sideレオン⑦ 終わりとはじまり
◇
クリスティーヌはしばらくして戻ってきた。
が、宰相室の前で立ち止まったまま入ってこない。
考える時間は必要なのだろうとしばらくそのままにしていたが。まだ入ってこない。
結局しびれを切らして彼女を部屋の中に引きずりこんでしまった。
今度は決して邪魔はされないようにと鍵まで閉めて。
誤解も解け、いい感じの雰囲気になり「仕事にならなくなっても知らないからな」と口づけした直後。
──眼鏡を返せ、と言われた。
…………ん?
さっさと髪をひとくくりにし、すんとした顔で「仕事を片付けよう」という彼女は次には自分のことを「宰相閣下」といつものように呼び、コーヒーはいるかと。
来週の会議の予定を聞いてくる。
──めずらしく、パトリックの思考が停止した。
なぜ、今……?
こんなに甘い状況であり、今まさに夫婦として愛を確かめようとしていたのではなかったのか?
──それがなぜいきなり……
あぁ、『仕事』か!
まだ今日の仕事が残っている状況であり、『仕事にならなくなっても』は彼女にとって禁断ワードだったのだ。
残念ながらも、公私をちゃんと分けるクリスティーヌの姿勢が嫌なわけではないし、誇らしいとさえ思う。
──つまりだ。
仕事でなければいい、というだけの話だろう。
◆
大会議にて、法改正の発表やその他諸々が終わったその日の夜。
王太子クロードとパトリック、主要長官が揃って国王へ謁見を求めた。
「みな、勢ぞろいしてどうした。法改正の書類はもうサインしたし、大会議の内容ももう済んだであろう?」
「はい、父上。すべて滞りなく。それに伴い、父上には今から病気になっていただきたいと存じます」
「……は?」
「父上。今回のこの法改正であなたの仕事は終わりました」
クロードが無邪気にほほ笑みながら告げる言葉は、国王にとっては意味不明だろう。
昼間の大会議では一番後ろでふんぞり返ったまま聞いていた国王は、よもや夜になってこんなことを言われるとは思ってもいなかったはずだ。
法改正は国王の正式な承認を得たということで、その場に国王はいなければならなかった。
そしてそれが終わった今……彼の仕事は終わった。
宰相であるパトリックが続けて話す。
「陛下。陛下には禁止聖導具を使用し国民を故意に扇動した罪により、今後離宮にて静養していただくこととなりました」
「……なんのことだ? 一体なにを、言っているのだ?」
「陛下はあの劇の最後に使われていたものが聖導具であること、さらに精神に影響を与えるものであることをご存じでした。精神に影響を与える聖導具の使用は五十年も前に禁止されております」
「禁止……? そ、そんなこと、我が知るはずがないではないか!」
「知らないことこそが問題なのです。そして、国民感情をいたずらに操作し『恋愛至上主義』を蔓延させた結果、我が国は他国からの信頼を無くし、この三十年で貿易額が激減してきている現状を何度もご説明申し上げましたが」
「……は? たかが恋愛ごときで!?」
そうだ。
本当に──たかが恋愛「ごとき」だ。
我が国の人々は他国との貿易で、恋愛を理由に取引先を一方的に変更し、その賠償や補償を……一切おこなっていなかった。
国家の大きなプロジェクトでも、上の一存で同じようなことがおこなわれていたことが判明していた。国としての信用が失墜しようとしていた。
そしてパトリックが宰相になるまでは、年間貿易額が減り続けていることすらも隠ぺいしてきたのだ。フォンタナ元宰相の指示だろう。
たかが恋愛「ごとき」で国益を大きく損ねていた。
「そうです。たかが恋愛ごときにうつつを抜かし、あなたは本来の婚約を一方的に破棄し、当時その賠償すらしなかった。さらにはその相手に汚名を着せ、違法な聖導具を使用し自分を美化した話を国中に蔓延させ、その考えを浸透させたのです」
「……そんなものっ! 我がやったわけではないではないか!」
「主導したのが別の人物であろうとも、あなたは当事者であり確実にかかわっているのです。このような話が国外に漏れ、そのような人物がまだトップに立っているとなれば、我が国に攻め込まれる絶好の機会を与えてしまうのが……お分かりになりますか?」
子供に諭して教えるように微笑みながらやさしく伝えるパトリックだが、その笑みは有無を言わせない迫力を持っていて、誰もが重苦しい緊張感に包まれていた。
国王は、信じたくないというように怯え、首を左右に振る。
誰かこの意見に反対してくれる者はいないかと各長官の顔を見るが、全員冷めた目で彼を見つめていることで、ヒッと息を飲んだ。
「恋愛が悪いわけではありません。ですが我々は今後、行動には責任が伴うことをしっかりと浸透させていきます。その結果──きっとあなたは愚王と呼ばれることになるでしょう」
「……そんな、そんなはずはない!」
今だに『黒の王子』として人気を博しているのだ。
それが一気に地に落ちるなどとても認められないし、想像もできないだろう。
