宰相室専任補佐官③ 頭に鳥のフンを落とされる呪い
◇
宰相補佐室の面々で一番私と接することが多いのは、アイリーン課長とステファン先輩。
ステファン先輩はレオン様よりもう少し年齢が上だろうか。多分。やたらとひょろ長い身体に顔色も悪いため、見た目で言えばの話。
補佐室の主(ぬし)と呼んで良いほど、朝から晩まで……いや、二十四時間補佐室にいるのではないかというほど残業するし徹夜もする。
レオン様と並ぶ、ワーカホリック代表。
人の上に立つのを嫌い、昇進を拒み続けている人だ。
その二人が宰相室に入ってきた。
「シャルー! お疲れ様!」
「ミュラー、おつかれ」
「課長、ステファン先輩、お疲れ様です」
「調子はどう? あいつにこき使われてない?」
「はい、大丈夫です。気を遣ってもらってます」
「へぇー? うまくやってるようで良かったわ」
少しニマニマした笑みを浮かべるアイリーン課長は、レオン様の机に行き何か探し始め、ステファン先輩が私にまとめて書類を渡す。
「この二つの案件、至急で頼む」
「あぁ、この前の水害の……分かりました、急ぎます」
パラパラとその場で確認して了解すれば、斜め前でガサガサとその辺の書類の山を探していたアイリーン課長が声をかけてくる。
「ねぇシャルー。総務からさ、これくらいの厚さのピンクのファイル、届いてない?」
「それなら宰相閣下が先程持って出ましたよ? ……笑顔で」
「あぁーっ、遅かったかぁー……! その笑顔って……怒ってる方のやつ、だよね?」
「……いい笑顔でしたよ」
ニコニコしてました。怖いくらいに。
「それ、絶対ダメなやつじゃないのぉ! あぁもうっ! 総務の若い子にさぁ、このデータも必要だから添付して提出しなおしてねって指示出したの。『はい!』って元気よく言うからその後任せたのよ。そしたらなんと! 7年も前のデータ添付してきてたのよー!? その原本が後からうちに届いたから、驚いてこっちに回収に来たんだけど……一足遅かったわね」
「逆に、よくもそんな前のデータを探し出したもんだ」
「それで笑顔で出かけられたのですね……周りの人は確認してあげなかったんでしょうか」
課長が「若い子」と言うからには、新人なのだろう。新人の仕事でなくともダブルチェックは当然のことなのだが。
「気づかなかったのかもね。あいつ、意気揚々として出掛けたんでしょ、どうせ」
「……まぁ、当たらずとも遠からず、と言ったところでしょうか」
「総務の長官とはずっとやり合ってるから。良い機会だと思ったんでしょ、きっと」
アイリーン課長はため息をつきながら、間に合わなかったなら仕方ない、と言ってステファン先輩と戻りかけたところ……。
「あーっ! チョコレートがあるー! 一個もらっても良い?」
「もちろんどうぞ」
お茶請けに置いていたお菓子を見つけたようだ。
ここ最近は果物ではなく、お菓子を置いている。甘いものも結構食べてくれると分かったから。
「ステファン先輩もどうですか? これ、一日個数限定の人気商品なんですよ」
もちろん、公爵家の人が用意してくれたのだけど。
ステファン先輩はチョコをじっと吟味しているようで、面白い。彼が甘いものを好むのかどうかは知らないのだけど。
「これ、中に何か入ってる?」
「食感の違うとろみのあるチョコが入ってます。これがミルクでこっちがキャラメル、それとビターです」
「どれが一番甘い?」
「そうですね……ミルクでしょうか」
「じゃあミルクを貰う。ありがとう」
どうやら、甘い方がお好みだったようだ。
補佐室の人たちは、結構甘いものを好む。ステファン室長もそうだったとは。
皆、脳に糖分が必要なのかもしれない。
今度差し入れしよう……。
◆
「財政省1課、トニオ・ベスコです」
「どうぞ」
宰相室の扉が開かれ、財政省1課時代に一緒に仕事をしていたトニオ先輩がやってきた。
彼は一度宰相室の中をきょろきょろと見回し、一瞬ほっと安堵した様子を見せた。
「ミュラー、一人だよな?」
「はい、そうですが」
「じゃあこれ至急で頼む」
ニコニコと笑いながら、座る私に書類を渡す。
レオン様がいないというのに、至急とは一体?
とりあえず、この場で確認をしろということなのだろう。
書類の確認をしていると、彼は机をわざわざ回り込んできて、私の机に軽く腰をかけながら隣で話し始めた。
人の机に座るというその仕草に不快感を覚えたが、悪気もなくこうする人だった。
基本的に距離が近いのだ。
「ミュラー、なんかこの部屋に馴染んだなぁ」
「そうですか? だと良いのですが」
「なんとなく宰相室にも入りやすくなったよ! まぁ宰相閣下のいない時限定だけど……いや、やっぱり宰相閣下も少しマイルドになってる気がするなぁ」
「もしそうなら、喜ばしいことです。やはり専任補佐官がいるといないでは仕事量も違うでしょうし」
トニオ先輩はとてもフランクな人で、良い意味で力の抜き加減が上手なムードメーカーでイケメン、なのだろう、多分。
みんながそう言っていたから。
半年前に離縁した彼は、その離縁する原因となった女性とすぐに再婚したという、私の一番苦手なパターンを歩んでいる人。
元々政略結婚なわけではなく大恋愛の末に結婚したというのに。
お互い愛し合い数年を共に過ごしてきたというのに。
他に愛する人ができたら……簡単に捨ててしまえるのか。
離縁された元奥方は、一体どう思っているのだろうか。こういうのを見ると、本当結婚に夢も希望もなくなるというものだ。
……そういえば、私も結婚していたが。
「今度1課の面々で飲みにいくんだけど、ミュラーも来ない?」
「お誘いありがとうございます。ですがそのような時間は」
「ミュラーさぁ……なんで眼鏡かけてるの? それ、度が入ってないよね?」
「え」
彼は私に手を伸ばし、眼鏡に手をかけようとする彼。
パシッとその手を払い除け、軽く睨みつけた。
「失礼ではないですか? 人のものに勝手に触れないでください。というか近いです。書類の確認は終わりましたので、もうお戻りください」
トニオ先輩に近付かれると、拒絶反応が出る。
そういえば再婚したことをデレデレと話していたのを偶然聞いた時も拒絶反応が出て『新奥様とのデート中に頭に三回鳥のフンを落とされる呪い』をかけたのだった。
鳥のフン、落ちただろうか。
……そんな特殊能力、ないけど。
「えー? ミュラー、冷たいー」
「書類は受け取りました。宰相閣下がそろそろお戻りになりますよ」
そもそもこの書類は、ちっとも急ぎではなかった。
補佐室を通せばよい書類で、なぜ直接持ってきたのかも不明だ。
「じゃあさ、とりあえず眼鏡だけ外してみてよ。実は美人じゃね?」
この人、話が全然噛み合わない……と思っていたら、またしても眼鏡に手をかけ、反対の手で私の右手を握る彼にカチンときて「……いい加減に」と少し声を張り上げて言い始めたところ。
「何をしている」
低く、冷たい声が響いた。
宰相室の扉を開けたばかりの、レオン様がそこに立ち、見たことがないほど冷たい視線をこちらに向けていて、ドクンっと胸が飛び跳ねた。
(……もしかして、いちゃついてたと誤解された……? 仕事サボって遊んでると思われた……?)
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