I-B: 体育の授業にて、彼を眺める


     ○




「さてさて。良い感じに逃げられたわねー、っと」


、言い方」


「でも実際そーじゃん?」


「……まぁ」


 そこは私もわざわざ否定しない。ウマくやったなぁとは思う。


 体育の授業時間も残り半分を切ったあたりでほぼ自由時間のようなスタイルに落ち着いていて、何となく試合に出ている子を交代しながらそれなりにゲームが回れば良いくらいの力加減になっている。空気を読みながら適宜交代をしつつ、休憩がてらステージ上に座っている間はこちら側へ向かって不意に吹き飛んでくるボールにさえ気を付ければ良い。要するにある程度だらけたような空気感だ。


 バレーボール部に所属している子や球技が得意な運動部所属の子は、やっているレベルが低いせいで当然ながら少し退屈そうな様子ではあった。が、体育の授業は部活のウォーミングアップとして使うべきではない。もちろんその程度の良識は弁えているようなので一安心。たまにいるのだ、自分が部活でやっていて他より優位を取れるからといって度を超してマウントを取ってくるヒト。去年のクラスにはそういうタイプの子がいて、わりとしっかり迷惑だった。


 咲妃と私は、試合中のコート側からは死角になるところにこっそりと移動することができた。試合への参加は最初のうちに自発的に行っている。この『自発的に』というのが大事だ。これで後から呼びつけられることもないはずだ。


 その辺は当然考えてある。文句は言わせない生活態度というのが重要なのだ。


 今日は生憎の雨。体育の授業は男女ともに同じ体育館を使っている。そのため防球ネットを体育館の真ん中に張ったその向こう側では、男子がバスケットボールをやっている。あちらはいわゆる熱血系の教師が担当しているので、しっかりやらないといけないらしい。


 ――とはいえ、その心配も要らなさそうだ。男子たちがむしろかなり熱が入っているらしく、「いいぞー」とか「なにやってんだよー」などという声が止むことはない。こちらとは正反対の雰囲気。お昼休み前なのに元気なことで。


「そういえば、渦中のが居るクラスと合同だったわねー」


「……レンレン?」


 誰だろう、それは。


「あれ? ほら、あのヒト、……えーっと、苗字なんだっけ?」


 ほらあそこ――と咲妃が指差す方向を見る。今ちょうどリバウンド争いに加わろうとして一瞬で自粛し、その争いから零れ出たボールをさらりと素早く回収した男子のことらしい。


「ああ」


 合点は行く。さすがに顔を忘れたとかいうことはない。


ふかざわくんね」


「そうそう、それそれ。深沢れん


 何となくリズミカルに言う咲妃。それに自分で気付いて勝手に笑う咲妃。


 今日も楽しそうで何よりだ。


「で、そのレンレンのことだけどー」


 咲妃の中ではその呼び方で固定されたらしい。私に実害はないので別に構わないけれど。


「……あの後結局どーだったのよ」


「シたけど」


 細かく頷く咲妃。


「ほう」


「一瞬で終わったけど」


「ぶふっ」


「はしたない」


 随分と派手に噴き出した。さすがにそれはちょっと。


「『汚い』じゃなくて『はしたない』なの、何となくっぽさあるよね」


「知らない」


 別に、そこには何の意図も無い。ただ思ったことを言ってみただけだ。


「それにしても菜那ってば、あまりにもド直球で言うんだもの」


「たしかにね」


 そういう意味では私もはしたないのだろうか。しかし、下手にオブラートに包んだところでそれに意味があるとは思えなかった。


「でもでも、そっかそっかー。ってことはハジメテくんだったか、レンレンは。……まぁ予想通りだけど」


 今回の集まりはどこからどう見ても『仲良くなりたい欲』と、さらには『ヤりたい欲』がズル剥け丸出しになっている男子が半数以上いた。いっそのことほぼ全員だったと言っても問題は無い気がする。そして、そういう欲を受け入れる体勢だった女子もそれなりにいたからこそ、今回開催されたのだろうということくらいは解っていた。


 だからこそ私は、致し方なく顔を出してやるにしても今回は止めておいた方が良かったとあの場所に着いてから思ったくらいだったし、あの場に咲妃もいっしょに居るからどうにか耐えられた気はしていた。あんなところで無駄に空回る気など一切無い。


 ただ、その中でも深沢くんは、明らかにああいった場の空気に慣れていない感が隠せていなかった。全体的な佇まいとかパッと見た感じからは、一緒に来ていた彼の友人たちと似た雰囲気はあったけれど、細かく見れば誰でもわかる。そのくらいには慣れてない感じが露骨だった。


