宰相室専任補佐官22 答え合わせ②
宰相室に引っ張り込まれた直後、レオン様は後ろ手でカチャリと部屋に鍵をかけた。
外は真っ暗で、部屋の照明も各自のデスクライトがついているのみで薄暗い。
私をギュッと抱きしめたまま、レオン様が言った。
「扉の前でずっと立ったまま入ってこないから」
「……分かるのですか?」
「気配くらい分かる」
あんな酷いことを言ったのに、変わらず抱きしめてくれる彼は穏やかで、怒っているような気配は一切ない。
おずおずとその背中にそっと手を回せば、レオン様がフッと笑った気がして、抱きしめる力がさらに強くなる。
「──どうやら色々と察したようだな?」
彼は私の眼鏡を外し、髪に手をかけ結び目をほどいてしまう。
少し結び跡のついた私の亜麻色の髪を、優しく触りながら言った。
「では……答え合わせをしようか。──私が愛する妻の名前は?」
この清々しい笑顔。もう何度も見てきた。
ちっとも勝てる気がしない。
「……クリスティーヌ・シャルロット・バスティーユ」
「正解。では、きみの夫の名前は?」
本当にずるい人。
好きだのなんだの一度も言わないくせに、こっそり「愛する妻」なんて言ってくるんだから。
「──パトリック・レオン・バスティーユ。私の愛する夫の名です」
彼は大きく目を見開き、そして優しく微笑んだ。
私の頬に手を添えると、その綺麗な銀髪が降りてくる。
「正解だ……クリスティーヌ」
そっと目を閉じれば、唇が優しく重なった。
「……酷いことを言って、ごめんなさい」
「まったく酷くなどないさ。可愛い妻のヤキモチを喜ばない夫はいない」
「最初から……ご存知だったのですね」
二人でソファに腰掛け話すが、その間も何度も唇が重ねられ、後頭部をその大きな手でしっかりと支えられているため、一定距離以上離れることはできない。
「当然だ。逆に、よくバレてないと思っていたな?」
「……ずっと会いませんでしたし、私に興味ないかと」
その瞳から視線を逸らし、ほんの少しむくれてみる。
三年以上放置されていたのだから、当然ではないだろうか。まぁ彼のこの激務は、仕事以外の時間が一切持てないであろうことは重々承知だが。
「喋ってはいないが、たまに屋敷に帰る時は毎回きみの顔は見に行っていた。いつもぐっすり寝ていたよ」
「そうなのですか? 起こしてくだされば……」
「きみの仕事が大変なことは理解しているから、しっかり睡眠は取るべきだ。私も長々と屋敷にはいられないしな。抱きついてくるきみは可愛かったよ」
「え……っ!? だ、抱きついたのですか!? 私が?」
「頭を撫でていると大概しがみついてきていた」
「…………」
無意識な上に記憶もないため何も言えない。
でも、ちゃんと気にかけてくれていたことが、ただ嬉しい。
「今度は……ちゃんと起こしてくださいね? ──レオン様……」
「……久々のその呼び方は、なかなか効くな」
手のひらで顔を隠そうとする彼の首に手を回し、初めて自分から彼の唇にキスをした。
「……でも、言ってくれれば良かったのに」
「──まぁ……頬を染めてうろたえるのを見るのも可愛くて、つい」
「ひ、酷いです……っ!」
「それに、夫としても上司としても接しないといけないと思うと、きみはきっと仕事がしにくかっただろ?」
「……そうかも、しれませんが」
私の仕事のやりやすさを考えてくれたのか。
たしかにその通りだろう。
元々結婚して三年、物理的に会話のない夫婦なのだ。最初から「三年ぶりだね。きみの夫だよ。今日から直属の上司だ」なんて言われてもどうしたら良いかわからなかった。……そんなこと言わないだろうけど。
「あ。もしかして……私の昇進もレオン様がなにか操作を?」
あり得る。彼ならしそう。
私の実力ではなかったのかも……しれない。
すると彼は大きくため息をついて額に手をやった。
「──好き好んで妻をこんな激務につかせる夫がどこにいる……。私が手を出すなら補佐室の話の時点で止めていたが、最初に仕事に手は出さないと決めていたからな。だからきみが勝手に有能ぶりを発揮してサクサクと昇進して行っただけで、全くと言って良いほど関与していないし、気付いたら専任補佐官の推薦までされて……驚いたのはこっちだ」
「そう、なのですね」
「そうだよ。そしたら……贔屓目を抜きにしても良くできるし気が利くし、状況判断や場をなごませるのが非常にうまいし──その上、いつもは冷静なのに私の前で見せる動揺する顔が可愛くてたまらない」
「……っっ!」
レオン様は私の手を取り、自身の口元に持っていき、手の甲にキスをした。
……そのあと、色気のある上目遣いでこちらを見てくるものだから、ドキッとしてしまい、またしても頬が熱くなる。
「そんな顔も……私だけに見せてくれるのだろ?」
「──レオン様、人からの好意が嫌いなのでは?」
「…………なんのことだ」
「最初の時に、好きな人ができたらバレないようにしてくれ、と」
彼は珍しくキョトンとしたあとで、首を捻りブツブツと言い始めた。
「……仕事ではあんなに察せるのに、そっち方面は驚くほど不得手なんだな……。あれは当然のことながら『他に』好きな人ができたら、と言う意味だ。私への好意なら、もちろん大歓迎に決まっている」
