1-5: 悶々とする体育の授業


     ○     ○





 今日の体育はバスケットボール。お楽しみの試合形式も半ばくらいになり、俺たちは丁度良い具合の休憩時間となった。いつもより圧倒的にボールが手に付かずズタボロだった俺の心も、この隙に少しくらいは癒やしておきたいところだった。


 身も心もぐったりしながら体育館の壁に寄りかかっていると、やたらと湿度の高そうな笑みを浮かべたしょうが近付いてきた。


れん


「ん?」


「だいぶミスってたな」


「へいへい」


 ちょっとしたズレでのパスミスが2回。ドリブルをカットされたのが1回。シュートミスも2回。最後はリバウンド争いで危うく捻挫しかける始末。本当に散々だった。いつもならもう少しウマくやれるのに。


「まぁ、後は声もかからないだろ。前半フルタイムで出たし」


「ミスも多かったし」


「黙りなさい。……それはホラ、ミスるヤツをこれ以上使う理由もないってことで、この後は全部休めるだろ」


「どういう方向性の負け惜しみだよ」


 そう言って笑う翔太。バレてる。それもそうか。


 しかし、本当にヒドい有様だった。こういうときにこそ少しばかりカッコイイところでも出せれば良かったのだろうけど、人生なんて早々ウマく行くわけがない。


 強いて言えばその原因は――今までには無かった視線か。


 本当なら他人の所為にしてはいけないところだ。それくらいは重々理解しているつもりだ。それが仲間内とか対戦相手からのモノではなく、完全に対岸から飛んできているように感じたモノだったから、明らかに悪いのは俺なのだが。


 それでもちょっとくらいは、かいどういなむらの視線のせいにもしたくなるという話だった。


「(よりにもよって、こっちにわざわざ来ないでくれよ……)」


 体育の授業は複数クラス合同で実施される形式。それについては何も問題は無い。


 隣のクラスには二階堂と稲村がいるが、この時期の体育であれば基本的にはどちらも屋内で実施するならふたつの体育館を分け合うカタチで分散したり、屋外と屋内とで分散したり、屋外でも全く違う競技をするなどで分散したりと、基本的にニアミスすることはないように設定されている。


 だが、今日の天気はあいにくの雨。別の学年で同じ時間帯に体育の授業があったため、同じ学年同士でそれぞれの体育館を分け合う形式になってしまったのが俺にとっての大問題だった。


 ――昨日童貞を捨てさせてもらった相手が、防球ネットのすぐ向こう側に居る。


 その事実は、俺の指先に動揺を来すにはあまりにも充分過ぎたという話だ。


 授業の前半の内からその姿をコソコソと探しているあたりからしても、俺はだいぶ小物だ。単純な話で、だったら最初から見なきゃ良いのに、気にしなきゃ良いのに、それでも探して、そして勝手に動揺してるんだからどうしようもない小物だった。


 挙げ句の果てには、何を思ったのかあのふたりがわざわざ俺からもハッキリと視認できるところに陣取って、何やら話しながらこちらを見ているからどうしようもない。全く情けないヤツだった。


 だが、そんな俺と同じくらい情けない声を出しているヤツも居やがった。


「……はぁ」


「辛気くせえな」


 ときりょうへいは徹底的なまでに陰気に包まれていた。


 翔太もそこまでストレートにぶつけることも無かろうとも思うのだが、さすがにあまりにも引きずり過ぎなところは否めない。昼休み直前で腹が減る時間ではあるけれども、座学よりは余程マシとも言える体育の時間。いつもならもっとテンション高くアッパーな感じなのだが、ここまで来ると本当に重症そうに見える。


 そんな理由でのサボリはさすがによろしくないだろうということで、俺と翔太が必死になって学校には連れ出してきたが、結局この有様だ。授業合間の休み時間ではろくな話もできないままだったので、ようやく膝をつき合わせて話ができるところだというのに。


 とはいえ、あまりのショックで授業中の睡眠学習を疎かにしていたのは、唯一評価できるところだったかもしれない。


「そんなにダメだったのか?」


「……良いよなぁ、お前はよぉ。いくら無表情だろうとも明らかに学内トップクラスの女子にお近づきになっちゃうとかさぁ……。本来なら簡単にお近づきになれるような相手じゃねえんだぞぉ? そんなヤツに何を言われたところでよぉ」


「……」


 スマン、俺もお前に『辛気くさい』とハッキリ言いたくなったわ。


「まぁまぁ。結局チェリーボーイな蓮くんはその後何もなかったんだからさ、そこら辺はもう言いっこなしだろー」


「んぁー……」


 翔太にすら正確に話すことは気が引ける状態だ。ならばこんな状態の亮平にはなおさらだろう。色々と面倒な絡み方をしてくることが確定しそうなので、ここでも俺は自衛策を採ることにしていた。


