宰相室専任補佐官13 補佐官の休日①

◇◇◇


 文官になり日々忙しい毎日を送ってはいるが、私に休みがないわけではない。

 財政省の時も宰相補佐室勤務の時も、現在の専任補佐官勤務も、週に一度だったり、二週間に一度だったり……一応休みがある。なくなる時もあるが。


 かれこれ三年以上休んでいないらしいレオン様が異常。きっとあの宰相室が家だと思っているのだろう。実際王宮に専用の寝泊まりする部屋もあるし。

 確かに片道馬車で40分の通勤は近いとは言えず、往復の時間がもったいないと思うのも理解出来るが。




 ──あの宰相室での膝枕の後、なんとか落ち着いた私は「ありがとうございます。もう大丈夫です、顔を洗ってきます」と伝え、タオルで顔を押さえたまま洗面所に向かった。

 真っ赤になった瞳も、赤くなった鼻も、少し腫れぼったい瞼も……誰が見ても一目で泣いたことを表していて、何度も水で顔を洗う。


 もうあとはどうしようもないので眼鏡で隠し、視線を合わせないようにしつつ、仕事に戻る。

 レオン様も私を見ないようにしてくれているのがありがたい。


 まだ完全に浮上出来たわけではないが、少しはスッキリした。

 書類を作成し終わり、片付けをし帰りの挨拶をする。



「では退勤させていただきます」

「ん。……シャルロット、ちょっと」



 手招きをするレオン様に、またいつもの抱擁か……と多少照れながらも思っていたのだが。

 今回はいつものように私が躊躇いながら腕の中に入るのを待つことはなく、彼の方からギュッと強く抱きしめられた。



「明日は休みだろう? それなのに……ストレスを抱えているのは良くないな」

「……おかげさまで、もう随分すっきりしました。ありがとうございます」

「いや、まだだ。知ってるか? 瞬間的な強いストレスは、さらに強い出来事で打ち消すことができると。私の持論だが」

「……?」



 何を言っているのかわからず首を傾げていると。

 レオン様は体を屈め──私の頬にキスをした。


 その後、優しい瞳でこちらを伺うようにじっと私を見つめる。



「…………」

「……やはりこれくらいじゃ足りないか……じゃあ」



 そう言いながら、彼はまた身体を屈める。

 銀色の髪がサラリと私にかかり、彼の顔がすぐ近くにあるのだとようやく分かった。


 何をしようとしているのか、何をされたのかをようやく理解した私は、ボフッと全身に火がついたように一瞬で赤くなった。



「……っっ! じゅ、じゅ充分ですからーーっ!?」

「そうか? まだあれくらいじゃ完全削除にはならないだろ?」

「な、なりましたっ! すっごくすっっっごくなりましたからぁっ!!」



 こうして慌てて帰路についた私の頭の中は、数時間前に泣いたことなどもうすっかり忘れレオン様のことでいっぱいになり、一人馬車の中でジタバタ悶えていたのだった。




◆◆◆


 休日の朝。

 昼前まで寝続けた私はようやく目覚め身支度をする。

 普段はスピード重視の食事も、オードブルやスープもしっかり味わう。


 庭に咲く色とりどりの花や植物は日差しを浴び美しく輝き、丁寧に手入れをされているのがよく分かる。



「お花……綺麗ねぇ……」



 今日は書店へ本を選びにいく予定。

 屋敷に持ってきてもらえるのだけど、そうではなく選びたいときもある。

 そして街の様子も知りたい。


 ──強いていえば、何も考えたくないため何かをしていたい……が正しい。



 夜が明けてしまえばはっきりと問題点が見えてくる。

 レオン様への恋心に気付いてしまったのに、決してそれを見せてはならないという事実。

 そして気になるのは、レオン様の私への態度。


 私のことをきっと何とも思ってないとあのときは思ったけれど──。


 笑いが止まらないからと、普通妙齢の女性に口づけをするだろうか?

 抱擁や頬にキスは、普通のことだろうか?

 大したことない普通のことならば……世の中はそこかしこでキスがおこなわれているのではないか?


 ──もしかして、私のことを少しは……

 いや、でもその私とは私であって私ではないシャルロットで、それならば……?


 自分の立場に混乱するし、その真意が分からずモヤモヤしてしまう。



「…………もう分からないっ! 仕事の方がよっぽど答えがすぐ出るわっ」



 部屋に戻り、今日は後ろが大きく膨らんだバッスルスタイルのドレスに身を包む。

 久々のお出かけ用のドレスだ。


 ドレスは気づけばどんどん増えている。

 スレンダータイプやら、レトロ回帰ということで注目を浴びている膨らむドレスやら、いろんなスタイルが入り乱れてる。

 選んだ記憶も採寸に来た記憶もないと言うのに、最先端のドレスが常にクローゼットに。

 旦那様からのプレゼントです、とたまに言われるが、そんなの選んでる暇ないだろうから、きっと私たちの夫婦仲を気遣う使用人のしわざと見ている。



「やはりこのお色、奥様にとてもお似合いですよ」

「ありがとう、ターニャ。でも……コルセットは締めすぎではないかしら」

「奥様が仕事に支障が出るからと普段が全く締めていないだけで、これくらい普通でございますよ。奥様は元々細いですけれど、しっかり締めねばメリハリがなくなります」

「そ、そう……久々だと、なかなか苦しいわね」



 メリハリ……ないだろうか。

 鏡の前の自分を見ながら考える。


 大きくはなくとも程よい大きさの胸に小ぶりなお尻。そう言われれば、確かに以前よりもウエストにくびれがなくなっただろうか。

 仕事中も少しだけ締めてもらった方が良いかもしれない。


 少しショックを受けながらも、ターニャとメイドはここぞとばかりに私を着飾る。



「この髪飾りはいかがですか?」

「あら、こちらのゴールドの方が奥様の髪色に映えないかしら。本当に美しい亜麻色の髪ですこと」

「ですがこちらはイヤリングとネックレスとセットなのですよ。本日のお召し物にとても良く合います」

「あぁ、それ先日届いたばかりの……そうね。それならそちらにしましょう。奥様、よろしいでしょうか」

「──えぇ、問題ないわ……小ぶりのものだから目立ち過ぎなくて良いと思う。でも私、何も頼んでいないのだけど先日届いたとは?」



 私の素朴な疑問に、二人は一瞬だけ表情を無にしたあと『もう、仕方がないんだから奥様ったら』みたいに苦笑した。

 なぜ。



「恐れながら奥様。奥様はこちらに嫁がれて以来、ドレスの一着でも自ら頼まれたことはございますか?」

「えぇー……、どうだったかしら……?」

「一度もないのですよ、一度も。ドレスも宝石も、奥様は何一つご要望くださらないのです」

「仕事は……制服のジャケットがあるから必要ないし」

「そう仰るので、こちらで用意しておかないといざという時に困りますでしょ? 旦那様からのプレゼントはあれども、それだけというわけにも参りません。ちゃんと奥様の予算内でやっておりますし、収支は明確にしておりますのでご安心ください」

「……そ、そう。いつもありがとう」



 やぶ蛇だ。つつかないほうが良かったらしい。

 私が公爵夫人としてなんにもしていないことが露呈してしまった。





 王都の城下町はいつものように賑わいを見せる。

 帽子をしっかりと被せられた私は、大通りをまっすぐと歩く。


 通りを歩きながらも、店々を覗きつつ価格のチェックをするのは仕事病。

 物の価格が上がり過ぎていないか、見慣れないものを取り扱ってないかなどチェックしている自分に気づき、いやいや、今日はゆっくりしようと決めたのだと頭を振る。


 侍女ターニャと護衛をつけて出掛けたのは、大通りから一本逸れた書店。

 インクの匂いが店中に漂い、本が日に焼けないよう窓が小さいため薄暗くなった店舗は、チクタクと時計の針の音とページをめくる音がする。


 いくつかの本を選んでいくと、一組の母子連れが来た。

 子供は3歳くらいの男の子だろうか。

 しばらくすると、そこで子供が絵本を欲しがりはじめた。



「やぁー! これ欲しいっ!」

「今度のお誕生日のプレゼントを見に来ただけだから、今日は買わないって言ったじゃない。今日はだめよ」

「やだっ! 欲しいもんっ!」

「お店に入る前に、今日は買わないってお約束したでしょ?」

「してないっ! してないしてないっ! お約束なんてしてないもんっ! これ買ってー!」



 今にも泣き出しそうな男の子に、母親は同じ目線までしゃがみ込み、ポンポンとその頭を撫でた。



「じゃあ……お母さんとギュウ、するのはどう?」

「いらないっ! ギュウ、いらないっ!」

「本当ー? きっとあったかくて気持ちいいと思うなぁー? ギュウ、しない?」



 両手を広げて「おいで」という母親に、子供はそっぽを向くが、次第にちらちらと母親を見始めた。

 母親は男の子の両頬に手を添え、むにむにとその頬を撫で回したあと、その頬に何度もキスをする。

 まだそっぽを向こうとしてぷぅっとなっていた男の子は、次第に隠そうとしていた笑みが止まらなくなっている。



「──我慢できて偉いね。はい。おいで?」



 母親がそう言えば、男の子は母親に飛び込むように抱きつき、母親はぎゅうっと強く抱きしめた。

 その間も母親はポンポンと背中をリズム良く叩く。

 そして最後にその頬にチュッとキスをした。


 そうして親子は「プレゼント、あの本にしようか」「うん!」と言いながら、笑顔で帰っていった。



 私はその親子の一連の動作に、ズドンっ! と雷を身に受けたかのようにショックを受け、呆然と立ち尽くした。



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