3-5: バイト高校生の日常とその崩壊


 土曜日の昼下がり。


 恐らく学校では部活動と並行して学校祭の準備も繰り広げられているであろうこの時間帯。暦の上では一応まだ6月ということだが、今年の夏の到来は明らかに早い。陽射しもガンガン照りつけている。本州レベルではないにしろ、暑さに不慣れなニンゲンが多い地方なので、屋外での活動は水分補給が必須になりそうだ。


 そんな中、俺は労働者としての日常を過ごしていた。


れん、これを」


「はい」


 差し出されたトレイを受け取る。そのど真ん中に鎮座するドリアの香りと湯気は俺の食欲をひたすらにあおってくる。


 とはいえそれに負けていられるはずがない。しっかりとその誘惑に抗いつつ、慎重かつ素早く目的地へと運び届けなければいけない。


「お待たせ致しました」


「ありがとー」


「蓮くん、相変わらずさわやかよね」


「あはは、ありがとうございます。追加のサービスなくてすみません」


「あら、言うわねえ」


 お客様からのお世辞に苦笑いを返しつつ持ち場へターン。こういう受け答えにもそこそこ慣れてきてしまっている感もあった。取って付けたような感じも薄れてきていると思いたい。


 ここははくようの中でも少し落ち着いた装いのある住宅街を貫く目抜き通り沿い。そこにぱっと見ではオシャレな一軒家みたいな風体でこっそりと居を構えているカフェバー。


 そして、小さい頃から時々遊びに来ていた伯父さんの家でもある。


 ――要するに俺のだった。


 高校入学直後からお世話になって早くも1年と少しが経過。顔なじみのお客さんにも時にはこうしてからかわれながらも何だかんだうまいことやれていると、俺は思っていた。最初の頃はコーヒーすらソーサーに一部こぼしていたほどの体たらくだったのだから、少なくともその辺りは成長していると思いたい。


 最初のうちは明らかに『着られている』感じしかなかったこのユニフォームも、いくらかはマシになっているだろうか。「蓮くんが着てくれるんだからがんばってデザインするわよ」なんて言い放った伯母さん渾身の一作。明らかにバーテンダー風のところにストライプベスト風のカフェエプロン。言ってしまえばフルオーダーメイドなので、着られているようではダメなのだが。


「あ、ちょっと蓮」


 そんなタイミングで伯父さんに呼ばれる。


「何でしょう」


 店の中、制服を着ている場合は、基本的には雇用者と被雇用者の立場を保つようにしている。ある意味スイッチの代わりのような役割にもなっている感じだ。


 ふだんはもっと砕けた言い方しかしていない。もちろん敬意はある程度持っているつもりだけれど。いろいろとしてもらっていることも多いし。


「ちょっと買い出し頼まれてほしいんだけど、イイかな?」


「……承知しました」


 一応店内を見回してはみるがピークを疾うに過ぎているし、俺ひとり分人員が減ったとしてもあまり問題は無さそうだった。


「じゃあ、これ。リストと鍵」


「はい……ってコレ、車のじゃないっスか」


 いつもの調子で受け取ろうとして、その手を直前で止める。


 これはどこからどう見てもおじさんの車の鍵。危ない危ない。たしかにこのメーカーは四輪以外にもいろいろと作っている会社だけれども、これは明らかに車の鍵。


 そしておじさんの顔を見れば、明らかに悪ふざけをするときのそれ。


 ――まさしく『すっとぼけ』の表情だった。


「あれ? まだだっけ?」


「あと1年くらい必要です」


 普通自動車免許は18になってから。


「……1年くらいイイべや」


「イイわけないっス」


「じゃあ買い出しついでに取ってきなよ?」


「無茶言わないでくださいよ」


「アッハッハ!」


 高笑い。


 いやもう。結構真剣な顔で言ってくるから2割くらいマジかと思うでしょうに。


 アッハッハじゃないよ、全く。


「こっちな。あとこれも。服はまぁ気にしないで行って来てくれ。洗い替えはあるし」


「ッス」


 荷物を固定する用のコードも差し出されたので、これは素直に受け取っておくが。


 何かもう、敬語とか要らねえんじゃねえかな。普段通りで良いんじゃねえかな。




     ○




「……やれやれ」


 店の裏手のガレージ。シャッターの解錠をして開ける。少しばかり建て付けが悪くなってきているのか、ガラガラと煩いし重たい。が、だいぶ慣れてきている。力の入れどころさえ間違えなければ綺麗に開く。