「だから咲妃、あの時深沢くんに声かけたの?」


「まーね。同じ学校なのも気付けたからね。そうじゃなかったら無視してたかもだけど」


「そう」


 私は何も気付かなかった。私服だったし。コレと言った特徴的なところも無いし。彼の友人ふたりにしてもどこかで見覚えがあるのかもしれない程度の認識でしかなかったけれど。


「何て言うかねー。アレはアレで何かかわいそうだったし。あっちはあっちで助かったんじゃないかしらねー」


「慣れてないとは言ってた」


「でしょうねぇ。2年生なのに高校デビュー感ハンパなかったし。合コンデビューならそりゃそうよねー」


 そう言って咲妃は笑う。


「そっかー。じゃあ、ナニがどうだったかみたいな話にはならないかー」


「……」


 面倒なので無言で回答することにする。今此処でするような話でもないし、そもそも詳しく話せるほどの時間では無かったし。


「じゃあ話題を変えましてー」


 察したらしい。


「その後は?」


 ウソ。ほとんど察してない。


 そもそも、続きの話を訊くことが『話題を変えた』内に入るのだろうか。私は入らないと思うけれど。


「その後って?」


「ホテル出る前的な。……あ、そうそう。こっち先に訊いた方がいいわ。連絡先とかは? 交換したの?」


「した」


「……へえ」


 くりっとした咲妃の目が殊更にくりっとする。こういうところは素直にカワイイと思う。その一瞬の間だけは気になったが。


「なるほどねー。で、その後は?」


「ホテル出た」


「ほむほむ」


「何その相鎚」


 初めて聞いた気がする。何か説明が欲しい気もしたが、咲妃はスルーする気満々のようなのでそれ以上は何も言わずに諦める。


「それで?」


「送ってくれた」


「え。……え、どこまで?」


「家の、……まぁまぁ近くくらいまで」


「そうなんだ」


「そう」


 最初は別に良いと言ったが、深沢くんとしては譲れないところがあったようで、途中から拒否するのも若干面倒になったのもあり途中までは送ってもらうことになった。実際のところ、ホテルから家の道中にはちょっとした歓楽街もあるので少しありがたかったのは事実だったが。


「……それで、おしまい?」


「うん」


「送った先でー……みたいなこともなし? リベンジマッチとか言って要求されなかった?」


「うん、全然無かった。曲がり角みたいなところ曲がるまで交差点のところで見てたけど」


「後付けたりは無し?」


「無し」


「ふーん、なるほどねぇ……」


「何?」


「なぁんにも?」


 いきなり見つめられると誰だっていぶかしむと思うけれど。


 だけど咲妃はそんなことを意に介することもなく、うんうんと小さく何かを噛みしめるように頷くとおもむろにステージから降りた。


「よしっ。……ちょっと男子の方行って見てみよーっと」


 こちらを見ながらそういう言い方をする。自分だけで勝手に行くわけでは無い、目的を共にするためにも私にもついてこいと暗に言っている。何も言われずともその目的は理解しているし拒否権など行使する気はないので大人しくくっついていけば、案の定咲妃は満足そうだった。


「まー、この辺でしょ」


 女子側の試合も見やすく、男子側のチェックもできる。ある意味では理想的な場所を確保した。


 当然だが、深沢くんの位置も一瞬で把握できる。その表情すらも手に取るようにわかる。


 だからこそ、私や咲妃の姿を見た瞬間に相手チームの男子にドリブルをカットされた理由も、何となく察してしまった。


「あ、ミスった。なるほどねー、やっぱクールって感じじゃないわよね」


 咲妃にもそれはわかったらしい。


「クールぶろうとしてるわけじゃないけど、結構表情とかはわかりやすめだったよね。イジられ系ってこともないけど実はイジると面白そう……みたいな」


 ついでに悪いことを言う。


「でも、あの時もちょっと思ったけど、ビジュアル的には中の上? 上の下? って感じよね。特徴的なところはないけど」


 それはわかる。深沢くんには特段特徴的と言えるような要素がない。記憶にあまり留まらない顔――とでも言うべきなのだろうか。ヘンな方向で記憶に留まるよりはマシかもしれないけれど。


「そういえば、菜那は気付いてなかったもんね」


「何に?」


「レンレンが同じ学校ってこと」


「そうだけど、別にそもそも興味無いし」


 あそこに行ったのも、あのタイミングで1回顔を出しておけばしばらくは平穏無事に過ごせるかもしれないという打算しかなかった。いちいち来てるメンバーがどうとか確認する気がなかった。


「……まぁ、でも、ふつうそうでよかった」


 何がだろうか。そうは思ったが、これ以上話を広げる気も当然無い。


 返答をしようかと思っていたタイミングで丁度器具の片付けの時間を迎えたのは、私にとっては明らかに幸運だった。

 

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