「父上、そう信じたい気持ちもわかりますが、必ずそうなります。そうせねば……ならぬのですよ」
「陛下は陛下のおっしゃる『たかが恋愛』で無責任に他人との契約を破棄し何の賠償もせず、罪もない令嬢を悪役と呼び蔑んだのです。お忘れですか?」
当時悪役とされたフォンタナ侯爵の娘ジュリエッタが、劇で描かれている虐めや残虐な行為を一切していないのはすでに確認が取れていた。
ジュリエッタにぬれぎぬを着せ、自分たちが正義であると言わんばかりの態度で『黒の王子』が大勢の前で婚約破棄を言い渡したのも事実だった。
当時同じ学院に通っていた年代の者を調べ上げ、調査してくれたのは、クロードの妻・王太子妃のエリザベート。
当時その場に居合わせた者は真実を知っていたが、劇は脚色されている娯楽として見ていたし、『愛なのだから仕方がない』という意見にすでに染まってしまっていた。
──誰しも出来ることなら責任など負いたくないのは当然のことで、『黒の王子』がそうしたのだから、自分たちも好き勝手やっていいはずだと、よりラクな方に流された人も多くいるはず。
きっと聖導具単体の効果だけではここまで広まらなかった。
ラクな方に流されたい人間の習性を、フォンタナ元宰相は巧みに利用したのだろう。
聖導具の効果が分かった時点で、劇で使用されている聖導具はすべて回収しレプリカを渡してあるし、地方ではすでに『黒の王子と金の乙女』の上演は中止となった。
王都の劇場もすぐに中止になる。
そして今後二度と上演されることはないはずだ。
「陛下。これが三十年前、あなた方がしでかしたことの──末路なのですよ」
「……嫌だ……嫌だっ! 我は離宮などには行かぬ! 王位も渡したりなどせぬっ!!」
「父上。これからしばらくは離宮に蟄居していただきます。外に出ることは一切認められませんし、来客も認められません。しばらくしたのち、病気が悪化し統治不能として私に代替わりさせていただきます」
「……なぜ……なぜ我だけなのだっ!? 王妃は!? あいつだって同罪ではないか!」
「もちろん母上も同罪です。別の場所で同じように過ごしてもらうつもりですのでご安心ください」
「では陛下。こちらにサインと国璽の押印を願います」
代替わりのための書類を事前に作成しておくのは、もちろん後から覆されては困るからだ。
それでも首を振る国王に、パトリックは近づき耳元でひそっとささやく。
「……陛下。これから食べるものすべてに何か入っているのではないかと疑心暗鬼になり命の危険とも隣り合わせでこの王宮で過ごすのと、今のうちにサインして心穏やかに離宮で過ごされるのと……どちらがよろしいですか? 私は後者をお勧めいたしますが、陛下がお選びになることですので前者でも尊重いたしますよ……? もちろんそれ相応の対応を致しますが」
パトリックがすべてに対し淡々と静かに処断していくことを知っている国王は、その笑顔に凍り付き、震える手でなんとかサインをしたのだった。
──これは、クーデターだ。
我々上層部は、このことを決して外部に漏らすことはないだろう。
きれいごとだけでは国の維持などやっていられない。
ただ──あの白く清廉な妻に、早く会いたいと思った。
(あぁ……今の俺が触ったら汚れてしまうな)
この聖導具が使われていたことは隠蔽するしかない。
国のために、今公表する選択肢など存在しない。
けれど隠蔽したことを知れば……クリスティーヌはきっと軽蔑するだろう。
隣に真っ白できれいなものを置こうとしながら、自分はどんどん黒くなっていく。
これから先もそれが変わることはないだろう。
それでも、彼女を手元に置くと決めた。
それならば。
──どれだけ黒くなろうとも、全力で隠し通して見せようじゃないか。
俯き、わなわなと震える国王を上から見下ろしながら、パトリックは口角を上げた。
◆
その日、王妃の愛人ローレンは王妃に別れを切り出した。
王妃が今までコロコロと変えていた相手は、すべて彼女から別れを切り出していたが、今回初めて自分が振られる立場となった。
これほどまでに長く付き合い、王妃という立場を捨ててでも貫き通そうと思っていたほどの『愛』だったらしいが。
「あなたよりももっと素敵な運命の愛に出会ってしまった。もう私は彼女しか見えないんだ! だから……許してくれるよね、もちろん。愛なのだから仕方がない。わかってくれるだろ?」
そう言ってほほ笑みながら王妃の元を去ろうとするローレンに泣きすがり暴言を吐き、恨み言を吐いたらしい。
「でも……あなたは三十年前、愛なのだから仕方ないと、何もしてないジュリエッタ様に罪を着せ、その座を奪い取ったんだろ? どうして自分は『愛』で捨てられることがないなんて、自分は特別だなんて思えたんだい? 面白いね!」
ジュリエッタにぬれぎぬを着せたのは、そもそも王妃が発端だ。
ありもしないことを並べ、それを調べもせず信じジュリエッタを責め立てたのが『黒の王子』だった。
