1-4: 平静を装う朝 / I-A: 平穏な朝


「ぃよう、れん


「……んぁ? おお、おはよう」


 何事もなく友人――いまいずみしょうが声を掛けてくる朝。


 それは思った以上に――むしろ圧倒的なまでにだった。周りには学ラン姿の男子生徒と、セーラー服姿の女子生徒だらけ。一般的な我が国の高等学校、まさしく日常風景がここに在る。


 いつもと違うところを強いて挙げようとするならば、封を開けたばかりで中身もほぼそのままになっている小さな箱が俺のカバンの中に入ったままになっていることだろうか。その中身のうちの数個を何のつもりか財布の中に移してもいるが、それもまたいつもと違うところのひとつなのかもしれない。


 言ってしまえば、変わったことなんて所詮その程度でしかなかった。


「……なぁ、蓮よ」


「ん?」


 翔太がチラチラと周りに目配せをしながら顔を寄せてくる。


「昨日、はどうだったんだよ」


「……何の話だ?」


「いやいやいやぁ。……ハハハ」


 わざとらしさすら漂う乾いた小さな笑い声とともに、ガッツリと肩を組まれる。


 こっちだって理解していないなんてことはない。翔太が言いたいことは解るが、せめて教室では止してほしいと思わなくは無い。だからと言って廊下や道すがらで出来る話題でも無いのは確かだが。


「昨日のだよ。……しれっとヤるじゃんか、お前」


 翔太からすればそういう反応になるのは理解出来る。


 帰宅後の俺のスマホに飛んできた連絡からすれば、翔太はそこそこ脈ありな感じではあったが、それでもイマイチなことには変わらないといったところ。もうひとりの連れであるときりょうへいについては残念ながら完全に空振りの様相らしい。結局最初から決め打ち感の漂っていた組み合わせだけがうまく行ったような感じのようだった。


「アレは急用が出来たんだって。いなむらさんあたりから聞いてないのか?」


 そういう風に口裏を合わせたと思っていたが。


「まぁ、聞いてたけど。どーせ違うんだろうなってことで、俺は今お前に聞いてるんだが?」


「そこら辺は信用してくれよ……」


「っつーかさ、何でお前は、ンな態度なんだよ。お持ち帰りじゃん。しかもかいどうさんだろ? あの『アイアンメイデン』をお持ち帰り出来るとか……」


 げしげしと肘での攻撃が飛んでくる。


「いや、お持ち帰りは……何というか」


「は? ……っと」


 思わず声がデカくなってしまったことに焦る翔太。その辺は最低限察してもらえて嬉しい。こちらに向き気味な視線が各々に分散したことを確認してから、翔太は改めて小声で俺に説き始めた。


「……あのな、蓮。いいか? 教えてやるからな? 合コン会場から女の子をひとりでも連れ出して、その後帰ってこないということを、世間では『お持ち帰り』と言うんだぞ?」


「待て待て。俺はそこまでモノを知らんと思われてるのか?」


「一般教養として備わってるか心配になったんだよ」


「そんな一般教養はこの国に存在してねえよ」


 知らんけど。俺の知らないところにそういう世界があっても不思議では無いけれど。どうせ俺が知っているセカイとかいうものは、この世界全体の那由他分の一ほどもないのだろうけど。


 ただ、何というか――。


 それにしても言いづらい。とにかくあまりにも言いづらい。


 あの1回きりなのであればいくらか「何もなかった」と言ってしまえる覚悟もできるのだが、何の間違いか二階堂とは連絡先の交換が出来てしまっている。ただしその連絡先の使い方は『シたいときに連絡しても良いよ』という具合のモノだ。ハッキリ言って、真に受けてしまって良いのか、俺にはそのさじ加減が全く解らない。


