宰相室専任補佐官23 なにか企んでます?


 ──大会議から数か月が経過した。

 準文官も配置され、人手に余力が出てきたころ。


 補佐室食堂がようやく再開された。

 食堂に食べに行く人もいれば、補佐室食堂で販売されるようになったラップサンドを購入し、補佐室の中で食べる人もまだいる。

 野菜もお肉も好きなものを包んでくれるこのラップサンドは、今では王都の屋台でも人気となっていた。


 レオン様が屋敷に帰って来られる日も増えてきた。

 さらに休みの日には出会いの場所【ナイト・ルノワール】でデートすることが、ここ最近の定番。

 ある日そこで……私は一人の男性と出会った。


 ──ちょうどレオン様が席を外した時だった。

 どうやら来たばかりらしい彼は、カウンターに座る私の隣で飲み物を頼み、ふとこちらを見た。


 その顔には──当然見覚えがあった。

 以前会議で私に「使えない」や「地味ブス」と言い、監査室のお手伝いのときに散々辛辣な言葉を投げかけてくれた文官・ピエール・ガルレ、その人。

 監査室の研修を強制的に終了させられた彼は、元の部署で変わらず働いているという。


 私はすぐに彼に気づいたが、現在はシャルロット・ミュラーではなく、クリスティーヌとしてここにいるのだ。

 知らんぷりをしながらも儀礼的に微笑み小さく会釈をすると、彼は大きく目を見開いた。

 見る見るうちに彼は頬を赤らめ、しどろもどろになりながら話しかけてくる。



「あ、あの、不躾に見てすみません……いや、本当にすみませんが、あなたがあまりに美しい、というか、あの、本当に素敵で……その、髪の色も目の色も……うん、まるで美しい花のようで……あ、変なたとえだったかな……でも本当に美しくて……えへへ、照れちゃいました」



 ──……背筋に悪寒が走った。


 確かに仕事では地味な格好をしているが、あの時は容姿をけなす言葉まで言われたのに、今は打って変わって褒めたたえてくる。

 嬉しいなど微塵も感じず、ゾワッとした不快感を感じるだけだが……なんとか苦笑し「ありがとうございます」とお礼を伝えた。

 だが──彼はそれを好意的な返事だと思ったのか、瞳を輝かせながら、そのまま私の隣に座ってしまった。


 自分は文官をしていて重要な仕事を任されているだとか、ダンスも得意だから一緒に踊ろう、リードしてあげるとか……アピールを始めた。

 五分程度だったのだろうが、体感時間として二時間は経過していた。



「クリスティーヌ。お待たせ」



 背後から待ちわびた声がようやく聞こえた。

 振り向くと、銀髪長身の我が夫。



「レオン様」

「…………宰相閣下!?」



 ピエールさんはレオン様を見るなりギョッとした表情となり、私とレオン様の顔を交互に何度も見比べた。



「きみは……確かピエール・ガルレだったな。私の妻になにか?」

「…………妻っ!?」

「はい。クリスティーヌ・バスティーユと申します」



 レオン様が私の肩を軽く抱き寄せ、ピエールさんに見せつけるように私の髪をひとすくいし、そこに口付けた。

 その好意を見ていたピエールさんはカッと全身を赤く染め、その後すぐに席を立つ。そして取り繕った笑みを浮かべ頭を下げつつ、あたふたとこの場を去っていった。



「仕事関係の方にお会いすることになるとは思わず……驚きました。気づかれてはいないようで良かったです」

「ああ。彼が頻繁にここに通っているという話は聞いていたからな」



 ──ん?

 それを知っていたから、最近のデート先がここだったということ?

 なぜ?

 ピエールさんに一体なんの用が?

 ここで会うのを待つほどに重要人物だったとか?

