監査室お手伝い ①


 夫婦であることを確かめた日から大会議まで、私はもちろん、レオン様はもう座る暇もないほど飛び回り、彼はほぼ宰相室にいなかった。


 内容も機密事項が多く、私が同席することもあまりなく一日何度か顔を合わせたのみだったが、大会議の内容を聞いてしまえば、その準備がどれほど大変だったのかは考えなくても分かる。


 『恋愛至上主義』の根底を揺るがす法律ができたのだから。


 きっと最初は国民の反発も大きいだろう。

 それが文化として根付いてしまった以上、変化には時間がかかるかもしれない。


 でも、別に『恋愛』がだめだと言っているわけではない。ただ、責任を取らないことがだめだという法律なのだから。


 会議の間、私はずっとレオン様の隣にいた。

 そして彼は小さな声で私に教えてくれたのだ。



「ずっとこのために動いていたんだ」と。



 ──飛びつきたいのも、目が潤むのも、かなり我慢した。

 私のためにやってくれたと思っているわけではないが、長年違和感とやるせなさを感じていた自分が救われた気がしたのだ。


 よくぞ国王陛下の承認が降りたものだと感心する以外にない。


 ──後日知った話がある。

 その日の夜に国王陛下は体調をひどく崩されたらしい。結局その後離宮にて静養することが決まった。

 体調が悪いのに、もしかして無理をして大会議に出席していたのだろうか、と少し心配になったけれど……元々かかわりが一切なかったため、その後あまり考えることはなかった。



 大会議の翌日から始まったのは、まずは通信聖導具テルニアの導入。

 各省・各課に置かれ、連絡を頻繁に取り合う宰相補佐室には一人一台が支給。


 宰相室も私とレオン様の一台ずつが設置された。


 さらに部署編成が行われ、ステファン先輩を室長とした監査室が始動した。

 ステファン先輩以外にも補佐室から2名、その他の省から計5名が抜擢され、ひとまずは総勢8名だそうだ。


 他の省からの5名はひとまず二ヶ月は研修扱いで、正式配属ではないらしい。


 そんなステファン先輩……改め、ステファン室長が夕方、宰相室にひょっこりと現れた。



「宰相閣下。ミュラーを数日お借りできませんか」

「監査室に?」

「はい。私が作成していたマニュアルや書類がどうやら難しくて使えないようでして。申し訳ありません」



 監査室始動のためにすでにステファン室長が作成していたマニュアル類のことだ。

 私も一度読ませてもらった。

 分かりやすかったし、何もおかしいところはなかったと思うけれど……。


 ステファン室長がレオン様に詳細を詳しく説明すれば、レオン様はスケジュールを確認しつつ言った。



「そうだな……明日から三日だけでも良いか?」

「はい、それだけあれば十分かと」

「ということだ。ミュラーもそれで構わないか?」

「はい。問題ございません。では明日の朝より監査室のほうに参ります」



 ステファン室長は私に向かい、ホッとしたような顔を向けた。



「助かる。どうやらこちらが作成した書類の専門用語が多すぎたようだ。そんなつもりなかったんだが。俺たち補佐室組は補佐室歴が長すぎて、そもそもどのレベルなら他の部署の人間が理解できるのかが分からない。他の五人用に書き直してほしい。悪いがよろしく頼む」

「はい。そういうことでしたら大丈夫だと思います。お任せください」



 なるほど。

 補佐室では書類でも会話でも専門用語が日常的に飛び交っているが、それによる弊害がこんなところで。


 補佐室勤務になった人はそこから異動することがほぼなく、長年補佐室勤務の人ばかりだから、何が普通なのかもう分からないのだろう。


 だが──専門用語と言っても、古語を理解していればさほど問題ないはずだが。



「補佐室に一番新しく来たのはミュラーだろ? でもミュラーはなんの問題もなくスムーズに行っていたから……」

「補佐室勤務が可能な人材なら、とっくに吸い上げられている。今回の監査室は悪いがそこまでの実力には達していない人材だと思ってくれ。各省が推薦する者を集めたが、使えないようなら二ヶ月待たずとも帰ってもらって構わない」

「あ、そうなのですね。それなら気が楽になりました」



 ワーカホリック二人が全く笑っていない目で口角を上げ淡々と話しているが、私はただ「あぁ、バサバサ切り捨てる気なんだな……」と遠い目になった。





 監査室……という名だが、実は宰相補佐室の一角だったりする。


 同じフロアの一番奥まったところにあり、補佐室の殺伐とした鼻血が出そうな雰囲気を見ながら優雅に仕事ができる……わけもなく、適度ではなく過度な緊張感を持ったトレーニー(研修員)5名が今こちらに。


