3-7: 約束の来店
翌日。所謂ランチタイムのピークからは少し後ろにズレたくらいの時間帯。イイ感じのタイミングにやってきたのはどなかと思えば。
「おっ。……いらっしゃいませ」
「……その恰好でそれ言われると、やっぱグッとクるわね」
出会い頭に性癖のようなモノを暴露されたような気がする。
「ぁえーっと、ひとりなんですけど」
「カウンター席がございますが、そちらでもよろしいでしょうか」
「はいぃ」
明らかに様子がおかしい気もするが、単純にただ舞い上がっているだけなのだろう。妙に熱い視線が突き刺さってくるのもとりあえず往なしておきながら、空き席だらけのカウンターへと新規のお客様――
『昨日の今日で大丈夫か』という旨のやたらと丁寧なダイレクトメッセージが届いたのは昨晩のこと。全然問題無いと返したモノのいつもより明らかに返信のキレが悪かったことは気になっていたのだが、今日の稲村の反応を見るにもしかすると緊張していたのかもしれない。
初めて行く場所というのは存外緊張するモノだ。それは稲村も同じだったということに少しだけ驚きつつも、稲村には申し訳無いが何となく嬉しくなってしまった。
この時間帯だと少なくともふたり以上のグループでの来店が多いので、必然的にカウンター席には余裕ができる。その部分に稲村を呼べば良いだろうという判断だったのだが、やはり大正解だった。
とはいえ、そのグループで来ているお客様が、何となく稲村の存在を気にしているような雰囲気も感じている。稲村が余計に緊張してしまう感じになりかねないのだが。何故だろう。
「こちらへ。荷物などはこちらにバスケットがありますのでご利用ください」
「はぁい」
「メニューはこちらに」
「ふぁい」
――大丈夫か、コイツ。
そこまで
「……おい、稲村。頼むからいつもの感じに戻ってくれ」
「ゴメン、ムリ、もうちょっと堪能さして。めっちゃ目の保養っす」
「ああ、そうかい」
だったらもうそれでいいよ。いろんな意味で楽しんで行ってくれ。
「
「あ、ハイ」
小声で伯父さんが手招きをしている。
何だろう。稲村の注文は取っていないが、待ちになっているのはその稲村だけ。他のお客様から知らない間にお呼びでもかかっていただろうか。
「どうしました?」
「その娘、……コレか?」
「営業中に下品です」
小指を立てるな。
「ちなみに、違いますので」
「はぁい、残念ながら違いますー」
いつの間にやらメニューを開いていたはずの稲村も載っかってきた。
「なぁんだ、そうなのか。蓮のヤツ、ぺっぴんさんを連れてきたなぁと思ってたが、……残念だなぁ」
「わ、ありがとうございます」
堪能し終わったのかは知らないが、ほとんどいつもの調子に戻ってきている。
「この子、別の娘を狙ってるみたいなんでー」
「おい、こら」
「……は? 違うの?」
「違……わ……ない、ことは、ない……?」
「ぶふっ」
完全に本調子のようだ。安心するべきなのかは解らない。
「蓮。この後上がって良いからな」
「あっ、ハイ」
「だったらレンレン、いっしょにお昼しない?」
「おう、蓮のも作ってやるぞ」
「じゃあそうさせてもらいます」
だが、とにもかくにも俺はどうやら稲村の予想通りの反応をしたらしい。肯定するのも否定するのもどちらも正しいようで正しくないようで、間違っているようで間違ってはいないようで。あらゆる意味で何ともセンシティブな話だった。
○
「お待たせしました。ホットサンドセットでございます」
「ありがとー。……あ、ほんと美味しそう」
「だろ?」
伯父さんに言われたとおり今日の俺の業務時間は先ほど無事に終了しているが、面倒だったので服はそのままで稲村の隣に席を取ることにする。
「同じだ」
「ん。俺も好きなんだよね」
「じゃあ『美味しそう』じゃなくて『確実に美味しい』なのね」
「保証する」
オリジナルのトマトソースが絶品なのである。喫茶店メニューの定番とも言えるナポリタンやドリアにも同じモノを使っているのでこちらもオススメだが、稲村の空腹度合いを訊いた感じからホットサンドを勧めた次第。
