sideレオン⑥ 黒幕


「つまり、黒幕なんていないってこと?」

「そう考えるのが、一番つじつまが合う。どれだけ探しても証拠が出てこないはずだ……くそっ」



 クロードの執務室で、先ほどクリスティーヌが言った言葉から導き出されることを、パトリックはクロードに告げた。


 誰もが、フォンタナ元宰相がそんなことするはずがないと思っていた。

 誰もが、彼のことを調和を重視する温厚な人物で、どちらかと言えば気弱だと言っていた。


 ──悪役令嬢としての汚名を着せられ、国を追われた人物の父親が、まさか自分の娘を貶めるきっかけとなった『恋愛至上主義』を広めるなどありえないと。



「待って、パトリック。全然分からないよ。なんでフォンタナ元宰相がそんなことするわけ? 恋愛至上主義を持ち上げたら、結局娘は悪役令嬢として世間一般に広められてしまうし、メリットなんかないじゃないか。彼女は今ではすっかり悪役令嬢として浸透して、国中に恋愛至上主義は蔓延して……」

「その結果、我が国は……他国からの信用を失い瀕死の危機にあるだろ。それが──彼の復讐だったんだよ。たとえ娘が悪役令嬢と呼ばれようとも」

「そ……そんなの、時間がかかりすぎるじゃないか! 実際、彼はもう亡くなってる」

「それでも良かったんじゃないか。──陛下の名が、後世に永遠と残れば」



 ぽそりと呟くと「いや、残りようがないでしょ」とクロードが言った。

 パトリックは首を振る。



「いや。必ず残る。──愚王として」



 クロードが大きく目を見開いた。



「……そうか。ああ、そういうことかっ! だからこそ、書物から絵本、新聞、劇……何から何に至るまで、記録として残るものを作ったのか!」

「そうだ。国が破綻するとき、当然原因が探られる。そして必ずや『恋愛至上主義』にいきつく。何よりも優先されるものだと言い始めたのは……」

「父上だ」

「そういうことだ。そのときにフォンタナ元宰相の名など出ないだろう。ジュリエッタ様の汚名はその時にそそがれるかもしれない。だが……きっとそんなことはどうでも良かったのだろう」

「どうでもいい?」

「ただ……恋愛を賛美し讃え、彼女の言葉を聞きもせず、彼女を虐げたすべての国民に──その心のまま、滅んでしまえと」



 それは、どれほどの恨みだったのだろう。

 一番憎い相手のそばで。

 決して悟られることなく、忠実に尽くしているように見せかけながら、小さな種を蒔いていく。



「……あの聖導具は少しでもそういう風に思っていたり、流されたりする人じゃないと効かないんだったよね」

「そう、だな」

「強力な暗示効果があったわけじゃないんだから──結局それを選択したのも自分たちだろ、と言いたかったのかな」



 ぽそりと呟いたクロードは、悲しげだった。

 


「でも僕たち、国が完全に破綻する前に止めたわけだし。未然に阻止したわけだよね? そうなることは考えてなかったのかな?」

「それは……うちの補佐官が言っていたことだが」

「うちの補佐官って」



 クロードがくすりと笑った。クリスティーヌがレオンの妻だと知っているから。

 気にせずレオンは続ける。



「うちの補佐官が言うには、だ。あれは間違いだったと誰かが声を上げてくれたら、賛同者がいてくれたら──と。だから、そう我々が気づいたのなら、それはそれで……彼の計画内なんじゃないのか」

「なんで計画内なんだ?」

「気づいた者は──恋愛至上主義の愚かさを知っているはずだから」



  ああ、そういうことか……とクロードは悲しげに微笑んだ。



「じゃあ、僕たちがこれからすることも想定内だったのかな」

「そうかもしれない。とんだ食わせ者だな。どこが気弱なんだ」

「ふふっ。ほんとに。じゃあ……まぁ僕たちは想定通りに動こうか」

「そうだな」



「陛下。王妃様がネピーラ地方に住居を用意したとの噂が出ているのをご存じですか?」

「……な、なんと! もしや、離縁するつもりで!?」

「父上、知らなかったのですか? 今までは半年足らずで変えていた男性たちも、今回はかれこれ三年以上になるから……それだけ気持ちが深いってことでしょうね」



 ずいぶん前から王妃が現在の愛人にご執心であることは国王の耳には入れていた。

 王妃と、アイリーンの兄・ローレンの付き合う期間が長くなるにつれ、彼には疑心暗鬼になるよう言葉を囁き続けてきたが──ようやく大詰めを迎えようとしている。



「ぜ、絶対に許さんぞ!」

「ですが残念ながら、王妃様が離縁したいとさえいえば終わってしまいますから。王妃様は自分のドレスや宝石をお持ちですので金銭面ではお困りにはなりませんし」

「あ、この前両替商が来てたのはそういうことかぁ……」



 パトリックは眉根を寄せ悲痛な表情を作り、クロードが追い打ちをかける。


 国王夫妻が対外的な場以外で一切会話をしていないことを知っているため、王妃の真相など国王にはわからない。

 国王の周りの者にもパトリックからだと分からないよう、真実味が増すような噂をばらまいている。



「パトリック! 何とかしろ! これでは私が王妃に逃げられた良い恥さらし者になるではないか!」



 ──あなた方のせいで、この国でも諸外国でも、そのような晒し者になった人が爆発的に増えているのだが……そこは気付かないし興味もないのだろう。



「そうですね……なにか離縁するのをためらうようなものがあれば良いのですが」

「……そ、そうだっ、罰則を作ればよいのだ! ──法を……法を変えればよい! 離縁するには大きな金銭が必要とすればよい!」

「……なんと、素晴らしいアイデアです! さすが陛下!」

「そうですね。それなら母上もためらうかもしれません」



 国王自身が法改正に反対した理由である『当時の自分が悪者になってしまう』と言う考えは、目の前のことに精一杯で、すでに頭の中には微塵も残っていないようだ。


 三年前にパトリックが進言したことも案の定完全に忘れ、あたかも自分が考え付いたかのように思っているが、それで良い。

 そのためにこれまで国王にはこの三年、一切法改正の話をしなかったのだから。


 ──そうして一気に法改正へと話は進んだ。


 過去にさかのぼっての請求も可能にするか検討したが、確実に国民感情を逆撫ですることが予想されたため、『大会議での発表以降に不貞を行なった場合を不法行為と定める』と決まり、大会議で発表するのみとなった。




 王妃の篭絡要員だったローレンには、随分と長い仕事をさせることとなってしまった。


 彼からの報告書は常に的確に書かれ、この言葉でどうなったとか現在の進捗具合が書かれているが、ローレン自身の気持ちは一切書かれていないから、どう思っているのかは不明だが。


 アイリーンと最終確認のため宰相室で話し合うことが増えた。



「とりあえずあと一週間。大会議で発表する手はずは整った」

「あと少しね。このためにずっとやってきたんだから」



 アイリーンと兄のローレンは本来犬猿の仲だったが、この計画のために密に連絡を取り合い、聞きたくないことも聞かされてきたアイリーンの苦労ももちろんあるだろう。

 だが、それもあと一週間でようやく終わると思ったが。



 ──クリスティーヌの態度が激変した。

 彼女は完全に作った笑顔で一瞬だけの抱擁を自分に向けた。


 珍しく機嫌が悪いのか?となんとなく思ったが、その後の会議でそれは確定した。

 パトリックと目を合わせているようで合わせていない。完全な微笑を顔に浮かべているにもかかわらず、決定的に精神的距離があり、拒絶の態勢に入っている。


 何かをしてしまった心当たりが全くなく、少し遅れて宰相室に戻ればどうでもいい用事で部屋から出ていこうとしていた。


 心当たりはないが、何かしてしまったに違いないと謝罪しようとすれば、まったく取り付く島もない態度で「何も怒っていない、閣下が気にするようなことは何もない」と。


 その拒絶に、話し合いすら拒否するその態度に、パトリックはどこかむなしい切なさを感じた。


 最近では明らかに彼女の態度は軟化し、親しくなっていた。

 少しでもこの関係が進展していると思っていたが、そう思っていたのは自分だけだったのか、と。


 年甲斐もなく勘違いしていたのかと、つい「計算づくか?」などと口走ってしまった。


 そんなタイプではないことは分かっていたのに。


 直後にクリスティーヌが目に涙をためながら言ったことは……どう考えてもアイリーンとパトリックの仲を誤解して嫉妬していた。


 自分じゃなくてもいいのだろ、という彼女は──意を返せば、どうして自分だけではないのか、自分だけであってほしかったと言っているのも同じだ。


 それはつまり。

 ──クリスティーヌは、確実にパトリックに気持ちがあるということ。



 自分の中のストッパーが取り払われたのを感じた。

 身体中の血が沸騰し、歓喜で感情が支配されていく。



 感情を制御さえしなければ、とっくに自分が彼女に惹かれていたことなど分かり切っていたこと。


 一気にじゃない。明確なこの出来事があったから、という理由じゃない。

 少しずつ甘い毒に侵され、気づいた時にはもう離れられなくなっているような。


 これほど努力家で、才能豊かで、どこまでも白く美しく可愛らしい。

 惹かれないなど、無理だろう。


 ──ずっとこの時を待ちわびていたことに気づく。

 それならば……もう遠慮する必要など何もない。



 けれどなぜか彼女はパトリックに対して「浮気は嫌いだ」という。

 自分もまったく同意見だが、夫婦なのに浮気も何もない。


 かわいらしい妻のことを褒めれば、なぜか怒っている。

 ……あぁそうだった。


 クリスティーヌはパトリックが、シャルロットとクリスティーヌが同一人物だと知らない、と思い込んでいるんだった。


 興奮して忘れていた。

 アイリーンとの仲も誤解だと説明したが。


 ……クリスティーヌは恐ろしいほど冷めた目でこちらを見つめた。

「離してください。これ以上は軽蔑します」と。


 パトリックには妻がいるだろう、と。自分にも夫がいると。

 それは絶対に「浮気なんてしてなるものか」と自分の意思を貫く、決意の瞳だった。

 明らかにパトリックに惹かれているにもかかわらず、彼女はそれが浮気なのだと思えば拒絶する。


 その意志の強さに、結婚以来話したこともない夫としてのパトリックに操を立てる姿に……どうして嬉しくならずにいられようか。


「自分にも夫がいる」との彼女の発言に「そうだね」と返せば、「……え?」とキョトンとし、ようやく気付いたか?と思われたときに────来客。


 彼女はあっという間に部屋から出て行ってしまった。

 ……逃げられた。



 ──その邪魔をしてくれた来客対応がずいぶん荒んだものになったのは……言うまでもない。









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