 それにしては、レオン様と彼との会話が少なすぎる。



「…………なにか企んでます?」

「人聞きの悪い。まるで人がいつも企んでいる人間のみたいに」



 にっこりと微笑みレオン様。

 『だっていつも何か企んでますよね』という言葉はかろうじて吞み込んだ。

 まぁいつも何か企んでそうなのがレオン様だから、別に良いのだけど。

 相変わらずレオン様の真意は分からないし、聞いても絶対言わないだろうなと苦笑し、この場を楽しむ方向に切り替えた。




 私は補佐力に特化した人間であり、実は企画力というものがほとんどない。

 何もないところから新しい何かを生み出すことはできないし、そういう人を心底尊敬している。


 そんな私が最近ふとレオン様に進言したことがあり、それをレオン様は、まとめて今度の全省企画会議で発表するよう私に命じた。


 文官が全員集まる大会議とは違い、全省企画会議は各省の長官と各課の長が中心となり、発表に値すると思われた企画が集められその場での発表が行われる、省を超えた大規模な企画会議だ。

 もちろん、私が発表する側でそんなところに出席するとは、今まで想像もしたことがなかった。



 ──その日、私は昼過ぎから始まる企画会議の、最後のトリを任されることとなっていた。朝からバクバクと心臓が高鳴り、ずっと落ち着かない。

 他の企画ももちろん最初から全部聞こうと思っていた。

 ……思っていたのに。


 そろそろ会場に向かおうと思ったその時。

 ──レオン様がつまづいて(そんなの初めて見た)、ぬるいコーヒーを私の頭からぶっかけるというとんでもないことをしでかして、私はシャワーを浴びるしかない状況に陥った。


 そろそろ開始時間で、一番手が始まろうというのに。

 私の出番までは二時間から三時間後と言ったところだが。



「すまない、シャルロット……王宮の私の部屋でシャワーを浴びてきなさい。テルニアで連絡をして急いで屋敷の者に服を持ってきてもらうから。シャルロットは最終だから時間は心配しないで、ちゃんと髪を乾かしておいで。本当にすまない」



 そう言ったレオン様が、なにか企みごとをするときのように、一瞬にやりと笑ったような気がしたけれど、きっと気のせいだろう。

 レオン様はそのまま会議に向かってしまい、コーヒーまみれの私は絶句したまま、トボトボとレオン様の部屋に向かうのだった。


 もちろん道すがら、「……うわっ、ミュラー補佐官どうしたのですか!?」「え、コーヒー?」「こりゃひどい」なんて数々の言葉をかけられ、苦笑いするしかない。

 鍵を渡され開けた王宮でのレオン様の部屋はもちろん屋敷のものよりは小さいが、それなりにきれいで応接室もあった。


 ガウンがあったのでシャワーを浴びた後はそれを借りて待っていたら、ノックの音と、侍女ターニャの声が。



「奥様! 大丈夫でしたか? 着替えをお持ちしました!」

「ありがとう! ちょっと急いでるの。早く仕上げてくれる?」

「はい、承知しましたっ!」



 ターニャが急いで着替えを整えてくれ、髪の毛もセットしてくれた。が。



「奥様……メイクもすっかり落ちてしまいましたね……私、服を持ってくるように言われただけで、メイク道具は持ってきていなくて」

「そうなの……もういいわ。眼鏡があれば隠せるでしょう!」

「そうですね、人間思い込みというのがございますし、きっと眼鏡があれば少しくらい顔が華美でも錯覚で大丈夫かと思います!」



 ……錯覚を利用しないと駄目なのだろうか。

 そう思いつつも時間もなく、そのままレオン様の部屋をあとにしたのだった。





 私が会議室に入ったときは、すでに私の番の三つ前。

 危なかった。

 遅れてこっそり入るのはなかなか気まずいものがあるが、何食わぬ顔で着席した。


 品種改良に成功した穀物を大々的に広めていきたいという農業省の発表や、司法省からは他省と連携の上、新しい法に慣れ親しむための告知PR、新しい劇にその内容を組み込む予定なことが発表されていた。


 それに伴い、発表の後は各自質問を受け付け、品種改良の穀物が他の生態系に与える危険性は、とか、新しい劇の詳しい内容に、その部分はこちらの方が良いのではないかなど意見が出る。


 ──そしてようやく私の番である。


 ごくりと喉を鳴らし、ふとレオン様を見る。

 優しく微笑みコクリと頷いてくれたことで、少しだけ落ち着き頷き返した。



 「宰相室専任補佐官シャルロット・ミュラーです。私が今回発表しますのは、土砂災害の起きやすい地域、地盤についてとその対策についてです。まずこちらをご覧ください。近年長雨によるがけ崩れが起こった地域を地図上に表しておりますが────」



