宰相室専任補佐官21 答え合わせ①

「……どういうこと? ……え??」


 足だけはスタスタと歩みを進めながらも、頭はぐるぐるこんがらがったまま先程の言葉を思い返す。


 レオン様は、私に夫がいることを知っていたということだ。

 知っていたということは、その相手も知っているということだろうか……?

 ──そう考えた時、私はぴたりと足を止め、雷に打たれたような衝撃を受けた。



「も、もしかして……私がクリスティーヌだって……知ってた!?」



 そんなそぶり、全然なかった。家での話もないし、家族を匂わせる話も一度もなかった。だから──そんなはずはない、そもそもクリスティーヌに興味などないのだろうと結論付けた。

 期待したことはあったけれど、本当にそうかもしれないだなんて思いもしなかった。


 もし知っていたのだとしたら……今までの過剰と思える接触はもしかして……すべて私を妻と認識したうえでのことだったのか!? という考えに陥ると、一気に体は熱くなり、羞恥心が身を包んだ。



「でもでも……そんなそぶり全然なかったし! あ……それは私もか」



 自分自身、職場でレオン様を夫扱いしたことなどない。

 そもそも夫扱いがなんなのかも分からないけど。

 ──本当に知っていたのだろうか? もし知っていたのなら、いつから……?

 知られていないと思っていたことが、そもそも間違いのような気がして。


 先ほどのレオン様の笑顔が、頭から離れない。

 私が嫉妬したことに喜んで、こういうことは伴侶とするものだと怒ったことにも、彼は心底嬉しそうに笑った。



「本当に知ってたって……こと?」



 そう考えようとしているのに。

 外はすっかり暗くなり、照明に照らされた廊下を歩きながら、あの角を曲がれば第二王子アルノー殿下の執務室というところで、どこからともなく不規則なリズムが延々と聞こえてきて、気になって考えられない。



「……何この音?」



 何の音だろう? と角を曲がった時。

 廊下の中央付近でくるくる回りながら、黒髪の男性がステップを踏んでいる。


 タンタンタン、カッ、カタンッ!


 ──あぁ……アルノー殿下。

 そこはダンスホールではありません。練習場でもありません。


 着地するたびに決めポーズとキメ顔をつけ、手をシュピンとする彼からほとばしる華麗な汗が照明の光を浴び輝く。


 ……いや、どれだけの時間そこで踊っていたのですか。

 日夜練習に励まれる姿勢には感心いたしますが、執務は大丈夫なのでしょうか。

 私はあなたへの不備書類を持ってきましたよ。


 その場に立ち尽くしたまま、どんどん遠い目になっていく私が視界の端に入ったのか、パッとこちらを向いたアルノー殿下。



「おや、宰相補佐官の! 確か、ミュラーだったな!」

「第二王子アルノー殿下にご挨拶申し上げます。宰相室専任補佐官のシャルロット・ミュラーです。本日は書類の訂正をお願いしたく参りました」

「おお、入れ入れ! そういえばお前とは話したいこともあったしな! 今まで忘れていたがっ! ハハハッ」



 ほとばしる汗を拭うアルノー殿下の執務室に行けば、側近の方々が勢揃いしていた。

 もう帰ってしまったかもしれないと思っていたが、まだ残っていたようだ。

 アルノー殿下と応接室に二人で入り、補佐室経由でも問題ない書類を今記入してもらっている。



「今日はデートの待ち合わせの時間が遅くてな! まだ残っていたのだ! 麗しのロレッタは赤毛の巻き髪がよく似合う女でな。少し高飛車だがそこがまた良い!」

「──あれ? 愛しのアイシャ様では?」



 確かにあの日会った彼は『愛しのアイシャに会いに行く』と言っていたが。



「残念ながらアイシャとはもうお別れしたのだ。別れを告げられたその日、ロレッタと奇跡の出会いを果たしたのだ! これは運命!」

「──別れたその日に……。というよりも殿下、フラれたのですね……」

「出会いに別れはつきものなのだっ! だが付き合っている間は他の人を好きになったりしないぞ? ただそのスパンが短いらしいがな! 誠実で信頼できる男……それが俺!」



 ドヤ顔をするが、とりあえず女好きなんだなと言うことは分かった。


 そんな話をしながらも書類を書いてもらいつつ、「そこ違いますよ」「またかっ!」「数字は丁寧に書いてください。それでは読み間違えます」「これくらい読めるだろ!?」「読めません」と言っているのだが。


 スンとした表情をしていると、「あ」と何かを思いついたのか、アルノー殿下が手を叩いた。



「そういえば、前会った時に言おうとしたことを思い出した」

「なんでしょう?」

「パトリック宰相に秘密で働いていると言っただろ?」

「……はい」

「普通に考えて──宰相が、お前の正体を知らぬはずはないのではないか? 全貴族の名前だけでなく、その情報まで事細かに頭に入っている男だぞ? シャルロット・ミュラーなんて存在しない名前を調べないはずないだろ」



 …………ですよね。


 なぜそこに気づかなかったか。

 それであれば──やはりレオン様は私の正体を最初から知っている、ということで。


 ……最初からバレていたなんて!

 内心身悶えているが、一切表には出さない。


「──アルノー殿下の素晴らしいご慧眼に……心底驚いております」

「誰に聞いてもそれくらい分かるわ! あと、一言余計だ! ────よし、書き終わったぞ!」

「ではお預かりしますね。ありがとうございました」

「あぁ。ではまたな」



 曖昧に笑った私はそのまま退室の挨拶をし、いつものように複雑な手の動きと両目ウインクをするアルノー殿下に頭を下げた。


 たしかにあの手の動き、慣れる。

 もう気にならなくなってきた。


 聖母のような顔でスゥー……っと消えていくアイリーン課長の顔が浮かんだ。




 すっかり日が落ちた廊下を歩きながら、考えた。

 レオン様が私の正体を知っているというアルノー殿下の話は、理にかなっていると思う。


 では──ずっとバレていたにも関わらず、私は一人で「私のことを知らないんだから浮気だ!」とやっていたということか。

 彼は最初から私を妻として認識していて、なにもかも行動していた、と。


 人気のない宰相室の廊下。

 その扉の前で突っ立ったまま、私はあまりの恥ずかしさに扉を開けて入ることが出来ないでいる。


 アルノー殿下で笑いが止まらなくなったとき私にキスしたのも、財政省のトニオ先輩に手を握られ眼鏡を取られかけ怒ってくれたのも、その眼鏡を外した姿を見て「綺麗な顔」と言った時も、しんどくて仕方ない日に膝枕して「よく頑張っている」と言ってくれた時も……。

 全部全部……シャルロットだけじゃなくて、クリスティーヌにも言ってくれていたのか。

 それなのに私はそんな素振りを微塵も見せない彼に、バレてないとずっと信じ込んでいて、私に対してすることに浮気だなんだと色々言ってしまった。

 

(あぁああぁーーーっ! 穴があったら入りたいっっ!)


 あまりの羞恥心にドアの前で頭を抱えていると……。

 宰相室の扉が中から開き「え」と思った瞬間には腕を掴まれ、中に引っ張り込まれた。


 


 


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