2-2: 話の流れはよもやの方角へ


「それは、……雑だなと思ってたラインよりもちょっと上くらいの意味での『キレイな字』ってことか?」


「そこってそんなに気になること?」


「いや、別に」


「そう」


 取り付く島は無いらしいが、そのあたりはしっかり予測通りなので問題は無い。ぼんやりと漂っていられる程度の凪だから、離岸流にさえかち合わなければ良いだけだ。


 しかし、せっかくの図書室自習なのにイマイチ集中できる気がしないのは、大きな懸念材料になってしまった。生徒がほとんど来ない放課後の図書室でなら有意義に勉強が進められると思っていたのに、本当にまさかの来訪だ。こんなタイミングでこんな人が来るなんて思わない。


 連絡先を貰ったもののあまりにも気後れしてしまった結果、何の反応も出来ていない相手であるかいどうが、俺のすぐ隣の席に陣取って古文の復習をしている。


 あまりにも見慣れない光景に、ペンを持つ俺の手は完全に宙ぶらりんである。


「しないの?」


「……な、何を」


「勉強」


「す、するする。するよ」


 危うくカタカナで表現されがちな『シないの?』を想起しようとしただけだ。


 ダメだダメだ。あまりにも雑念がエレクトリカルパレードだ。一歩間違えばテクノブレイクかもしれない。


 二階堂には悪いけれど、少しだけ俺の余計な邪念を払うターンが必要だ。雑談のはんちゅうは出ないだろうけど、俺にとっては勉強の一環として重要なネタを仕入れたかった。


「……あのさ、二階堂」


「何?」


 素っ気ない声に聞こえなくも無いが、邪険にしようというような空気感は無い――と思う。


 そうだよな? あんまり自信は無いが。


 ただ、話を聞くときにしっかりとこちらを見てくれるのは嬉しい。


「二階堂の得意科目って、何?」


「……」


 無言で悩んで居られる。


「ちなみに、俺は理系の科目と社会」


「そうなんだ」


「もちろん『どちらかと言えば』って話だけど」


「ふぅん」


「理由は、解き方を覚えればどうにかなるのと、用語を覚えれば何とかなるヤツだから」


 へぇ、と小さく呟きつつ、何度か頷く二階堂。一瞬だけ何かを思案するように上を向いたが、直ぐさまこちらに向き直ったが。


「だったら英語は? 文法と英単語覚えれば何とかなるんじゃない?」


「痛いところ突くね」


「別に。そうじゃないの?」


 俺を斬って捨て置くときは一切悩まないらしい。


 言われてみればたしかにそうかもしれないけれど、俺にとってはなかなかそうなってくれないのが文系科目。日本語だって怪しいのに英語を扱える日は、果たしてやってくるのだろうか。


「うーん……。まぁ、それはともかく、二階堂は?」


「得意科目って、考えたこと無かったかもしれない」


「……あー。あぁ、なるほどねぇ」


 それはつまり、満遍なく高得点が取れ続けているから、得意と呼べるほど突出しないと。


 そうだよなぁ。もし全科目96点とかだったら、どの科目が得意とかいう話にならずに『勉強が得意』とか『テストで点を獲るのが得意』ということになる。


 ――全く、泣けてきやがるぜ。ヒトとしての完成度が違いすぎてな。


「化学とか数学とかと比べれば、国語とかの方が点数が高いとは思うけれど」


「なるほどね。……あ、そうなの?」


「うん?」


 理解したかと思いきや全く理解していなさそうなリアクションを返したせいで、二階堂の理解にも若干のブレを与えてしまったらしい。


「あ、いや。俺が勝手に噛み砕いて理解しただけ」


「そう」 


 そして、そんなことは起こり得ないとして、俺の中で早々に処分が完了しただけだ。


 俺の様子を見て話題が尽きたと判断したらしい二階堂は、そのまま自分のノートと便覧んの確認を始めた。さすがにここで声を掛けるのは非常識が過ぎる。一旦は俺も集中するべきだろう。


 しかし、次の声かけのタイミングは案外あっさりと起きた。


 ほんの些細なアクシデントを伴って。


「……あっ」


「ん?」


 小さな悲鳴。何かと思ってノートから目線を上げると、何かが高速で横切っていった。


「消しゴムが……」


「ああ、大丈夫。俺が取るよ」


 消す流れで手から滑ったのだろう。結構な勢いだったが、その軌道は幸運にも俺の視線から外れることはなかった。そして机の向こう側にある書架の脚で止まってくれたのも助かった。運が悪ければそこからどこまでも転がって、完全に陰に隠れてしまったかもしれない。


「ありがとう」


「……いえいえ」


 二階堂の無表情の中にほんの少しだけやわらかな色が見えた――気がした。自信はない。


 しかし、会話のチャンスが巡ってきた。これはありがたい。


「またちょっと訊いてもいい?」


「どうぞ」


 許可を得られたので続行。


「化学って取ってる?」


「取ってるけど」


 ウチの学校においては理科は2科目を選択することになっている。化学・物理の組み合わせか化学・生物の組み合わせが主流ではあるが、物理・生物が居ないわけでも無い。


「板書がキレイだと確信しているので、ご相談がひとつ」


「ノートだったら、今日ウチは化学無かったけど」


「あ、ハイ」


 察しが良い。そして敢え無く敗北。無いモノは仕方ない。


 ここで見られるならラッキーくらいの感覚で訊いたので、空振りだったことに残念感は一切無かった。ここでこの話は終了で構わない。


「……ん?」


 俺はそのはずだったのだが、二階堂はまだ俺を見ていた。


「何か……?」


「無視してたわけじゃないのね、って思って」


「え?」


 呆気に取られる。言われた内容を飲み込もうとしても、あまりにもカタマリが大きすぎてそもそもどれだけ口を開けても入らない。


「てっきり無視されてたのかなって思ってたけど、話せるから違うのねって」


「あっ……!」


 もう一度ゆっくりと言われてようやく気付く。その衝撃に声が大きくなりそうだったが、ギリギリで踏みとどまる。


「いやその、ホラ……。何て言うか、今まで全く接点がなかったわけじゃん。だから急に熟れた感じでは話しかけづらいというか……」


 完全にしどろもどろな説明だ。でも、実際そうだろう。俺からすれば――翔太や亮平の口調からすれば『俺たち』と言っても良さそうだが――明らかに関わり合いどころかお近づきにもなれないような存在だ。


「気にするんだ」


「気にするよ」


「案外臆病なの?」


「せめて奥手と言ってくれ。……いや、臆病で合ってるかもな」


「ふぅん」


 二階堂は納得したらしい。


 しかし、そうなると――。


「じゃあ、あれってホントに連絡して良かったのかな、って」


 彼女のセリフを額面通りに受け止めるなら、気にせずに来いということになるが。


「別に。いつでもイイって言ったし」


「……それって、本気にして良かったの?」


「ご自由に」


 なるほどね。


 だから俺みたいな童貞上がりのガキンチョには困るんだけど。


 本気で本気にしたらただのイタいヤツになりやしないかと考えてしまって、結局二の足さえ踏めない。立ち止まったままになるわけだ。


 見つめれば見つめ返してはくれるし、手を伸ばしてもある程度の距離までは待っていてくれるけれど、実際に触れそうになれば霧になって消えてしまいそうな感覚が、どうしても消えないのだ。


 だけど――。


「じゃあ、さ」


「ん?」


 ――何となくだけど。


「それってさ」


「うん」


 何となくでしかないけれど。


「明日とかでも良いの?」


 一歩踏み出さなければいけないタイミングが、今ここにある気がした。


「今日でも良いけど」


「…………え、マジ?」


「シたいんでしょ?」


「まぁ、その、シたいと言えばウソになるけど」


 そりゃあ、誰でもそうだと思うけど。


「実際問題、リベンジはしたいし」


「ふぅん」


 興味は無さそうだ。そりゃそうだ。二階堂からしてみればどうでもいい話に違いない。俺が勝手にちょっとだけお邪魔して勝手に終わっただけなんだから。


「じゃあ、今から化学のノート取りにおいで。ついでにシたらいいよ」


「ああ、なるほど。それは名案というか……」


「決まりね」


 言うが早いか二階堂は自分の荷物をさっさと片付け始めた。


「でも、良かったのか? 古文の勉強とかは」


「別に。それはいつでも出来るから」


「そっか」


 二階堂が良いというのなら、それがいちばん良い。


 俺もさっさと片付けを済ませて、――――ん?


「……んん?」


「どうしたの?」


「いや……、べつに、ナンでもナい。たブん」


「そ」


 何でもない返答を危うく噛みそうになる。カタコトにはなったが気にしない。


 今さっき、二階堂は何と言ったか。


 ――『化学のノート取りにおいで』と言った。


 二階堂のクラスでは今日化学の授業は無かったが、そのノートは今どこにあるか。


 ――恐らくは、二階堂の家の、彼女の部屋にある。




 まさか。




 今から俺は、二階堂の家に行くのか?




     ○




 学校を出て最初は同じ方向。途中で反対方向に折れてしばらく歩く。


 俺の帰路とは反対方向ではあるが諸事情有ってそちら側もテリトリーの範囲内だ。ある程度は見慣れた景色が続いている。


「こっちの方なのか」


「ええ」


 市内でも高級住宅地が広がるエリアへと二階堂は歩を進めていく。何となく予想は付いていたしウワサ程度で耳に為たこともあるが、やはり良いところの娘。そういうところに住んでいるのは事実のようだ――。


「……ん?」


 塀の高い家が続くなぁなんてことをぼんやりと思っていれば、一際それが高くなる。そもそもこの周囲の家は主な大都市圏と比較すれば広い家が多いとは思うが、それでもこのサイズはあまりみない大きさだ。


 危うく「すげえな」などと声が漏れそうになるのを抑えていると、二階堂の歩みが丁度止まった。


「ここ」


「……マジ?」


 ――デカ過ぎんだろ、さすがに。

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