!」
私たちは一斉に歌い出す。
けれどそこに歌詞は無い。
ハミングでしか歌えないのがもどかしい。
口を閉じ、んーんーとしか声が出せないのが煩わしい。
「ねえ、やっぱり歌詞が」
「だめ!」
このやり取りは、もう何度目かわからないほどしている。
最初晴歌は、なんとなくでそういった。
けれど私は、即座に否定した。
自分も同じことを考えていた節があったからだ。
「言ったでしょ、この曲はあの人たちだからいいの。私たちの踏み入る隙なんて全く無いって」
「でも」
「でももへったくれもない」
そういいながら、自分も我慢してしまっていることをはっきり認識する。
「だからってわけじゃないけど――」
でも、もう限界!
「作曲するから、私」
「できるの?」
「やるったらやる。だから、作詞はあんたがやるのよ! いい!」
「うん! わかった!」
無邪気で、なにも考えていない、責任という重大さを微塵も感じられない返事を、額を汗で隙間なく濡らして、まさに子供のような見た目の晴歌が頷く。
「ていうか、もうあるんだけど」
「え?」
「あれから、歌を自分で作れないかやってみてたの。でも、楽器も弾けない、楽譜も読めない私ができることなんて全然なくて……私ってただ歌しか歌えなかったんだなって気づいた」
表情を変えないつもりでも、必要以上に力を込めてしまった瞳だけはわずかに揺らいでいる。
「そう……」
だから私は、なんて返していいかわからなくなった。
「でも大丈夫だった! 作曲がダメなら、作詞って思って書いてみたの! 今日持ってきたから読んでみて!」
普段から通学で使っている黄色地に、真紅のラインが一本入っている、絶妙にセンスがいいのか悪いのか分かりにくいリュックから、晴歌が意気揚々とノートを取り出す。
「はい」と言って一度差し出したノートを、私が受け取ろうとすると、「ちょっと待って!」と突然引っ込めた。
「自信はある。だから、朱音は必ずこの詞に曲をつけて……いい?」
私は、この時にした晴歌の表情を一生忘れない。
自信と決意。
さっきの子供のような見た目とは明らかに正反対の感情が、打って変わって顔いっぱいに広がっている。
いつの間にか額の汗はひいていて、ぐしゃぐしゃに濡れて、乱れていた髪が綺麗に整っていた。
「わかった」
「はい」といって再度、私に、自分の詞が書かれたノートを差し出す。
この教室の気温がいま何度なのか知らないけれど、受け取ったノートはすごく熱い。
まるで、晴歌の熱をすべてそこに集約していまったかのように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます