監査室お手伝い ③


 宰相室の扉を叩けば、中からレオン様の返事があり中へ入った。

 宰相室正面の大きな窓から柔らかなオレンジ色の夕焼けが斜めに入り込み、あたたかな色をまとったレオン様に少し心が落ち着いた。



「お疲れ様です。ステファン室長よりこの書類を渡してくるよう言われました」

「ん。シャルロット。こちらに来なさい」

「はい」



 そばに行けば、レオン様は立ち上がり、そのままぎゅっと私を抱き締めた。

 一抱擁の決め事から外れる行為に、え? と顔を上げた。

 難しい顔をしたレオン様が私を見つめ頬を緩め、もう一度ぎゅっと抱きしめる。


 レオン様はそのまま、一度ため息をついた。



「……シャルロット、君の実力も努力もみんな認めている。その能力で自力でここまであがってきたんだ。きみは……それにもっと誇りを持ちなさい」

「……はい?」

「きみが若く、また自分が上の立場であるという認識がないのも分かる。年長者を尊重したいというのも、きみの良さでもあるのだろう。だがきみは──私の専任補佐官だ。専任補佐官とはどういうものなのか、理解しているか?」

「……宰相閣下のために動く専任補佐官であり、宰相閣下がおこなう政策決定や運営を直接補佐し、情報収集や各種調整をおこないます」

「そうだ。私が認めた、私の専任補佐官だ。その専任補佐官に暴言を吐いているのを見過ごすのは、私に暴言を吐いているのと同じことだと──分かっているか」



 レオン様は……私がピエールさんに先ほど言われたことを知っているんだ。

 ということは、先ほどのステファン室長のテルニアの相手はレオン様か。


 ──すべて聞かれていた。


 あんなことを言われた自分が恥ずかしく、情けなく、羞恥で俯いてしまう。

 だが私への暴言が、レオン様への暴言と同等になるとはとても思えないが……。



「世の中には秩序というものがある。上司に意見をするのは構わない。だが秩序を乱し、暴言を許していては上に立つ意味などないだろう? ……ピエールだったか。暴言を吐いたものを正すのも、上司の仕事だ」

「──私が……?」

「直属の上司であろうがなかろうが、そこは関係がない。きみの方が職位がはるかに上なんだ。それは敬われるべきことだ」



 仕事での指導や注意なら文句を言われようともいくらでもできる。

 それが私の仕事だから。


 でも、自分個人への批判への対処は私が気にしなければよいだけの話で……ちょっと気持ちが沈んでいくことがあっても、それに反論するだけ時間の無駄なのではないかと。

 彼が私を嫌うのは彼の自由なわけだし……。



「……きみがそういうことに馴染みがないことは分かっているが、無礼なことを言われて聞き流すのは最善ではない。むしろ、悪手にしかならない。──ではこうしよう。先ほども言ったようにきみが受ける暴言は、すべて私に言われているのと同じだ。きみは──私への暴言を聞き流し、そのままにしておくのか?」

「……しません!」



 あぁ……そうだ。

 嫌うのも好むのも個人の自由だ。

 『恋愛至上主義』だって、人を愛することは罪なんかじゃない。

 ただ──ちゃんと責任を持てという話。


 レオン様を嫌う人だって、鬼宰相と呼ばれるほど厳しい処断を常に下してきたのだから、当然いるだろう。


 ただそれを表に出してしまえば、仕事は円滑に進まない。

 腹の中で嫌いあっていようとも、スムーズな仕事運びのために私情を抑えて笑顔で隠す。


 ……それが仕事というものだ。

 暴言を吐くのなら……そうだ。

 その責任も負うべきだ。



「そうだ。仕事をするうえで理不尽なことに耐えねばならぬ時も当然ある。だが……それは今ではない。シャルロット。これは……自分自身で解決してこい」

「──はいっ!」

「よし、良い子だ。さすが私の専任補佐官だ」



 私を強く強く抱きしめたまま、頭をなでられる。

 シャルロットならできると励ましてくれ、私はその胸に顔を寄せ、ヘヘッと笑った。



 ──私が宰相室にいる間、監査室・補佐室は無言のまま非常に険悪なムードになっていた。今にも飛び掛からんばかりの補佐室メンバーにステファン室長とミカミ室長が手で制止し、ピエールさんには誰も何も言わないままだった……ということは私の知らぬこと。





