sideレオン① 違和感

 バスティーユ公爵家嫡男パトリック・レオン・バスティーユは、17歳の頃、王太子クロードと共に二ヶ月の短期留学へ行った。

 それはパトリックがクロードを唆し連れて行ったようなものだったが、短期留学の名の下に自国から離れのびのびと過ごしたクロードは、帰ってきてから強烈な違和感を覚えることとなる。



「だからこの国はおかしいと言ったではないか」

「確かにパトリックの言うのは理解できたよ。でも皆そうだったから……」

「だから、それこそが不自然なんだ」



 幼馴染である二人は、王太子クロードの自室の窓辺から王宮庭園を見下ろす。


 そこは王族居住空間の庭園であり、専用使用人以外では王族、もしくはその同伴者のみしか立ち入ることはできない。

 建物に一番近い生垣の手前では、黒髪の壮年の男性が赤髪の若い女性の腰を抱きしめんばかりに手をやり、顔を寄せ合いながら歩いている。

 そして視線を少しずらし遠くの東屋を見れば、騎士服を着た男性の膝の上に乗りしなだれかかる金髪の女性が。


 黒髪の壮年の男性はこの国の国王であり、クロードの父。

 騎士にしなだれかかる金髪の女性はこの国の王妃であり、クロードの母。


 世紀の大恋愛と言われ、現在の『恋愛至上主義』の火付け役となった国王夫妻は。

 ──とっくに夫婦関係が破綻していた。



「もう父上と母上のアレは見慣れてたから、どこもそういうものかと思ってたけど」

「そんなわけあるか。この国が異常なだけだ」

「でもさ、昔からだろ?」

「……違う。これが始まったのは、お前の両親達からだ。つまり、まだ20年ほどしか経っていない。──だからおかしいと言っている」



 深い青色の瞳を細め、汚らわしいものを見るような視線でその光景を見下ろす、銀髪の青年パトリック。


『愛は素晴らしいもの』

『愛はすべてを超越し、愛があればすべて許される』


 王妃から笑顔でそう諭されている、王太子であり幼馴染であるクロードを偶然見かけた時に──パトリックは恐怖を覚えた。


 愛があれば契約は無効になるのか、と。

 婚姻により両家が結び付き、共同事業が進んでいく。それが、片方が別の人と愛に落ちたのならその事業はどうなる。


 別に誰かを愛するのは構わない。

 だが、なぜそれが『仕方ない』の一言で終わり、契約不履行の請求すらすることなく終われるというのだろう。

 普通の事業契約ではありえないことが、『愛』の一言で片付いている。

 明らかに不自然極まりないのに、誰もそこに疑問をぶつけない。


 次期国王となるクロードにこの違和感に気づいてほしいのが大部分で、留学へ誘った。

 そこでは当然のことながら、婚姻中に伴侶以外と表立って『恋愛』をすることはない。もし露呈した結果、被害があるのであれば『有責』となり損害賠償などの請求が行われる。



「祖父の代には政略結婚が当たり前だった。片方が強引に破ればそれ相応の代償があったはずだ」

「でも今は聞かないよな? いつからなくなったんだろう?」

「陛下が婚約者を変えたあたりからだというのは分かるが。なぜ皆がすんなり受け入れたのかがわからない。うちの両親はこの件で俺と議論するつもりすらないらしい」

「公爵夫妻もそうなのか……年配の人はぶつくさ言ってる人もたまに見かけるけど。子供ながらにおかしいとは思ったんだよ、昔は。約束は守れっていうのに、なんで『愛』が絡んだ時だけその約束はなくてもよくなるのかって。でも聞いても……アレだから」

「聞く相手が悪いんだ」



 階下を見下ろしながら、クロードは別々の場所でいちゃつく自分の親を諦めた目で見つめ、ため息をついた。

 何を聞いても『愛があればすべて許される』と答えられてきたものだから、クロードも徐々に「そういうものなのか……」と思い始めたところだったらしい。



「ああなる前に気づいてよかったよ」

「ああなっていたら俺が殴って止めていた」

「はは……お前は本当に殴りそうで怖いよ」



 留学によりこれがおかしいことに気づいた黒髪の王太子は、失笑した。

 クロードが違和感を認識した最たるものが、留学先でその国の王女エリザベートと恋仲になったからだ。

 そしてその王女に「ころころと相手を変えるような国の人と信頼して付き合うことなどできるはずがない」とはっきり言われたことで衝撃を受け、目が覚めた……といったところだ。


 そしてほぼ母親に放置されつつある末の弟・アルノーには、両親のようにはなるなよ、と自分も相手も大切にすることをクロードがこんこんと語っているのをパトリックは見かけた。