「いただきまぁす」
「いただきます」
「おぉ、召し上がれ~」
洗浄乾燥機に皿を突っ込みながらもしっかりと応えてくれた伯父さんの声を受け、俺と稲村が同時にひとくち。
「……うっっま!」
「だろ~」
こっちまで嬉しくなるくらいにイイ顔をしている。店内のことを考えてくれたようでいつもより声量は抑えようと努力してくれたようだが、あまり効果は無かったらしい。他のお客さんもニッコリ。その様子をチラチラと見ようとして、お客さんとしっかり目が合った稲村は照れ笑いを浮かべていた。
「ヤバイ。ハマる」
「俺が作ったわけじゃないけど、嬉しいな」
「何かヤバイモノでも入れて」
「ねえよ。人聞きのワルいこと言うな」
「アッハハ!」
思わず
「でもホント美味しい……」
「ソースが伯父さんオリジナルだからな」
自分のではない自慢を重ねておく。
「聞いた聞いた、さっきも聞いた。でもスゴいわ、市販のとの違いが私でも分かる」
「おっ。分かるかい?」
「『美味しい』っていうことだけですけど」
「はははっ! 咲妃ちゃん面白いねえ。でも、それだけわかってもらえたら充分だな。……これで何入ってるか当てられたら商売あがったりだからなぁ」
伯父さんも楽しそうなので、こちらとしても満足だった。ちなみにだが、ホットサンドの焼き上がり待ち中にしっかりと稲村の名前の照会は終わっている。
ようやくありつけた昼食だった俺とほぼ同じ速度でホットサンドを平らげていたので、稲村も満足してくれたと見える。もちろんこの後には食後のメニュー(言っていた通り、俺の奢り)もある。
「それにしてもさぁ」
「何だ?」
口の端をほんのりと赤くした稲村が、待望のザッハトルテを俺から受け取りながら切り出した。かなり声量には気を遣ってくれているようだが。
「こんなイイ感じのアジトみたいなとこがあるなんて思わなかったわね」
「ちょっと待て」
言い方よ。
「せめてそこは『隠れ家的』とか言ってくれよ」
何だよ、アジトって。コイツは普段からどういう語彙をどういうシチュエーションで吸収しているんだ。スパイが出てくるような映画とかだろうか。
「あー、たしかにそんな言い方もあったわね」
「基本はそういう言い方をするんだよ、カフェには」
隠れ家的カフェはよく使われる言い回しだと思うが、アジト風カフェはほとんど無いはずだ。俺は聞いたことがない。ただし、ものすごくニッチでアングラな香りがする。極々一部からの需要はありそうだが。
「雑誌とかの特集で見たこと無いんか?」
「そこまで興味持ったことなかったけど、言われてみたらテレビで聞き覚えがあったわ」
「だろ? ついでに言うなら、今後はちょっと興味持ってくれると助かる」
薄らと感じ取れているはずの稲村の趣味嗜好からもそれほど外れないはずだと思う。
「ホントに見た目的には隠れ家よね。気付かないというか。駐車場っぽいのもない?」
「そうだな。まぁ、一応ホラ、近くにクリニックあっただろ。あそこの駐車場を間借りというか、使っても大丈夫っていう許可はもらってる」
持ちつ持たれつ的なところも、実はあったりする話らしい。詳しいことは知らないが。稲村もそこまで深く掘り下げる気はないらしく「なるほろねー」と言いながらカフェモカを口に運んだ。
「宣伝とかもそんなにしてない?」
「してるとは聞いてないな」
「SNSとかも?」
「……そもそもそこまでてんやわんやで営業したくない感じはあるっぽい」
機械音痴だということでは一切ないらしいが、そういうことにはタッチしたくない感は悟っている。
「あぁね。でもコッソリ人気店ってスゴいね」
そう。ご近所付き合いとそこからの口コミだけでコレだから、このご時世にスゴいとは思っている。俺を雇ってくれる余裕すらあるわけだし。
「あと、他にもいろいろと言いたいことはあってさー」
「何だよ」
そこまでイイ予感はしないが――あ、何かちょっと有りそうな笑い方だな。
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