恋愛小説も読んだことがない、恋愛ごとを避けてきた私にとって恋愛初心者なのはたしかだけど。
少しムッとした。
「私だって……私への好意は大歓迎……ですよ?」
一瞬グッと息を詰まらせたレオン様は、少し咳払いをして私を抱き寄せた。
「──仕事にならなくなっても知らないからな……?」
「……っ!!」
強く抱きしめられ、上を向かされた。
レオン様の銀色の髪が、私にかかる。
キスが、深くなった。
初めての深いキスは、あたたかくて優しくて、愛しさが伝わってきて。
なんだか泣きたくなるような、そんな幸福感に満たされていた。
……が、即座に私は目をカッ! と見開いた。
レオン様の銀色の髪に触れながらギュッとしがみつき、ゆっくり三秒数える。
──やっぱり、大好きな匂い。
いち……にぃ……さん………………。
最後が長かったが。
「レオン様……」
「……クリスティーヌ」
「──眼鏡、返してください」
「……え? あ、あぁ、はい」
なぜかビクッとしたレオン様は咄嗟に私に眼鏡を渡す。彼が呆気に取られている気がする。どうしたのだろう。
私はその眼鏡をスチャッとかけ、キビキビと髪を一括りにしたあと立ち上がった。
「さぁ、仕事を片付けましょう。まだやることが残っています」
「…………」
そうだ、仕事が残っている。
たっぷり充電したのなら、次は仕事だ。
「癒し効果でやる気たっぷりです。宰相閣下、コーヒー飲まれますか? ぬるいですが」
「……いただく」
「来週に組み込まれている大会議の議題を聞いても良いですか? まだ極秘になっているようですが」
「…………今?」
「はい?」
いまだソファに座ったまま、呆然としているような珍しい顔を見せるレオン様に、やる気フルパワーの私は次から次にやるべきことが浮かんでくる。
大半が空白となっている書類に目を通しながら、質問する。
「文官全員参加の上に報道も呼ぶとのことですね。──ということは、大きな発表をなさるのですね? なにか手配することはございますか?」
「……切り替え、早すぎないか?」
小さく呟いたレオン様の言葉が聞き取れず「はい?」と聞き返すと、ハハッと苦笑してようやくソファから立ち上がった。
「今回は私の負けのようだ」
「?」
「なんでもない。──今回の議題は一部極秘となっているが、後はいいだろう。数年前から開発してきた通話できる聖導具『テルニア』がようやく実装可能となり、個数も手配できた。各省庁・各課に設置することになり、それによりいちいち伝言を伝えるために行き来することもなくなる」
各省庁・各課に設置するとなればかなりの個数だし、聖導具は高価なため、相当のお金が動いているはずだ。
それにしても通話ができるとは……離れていても、宰相室にいても、他の省と話が出来るということか?
「それは……つまり」
「用事があれば『テルニア』で連絡し、向こうから来させれば良い。あちらの方が暇なのだ。頼みたいファイルも書類も不備事項も、全部あちらが来れば良いのだ。足りないものを出す方が悪い。補佐室も我々の仕事も減る、というわけだ」
私は『なんだその夢のような導具は!』と目を輝かせる。
行き来しなくて良いなら、相当な時間が削減になるのは当然のこと。
重要書類が多いため当人でなければ困ることばかりで、なかなか他人に配達を任せられないのだ。
あとは補佐室への研修制度だったり、準文官の導入による人員補充。
厳しい基準をクリアした人にはある程度の権限を与え、一定金額までの決済が出来るようになる仕組みを導入するらしい。
つまり、大幅な改革が行われる。
「その分、頻繁に監査が必要にはなるがな」
「その監査はどこが?」
「ステファンが長になり、新たに監査室を設ける」
「ステファン先輩、ついに昇進を了承したのですね」
「まぁな」
そんな話をしつつも、後からちゃんと線引きの提案をした。
その内容は──。
眼鏡をかけている限り私はシャルロットであり、専任補佐官。
接触は抱擁までとし、公私を分けること。
呼び方も私からは「宰相閣下」、レオン様からは「シャルロット」もしくは「ミュラー」とした。
ほんの一瞬残念そうな顔をしたレオン様だったが、了承してくれた。
彼が自室の机で「ああいう時にシャルロットに仕事を連想させるのは禁止だな……失態だ」と小さく落ち込んでいるが、もちろん私は気付いていない。
◆◆
そしてその一週間後──。
大会議室で、突如として新しい法が成立した。
「全長官三分の二以上の賛成と陛下の承認を得て──不貞により損害が発生した場合、損害賠償ならびに慰謝料の請求を認めることとする!」
司法省長官の言葉に、集められた全文官たちは一斉にざわつき、呼ばれた報道により国内を揺るがす大々的なニュースとして飛び交った。
それもそのはず。
この30年の【恋愛至上主義】がいきなり覆されそうになっているのだから。
そして『黒の王子と金の乙女』は王都でもいつの間にか上演禁止となった。
実はこの上演こそが民衆を【恋愛至上主義】へと走らせ、当時の王宮が世論を操作できた『核』であり、その真相は現国家の最重要機密となっていることを──私は知る由もなかった。
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