バー・五臓六腐編
深緑の薔薇
夕暮れ時のオカマバー・五臓六腐。そこの店長を務めるデンジャラス・樹麗穴は、あともう少しで開店だというのにも関わらず、カウンター席で煙草を吸っていた。
「あ゛〜……」
煙草の横には、吸殻が大量に積み上がった灰皿とシュウウエムラのアイシャドウにルージュが乱雑に置かれていた。
彼女(正しくは彼であるが、樹麗穴の意志を尊重し彼女とさせていただく)はアイシャドウが多ければ多い程勝ちと思っているところがあるので、服のポケット全てにアイシャドウを忍ばせていることがある。
客の煙草に火をつけるのに、ジッポを出そうとしたところで細長いリキッドアイシャドウを出してしまったりと、その影響は酷いものであった。(本人は至って気にしてはいない)
そんなアイシャドウ狂と言ってもいい樹麗穴が、何故こんなにも雑に扱っているのかと言うと、つい先程までコヨリちゃん(ジバンシィユーザー)とメイクバトルをしていたからであった。
___どれだけ美しく、どれだけ可愛く自分を変えられるか。
それがバトルのテーマであった。ちなみに勝者にはタダ酒が与えられる。
しかしこれを営業中にやるので、客からしたらいい迷惑であった。そして勝者を決めるのも客であった。だがみるみるうちに美しく変わっていく二人を見ると、客は自然に押し黙り、指をしゃぶって変化していく顔を見つめるしかないのである。
毎回五分五分で終了するこのメイクバトルであるが、今回はコヨリちゃんの部下が海外ヘ高飛びしたというので、早めにやりたいと言うのと部下を始末する為にやる気を出したいと言ったのが合わさって、営業時間前にやる事になった。
が、一つ問題があった。審査員となる客がいないのだ。流石に営業時間外に訪れる客は五臓六腐にはいない。皆質の良い客ばかりである。
じゃあこうしよう。とコヨリちゃんは、客ではなく配達員だとか近所の人に投票をしてもらおうと言ったのだった。勿論それに不満を持つ事は無かったので、樹麗穴はそれを了承した。
ファンデーションは自分の肌に合う明るさにして、サラサラ感を大事にする。隙間なく毛穴をカバーしていく。
アイラインははね上げてキャットラインに。
数多くあるアイシャドウから選んだのはマットを重視したもの。ラメをザクザクのせて星の輝きよりも強く。
チークはあえて薄くして、ハイライトは殴られたら死ぬ人中やCゾーン、顎やおでこに。
血のように赤いルージュにグロスを重ねる。
そしてプライドよりも高いネイルチップを装備すれば、麗しのデンジャラス樹麗穴が出来上がる。
まだメイクをしているコヨリちゃんを横目に、樹麗穴は手鏡に向き合ってウットリと自分を見詰めている。時々小声で「ヤバ……」とか「この世の薔薇……」とか呟いている。
ボディビル大会でよくある声掛けみたいなものである。肩にでっかい孔雀乗せてんのかいと心の中で思うのだ。
だって自分が一番美しいから。
そんな樹麗穴ではあるが、自分が女性に産まれれば良かったなんて微塵も思ってはいない。
自分が持つ女性らしさは愛してはいるが、自分という宝石に妊娠線は相応しくないからではある。
こういうと女性軽視だとか後ろ指をさされてしまうんだろうが、樹麗穴の世界には自分しかいないので関係ない。なんて言われようがじゃあ産まなきゃいいじゃんハイ酒飲みなで終わるのだ。
そんな思想の強い樹麗穴が、うふ。と声を漏らしながら鏡を見詰めていたところで、横にいたコヨリちゃんが準備を終えたと椅子から立ち上がり、脱ぎかけだったヒールを正しく履いた。
樹麗穴が薔薇ならば、コヨリちゃんは百合と言ってもいいだろう。
二人が揃えばミラーボールよりも煌めく。
「で、誰に見せるの?」