 要するに『あの後は、何も無かった』、『ナニもシなかった』。そういうことだ。


 翔太は『そういうことにしておいてやるよ』感を少しだけ出しているような感じがあったが、余裕のない亮平に全くその傾向はない。正直助かった。亮平の場合、平常時であっても気付かない可能性が高いが。


「はぁ~あ。……まぁムダに腐っててもしゃーないとは思うけどさぁ」


「ちょっとは紛れたろ?」


「ちょっとはな。やっぱ身体動かすのって悪くねえわ」


 翔太も亮平も案外根っからの体育会系だ。翔太はサッカー部、亮平は硬式テニス部だ。その辺りは相通ずるところがあるらしい。――俺にはイマイチ解らないが。


「……それにしてもなー。俺、今回は自重した方だと思ったんだけどなー」


「まぁな。いつもよりは、大人しい方だったと思うけど」


 少しだけ元に戻ってきた亮平は自分の行いを後悔しているらしい。アレでいつもより大人しいのなら、普段の合コンならコイツは一体どういうテンションなんだろう。今度同じように誘われたとしても亮平がいるときは止めておいた方が良いだろうか。


「結局、ピエロじゃん」


「うーん……」


「だって、支払ってきたらデキそうだったところは完全にデキてるし、興味なさそうな子はガチのマジで速攻消えてたし……。それはもうピエロだろー」


「それは俺もいっしょにピエロってことにならん?」


「まぁ、それもそうだろ?」


「……」


 あ、翔太も心が折れそうになってる。ミイラ取りがミイラになりそうだ。これはちょっとマズい。


 俺はあの会場を中座した身である上それ以外の経験をしたことが無いので実体験には基づかないが、合コンがお開きになったタイミングで取り残される側になるのはたしかにキツい。本気度が高ければ高いほど辛いだろう。


 気持ちは理解できるし、何よりここで翔太にまで気落ちされるのは困る。


「だったら俺もピエロだよなぁ」


「そうなぁ、そのまま帰宅したんだからなぁ……」


 チラッとだけ視線を俺に寄越した翔太は、そのままニヤリとほくそ笑む。


 なるほど。そのままノれと。


 つまり今のは演技かよ。怖いな。


 っていうか、やっぱり翔太は何となく察してるだろ。


「正直、蓮と二階堂さんが一緒に居なくなったときは『うわ、マジかよ!』って思ったけどな」


「いや、マジでそれよ。でも、それでどうして『何にもない』んだよ」


「『何か』を起こせると思うか? あの人相手に」


「そうなぁ」「だなぁ」


 即答は止めてくれ。ガッツいてたクセにそこで引き気味になるのは止めてくれ。


「ということだから、蓮には亮平を反面教師にして今後も精進してもらおう」


「おお、そうだな。俺を先生として崇めろ」


「……」


「何だよその視線は」


 ジョークなのかガチなのか、若干不安になっただけだ。


 まさか『反面教師』という単語の意味を解ってないなんてことは、無いだろうから。


 恐らくはシンプルに、話をあんまり聞いてなかっただけだとは思うが。


「……ヨシっ。ちょっと元気出た。行ってくるわ」


「あ、じゃあ俺も。蓮はどうする?」


「俺はバスケではダメなメンタルになってるから、遠慮しとく」


「ん、了解」


 亮平の精神状態はある程度回復したらしいので御の字。


 ついでに翔太の精神状態も悪化せずに済んだので御の字。


 俺はまだいろんな意味で回復作業が必要なので御の字。


 ただ、今座っている場所からは向こうの様子が見えすぎているので、少しだけ離れることにする。


「……ふぅ」


 鋭く息を吐き出す。身体の中の淀みを勢いよく出したかった。


 ――だけど、結局もやもやとしたモノが腹の中から出ていかない。


「いっそのこと雨にでも打たれた方がマシな考えになるかもしれないな、……なんて」


 阿呆なことを考えて、アタマを振ってすぐにその思考を追い出した。


 ――だけど、直ぐさま別の思考が割り込んできて離れない。


 どこまでこの嘘を吐き通せるのか。


 この関係性はどうするべきなのか。


 連絡先はもらったものの、『次』を起こせるのか。


 起こしたとしてどうするのか。


「これなら、本当に何も無かった方が良かった……のか? いや、それは違うよなぁ」


 それは、二階堂に失礼な気がする。


 童貞根性丸出しだとは、自分でも思っている。


 たしかに俺たちは、シた内に入らない程度の時間、ただ一瞬重なり合っただけだ。


 デリケートな部分をほんのひととき晒し合っただけだ。


 だけど、『ヤっただけだ、それがどうした』と割り切ることもできない。


 しかし、そう考えてしまう理由もよく分からない。


「……ほとんど解らん」


 恋愛感情も、性欲も、解らん。


 そうやって解らないからと言って切り捨てようとしたときに脳裏を過るのが、何度か見た二階堂の瞳。


 その奥の方に何かが見えそうで。


 そこにもしかしたら何かがありそうで。


 俺は昼休みの時間も悶々とし続けることになった。



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