 聖導具の映写機に映し出された大型画面を指しながら説明をしていく。


 土砂災害は、過去に起こった同じ場所で起こりやすいことは経験予測で分かっていたが、今までは運が悪い、そういう場所なのだと漠然と思われていた。

 だが、最近地質研究が進んできた。


 それを共有するための発表だ。



「────以上を踏まえると、所定地域の地盤は非常に緩いことが分かります。上記の地域では今後建てる住宅等は一定距離以上離すことが一番簡単な方法となります。ですが、すでに建物がある場所、すでに主要道路となっている部分なども多々ございます。まずは長雨などによる災害の前兆や対策方法を周知し、ゆくゆくは安全面の確保のための工事などを各地域ごとに少しずつ行っていくべきであると考えます。以上をもって発表を終了いたします」



 私の発表が終了したとき……今まで起きていた拍手がなく、みんな戸惑った顔をしていた。


 ……そんなに変な発表をしたのだろうか。

 分かりにくかっただろうか。


 そして、一人が手を挙げた。



「ミュラー補佐官、その研究結果はいつどこから発表されたもので?」

「これは王立大学院で地質学を研究されているアリソン教授が長年おこなってきたもので、かかわりのありそうな省には毎回論文が回覧されているはずです。私が一番初めに見たのも財政省のころでした」

「そうか……これはその教授だけが提唱しているのですか?」

「いえ、数年前にチームが作られ共同研究となっておりますので、地質学の著名な教授たちは全員参加されていることかと」



 なるほど、この論文の信ぴょう性でこんなにみんな黙って……そこまで黙ることだろうか……?

 首を捻るしかない。

 すると運輸省の長官が前まで出てきて、地図を線で指さしながら言った。



「では! ここからここまで線路を開通させるとしたら、どうだ!?」

「……見事にすべてが所定地域とかぶっておりますね。費用対効果を考えれば、別の道を検討したほうが良いかもしれませんが……ですが」



 そこまで言ったところで、誰か一人が発表者席からバッと走り出し、会議室から出て行ってしまった。

 え? と追って目を向ければ、走り去ったのはピエールさんだった。

 彼も発表者だったようだ。

 いつもならだれがどの順番で、何の話をするという書類が事前配布されるのだけど。

 今回はレオン様が「まだ作成中らしく、当日渡されるそうだ」と言っていたので、遅くなった私はもらえなかったのだろう。

 いつもならそんな遅い仕事は激怒するレオン様が穏やかな顔をしていたので、珍しいなと思ったのを覚えている。


 そして今現在。

 みんなの反応がおかしいし何事かと思えば……どうやらピエールさんが発表した内容が新しい線路計画であり、格安で実施できそうであるという内容だったそうだ。

 そしてそれはかなり好評だったようで。

 それを、今まさに私が『不可能である』と覆した形となっている。


 先ほど運輸省の長官が指さした線は、まさしくその予定線路だった。



「アリソン教授の論文は読んだことがあったが、あれは確かそこまで踏み込んだ内容ではなかっただろう? ミュラー補佐官。よく気づいたな。それは今後各地で起こる災害にも非常に役立つ。そうすれば毎回莫大にかかる災害復興予算も減るかもしれん! 素晴らしいっ!」



 財政省のエリック長官がそう言い、拍手を始めればそれはあっという間にみんなに広がり、スタンディングオベーションになった。



「あの、ですが──」



 続けて発言したことで財政省の長官が、すん、とした抜け殻みたいな顔になっていた。

 レオン様は一切発言せず、ただ一番後ろで目を細め、誇らしげに私を見つめてくれていた。





 会議が終わり、あとは長官級が集まって話すのみ。

 私は早々に退室し、夕焼けで輝く中庭に目をやりながら廊下を歩いていたら、中庭の木の下で誰かがうずくまっていることに気が付いた。気分が悪いのだろうかと近づいてみると。

 ──先ほど会議室から走り去ったピエールさんだった。

 気まずい思いになりながらも、体調不良なら大変なことだと声をかける。



「あの、大丈夫ですか……? どこかお加減でも」



 彼は顔をあげ、私の顔を見ると真っ赤になって怒りだした。

 その目はすでに赤く、泣いていたことが誰の目にも明らかだろう。



「な……なんなんだよ……なんなんだよ、ほんとにっ! 俺に恨みでも、あるのかよっ!」



 ボロボロっとその瞳から新たに零れ落ちる涙にギョッとしたのは、もちろん私だ。



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