 各省から抜擢されたトレーニー5名は、補佐室のあまりのあわただしさと専門用語が飛び交うこの現状に、全員小さくなり俯き固まっている。

 私は補佐室の人にあまり見つかりたくないため、朝一に入り、衝立で死角の一番奥の席をコソッと借りている。



「本日より三日間お手伝いをいたします、宰相室専任補佐官シャルロット・ミュラーです。よろしくお願いいたします」



 私が自己紹介をすれば、トレーニー五名が各々自己紹介をしてくれた。


 顔を知っている人は二人。

 そのうちの一人が以前会議で一緒になり、なかなかに辛辣な言葉を吐いてくれたピエール・ガルレだった。


 彼は私に険しい目を向け、ぶっきらぼうに自己紹介をした。

 嫌われているのだろうとは察するが、私たちは仕事をするためにここにいるのであり、別に気に入られる必要などない。


 ただ円滑に進めばそれでよいのだ。

 そう思わないと……やっていけない。


 あの時は──疲れがピークに達していて、いろんなことが気になっただけ。

 あの日のレオン様のあたたかさを。頭を撫でてくれた手の温もりを知っているから。

 こんなの、なんてことない。


 ちゃんと見てくれている人がいることを知っているから。大丈夫。



「ステファン室長、早速書類の修正に取り掛かっても良いですか?」

「あぁそれだが……悪いが少しだけトレーニーに用語の解説をしてやってくれないか? 俺たちはその間監査計画を立てるから」

「はい。かしこまりました」



 トレーニーは5人とも全員私より年上。

 5人を丸テーブルに集め、黒板を利用してどんどん専門用語を解説していく。


 とはいえ、古語と関連付けねば覚えることも難しいのだ。



「──以上を見てもお分かりになるように、補佐室で使用されている用語は古語の活用形になっています。文官の試験科目には必ず古語がございますので、皆様おわかりでしょうし、慣れればすぐ覚えられると思います。マニュアル等は今より修正いたしますが、きっと室長たちはこの用語を当然のように使いますので」



 4人がしっかりと返事をしてくれ、ピエールさんのみ、どこかムッとしてそっぽを向いたまま。

 覚えたのならそれで構わないが。



「室長。説明終わりましたので書類修正に入ります」

「あぁ、頼む」

「……自分は手取り足取り教えてもらっただけのくせに」



 小さくくぐもった声が聞こえ、ピエールさんの方にトレーニー4人が一斉にギョッと目を見開いて顔を向けた。



「お前、専任補佐官に何言ってるんだよ……!」

「失礼なことを言うのはやめなさい」



 トレーニー仲間がステファン室長には聞こえないように小さな声でピエールさんに注意をしているが、私は気にせず自分の仮の席で書類作業を始めた。


 ピエールさんの小さな声というのは存外響いたようで、ステファン室長は私の方を見たが、私は「気にしないでください」の意味を込めて小さく首を振った。


 私が隅の方でひたすら書類を修正していき、より分かりやすくなるよう書き換えていっていると。



「あぁっ!! ミュラーがいる! 何してんの!?」



 大きな声にギョッとしてそちらを見れば、衝立の後ろに隠れて働いていたつもりだが、補佐室メンバーに見つかってしまった。


 一人が声を上げれば、次から次に覗きにくる補佐室面々に曖昧に微笑みながら、ぺこりと会釈をした。



「監査室のお手伝いです」

「補佐室の!?」

「違います。監・査・室のお手伝いです。補佐室のお手伝いではありませんので!」

「あぁミュラー、なんていいところに! ヒロー海岸の漁獲量の資料って」

「G-45の書棚にあります」

「ミュラー……リエフ地方、5年前ってなんかあった?」

「……5年前ですと長雨によりがけ崩れが起こり、しばらく交通網に影響が出ていたかと」

「あぁなるほど! それで激減してるのか……ありがとう!」

「あ、ミュラー、俺もおしえ」

「おい……! 監査室の助っ人だと言ってるだろう!」



 ようやくステファン室長が助け舟を出してくれ、蜘蛛の子を散らすように補佐室メンバーは慌ててこの場を離れた。


 みんな、どれもこれも調べれば自分で解決できることなのだが、探すのが面倒で私に聞いてくるだけ。

 この部屋で声をかけられると補佐室モードになってしまうため、反射的に答えてしまう癖が私にはある。


 監査室の助っ人の仕事があるというのに、聞かれたからと言って補佐室の仕事に手を出していたら、いつまでもこちらの仕事が終わらないのが分かっているのに。


 少しシュンとして首をすくめ、ステファン室長に「すみません……」と小さく謝り、また書類の修正に戻るのだった。






 

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