 さて、出てきたのはおじさんの車――と、その隣にこそっと置いてあるバイク。


 目的のブツ――いや、そんな言い方をしては失礼かもしれない。


 単車コレは相棒だ。


 クルマの方と比べれば二輪は趣味と言えるほどでもないそうだが、おじさんがそれなりに乗り回していたりその辺にふらっと出て行くときにも使っていたりする、ちょっとアメリカンな見た目をしたイカした250ccなヤツ。


 まだ小学生くらいだった俺がコレを見てやたらと目をキラキラさせていたとかいう話で、「だったら16になったら費用出してやるからすぐに免許取れ、乗らせてやるから」という言葉を真に受けて本当に普通自動二輪免許いわゆる『中免』を取りに行ったところ、しっかりとその約束を果たしてくれたという話だ。名義こそ伯父さんの名前だが実はほぼ日常遣いにもさせてもらっていたりもするので、実質的には俺がいちばん乗り回していると思う。


 5月生まれで良かった。高校入って間もなく、雪解け直後に取れたからな。


 目指す先はとくに指定はされていないが、どうだろう。メモに書かれたウィッシュリストを見れば口にするようなタイプのモノではなく日用品のようなモノがほとんどだが、ドラッグストアだけでは少し賄いきれないような感じもする。


「じゃあ、……あそこだな」


 大型ホームセンター。あそこならすぐ隣にドラッグストアもある。ついでに寄ってくる感じで行けば完璧だろう。


 目的地も決まったことなので荷物入れをサッと固定して出発。このやり方にも慣れてきた。


 目抜き通りに出てそのまま加速。とはいえもちろん限度はしっかりと守る。


 渋滞など全く無いので助かるが、それでも少しばかりの裏道を辿りながら10分程度で到着。自転車などだとこうは行かない。自動車があればもっと早いかもしれないが、それはまた別のお話。


 駐車スペースも幸いにして空いている。一安心してヘルメットを脱ぐ。髪を梳くような風が気持ちいい――と思えたのはそれまでだった。


 吹き抜けた風は、俺の安心感までも吹き飛ばしてしまう旋風だったらしい。


「……あれ? んん~?」


 どうにも聞き覚えのある――否、聞き覚えしかない声が聞こえた。


 なぜだ?


 どうしてその声がこんなところで聞こえるんだ?


 いや、でも待て。少し待て。早まる必要はない。


 他人の空似という言葉もある。声が似ているパターンだってあるじゃないか――。


「……え、レンレン?」


「……」


 はい、確信。


 俺のことをそういう風に呼ぶヤツは、この白陽市内にたったひとりしかいない。


「うわっ、レンレンだ!!」


 ――いなむらがそこには居た。「うわっ」と言いたいのはこちらの方だ。


「え、バイク!? ってか何そのカッコ!? え、なんで!?」


「……とりあえず、ちょっとトーン落とせ。頼むから」


「だいじょぶだって、周り誰も居ないじゃん」


 たしかにそうなんだけど。マジで誰も居ないんだけど。だから誰の迷惑にもなってないんだけど。


 いや、強いて言えば俺だけ迷惑している状態ではあるんだけどな。


「……じゃあひとまず、俺の質問だけ先にさせてくれ。1個プラスアルファしかないから」


「うん!」


 聞き分けが良いな。そしていつもの数倍元気だな。


「何でここに居る?」


「学祭の買い出し!」


「あぁ……」


 そうだよな。そういう類いのモノを買いにくるならホームセンターだよな。


 しかも土日もしっかり登校して学祭準備してるヤツらもいるもんな。稲村がそこに含まれていたとは知らなかったが。


「遠くないか?」


「今日は自転車だし」


 なるほどな。それなら行動範囲は格段に広くなるな。


 それでも帰り道は大変だと思うけどな。結構な坂道を駆け上っていかないといけないし。


 ――抜かった。本当に失敗した。


「とりあえず、用事は済ますか?」


「だねえ」


 学校祭準備での買い出しがあるとは思っていたから、学校最寄りの施設は避けたつもりだったのだ。まさか品揃え重視で買いにくるヤツが、よりにもよって稲村咲妃だとは思わなかった。




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