監査室お手伝い ②

ステファン室長から与えられた数字チェックを丸テーブルを囲んでしているはずのトレーニー5名が目を丸くしてこちらを見ていたことに気づき、びくっとして「ど……どうしました?」と声をかけたが、「あ……いえ」と首を振られた。


 ──あ、他の部署の仕事をする前にちゃんと目の前の仕事をしろよ、という……ご指導か。


 ごもっとも。

 文官歴は私よりはるかに長い方々なのだ。

 至らぬ私に言いたいこともあるだろう。


 ……が、今忙しいのでまた今度機会がありましたら、でお願いしたい。

 ついでに、その機会が永遠になければよいと思う。



「……あの。ずっと聞こうと思ってたんですが、昼食はいつとれば」



 トレーニーのうちの一人が、昼過ぎに私にそっと耳打ちをした。

 どうやらステファン室長にも補佐室から来た2名にも聞けず、この数日を過ごしたようだ。



「……お昼。あぁ、お昼ですか……」



 ふと顔を上げれば、補佐室の面々が声をあげ計算をし、書類をめくり、テルニアを片手に持ち微笑みながら怒っている。そんな器用な芸当をしながら呼び出しをかけている。きっとお説教。

 ひと時も休んでいる暇などなく、誰もお昼に出かけたりなどしない。


 ──逆に私が聞きたい。



「お昼って……どこかに食べに行ったりするのですか?」

「え? ……食堂が省ごとにありますよ、ね?」

「はぁ……食堂。確かに財政省にはありましたよね……。補佐室の食堂……ちょっと聞いたことがないですね。ステファン室長! 補佐室の食堂ってあるのですか?」

「五年前になくなったぞ。誰も食べに行かないから」



 あぁ……その光景が目に浮かぶ。

 五年前はレオン様が宰相になり一年超か。


 ──誰も食べに来ることなく人っ子一人いない食堂。

 厨房で誰も来ないお客を遠い目で待つ料理人……鳴り響くお腹の音すらスルーし、がむしゃらに働く殺伐とした雰囲気の補佐室……想像するだけで切ない。


 するとトレーニーが「おいしくなかったのですか?」と聞いてきたので、そこでようやく──そうか、普通は誰も食べに行かないとなればおいしくないという図式になるのか、と驚き目を丸くしたのは私だけではない。