◆◆



 それから月日が流れ、パトリックは王太子クロードの側近ではなく、王宮文官から宰相としての地位を確立し早三年。


 すでにスラン王国の『恋愛至上主義』による弊害は、国内外で噴出していた。

 なんとかそれを押さえている現状ではあるが、国内だけならまだしも、国外からの講義が問題だった。

 国際結婚や婚約をしたスラン王国の人々の、ある意味自由奔放なふるまいと、その責任を取らない態度がますます表面化してきたのだ。

 それはただの家庭問題ではなく、商人同士、さらには国同士の契約にすらも関係していた。

 問題にならないはずがない。


 パトリックが宰相になってからは目を光らせ、国が関わる契約でそのようなことが起こることを許すことはなかったが。



「パトリック。また陛下に法改正の話をしたのかい?」

「あぁ。案の定却下された」

「長官たちの賛成もまだまだか……」

「長官は何とでもなる。だが陛下の承認がなければ法改正はできない」

「そんなの……父上は絶対承認しないよ。だって承認したら、昔の自分たちが正義ではなかったということになってしまう」



 法改正には長官の三分の二以上の賛成と、国王の承認が必要となる。


 この十年近く調べた結果、『恋愛至上主義』が出始めた初期のころ、何度か法改正への話が出ていたのが判明した。

 いままで暗黙の了解として行われていた契約不履行による損害賠償を、法として明文化すべきだと。


 だがその話自体なかったこととして握りつぶされ、『恋愛至上主義』による弊害などありえないものとされていた。

 しかもその法改正への意見が出たのも初期の数年程度。それ以降は誰も提案することがない。


 今でこそ各国からの抗議を受け議題に出し続け、長官たちにも賛成の者が出てきたが、まだ足りない。「我が国はこういう文化だから」で聞き入れてくれない者も多い。

 その文化は出来たばかりのものだということを知ろうともせず。

 各国からの抗議のことなど知らない一般人に、この違和感に気づくものなどいないのだろう。

 夜会に行こうとも見合いの話が来ようとも、誰もが恋愛の話ばかりで盛り上がり、そしてそれを美化することばかり。


 クロードは早々に留学先の王女エリザベートと結婚し次々に子供ができているが、パトリックは結婚することに何の意義も見いだせないでいる。

 宰相になる少し前に両親が亡くなってしまったことで公爵位を継いだことにより、家門の者や周囲から早く後継をと言われたが、仕事が忙しくそれどころではないと押し切っていた。

 宰相になってからは忙しさのあまり、その者たちに会うことすらなくなって清々した。


 多くの業務を抱えているパトリックはこの問題にかかりきりになるということもできず、世論のせいで腰を上げるのを躊躇するものも多く、大部分を自分で調べている現状。

 何とか時間を作ってはクロードの部屋に行き、議論を重ねる。

 パトリックは机の上に乱雑に広げられた書類を見ながら、首をひねる。



「やはり『黒の王子と金の乙女』の上演と、『恋愛至上主義』の支持が比例していると考えられる。ほとんど見たことはないが……そんなに面白いのか?」

「うーん……僕はほら、親のことだからなんか微妙な感じで見てたけど。でも見終わったあと、なんとなくあぁ良いもの見たなぁっていう感じになるんだよね」

「……あのストーリーでか? 疑問も抱かず?」

「ま、まぁ今思えばそうなんだけど。でもその時は全然思わなかったな。感極まって泣く人もいたし」



 パトリックは当時各地を回っていた上演の順番と、『恋愛至上主義』に異を唱えていたにも関わらず、声を潜めていったところを照らし合わせると、それはまさしく一致していた。

 最初は各地で法改正の嘆願書なども出ていたのに、いつの間にかそれすらもなくなっていた。


 どうやったらこの国の法改正ができるか。

 国王の承認が必要な以上、そこを攻めるしかないのは分かり切っているが。



「あ、そうだ。パトリック。母上の愛人、また変わったようなんだよね。ちょっと見に行かない?『ナイト・ルノワール』に連日来てるみたいだよ」

「まったく興味がないし、そんな暇などあるわけないだろ。それに面倒だろ、あしらうの」

「パトリックが好条件なんだから仕方ないじゃないか。それくらいいつもさらっとやってるだろ。僕一人だとエリザベートが悲しんじゃうじゃないか。それに母上の愛人の傾向から攻め落とせることがあるかもしれない。……僕、ちょっと考えてることがあるんだ」



 エリザベートはクロードの妻。つまりは王太子妃だ。

 二人は互いを尊重しあい、良い関係を築いている。

 クロードは反面教師の両親を見続けたからか、ずいぶん仲が良い二人だ。



「じゃあ……ついていくだけだからな」



 この問題に少しでも光がさすのであれば。

 クロードの発想は、たまにすごいのがあるからな……と必死で時間を捻出した。



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