コヨリちゃんは正常になったところで樹麗穴に問うた。そう言えば午前中に配達員の人も来たから望み薄だし、この顔で近所の人は質問に答えてくれるんだろうか。
「大通りに出て人捕まえればいいわよ。ついでに客も捕まえるわ」
「こんなでかい人間が二人も近付いたら逃げるでしょ」
ウーン、確かにな。と頭を抱えていたところで、入口の方から足音が聞こえてきた。
オ。誰だ誰だと樹麗穴やコヨリちゃんがソワソワしながら待っていると、やってきたのは田口であった。
「ウワッ、え? 魔女のサバト?」
「誰が前Twitterで流行った魔女集会で会いましょうよ。失礼ねホント」
「そこまで言ってないんですけど」
「たぐちゃどしたの!ボクに会いに来てくれたの」
「ア゛!コヨリちゃん!飛行機の時間に間に合わせる為に早めに行くって言ったでしょ!?急がないと間に合わなくなるから!早く行くよ!ホラ!」
田口はコヨリちゃんの腕をグイグイと引っ張って急かした。どうせ空港に着いたらあれ食べたいこれ買いたいとはしゃぐ姿が目に浮かぶからだ。部下を追いかけるのに旅行気分になるなと田口は思った。
「ちょっと待ってよたぐちゃ。今さ樹麗穴とメイクバトルしてんの。どっち可愛い?」
「どっちを選んでも即死するような質問しないで」
「普通にボクだよね。選ばないわけないっしょ?なぁ。オイ。聞けよ」
「コヨリさんモードで迫らないで怖いから」
……と、バーは一気にコヨリちゃんと田口だけの世界になってしまった。
樹麗穴はそれを見て、傷一つない下唇を思い切り噛んだ。口内でじんわりと血の味が広がる。
地元の高校でバレンタイン時にデモを起こしたあのコヨリちゃんが。
居酒屋を舞踏会にしちゃおうかな🎶と、小綺麗なドレスを着て来た、ラブandベリーも度肝を抜かす行動をしたあのコヨリちゃんが。ご飯を食べる樹麗穴の隣で、ダイエット中だからと歯磨き粉を直で啜るあのコヨリちゃんが。
元カノがいた時代に、最低の下ネタを口走って喋ってしまいボロッボロに滑ったあのコヨリちゃんが。
心の余裕よりも小さい乳首をしてるあのコヨリちゃんが。
『彼氏』という邪悪な存在と一緒になっている。
週末にカフェに行ってお喋りしたり、デパコス買い漁りをしていたあの日々が遠く昔のように思えて、樹麗穴は心にスッカリ穴が空いて無表情になった。
嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い。嫌い。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
美人の無表情ほど恐ろしいものは無い。
視線を感じた田口は背筋を凍らせた。が、それも直ぐに解けてコヨリちゃんを見た。
「そんなの、コヨリちゃんに決まってる」
___コイツ!
アタシの気持ちをわかって言ってる!!
樹麗穴は拳を力強く握りしめた。そのせいで爪につけていたネイルチップが剥がれ、バラバラと床に落ちてしまった。
「わっ。どしたの樹麗穴」
「……大丈夫。ちょっとテープが甘かったみたい」
「? そう」
コヨリちゃんが甲斐甲斐しく全てのネイルチップを拾って渡したところで、遂に田口がもう間に合わなくなっちゃうからとコヨリちゃんに声を掛けた。
「そろそろ行くわ。またやろうね!」
コヨリちゃんはギュッと樹麗穴を抱き締めて、頭を撫でたところで、あっという間にバーから出ていった。田口もまたそれを追い掛けるようにしてバーを後にした。
「……チッ」
樹麗穴は一本の煙草を口に咥えて、ジッ、と火をつけた。
天を仰ぎながら、煙を口からフワ、と吐いたところで、瞳から真珠を一つ落としたのであった。
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