 どうやって説明すれば良いのかと悩むくらいなら、言わなくても良いだろうと思ってしまう。今後何かしらを翔太に説明できる日が来るとも思えないが。


「……え、何。お前らマジでふつーに出てっただけ?」


「そうだぞ。しかもたまたまタイミングがかち合っただけって話だ」


「…………ウっソだぁ、ンなわけねえだろぉ」


「マジだって」


 できるだけ間髪を開けずに答える。目は真っ直ぐに翔太を見ることだけを意識する。


 が、まだオトせている感じはしない。一旦追い打ちをかけておくか。


「そもそも俺、結局ほとんど誰とも話せてないだろ」


 言ってて哀しくなる自虐的な事実は、事実としてウソを補強することができる。


「そんなヤツがそんなこと出来るわけが無いってことよ」


「……ふぅん。まぁ、……そうな。お前ああいうの初めてだって言ってたしな。アレはちょっと難易度高かったと思うわ」


「最初から何個かペア作られてたら敵わんよ」


「うん、それはそう」


 わりと力強く同意する翔太。まだ疑いの芽を潰せているとは言えないものの、それでもある程度の納得感は与えられたようで一安心だ。今後どうするかは様子見が必要だろう。


「……っていうか、何そのあだ名。『アイアンメイデン』って」


「だって、すげえ可愛いけど表情無いじゃん、あの娘。だから『鋼鉄の美少女アイアンメイデン』って」


「ああ、『乙女』とか『少女』の意味で取ってるのか」


 てっきり中世ヨーロッパの拷問器具か、あるいはロックバンドの名前の方で取ってるのかと思った。本人が耳にしたときの反応が恐ろしいので、俺は使わないようにしよう。


 とはいえ一度そういうワードをインプットしてしまった現状、これがいつ何時発出してくるかもわからない。余計なモノを記憶の中に留めておくのは良くない。一旦ここは『深窓の令嬢』と言う言葉で置き換えてもおこう。勝手にお嬢様キャラに仕立て上げるのも如何なモノかとは思うが、今は仕方ない。そう、きっと仕方ないのだ。


 たしかに、整いすぎてるくらいに整った美人顔だけど、それが大きく崩れることもなかった。ずっと真顔というわけでもないけれど、絶対に破顔はしない感じ。稲村と話すときも顔色ひとつ変わった感じはなかったし。そういう術を知っているのかもしれない。


「俺もどっかの誰かが言ってたのを聞いただけだから、それはそういうことで……。とりあえず亮平を慰めるのだけ手伝ってくれ。先にお前の話は通しておくから」


「あ、おう。……え、何、亮平そんなに傷付いてんの?」


「ズタボロ。今日来たくねえとか言ってる」


「それはダメだろ。っていうか何があったんだ」


 亮平の家がここから近いのは知っている。チャリを飛ばせばまだ間に合うはずだ。


 合コンのひとつに打ち破れただけで大袈裟な――とか思ったが、今の俺が不用意なことを言っては危険かもしれない。


「……やっぱお前って、マジメだよな」


「んなことぁねえよ」


「棒読みの時点で解ってんだって」


 そうだろうな。誰だって少々探れば俺がなことくらい解る。


 だからこそ、去年の1年間で何事も無かったのだから。




     ○     ○




「おっはよー」


「うん」


「挨拶はきちんと挨拶で返すことー!」


「……おはよ」


「よろしいっ」


 いつものように朝から嵐がやってきた。稲村という子はいつも朝からこうだ。もちろん昼もそうだし、放課後になってもそうだ。何なら放課後に近付くに連れてさらに嵐は大きくなっている気がする。どういうメカニズムなのか、永久に解明される気がしない。


 そんな咲妃ではあるのだが、いつもよりさらに幾分かテンションが高い気はする。


 何があったのやら。イイ予感はあまりしない。


「……何?」


「そんな邪険にしないでってば」


 私の何となくの雰囲気を悟ることはできる咲妃。勝手に私の前の席の子の椅子を陣取り、こちらに向かって両手で頬杖をつきながら、やたらとニコニコとした笑顔を向けてくる。


 何かを訊いてこようとしていることくらいは私にでもわかる。イヤでも解ってしまう。付き合いがそこそこ長いからなおさらだ。


からも訊いとけって言われたからね。仕方な~く訊こうと思うんだけどー」


 結衣香――フルネームははま結衣香。昨日の集まりの首謀者のひとりにして、今でこそ違う高校に通っているが私と咲妃の共通の友人でもある。キャラクターの方向性は明らかに私より咲妃に近い。ほぼ同じ扱いをするヒトもいるかもしれないけれど、微妙に違う。結衣香の方が若干容赦ない性格と物言いをする。


 訊きたいことなんてどうせ昨日のことだろう。そして何となくだけれど、今の咲妃のセリフはちょっと疑っている。実際に結衣香も興味があって訊こうとしていたのだろうけど、より知りたがっているのは間違いなく咲妃の方だと思う。第一、あの会場を離れるときに『レポートよろしく』なんて言ってたのは他ならぬ咲妃だ。


「無言ってことはOKだと取るから」


「どうぞ」


 今日はもう諦めた方が良さそうだ。相手が咲妃だということもあるし、そうじゃなくても何かしら訊かれるだろうとは思っていたのでその辺りについては何も感じない。不快感はない。


 そう思って咲妃を見ていると、彼女は周りを見回す毎にその表情を落ち着かせていく。まるでそういう機能になっているみたいでちょっと不思議に思える。


「でも、ちょっと場所か時間変えよっか。わりとヒト増えてきたし、さすがにね」


「わかった。……図書室前とかにする? あそこは朝だとあんまりヒトいないと思うし」


 ひとりになりたいときに行くべきポイントはいくつか抑えてある。図書室前はその中のひとつだ。一般教室棟とも特殊教室棟とも少し離れていて、それらの移動のときにわざわざ通る生徒も少ない。私にとっては恰好の避難場所だった。


「あー……どうしよっかな」


「……だったら体育の時間とかにする?」


「あっ、そっち採用。たぶんバレーボールでしょ。待機時間とかあるだろうし、そこで」


「ん」


 今日はお昼休み直前に体育が入っている。女子側はやる気がないことに目くじらを立てるタイプの体育教師ではないので、恐らくは大丈夫だろう。


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