ハハッと笑いローレンは軽快に去っていったらしく、泣き崩れた王妃はそのまま国王とは別の離宮に隔離され、それ以後、外に出ることは許されなかった。
◆
国王への諸々を終え、パトリックとクロードが二人で王太子の執務室までの廊下を歩いていると、遠くから奇妙な音が聞こえてくる。
「……今日も殿下は熱心だな」
「そこがアルノーの良いところじゃないか」
「アルノー殿下には伝えてるのか?」
「んー、大体はね」
そのまま歩みを進めると、廊下の角を曲がったところで、その廊下の中央付近で懸命にステップを踏み決めポーズを作るアルノー殿下がいた。
彼はすぐさまこちらに気付き、パァッと満面の笑みを浮かべ、相変わらずクルクル回りながらやってきた。
「兄上っ! お疲れ様です! ……宰相もご苦労だなっ」
クロードとは違う口調をパトリックに投げるが、彼の基本は後者だ。クロードの前だけアルノー殿下は豹変する。
パトリックはほんの少し微笑み、会釈をした。
「アルノー、今日も練習か? 精が出るな。今のステップなんて切れ味が増してたじゃないか」
「っっ! 兄上……分かりますか!? さすが兄上です! ここのターンとこの手の角度がどうもしっくり来ず、日夜研究を重ねた完成形なのですよ!」
「そうか。アルノーは努力家だなぁ」
そうやって目を細めるクロードは──ブラコンだ。
末っ子であり第二王子のアルノー殿下は、産まれて早々に王妃から相手にされなくなり、アルノー殿下が寂しくないようクロードが遊び相手を務め、常に弟のことを気にかけていた。
自分のあとをちょこちょこ付いてくる弟が可愛くて仕方なく、かわいい、素晴らしい、最高だと褒め続けた結果。
アルノー殿下は、超強力自己肯定感を養うことが出来たようだ。……過剰なほどに。
「そういえばアルノー。この前言ってたことなんだけど、今日済ませたよ」
「あ、父上と母上の話でしょうか? ではもう会うことはなさそうですね。分かりました。兄上、長い間本当にお疲れ様でした」
あっさりと告げるアルノー殿下は、兄のクロードをキラキラとした瞳で見つめる。
両親とほとんど関わることのなかったアルノー殿下は、彼らにほとんど興味がない。
「中心で動いたのはパトリックだけどね」
「……パトリック宰相もお疲れだったなっ! 兄上と毎夜のように二人っきりで……羨ましいことだっ!」
「……誤解されるような言い方はやめていただけますか。仕事をしているだけですので」
アルノー殿下がパトリックに対しちょっとした反抗心を持っているのは、単にクロードと仲が良いから。
──アルノー殿下も、もちろんブラコンだ。
殿下はパトリックに対し、手をシュピンっとさせドヤ顔で言う。
「だがそんなに家に帰らないと、嫁に愛想尽かされるんだぞっ!」
「アルノー殿下の日々の経験談、ありがたく頂戴いたします」
「な……っ! お、俺が日夜フラれているみたいに言うなっ! お前たち夫婦は揃って地味な嫌味を言ってくるの、やめろっ!」
「…………夫婦、ですか」
「…………あ」
珍しくパッと自分の口を押さえたアルノー殿下は、自分がパトリックに対し余計なことを言ったことを察した。
そろりとパトリックを上目遣いで見れば、明らかに作り笑顔と分かる顔で朗らかを装って微笑む鬼宰相・パトリックの姿がそこにあった。
「殿下。どちらで我が妻とご一緒したのでしょうか?まさか……。──そういえばここの廊下、最近傷みが激しいのは殿下が日夜踊られるからなのは間違いないことですし、アルノー殿下の予算から補修をしようかと」
「ち、ちがっ!! なにも、なにもしておらんっ!! 本当だっ!」
手をシュピンシュピンといつもよりさらに高速で動かしながら「顔を覚えていただけで!」「ミュラーに迫ったりしてないっ!」と必死で弁明をするアルノー殿下。
そのうち「兄上ぇ〜……」とクロードに泣きつき、ことなきを得たのだった。
アルノー殿下と別れ、明かりに照らされた廊下を歩けば、周りにはポツポツと衛兵がいるのみ。
「アルノーをいじめるなよ」
「……最近からかうのが癖になってきた。そういうクロードも、そのあと殿下に泣きつかれるの、結構楽しんでるだろ」
「そんなことは……あるかもしれないな。アルノーは癒しだからな」
「……多分癒しの意味が俺とお前で違うと思うが、ある意味俺も癒しだと思うぞ」
──からかって発散する方の意味で。
「でも……ようやく終わった、のかな?」
「……ある意味、始まりかもしれないな」
「僕たち、頑張ったよねぇ」
「そうだな。来年度に向けて準文官の採用も幅広く始めるし、まだまだ改革は途中だが……テルニアの導入で少しは楽になるだろう。金がかかるが」
「浪費家二人の予算が大幅に減るから、そこから賄おう」
パトリックとクロードは、片方はすがすがしい笑顔で、もう片方は無邪気な笑顔を見せながら、現実的な話をするのだった。
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