田口編
25時のロマンス
出会いは確か、25時の喫茶店だった。
田口は高卒のフリーターで、生活費を稼ぐ為にダチ公の友達の父親が開いている、0時から7時の時間帯にだけ開店する小さな喫茶店によくバイトをしに行っていた。
時給千円で美味しい賄いもついてきて髪型自由・ネイルOK。赤髪を短くしっぽのように纏め、黒のスカルプネイルをした田口にとっては有難い居場所であった。
しかも田口は顔が広いので、他のバイト先であるスーパーのパートのオバチャン軍団がよく喫茶店にやって来ては「お腹空いてない?大丈夫?」「これうちで採れた野菜」「箱でお茶買ったから五本貰って頂戴」と沢山の品物をくれる。わんこのように人懐っこい田口は隠れマダムキラーなのだ。
そのお陰か喫茶店の売上も右肩上がりで、元々、田口一人しか雇っていないので給料も少しながら増え、田口は懐あったかニッコリ笑顔で接客をしまくった。
ある日の事である。店に異様な雰囲気を醸す人が現れた。
「君の事好きになったから責任もってボクと付き合って下さい」
男なのに自らコヨリちゃんと名乗るその人は、毎回25時にやって来て、高い赤色のハイヒールをゴツゴツと鳴らし俺の目の前に立って告白し、一杯のホットコーヒーを注文する。190cmもあるガタイのいい男にこうして何回も迫られ、当初は体が固まってしまったが今では簡単に受け流している。
「帰ってもらっていいスか?」
「何で!?これで多分百回は告ってるよ!」
「数だけが全てじゃないでしょ」
えーん、と泣き真似をしながら流れるように席に座っては、直ぐに気分を変えコヨリちゃんは亜麻色の絹のように繊細な長髪を束ね、黒い丸ぶち眼鏡をかけ、必死にノートパソコンに食らいつく。何処かの出版社の編集長なんだそうだ。毎回何かに追われているらしい。
時々舌打ちしたり、爪を噛んだり、こめかみをかいたりして相当イライラしているんだろうなぁと田口は察した。
「ホットコーヒー、お待たせしました」
「ありがとう。付き合おうね」
「付き合いませんて」
カチャカチャと音を立てながらテーブルにコーヒーを置き、カウンターへとすぐ向かう。コヨリちゃんはダバダバとミルクと砂糖を入れてスプーンでかき混ぜ、一気に飲み干した。熱くないのかな、と不安になったが、顔色一つ変えずケロッとしている。もしかして人間じゃないのか?
そうして数十分立った後、彼が懐から煙草とライターを取り出したので田口は灰皿を持っていく。ここの喫茶店では許可した者のみが煙草を吸えるとかいう変なシステムがある。
コヨリちゃんがカチカチとライターを付けようとするが一向に火がつかず、頭上に"?"マークを浮かべた。どうやら壊れてしまっているらしかった。
「おっかしいなー。朝ついたんだけど」
何回も試すが全くつかないので、田口はカウンターにあるマッチを手に取ってコヨリちゃんの元へ駆け寄った。
「うわありがとう。ダサいとこ見せちゃったなー。ボク好きな子にはかっこいいとこだけ見て欲しいタイプなんだよね」
「いいから早く使って下さいよ……」
ン、と差し出すとコヨリちゃんは受け取ろうとしたが、手を引っ込めた。
「田口くんが付けてよ」
「……俺、火つけれないンすよ。怖くて」
「じゃあ煙草吸う時どうしてんの?」
「コンロかチャッカマンでやります」
「え死ぬ程ダサすぎて死んじゃった。何?外で吸う時チャッカマン取り出すの?」
「新時代のファッションで通してます」
「無理なんだけどほんと」
そう言って田口は自分のエプロンのポッケからチャッカマンを取り出し、コヨリちゃんがくわえる煙草に火をつけた。紫煙が一筋の蜘蛛の糸のように天井へと登り、喫茶店内へ流れる。煙草をくわえる彼の姿は妖艶で、薄らと開く唇が何とも言えない色気を放っている。
「……そんなに見られたらボク興奮するよ」
「しないでくださいよ。盛るな」
酷いなぁとくすくす笑って、二杯目のコーヒーを頼むこと無くコヨリちゃんは帰っていった。服にはあの煙草の匂いが少しだけ残っていた。
一週間後、いつもの時間にコヨリちゃんは一人の男を連れて喫茶店へやって来た。白髪でピアスを開けまくっている不健康そうな男だった。目元には隈も見える。
「ホットコーヒーお願いね。アザフチくんはどうする?てか食べれる?」
「ンァ全然食います。朝から何も食ってないんで。エート、カツサンドとオムレツとプリンアラモードとレモンスカッシュ下さい」
「そんなに食べたら太るよ!」