「戻りました。室長、この書類預かってきました」

「あぁ、ありがとう。悪いな」

「いえ。では残りやってしまいますね」



 ニコッと微笑み、席に移動しまた書類の修正を始める。

 ピエールさんはムスッとしたまま決してこちらを見ない。

 ……子供みたいだ。

 トレーニーの一人がおずおずと声をかけてきた。



「ミュラー補佐官。先ほどの書類はどうやって計算されたのですか?」

「あぁあれですか。あれはただ暗算しただけでして」

「……暗算っ!? あの量をあのスピードで!?」



 暗算が出来るとは言っても、二回目以降の確認でそれをするだけ。

 普段はそれだけに頼ったりしない。

 あれは確認としてなので、暗算を、と求められたからしただけだ。



「先ほどご指摘された数字も、ミュラー補佐官の言った通りでした! 補佐室の方々も頼りにされているようですし、さすが専任補佐官ですね」

「暗記と暗算だけは得意なんです」

「いや、本当にすごいです。ミュラー補佐官がパトリック宰相閣下をスムーズに補佐しているのも理解できます」

「……はっ。たかがそれだけの能力しかないくせに」



 そっぽを向いたまま、しっかりと口に出したピエールさんは俯き計算をしている。

 ──だが、遅い。

 それではとてもじゃないが補佐室ではやっていけない。

 監査室は延々と数字と戦うことになるだろうから、さらにやっていけないだろう。そのスピードでも二枚、間違っていたし。


 それに、たまたま私は計算と暗記が得意なだけで、私が特別なわけじゃない。

 それぞれに良いところがあることを、補佐室にいる人たちはそれが分かってる。


 丸テーブルの端でふてくされた顔を見せる彼は、まるで十代のようだ。

 私は「はぁ……」とため息を吐いて立ち上がり、彼の真横に移動した。



「それだけの能力しかない、とはどういう意味でしょうか」

「……は? そんなことも人から言われないと分からないのか? これだから女は」

「それを言うあなたには、一体何の能力があるのかご教示いただけますか? 今のところ私があなたに対して気付いたのは、計算ミスをしているのに開き直り自分のせいではないと言ったこと。計算をするのが遅いこと。和を乱す能力がおありだということ。円滑に仕事を進めることができないことの以上四点です」

「……はぁっ!? 地味文官ごときにそんなこと言われる理由なんかないんだよっ!」



 ──地味かどうかは今ここで関係あるのだろうか。


 ……あぁ、違うだろう。

 彼はきっと、私が派手な装いをしていたら、それはそれで非難するのだ。

 ただ円滑に仕事をする──それだけで良いのに、その感情すら抑えられない。

 立場も分からず、キャンキャン吠えるだけでなんの実もない。


 レオン様が言うように……そんな人を見逃す理由など──どこにもなかったんだ。



「ピエール・ガルレ──口を慎みなさい。あなたはどの立場で私にそのような暴言を吐いているのですか? 私は宰相室専任補佐官です。あなたより年下であろうとも、階級ははるかに上であることをまだお分かりにならない? 自分のミスを責任転嫁し人を責める。そんなあなたには何の能力が? ……あぁ、女性に対し暴言を吐くという能力でしょうか?」



 クスッと微笑んでみれば、一瞬で彼の頬は赤く染まってしまう。

 私はスッと姿勢を正し、彼をしっかりと見定め、淡々と告げた。



「あなたは一体何をしにここに来ているのですか? 仕事に来ているのではないのですか? 私にそんな態度をとることに、一体なんの得があるのですか? 私の心をざわつかせることができれば満足だとでも? あなたのくだらない自尊心を満たす協力をするつもりは毛頭ございません。ピエール・ガルレ。あなたはパトリック・バスティーユ宰相閣下の専任補佐官である私に対して言ったことに……責任を取るつもりがもちろんおありでしょうね?」

「……っっ、…………っ!」



 彼はわなわなと唇を引き結び、こちらを睨みつけるが──無言のままだった。

 私が言い返すことなどないと思っていたのだろう。


 私の視線はピエールさんに注がれているが、当然のことながらこの騒動によりまたしてもこの部屋は静まり返っているし、全員聞き耳を立てて──いや、堂々とこちらを見ていることに気づいてる。

 大注目。

 心のどこかで冷静に見てる自分は冷や汗をかいてる。

 注目されることに慣れていないのだ。



「──その通りだな。ピエール・ガルレ、きみに監査室の仕事は務まらない。監査室室長の権限を持って命ずる。──今をもって、ピエール・ガルレの研修は中止とし本採用はしない。追って通達を出すが、当分は元の部署に戻るように」

「……っっ、…………はい。分かりました……」



 その場に立ち尽くし、急激に萎れた花のように彼はうつろになっていく。


 ちらりと目線を上げ周りを確認した彼は、全員が自分を見て冷めた目をしていることに気づいたのかビクッと飛び跳ねた。

 その後は顔を上げることがなく、そのまま逃げるように部屋を出て行った。



「──お騒がせしました。どうぞ仕事にお戻りください」



 補佐室側に向かい頭を下げれば……誰か一人がパン、パン、パンっと拍手をした。

 そしてそれはあっという間に全員に広がり、私、なぜか拍手喝采を受けている。

 ……本気でやめていただきたい。



「ミュラー! よく言った!!」

「成長したなぁ……」

「もっと言ってよかったのに!」



 笑い声とともに拍手が響き渡った。わざとらしく涙を拭くフリをする人もいる。


 ──本当にやめてっ!

