宰相室専任補佐官⑪ お菓子当てゲーム②
「──宰相閣下……?」
私が目をぱちくりとさせていると、レオン様はゆっくりと手を下げ、バツが悪そうな顔をした。
「…………悪い。起こした」
私の肩に、レオン様の上着がかけられていて──。
自分がすっかり寝入ってしまったことに気づき……ギョッとした。
「も、申し訳ありません! 私、眠ってましたね!?」
なんてこと! とパニックになり、オロオロしている。
残ってやっておきます、なんて偉そうなこと豪語しておいて、寝ちゃうなんて。
職務怠慢と思われても仕方がない場面。
しかも、怖い夢を見ていた。
レオン様がくすりと笑い、慌てる私の頭をポンポンと優しく撫でた。
「──まだやるつもりだったのだろ? 少し一緒に休憩しないか?」
「……はい」
……頭、ポンってされた。
『一抱擁』で抱きしめられるのはしょっちゅうなのに、別で頭を撫でられると、なんともくすぐったい気持ちになるのはなんなのだろう。
褒められると嬉しいけれど、ちょっと気恥ずかしくなるという心理だろうか。
「あ、上着……ありがとうございました」
肩にかけられたレオン様の上着を返そうとしたら、彼はそれを制止した。
「少し冷えてきたら、しばらくかけておきなさい」
「──で、では、お借りします……」
……ほんとは今すぐ返却したい。もういいです、って言いたい。
すっごくレオン様の香りが漂ってきて、緊張する。
ほんと、なんのコロン使ってるんだろう。強すぎる香りではないのに、なんともふらふらと吸い寄せられそうになる香り。このコロン、欲しい。
レオン様は持ってきてくれていた温かいお茶をいただくと、心がほわっとしてきた。
レオン様も隣に座り、真夜中のティータイム。
「怖い夢を見てしまいました」
「……もしかして、あの噂で?」
「っっ! ちゃんと分かっていたのですよ? きっと第三会議室を使い始めた補佐室の人たちに出くわした人が見間違えたんだろうなって!」
「…………」
「どうせ笑うのなら、ちゃんと笑っていただけると……」
私から顔を背け、口を押さえながら肩を揺らしているレオン様。
完全に笑っている。
しばらくして彼はくしゃりと目を細めながら、またしても私の頭を撫でた。
「鉄壁のミュラー補佐官には程遠そうだな」
「……くっ。み、未来にご期待ください」
「まぁ、私も叫ばれたときにはさすがに驚いた」
「申し訳ありません……」
くつくつと笑うレオン様に、私は小さく肩をすくめた。
「では……ほら、あーんだ」
「え?」
昼間見たお菓子の袋をフリフリとするレオン様は、またしてもお菓子当てゲームをしてくれるらしい。
なぜか袋が二個あるが。
ここで甘いものを投入して、もう少し頑張れ、ということだろう。
実はお腹が空いていたからありがたい。
口元を緩めながら目をつぶり、ゆっくりと口を開けた。
ごそごそと音がし、口に中に丸い固形物が入ってきた。
これは……昼間に食べたホロホロのお菓子!
やっぱりすっごく美味しい。
美味しいものを食べると、顔がニマニマなってしまうのが自分でも分かる。
「えっと……薄力粉とバターと……お砂糖。表面は粉砂糖。それにナッツが入ってます!」
「他には?」
「他……!? えっと、甘みを際立たせてるこれは……お塩でしょうか?」
「まぁ、それだけ分かれば正解としよう」
パッと目を開けるとレオン様が優しく目を細めていたから、私も得意げにへへっと笑う。
「これはスノーボールという菓子だ」
「スノーボール! 納得の名前ですね。ホロッと崩れるのが雪のようでとっても美味しいです」
名は体を表す、というべく、その名にふさわしいお菓子。
レオン様が持ってくる菓子は、基本的に我が国の菓子ではない。私が知らないものばかりだけれど、とにかくおいしい。
最近成功率が上がってきた。ずいぶん私も色々と分かるようになったものだ。
ただ……ほとんど材料は同じなのに、硬かったりホロホロだったりするのかはさっぱり分からないけれど。
レオン様に聞くと「きみが作ることはないと思うし、別に知らなくて良いのではないか?」と言われた。多分説明が面倒だったか、レオン様も知らないかだと思う。
レオン様はてきぱきと持ってきたお茶とお菓子の片づけ準備をしていく。
スノーボールが入ってるであろう袋は、「ゆっくり食べなさい」と私にくれた。
もう一個の袋は何だったんだろうと思っていると……。
「では最後にご褒美にもう一つ。はい、もう一回目をつぶって」
「えっ、あ、はい……」
口元になにかが当てられた。思ったよりも大きく、一口で入りそうにはない。
レオン様が「噛んで」と耳元で囁く。
ぞくっとしてしまい、心臓が飛び跳ねた。
毎回思うけど、耳元で囁くのは止めて欲しい。心臓に悪い。
ぱくりと噛むと、外側が少しカリっとしていて、中はしっとり。ふわりとアーモンドの香ばしい匂いが広がり、あ、と思いながらも咀嚼し、目をつぶったまま答えた。
「これ……以前食べたフィナンシェですよね?」
「正解だ」
嬉々として目を開けると、嬉しそうに笑みを浮かべたレオン様が眼前にいた。
ふと何かに気づいたように、私をじっと見つめている。
……な、なんですか!?
緊張から心臓がドクンドクンと大きく、速く鳴り響いていく。
彼は私の顔に、左手を伸ばした。
「へ……?」
私の唇の横にそっと触れた指先は少し熱く。
どきどきしすぎて、思わずぎゅっと目をつぶってしまう。
するとクスクス笑うレオン様の声。
そっと目を開ければ、彼は初めて会ったときと同じように頬杖をつき、妖艶な微笑みを浮かべていた。
「かけらがついていたから取っただけだ。──まだ調べ物をするのだろ? あまり根を詰めすぎないように。もう遅いからほどほどにして帰りなさい」
先ほど私がかじったであろうフィナンシェは個包装になっていて、そのまま袋に収められ、私のそばに置かれている。
「はい。……お茶とお菓子、ありがとうございました」
すっかり気分転換になった。あともう少し頑張れそうだ。
にこやかに微笑みお礼を言えば、立ち上がったレオン様は気にしないでというように手をひらひらと振った後……きょろきょろとあたりを見回している。
何かを探す様子に首を傾げていると、彼は自身の左手を見つめた後、その指をぱくりと口に入れた。
こちらを振りかえりながら、不敵に笑みを浮かべて「うん、うまい」と言った。
「じゃあ、がんばって」
「あ、はい。お疲れ様でした……?」
しばらく今の行動の意味が分からず呆然としていたが……レオン様が口に含んだソレが、先ほど自分の唇に付いていたフィナンシェのかけらなのだとようやく気付き──一気に全身に火がついたように真っ赤になった。
両頬に手を当てながら、熱が冷めるのを待つ。
「ご、ゴミ箱探してたのか。そうね、この部屋には置いてないものね……。捨てるところがなかっただけなんだからっ!」
動揺する必要などないんだ! と自分に言い聞かせるように口にした。
◇
その後二時間ほど作業をして、補佐室に鍵を返しに行く。
廊下から見える景色は、まだ夜が明ける前。ということはまだ夜。
セーフだ、セーフ。朝じゃない。徹夜じゃない。
明日は休みだから、ゆっくり眠れるし。かなり進められたと思う。
補佐室では二人がうつろな目で書類をひたすら書いていた。すっごく空気が淀んでいる気がする。二人は目だけで私に会釈をし、また書類に目を落とした。
ステファン先輩は奥のソファで寝ていたが、私が近づくとすぐにバチッと目を開けた。怖い。
「お、お疲れ様です……第三会議室の鍵です。よろしくお願いします」
「ああ。確かに預かった。ミュラー、こんな時間までありがとう。お疲れ様」
ステファン先輩の目の下の隈……いつになったら取れるのかな。
帰って寝たらいいのに、と思っていたら──私の声をきっかけに彼は机に戻り仕事を始めた。
私が起こさなければもっと眠れたのでは!? と罪悪感が付きまとう羽目になるのだった──。
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