宰相室専任補佐官12 些細な攻撃が奥深くまで刺さるとき

◇◇◇


 ──抱擁にも随分慣れ(嘘。慣れてない。毎回赤くなってる)、お菓子当てゲームにもかなりの確率で当てられるようになった頃。


 その日は本当に忙しかった。

 宰相室は頻繁に人が訪れ、さらに小規模会議に四つ同席。

 ようやく宰相室に戻りお茶が飲めたのは、学院時代ならとっくに寝ていたころ。


 宰相補佐室でもお茶すら飲めないことはよくあったが、人と接するのはまた違った神経が擦り切れるのだと知った。


 王宮文官と言えど多種多様。

 精鋭ぞろいで各々が最適に動く補佐室と違い、会議では趣旨と外れた話をする人も、全く精査されていない案件をあげてくる人も時にはいる。


 そのたびにレオン様を起点にブリザードが吹き荒れ、笑顔でばっさばっさと切り捨てて行く。



「この状態で受理されると思ったのか? 他の案を何も考えてこない状態でよく私に提出しようと思ったな? 建設も現実的ではない杜撰な事業計画で、すでに購入してしまったその土地をどうしようというのだ」



 笑顔だ。それなのに、怖い。

 青ざめ冷や汗をかく人だらけ。


 そのたびに「なんとかして!」という目で見られるようになってしまったのは、会議での発言を許されるようになったからだ。


 だからと言って、なんとかなど出来るものか。

 ……とはいうものの。


 レオン様の後ろに立っていた私は、彼にヒソッと耳打ちをする。



「──その土地ですが……農業省が開発中の例の薬剤散布の場所にしばらく活用するのはどうでしょうか」

「……なるほど」



 二人でコクリと頷き合い、今度ははっきりとした声でレオン様が話す。



「ミュラー、説明を」

「はい。該当の土地ですが────」



 活用できそうな話なら口は出すが、そんなキラキラした目で見られても、合致しなければどうにもならないのだが。


 提案はするが、自分たちで最後までやってねと紹介状を書く。

 私がやるのは仲介のみ。

 それなのに、なぜか信頼を得ているようだ。




 ──だが今日の最後の会議では、なんの結論も出ないまま終わり、徒労感がすさまじい。


 さらに、終了後レオン様が別のところで話をしている間に、若めの文官に捨て台詞を吐かれた。



「結局時間の無駄じゃねーか。使えねぇなぁ……なんで俺の案件には何も提案がねえんだよ。もっと事前準備しとけよな。なんか優秀だとか言われてるけど、ただのまぐれじゃねーか。はぁ、これだから女は。宰相閣下ももっと有能な専任補佐官置けば良いのに。見目も悪い地味ブスが」



 ……宰相室や補佐室主導の会議ではないのだが。


 彼の言葉を気にするだけ無駄。

 何の意味もない言葉。

 ただの記号として認識すれば良いだけ。


 そう……分かっているのに。

 ──あぁ。たしかに、もっと何かできることが……あったのかもしれない。



 いつもなら何も思わず聞き流せても、疲れ切ったあとの悪意ある言葉は、なかなかにキツイものがあった。

 期待されていた仕事ができなかったという、自分への失望感に苛まれる。


 その言葉は胸の奥に深く深く突き刺さり、胸から喉の奥にかけてグッとなにかが圧迫してくるような、気道が狭くなって息ができなくなるような感覚で……ひどく苦しい。

 

 グッと唇を噛み締め、ペコリと頭を下げた。



 実家の侯爵家が女性が働くのをヨシとしなかったように、まだそういう考えの人もいて当然。

 文官になってからは運が良かったのか、たまたまそういう人たちに合わなかっただけだ。



 ──今日は精神が、疲れる。





「ぬるいでしょうが、コーヒーお飲みになりますか」

「──頼む」



 自分がお茶を飲むついでに声をかけるようにしている。

 置きコーヒーは保温ポットに入れていても徐々にぬるくなってきてしまうのは仕方がない。


 お菓子とコーヒーをレオン様の執務机に置き、自分の席にも同じものを置く。

 コーヒーを一口飲み、胸の奥にたまった疲労感をため息とともに吐き出したが、まだまだ重たい鉛は胸の中に鎮座したまま。



 ……ほとんど知りもしない人からの暴言なんて、気にする必要なんて微塵もないことは、理屈では分かっている。

 それでも……刺さる時は、深く抉るように胸に刺さり、その思考ばかりに囚われてしまう。



 集中などできないのに、明日の朝までに仕上げなければならない書類が二件。



 一旦仮眠でも取れば良いのだが、宰相室には仮眠室がない。

 レオン様は王宮に自室があるので、そこで寝るから仮眠室など必要なく、私も補佐室のを借りれば良いのだけれど……

 今はあの補佐室のエネルギッシュなパワーを受ける元気すら、ない。



 ふぅ……と目を瞑ったまま眉間を揉む。

 気持ちが、底に底に──どんどん沈んでいってしまう。




 その時、斜め前の執務机から声がかかった。



「……シャルロット、こちらに来なさい」

「? はい」



 立ち上がると、レオン様も引き出しから何かを取り出して立ち上がり、おいでと手招きした場所は部屋の隅に置物のように置かれている大きなソファ。

 誰かが座っているのを見たことがないから、インテリアかと思っていた。



「ここ、座って」



 先に座ったレオン様にキョトンとしながらも、その横に腰掛ける。


 皮張りのソファの沈み込み具合がかなりよく、あぁこのまま寝てしまいたい。目覚めたら何もかもリセットして、また元気になって仕事して……。

 グッと唇を噛みしめた。


 その時、頭を横からレオン様の方向に押され、ポテッと私はソファに横になっていた。


 ──レオン様の膝の上に頭を乗せる形で。



「……え」

「枕としては硬いだろうが、ないよりはマシだろう。少し目を瞑っていなさい。眠って構わない」



 「いえ、そんなことはさせられません」と顔を上げようとすると眼鏡が取られ、目の上にバサリとタオルらしきものが乗せられ、彼の顔は見えなくなった。


 頭をゆっくりと撫でられれば、その手の温かさに、グッと胸の奥から何かが込み上げてきた。



「シャルロット、口を開けて。甘いものをあげよう」



 見えないから、その低く優しい声だけが頭に響く。


 タオルをぎゅっと手で押しつけたまま、震える口を小さく開ければ、レオン様の指ごと何かを唇に押しつけられた。


 コロンとした小さいそれは、口の中に入れるとほろっと崩れ、ジュワッと甘味が口いっぱいに広がる。



 ──甘い……メレンゲクッキーだ。

 私が一番好きだったやつ。



 ……その瞬間に、タオルの下で涙腺が決壊してしまった。

 

 ハラハラと溢れ出る涙に気づかれないように、決して声は出さず、鼻もすすらず。



 どうして自分が泣いてるのかさえもわからない。



 仕事がうまくいかなかったからだろうか。

 疲れすぎたのだろうか。

 あの暴言が──図星を指されたようでしんどかったのだろうか。


 カサっと音がして、口にもう一つクッキーが押し当てられた。



「ほら、もう一つ食べておけ」



 あまりに優しく頭を撫でるから、さらに涙が溢れてきて、口の中は甘いのと涙の味でしょっぱいのが入り混じっている。

 涙が鼻の奥に伝わり、何度も飲み込む。



 ──分かった。


 レオン様が優しいから……泣けるんだ。



 ちゃんと我慢することができたはずだったのに、唐突に優しさに触れたから。


 仕事中に泣いてしまうだなんて、情けない。

 レオン様は……私をどんどん弱くする。



「きみは……とてもよく頑張っているよ。私はたくさん助けられているから」

「…………」



 ──どうしてこの人は、私が欲しい言葉をいつもくれるのだろう。


 どうしてこんなに優しいのだろう。

 毎日のように抱きしめられ、それがすっかり当たり前になってしまって。

 もうその温もりがなくなるなんて、考えられなくなってしまった。


 私だけなら……いいのに。

 あの腕で抱き締めるのも、キスをするのも、私だけなら良いのに。



 これはきっと……そういう感情。

 ようやく気付いた。


 あぁ、たしかにこれは……苦しい。

 胸が痛い。

 ────知りたくなど、なかったのに。


 その時、不意に蘇った言葉があった。



『もし好きな相手が出来たのなら、とにかく私にも周囲にもバレないように気をつけてくれ』



 それは、あの契約の時の言葉。

 今まで気にしていなかったけれど。


(……レオン様は、好意を向けられたくないんだ)


 抱擁することだって、別に私のことが好きなわけじゃない。そこにいて、都合が良いからというだけなのだろう。


 だって──よくあること、なのだろうから。



 自分の感情の正体に気づいた途端、もう失恋が決定していた。

 ならば、この気持ちは絶対に悟られてはならないもの。



 ──それなら優しくなんて……最初からしないで欲しかった。


 本当にズルい人。



 そっと髪を撫でるその手が優しくて。

 余計に涙が溢れた。



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