 地味文官のまま、陰からひっそり文官ライフを楽しんでいるのだから!

 と、そこへ。



「……なんだ? なんだなんだなんだっ!? まだ入室していないにもかかわらず拍手喝采で迎えられるとは……さすが俺!」



 アルノー殿下である。

 彼は喝采を浴びるように天に顔を向け、さぁもっと褒め称えよ、とばかりにポーズを決めていく。

 やめるタイミングを逃した拍手は、次第に手拍子となる。

 手拍子に合わせ次々にポーズを決める殿下。


 ……そうか。

 拍手を受けたからといって、目立つわけではないのだと。

 私は自分が地味文官なままなことを思い知り、そして……非常に安堵した。


 それより今までアルノー殿下が補佐室に来ることなどなかったのだが、どうしたのだろうか……。


 あぁ、きっとテルニアで呼び出されたのだ。

 殿下すら呼び出すとは。

 さすが恐れ知らずの補佐室メンバー。

 年嵩の一人がカウンターまで出てアルノー殿下のそばに行き、にこにこと微笑む。

 微笑みながら殿下すら呼び出す……そのギャップがすごい。



「踊るか!? 新しいステップを見せようか!?」

「アルノー殿下……殿下の研鑽されたステップを拝見したいのは山々なのですが、本日は書類の修正をお願いします。こちらフルネームでなければ困りますゆえ、短縮サインはご遠慮ください」

「そうか……だめか。……だがっ、ここの最後のはね具合いなどなかなか良くないか!? いつもよりダイナミックさを表現したのだ!」

「はい。大変よろしいかと存じます。殿下らしい元気よさが出ておりますね。あ、はい、そこにフルネームを」



 全員しばらくその会話を見た後、すっと席に着席し、何事もなかったかのように働き始めたのだった──。




 その後初日の騒動はなんだったのかと言うほど、監査室での三日間のお手伝いを平和に終えようとしたころ。

 トレーニーが帰った夜。ステファン室長がチョコレートをポンと机に置き話してきた。



「ミュラー。悪かったな、今回。……ピエール・ガルレが専任補佐官になりたがっているのは噂で聞いたことがあったんだ。だが、あんなにつっかかってくるとは予想もしてなかった」

「……ピエールさんをご存じなのですか?」

「ピエールの兄のエリックのことをよく知っている。同期なんだ。彼はなかなかに優秀で専任補佐官に選ばれたんだが……繊細な性格だったから宰相閣下と合わず実力が出せなくて。専任補佐官を辞退したうえで、本人の希望で地方に赴任したんだ」



 文官の地方赴任など、地方からすれば喉から手が出るほど欲しいだろう。

 本人が希望するのであれば別に良いのではないだろうか。



「で、いつも張り合ってくる弟がいるとは聞いていた。だからきっと……兄ができなかった専任補佐官を自分が務めたかったんだろ」

「ですが……抜擢されなければなりようがないのではないでしょうか」

「まさしくその通りで、彼はぎりぎりの成績で文官の試験を突破したから、とてもじゃないが専任補佐官はおろか、補佐室勤務すらできなかった。でもプライドだけは人一倍あったんだろうな。そこにミュラーが自分よりはるかに若くして専任補佐官を務めあげることになったから……妬ましかったんだろ。でもまさか人前であんな態度をとるとは」

「そうですか……つまり私は──何かをしたわけではなく、とばっちりですね?」

「あぁ。とばっちりだ」

「とばっちりですか……ですが私も考え直すことができましたし、良い経験となりました。あの時、見守ってくださりありがとうございました」



 ステファン室長は最初から私をかばうこともできたはずだし、本来そういうタイプだ。面倒見がいい。

 だが、それをせずに見守ってくれたからこそ、私も一皮むけた……はず。


 ステファン室長は困ったように笑った。

 そのあと小さく何かをつぶやいたがよく聞こえなかったし、聞き返しても何でもないと言われた。



「宰相閣下に手出し無用と頼まれたからな……妻を成長させたいんだろうけど。可愛くてたまらないようだ。ハハッ」





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