「黙れ黙れ黙れ黙れ。オレはアイツの原稿貰ったら太ってでも飯を沢山食うって決めてたんです止めるなーーーーッ!」
何かヤバい薬でもやってるのかなと思った田口はいそいそとその場から離れ、調理に写った。あの男はアザフチというらしい。コヨリちゃんの友達か何かだろうか?しかし原稿について話しているあたり、コヨリちゃんの部下なのかもしれない。
まぁ自分には関係の無い話なのだけれど。
そうして出来た料理をテーブルに届けると、アザフチは嬉しそうにもそもそと食べ始めた。小さくうまいうまいと言う彼を見て、田口は心底お腹が空いてたんだなあと同情した。
コヨリちゃんは相変わらずミルクと砂糖を入れたコーヒーを一気飲みし、黙ってノートパソコンに向き合った。アザフチもながらではあるが赤ペンで原稿に修正を入れている。
こうして無言のまま作業をして数十分。背伸びをして席から立ち上がった。
「ちょっとトイレ。あ、そうだ。田口くん、コーヒーのお代わり用意しといて」
「ハイ」
コーヒーを入れる前に、机の上に残る空き皿を回収しようと席に近寄ると、アザフチにジィッと見つめられた。鋭いその視線に田口は身を縮めてなんですか、と聞いた。
「いや、あの人趣味変わったなって」
「えっ」
「お前、めっちゃ好かれてるんだな」
呆れるほど男の方が好きだしな、と付け加えてカッカッカッとアザフチは変な笑い声をあげた。田口はそれを聞いて、ゲイなんだという事よりも早く、好かれているんだ、俺。え何で?という事でいっぱいになった。
好かれる要素どこにあるの?
「マ、その反応見りゃ悪い気はしてないんだろ?いいじゃん付き合っちゃえよ」
「付き合えって……そんな他人事みたいに」
「実際、他人事だしな。でも悪い物件ではねえよ。金は持ってるし猫飼ってるし顔はいいし、それに猫飼ってるし」
「猫そんな重要なんすね」
「当たり前だろ。猫は万物を救うんだよ」
何話しているの!とトイレから戻ってきたコヨリちゃんが二人の間に割って入り、三人は仕事を放って談笑した。それは閉店時間ギリギリまで続き、それに気付いたコヨリちゃんはお暇しようとアザフチに行った。二人は帰りの方向が違うのでここで解散するらしい。
しかしコヨリちゃんは田口の方を向いて一緒に帰ろうと言った。
二人は利用する駅が同じなのだが、後片付けも相まって帰宅する時間が更に遅くなるかもしれないと告げるが、コヨリちゃんはそれに構わず田口を待つと言う。
結局早く終わらせる為にコヨリちゃんまで手伝い始めて直ぐに終わった。
二人はキン、と冷える冬の日の朝、マフラーに身をうずめて歩き出した。
コヨリちゃんは懐からいつもの煙草を取り出して口にくわえ、ライターで火をつけた。冷えた空気の中、上へ上へと上っていく煙を田口は見つめていた。煙が少し目に染みた。
田口も何だか吸いたくなってタバコを取り出すが、愛用のチャッカマンが見つからない。
店に置いてきてしまっていたのだった。
田口の煙草に火が着いていない事を見つけたコヨリちゃんは、自分の火のついた煙草を田口の煙草と重ねた。
「吸って」
言われるがままに田口は煙草を吸った。無事に火がついたのか、双方の味が混じり合い、決して美味いとは言えない味が口の中に広がった。
「お、ついた」
「つ、きましたね。ありがとうございます」
これすればチャッカマンお役御免すね、とコヨリちゃんに向かって笑うとそうだよ。と言い
「ボクが居れば何処でだって吸えるよ」
グッと掴まれたかと思えば、田口はくわえていた煙草を取り上げられ、ジュッと唇に染みるようなキスをされた。
薄らと唾液が煙草の煙と共に口内に流し込まれ、田口は驚き離れようとしたが、コヨリちゃんにキツく腕を掴まれている為離れることが出来ず、素直に飲み込むしかなかった。
何とか振り払ってまだ紅潮する顔を腕で隠し、コヨリちゃんと距離を取った。
彼はさっきまで吸っていた煙草をもう一度口にくわえて田口を見た。
はぁはぁと息を吐く必死な田口を見たコヨリちゃんは、手を叩いてワハハと笑った。その反動のせいで口からポロリと煙草を落としたかと思えば、慌てて手のひらで拾ってしまい盛大に火傷をしてしまった。
それを見た田口は仕返しだとばかりに大笑いし、二人で朝焼けで輝く街の中、手を繋いでゆっくりと歩き帰宅した。
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