葬式とアザフチ

小粋な馬鹿という、ちっぽけで間抜けで自堕落で救いようの無い女作家の話をしよう。


俺はアザフチと言う。小粋な馬鹿の編集をやっている。さて自分の事はどうでもいい。興味を持たないでくれ。俺が聞いて欲しいのは小粋な馬鹿の事なんだ。

彼女は文字が書けて読める人間だった。が、頭が痛くなるとかそう言うしょうも無い理由で、本を沢山読む事はせず、唯一自分の心を射止めた谷崎潤一郎の「痴人の愛」だけを愛読した。其れを読んで以来、自分も小説を書いてみようという気になり、ある男と椿に宿った怪異の恋愛物語「毒を食らわば来世まで」を書いた。まずまずの出来だろうと思った彼女は、ある小説の大会に出す事にした。

すると誰が思ったか大賞受賞。あんなエログロ頓痴気話が選ばれるだなんて思っていなかった彼女は、驚き半分嬉しさ半分で胸がいっぱいになった。そして、自分に話を書く才能があったのだと誤って認識したのだ。


そして、その日。俺と小粋な馬鹿は出会ったのだった。


彼女はその後、何年も狂った様に小説を書き続けた。俺に嬉々として話の内容を話す彼女の笑みといったら。何物にも代えがたい愛おしく尊いものだった。

義姉と弟の互いに秘密を抱えた話、ある名家に嫁いだ少年とその家の娘の話、サラリーマンと娼年の甘ったるい逢瀬の話、旦那に暴力を振るわれたかった未亡人の話。


どれも駄作だった。

どれもつまらなかった。


話を見せてくれる度に読み、却下すると彼女は顔を曇らせた。確かに全て読んでみたいとは思った。だが、あの時、初めて彼女の話を読んだ時の情熱を感じる事が出来なかった。

まだ彼女なら書けると言いたかった。


程なくして彼女は床に伏せた。精神がやられてしまったのだ。

天涯孤独の身であった彼女には世話をしてくれる人間が周りに居らず、俺が出向いて飯を食わせてやったり糞尿の世話をした。

するとある日、彼女は自分の庭にポツンとある椿の木を指差して、「乙女が笑っている」と言った。季節は秋。まだ椿の花は咲いていない筈なのに、彼女は何を見ているのか俺には全く分からなかった。

乙女とは、先程話した初めて賞を取った時に出した作品「毒を食らわば来世まで」に登場する、椿に宿った怪異の名前である。

古山茶の乙女______。愛を知りたがり、最愛の男と結ばれようと翻弄するが、結局は怪異だと恐れられ、その男に殺された憐れな女。

どうしてその乙女が、小粋な馬鹿の前に現れたのだろう。


夢を見た。俺はポツンと、椿の木の前に一人立っていて、枝の先の部分からは見る見るうちに女が現れ、女は頭から首まで生やして、艶やかな黒髪を地面に垂らした。

俺は一目見て、此奴があの乙女なのだろうなと把握した。そうして乙女は静かに口を開き、語り出した。

「あの女、わたくしを不幸にした癖に、自分だけ幸せになるつもりよ。愛おしいものだと言っておいて、わたくしを突き放し、地獄に落としたのよ。許さない。許さない。許してはおけない。わたくしは絶対に……アラ」

乙女が真ん丸な目で俺を見る。


「貴方、わたくしと同じ匂いがする」


乙女はニタリと笑った。

そこで俺は目が覚めた。


直ぐ様、俺は彼女にその事を話した。彼女は顔を強ばらせた後、目を伏せて、椿の木を見た。

「私に会ってくれないのはどうしてだろう」

さァ、分からない。とだけ返すと彼女は

「次もし、夢に現れたら、乙女に許してほしいって伝えておいて欲しい」

と言った。だが俺の夢に乙女が現れることは二度と無く、終ぞその約束は果たされなかった。


そうして月日は流れ、庭に咲いた最後の椿の花が落ちた時、遂に彼女は散った。

享年二十六歳。余りにも若い死である。


葬式を執り行う際、仏花は椿にした。死後の世界で乙女と会って、何か話が出来ればいいなと思ったのだ。そして線香は、彼女が愛用していた白檀を使用した。

参列者は俺しかいなかったので、葬式は直ぐ終わった。


そして彼女は火葬場に運ばれ、今は最後の別れのひと時を過ごしていた。

好きなものでいっぱい詰まった棺桶の中で眠る彼女の顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。それが例え、葬儀業者の作った偽りのものだとしても、俺は良かったとだけ思う。

俺はこれでもかと目を開いて、その姿を忘れないように、深く深く頭に叩き込んだ。


もう彼女の話を聞くことはない。

もう彼女の原稿を待つ事はない。

俺は彼女から解放されたのだ。やっと他の作品に目を向けることが出来るのだ。


「よろしいですか」

葬儀業者が俺に声をかけた。俺は頷いて、一、二歩下がり、火葬炉の中に運ばれていく彼女に合掌をした。

扉が閉まって見えたのは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった俺の顔だった。


彼女は骨になって帰って来た。嗚呼、彼女も人間だったのか。と心の奥底で思った。

骨上げの際、骨はとても軽かった。長年共に居たあの彼女が、こんなに軽いとは。

俺は何故か、彼女の骨はとても重たくて冷たいものだろうと思っていたので拍子抜けしてしまったのだ。

そうして骨壷に収まった小さな彼女を持って、帰宅した。

其れを仏壇に置こうとしたが、どうしてもここに置いておくのはいけない気がして、俺は、椿の木の元に彼女の骨壷を埋める事にしたのだ。


どうかここで安らかに眠っていてほしい。

それが俺のエゴだとしても、彼女は喜んでくれそうな気がする_______。


数年後、俺は彼女の家から離れて、何処か遠くの土地へ逃げるように移り住んだ。

彼女関係の資料や、生前書いた話は全て燃やしてしまって、思い出さない様にしていた。

だがどうしても、小粋な馬鹿という存在がこの世に確かにいた事を知って欲しい自分がいた。だから、どうか、これを聞いている誰かに話したかったのだ。


小粋な馬鹿という名の売れない作家と、その横に何時も居るアザフチという編集担当を。

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