 室長と補佐室からの二人も目を丸くし顔をこちらに向けていた。


 普通はお昼御飯が食堂で食べられて当然なのだ。

 そうだ。それが人間的な生活というものだ。


 ──きっと補佐室だって監査室だって、新体制がもう少し軌道に乗ったら、お昼くらい食堂で食べられるようになる。きっとそうだ。

 ……食堂がすでにないが。



「昼飯くらい抜きでも……と言いたいところだが、ミュラー発案で最近はみんな片手で食べられる『コレ』を持っている」



 ステファン室長がスッと取り出したのはラップサンド。

 薄いパン生地に肉や野菜が巻かれ、手が汚れないよう防水性の紙で巻かれている。

 補佐室からの2名もスッと取り出し見せつける。

 なぜそんなにドヤ顔なのかと苦笑していたら、トレーニー5名が同じ方を向きビクッと飛び跳ねた。


 視線の先の補佐室側に目を向けると……なぜか今まで声を響かせ仕事をしていた補佐室面々が、全員ドヤっとラップサンドを誇らしげに手に掲げていた。

 彼らは何も言わず、おもむろにラップサンドを口にしながら黙々と仕事をし始める。


『すごいだろ!? 食べながら仕事できるんだぜ!?』


 口で語らずとも、言いたいことははっきりと分かる不思議。

 その時、本当に小さな声でピエールさんが口に手を当てながら怪訝な表情を浮かべ「なんと下品な……」と発した。


 ……えぇ。もう本当におっしゃる通り。

 とても貴族だと思えないのは無理はない。

 財政省の時は確かにカトラリーを使い食事をしていたのだから、他の省ももちろんそうなのだろう。


 仕事しながら片手で食べるなんて、平民でも数多くはないはずだ。

 それなのに、王宮文官の精鋭と呼ばれる補佐室のメンバーは、片手でラップサンドを食べながら仕事。少し悲しい。


 その時、補佐室の全員が起立をし「お疲れ様です!」とあいさつを始めた。


「お疲れ。アイリーンの出張が週末まで長引く連絡が入ったからそのつもりで。全員着席。仕事に戻れ。……ステファン、どうだ?」


 レオン様が補佐室に入ってきて、そのまま監査室の方までやってきた。

 パァッと顔が輝きそうになるのをスンとした顔で抑え、起立し「宰相閣下、お疲れ様です」とトレーニー達も挨拶をする。

 ステファン室長が小さくため息をつきながら答えた。



「はい、なんとかやってます」

「そうか、ならば良い。……ミュラー」



 こちらに顔を向けたレオン様。

 神妙な顔をしているが、どうしたのだろうか。



「はい」

「──昼がない」

「…………監査室に缶詰なことはご存じかと」

「あぁ。だから取りに来た」

「…………」

「もしかして、ないのか?」



 私はがさごそとカバンをあさり、中から包みを一つ出し渡した。

 今日は自分で用意されるかと思っていた。もちろん一応持ってきたが。



「どうぞ」

「ん、助かる。がんばれよ」



 彼はただそれだけ言って去っていった。

 レオン様の顔を見られたことで、パワー補充。

 よし、がんばろうと決意を新たにし、レオン様に渡したものと同じ包みをカバンから出し、おもむろに開けかぶりついた。

 それをピエールさんが「宰相閣下も……!?」と本気で驚いてみているのは、レオン様に同じものを渡したからだろうか。

 それとも、レディがこんなに大口を開けて食べているのを見たことがなく、このような姿とレオン様を重ねたのだろうか。


 でも一つだけ言いたい。

 私よりレオン様のほうがもう少し口が大きいと思う。


 トレーニーたちは結局今日は元々の部署の食堂に戻り、明日からは持参して食べることとなった。



 その日の夕刻。


「ミュラー、ちょっといいか。これ全部確認してもらえるか」

「はい」


 ステファン室長に渡された書類は、本日トレーニーたちが計算していたもの。

 彼らが揃っている丸テーブルまで行き、はい、とその場でそれを受け取り、ざっと目を通し2枚だけ前に出した。

 そしてもう一度、上から下までざっと目を通し、こくりと頷いた。



「この2枚、計算ミスがあります」

「……はあっ!? お、お前……っ、今眺めただけじゃないか! 何適当なこと言ってるんだ!? 俺がやった仕事に何の文句があるって言うんだ! これだから女は!」



 大きな声を上げた主は、もちろんのこと……ピエールさん。

 私のことが嫌いなのはよく分かった。

 本当によく分かったが。

 ──小さな子供ではないのだから、それを表にわざわざ出さないでもらいたいが……それすらできないほど私は彼に何かをしただろうか。


 監査室・補佐室合わせて、全員しん、と静まり返ってしまった。

 私を責めたいばかりに彼は「女」でくくってしまったが、補佐室の絶対的なエース・アイリーン課長が女性ということは知っているのだろうか。


 ちなみに私は暗算が非常に得意だ。記憶力にも自信がある。

 でも補佐室にはとんでもない早さで書類を読み理解する人や、新しい企画がすぐに浮かぶ人、統率力に優れた人など、本当にさまざまな人がいる。

 それは補佐室に限らず、誰しも特別なところがあって、活用できるところを活用しあっているだけだ。

 そこに女だとか男だとかは、全然関係ない。



「ピエールさん、あなたが計算したのですか? こっちは15ベル、こちらは1000ベル計算ミスをしています。もう一度お確かめいただけますか」

「なっ……ふ、ふざけるな! お前が適当に言ったことなんかでなんでやり直さなきゃいけないんだ!」

「間違っているか間違っていないか、もう一度計算してみたら判明するのではないでしょうか。私はステファン室長に言われ確認作業をしただけです。室長、確認はもうよろしいですか?」

「…………あぁ、悪い……ミュラー。この書類、宰相閣下に届けてきてくれるか」

「──はい、分かりました」



 テルニアで通話を始めていたステファン室長が静かにテルニアを置き、私に手元の書類を渡した。

 補佐室もまだしんとしたまま。

 「女」とくくられたことで崇拝するアイリーン課長がけなされたのも同じなのだから、無理もない。

 ピエールさんは、補佐室面々にアイリーン課長信奉者がたくさんいるのをきっと知らないのだ。


 それでも補佐室の人達にはヘラッと微笑み、どうぞ気にせず仕事をしてください、と手で促した。

 すたすたと部屋を出て、宰相室に向かう。


 補佐室の扉を出たところで、どっと肩を落とした。

 なぜ彼はいつもつんけんしているのだろう。

 あの会議で暴言を吐かれる前に、彼と接した覚えは全くないというのに。

 はぁ……とため息が自然と出た。


 明らかに自分を嫌っている人と仕事をするというのは……本当にやりにくい。

 表面上だけでも他と変わらない対応をしてくれれば問題ないのだけど、彼はあからさまだから……きっと周りも気を使ってしまうだろう。


「──どうしようかなぁ……」


 まぁ全部で三日しか接しないのだから、このままでも良いかもしれない。

 当たり障りなく、なんとか過ごせれば。

 そう思ったのだけど。


 ──それではダメだったのだと、すぐに気付かされることになる。


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