坂!!
「おはよー!!」
なにか良いことでもなければあんなバカみたいな手の振り方なんてしないだろう、そんなふうにして晴歌が近づいてくる。
「元気?」
「はあ!? 昨日会ってるでしょ」
私は普段通りにイヤーマフを耳に隙間なく密着させて待っていた。
「だって昨日はそうだっけど、今日は違うかもしれないじゃない」
けど、というか、やっぱりその声は聴こえてくる。
「はぁー、今日も元気。あんたは? って聞く必要ないか」
「しししっ!」
その笑い声も。
「行き方は任せてっていってたけど、本当に大丈夫なの?」
私の不安をよそに晴歌は、得意のウインクをしながら親指を立て素早く自分の前に勢いよく突き出した。
「よし。じゃ、出発」
「おー!」
目的地までは、待ち合わせたこの駅から、登り電車でその終点まで行き、違う路線に乗り換えて三駅行った場所が最寄りな、かなり遠いところにある高校だった。
時間にして一時間をゆうに超える。
道中、晴歌の世間話に私はただ頷いてばかりだった。
そんな私にずっと晴歌は話しかけてきた。
ずっと歌だった。
最初から最後まで、ずっと。
「次だね」
「うん!」
私は頷く。
でもそれは、少しさみしく響く。
「楽しみね! 帰りもこうしていっぱい喋れる!」
「ふふ、そうね」
十分だった。
それに最後はこうして笑い声まで聴けた。
うん。
そう。
へえ。
そうね。
相槌も、驚きも、そして共感も。
すべてが音となって私に届く。
当たり前だけど、当たり前じゃない。
電車の作動音や、乗客の話し声、どこかから聴こえてくる風切音、そのどれよりも違わない音。
朱音の声は、当たり前で特別な音になって私の耳に届き続けた、ずっと。
乗り換えてからチラホラいた、色とりどり、模様折々の制服姿の同年代の子たちは、最寄りの駅に近づくにつれて増えていき、今ではもうそうだろう目的の各校の生徒だけになっていた。
そんな模様の種類に比例するようにして、晴歌のテンションも上がっていくように見えた。
「あんた、今からそんなだったら目的地に着いたらいったいどうなるのよ?」
「どうにもなりませんが」
「は?」
「だってもうフルテンションだから、私」
言われてみたらたしかにそうだった。
この特殊な満員電車の中、晴歌が喋るたびにまわりにいる生徒たちが振り返り、晴歌のことを凝視していた。
それに、どうしてか私が適当に相槌を打ったときにもそれは感じられた。
「そりゃそうでしょ!」
こうして電車を降りて歩いていてもそれは続いている。
「なんで?」
「前にも学校で言ったでしょ、こーえ! 私たちの!」
「それは聴いたけど、どうして綺麗な声ってなだけで私もなのよ?」
「おしえなーい!」
そういって、晴歌がしししっ! と大声で笑う。当然、声の届いた人たちが晴歌のことを見る。
そんな調子のままの晴歌が、「ちょっと!」と、問い詰めようとした私から逃げるようにして駆けだしていく。
なんとか追いつこうと必死に走っていると、まだ先にいる晴歌が突然その足をピタリと止めた。
「うわ!」
「おお」
「短いけど、結構な坂だね!」
「だねー」
指差しながら振り返った晴歌と急坂。
少し離れたところから見るその景色はなにかの予兆のように感じられた。
「あの高校の生徒ってこの坂毎日登ってくのかな?」
「たぶんねぇ」
私はこの感じがなんなのか、答えが知りたくなって晴歌のほうに近づく。
どうしてだろう。
ゆっくり、相変わらずなマイペースで近づいてくる朱音を待ってるとドンドン胸が弾んでくる。
早くこの坂を登りたい。その衝動を押さえてしまってる我慢からなのか。
それとも、この緊張みたいなものからなのか。
「どうした、もしかして緊張してる?」
「えっ?」
「んなわけないか。さて、じゃ、登りますか、この坂!」
「しししっ! うん! いこ!」
あれ? 私、嬉しくなってる?
晴歌より半歩早く足を踏み出す。
普段歩くスピードよりもほんの少しだけ速く。
でも、それは次第に、早足に、ついには駆け足になって、この急坂を登っていく。
「待ってぇ!」
「ほらっ、早く!」
弾む声。
浮かれた音。
飛び跳ねるように鳴る。
離れないように、重なるように、私たちは声を鳴らしながらその坂を登っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます