宰相室専任補佐官⑧ 自慢の制服と、地域課。

 長い廊下では多くの人が行き交い、そのたびにお互い軽く会釈をしながら通り過ぎる。


 5センチほどの太いヒールがある靴はコツコツと大理石の床を早歩きで踏みしめても、軽く走ろうとも足が痛くはならない特注品。もちろん公爵家が作ってくれた。

 

 文官最高峰の王宮文官は、皆ジャケットが貸与され着用する義務がある。女性ものはウエストが絞られていて着丈が少し短い。スカートに合う計算がされているようだ。


 貸与という形が取られているが、当然のことながらオーダーメイド。

 勝手に誰でも作ることはできない、ということだ。

 ジャケットには、省ごとに胸に縫い付けられた紋章に違いがある。

 さらに細い腕章のデザインで職位が一目で分かるようになっていた。


 ただ、どこの省にも属さない補佐室だけジャケットの色が違う。

 私も補佐室と同じ色だが、腕章はどの職位にもないカラーとなっていて、専任補佐官であることがすぐバレる仕組み。


 ジャケットの下に着用するものは自由であり、私は白のブラウスに同系色のくるぶしまでのスカートを着用している。


 おしゃれに着飾る人もいるけれど、もちろん私は違う。

 ──地味文官だから。


 ちなみに王族の側近たちは文官扱いではないため、ジャケットは着用しない。

 つまりこのジャケットは、難関試験を突破した証でもあるのだ。

 作り込まれたこのジャケットはなかなかにオシャレで、二割り増しくらいでその人が素敵に見えるジャケットマジックなるものが発動される……気がする。


 ──というジャケットが出来たのも、レオン様が宰相になってかららしいが。

 それまでは華美な貴族らしい服を着用していたようだ。

 もちろんレオン様や長官クラスはジャケット着用ではないが。



 私たちが扱う書類は機密書類が多いため、他の人物に託すということがなかなかできない。

 宰相室に来てもらうか、自分たちで行くか、補佐室にお願いするかなのだが……私は自分で行く方が早く処理が進むことを知ったので、自分で赴くことが多い。

 まぁ……不備をしたのはそちらなのだから、そっちが来てよ! という思いがないわけではない。

 でもそのためには、伝令をまず頼んで、そこから返事をもらい、時間を決めて、指定の時間に対応という非常にまどろっこしいことになる。


 レオン様は、私が来るまでは補佐室経由で返答するか、伝令を使っていた。

 レオン様の伝令の使い方は至極簡単。

『今すぐに。何を差し置いてもこの時間までに必ず来い』である。

 ──到底私が使える技ではない。

 よって、今私は目的地の地域課まで書類の不備のお届けに言っているところだ。


 幾人かにすれ違いざま話しかけられ、ようやく到着した地域課にて、最近書類の不備が多すぎることを主任に伝える。



「それくらいそっちでやってくれよ」

「……つまり、こちらの課ではこのレベルの仕事しかできないということでよろしいのでしょうか? それでしたらその旨、宰相閣下にお伝えいたしますが」

「いや、それは……」

「今はまだ、閣下の前に私が修正の手筈を整えております。私が専任補佐官に赴任する前のことをお忘れですか?」



 最近、ミスしても私がチェックしてくれるだろうと安心感からか、不備が確実に増えている。

 その前は宰相閣下に直接だったため、できる範囲で頑張っていたというのに。



「これ以上頻繁だと当然のことながら気付かれますし、庇いきれません。なにとぞ二重・三重のチェックをよろしくお願いいたします」



 まぁ、きっとすでにレオン様にはバレているだろうけど。

 地域課の主任にペコリと頭を下げれば、バツが悪くなったのかポリポリと頭をかきながら「……分かりました。気をつけます」と返答をもらった。


 そのとき地域課主任の後ろからひょこっと顔が出てきた。

 財政省9課の時の案件でお世話になっていたジャックさん。



「あ、ミュラー補佐官だ。お久しぶりです」

「ジャックさん。こちらこそお久しぶりです。コモルの橋の建設は順調ですか?」

「今季は雨が結構降ったので、計画より少し日程押してますね。でもなんとか順調ですよ」

「そうですか、良かったです」

「そういえば……補佐官は各地で『黒の王子と金の乙女』の上演が中止になっているのご存知ですか?」

「え? そうなのですか?」



 雑談に突入してしまうが、たまにはコミュニケーションも必要。

 ロングラン上演されている『黒の王子と金の乙女』は、国王夫妻の馴れ初めを最大限美化した、あの話だ。

 各地で中止になっているとは全く知らなかった。

 そろそろ人気も陰ってきたのだろうか。



「あ、俺も聞いた。なんか、理由聞いても誰も知らないってやつだろ?」

「そうなんですよー。まだ人気演目だから、皆不思議がってて。近々王都の劇場での上演も中止になるんじゃないかって噂出てます」



 どうやら人気が陰ってきたわけではなさそうだ。



「出かけるとこなくなるよなぁ。嫁が好きだったんだけど」

「そうなのですね」

「……あれ? 補佐官はあまり観ないのですか?」

「──そうですね、あまり観ないです。時間もないですし」



 ここで堂々と『あの話嫌いなんです』というほど空気が読めないわけではない。

 あまり、というか、未だかつて学院で上演されたあの一回をほとんど見向きもせず、外を眺めていただけなのだけど。



「でも俺、ちょっと気になる話、知ってるんですよ……!」

「気になる話、ですか?」



 ジャックさんは手をちょいちょいと振り、もっと近くに寄れ、と私と主任に促す。

 私たちが近づけば、彼はヒソッと周りに聞こえないように言った。



「実はですね……国王夫妻、長い間不仲らしいんですよ……! で、王妃様には今、大のお気に入りの愛人がいて、離縁するんじゃ、って話もあるんです!」

「──なんでお前がそんなこと知ってんだ? うさんくさいな。変なこと言うと不敬罪で捕まるぞ」



 主任にコツッと軽く頭を叩かれたジャックさんは、少し頬を膨らませる。



「ホントですよ! 俺、見たんですよっ! 王妃様が変装して細身の男と仲良く腕を組んでデートしてるの!」

「変装しているのに王妃様だとよく分かりましたね?」

「あぁ……こいつ人の顔覚えるのめちゃくちゃ得意なんですよ。変装しても大体見抜きます」

「……それはすごいですね」



ジャックさんはそのままひそひそと話を続ける。



「腕組んで、絶対誰が見ても恋人の雰囲気でしたよ! で、カフェの個室に入っていったんですよ!」

「個室かぁ……それは確かに怪しいな。でも不仲だってのは聞いたことないぞ?」

「王家住居区域の方に知り合いがいてですねー。そこではもう有名だって」

「なるほど。ですが確定ではないですし……憶測で広めて良さそうな話でもないですね。あとそのお知り合い、秘密保持契約違反になりますのでお気をつけください」



 王宮に勤めるものは、みな秘密保持契約を最初に交わす。

 特に王家住居区域の使用人が王族の私生活をぺらぺら喋っていたら、うかうかお世話なんて怖くて任せられなくなってしまう。

 私がお風呂中やマッサージ中に素っ裸で寝てしまっていることも、公爵家の外には漏らされないはず。



「……確かに。話ここまでにしときますっ」

「そうだぞ、不敬罪になるぞ!」

「ノリノリで聞いてたじゃないですか!」

「ふふっ、上演中止の件、気に留めておきます。教えてくださりありがとうございました。では失礼します」



 手を振るジャックさんと頭をペコっと下げる主任に挨拶をして地域課を出た。


 国王夫妻が不仲というのは初めて聞いたが……もし本当だとしても隠すのは理解できる。

 恋愛至上主義の教祖のような人達なのだから、あの二人だけは決して揺らぐことのない『運命の愛』であり、唯一無二の『真実の愛』でなくてはならないのだろう。


 今さら「この愛、間違いだったので別の人に変えます!」とはとても言えないだろうから。


「それはそれで、なかなか大変……なのかな?」





 各省を回り、すでに陽は沈みかけている。帰宅の途につこうとしている人も見受けられる。

 長い廊下を歩いていると、一人の人物が見えた。

 ──王族特有の黒髪を携えた男性。

 私は大理石の廊下の端に移動し頭を下げた。


 頭を下げた私には見えてはいないが……変なステップが紛れ込んだ足音が近付いてくる。

 近くに来たなと思ったら、その人物は私の前でくるりと一回転した後──なんと立ち止まってしまった。



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