宰相室専任補佐官① 勤務スタート



「本日より宰相室専任補佐官を任命されました、シャルロット・ミュラーです。よろしくお願いいたします」



 赴任の挨拶をした私に、レオン様は顔を上げこちらをじっと見たあと、軽く微笑んでくれた。

 その表情が、あの『ナイト・ルノワール』で会った時を思い起こさせ一瞬心臓が跳ねた。


 相変わらず色気たっぷりのそのお顔。

 いや、3年前よりさらに増したのではなかろうか。



「あぁ、よろしく。無理ないよう頑張ってくれ」

「は、はい! がんばります!」



 やはり、威圧的というのが分からないが。


 ──そうは言っても、ここは宰相室。

 一瞬たりとも気は抜けない。



 私に挨拶をしながらも、すでに山になりつつある中から数枚の書類とペンを取った彼は、動作が優雅で美しい。

 が、やたらと早い。次々に書類をめくり是か否か判断を下していくその様は、腕が何本もあるようだ。


 それほどの早さでも、山になった書類はほとんど減らないが。



「今日は何もしなくて良いから、棚の配置や仕事の流れなど観察しておいてくれ」

「はい、承知しました」



 本来前任者に教わる諸々が、前任者自体がいない。


 さらに宰相閣下に私になにかを教える暇などないため、見て覚えろ、と言うことだ。



 書類整理をしつつも、頻繁に直訴に来る人々や来客対応、さらには会議などでたびたび席を外すレオン様は「却下。次」「分かった。至急見積もりを取り再度提出せよ。物資の確保は同時にしておけ」と次々に振り分けていく。


 宰相補佐室にいた身としては、なぜその案件が補佐室を通さず直接宰相閣下の元へ行っているのかと思うものがかなり存在することに驚きを隠せない。



 私はそのやりとりを詳細にメモに残す。棚の配置から書類の置き場所、動線などを食い入るように見てはメモを取り、帰ってから一気にノートに自分がすべき仕事や改善点を書き連ねた。





 翌朝いつもより一時間早く来た私は、宰相室の整理から始めた。

 決裁だけで良い簡単なもの、検討が必要なもの、その他諸々をそれぞれ期限順に並べる。



 聖導具の保温ポットには昨日レオン様が一度飲んでいたコーヒーを、保冷ポットには冷たいハーブティーを。


 味は確実に落ちるが、いちいちお茶を入れに行く暇などない。いちいち頼むのも時間の無駄なため、最近補佐室でも取り入れられたやり方だ。

 もしかしたら淹れたてを好むのかもしれないけど、多分大丈夫。

 昨日テーブルに置かれたコーヒーを、二時間後に飲んでいたから。

 

 貴重な聖石を使った聖導具は、照明として活躍する小さな物から、保温ポットなど飲み物の温度をしばらく保てるような物、水を入れると氷を作り出すことが出来る者まで様々。

 聖石自体が希少なため聖導具は大変高価ではあるが、王宮内では照明や保温ポット程度の小さなものなら使われている。

 これも利便性を考えたレオン様が、予算をもぎ取り導入したそうだ。

 まぁ言うなれば……全員でのんびりお茶休憩してる暇があるなら仕事しろ、だ。


 飲み物の隣に、軽くつまめる果物や小さな一口菓子も置いておいた。

 私の形式上の夫……もとい、宰相閣下が過労死しないように、出来ることをする。



 ガチャリと扉が開き、背の高い銀髪の男性が入って来た。

 彼は扉を開けるなり目を少しだけ見開き、私がいることに驚いているようだった。


 ……もしかして昨日の今日で、もう忘れられたのだろうか。



「おはようございます。あらためまして、昨日より宰相室専任補佐官の任をいただきましたシャルロット・ミュラーです」



 もう一度自己紹介してみれば、少しだけ目を細め軽く笑った彼は、執務机に移動した。



「おはよう、もちろん覚えてるよ。改めてよろしく。シャルロット」

「はい、よろしくお願いいたします。最初に少しだけご説明させてください」



 配置を変えた説明や、今後自分が担当するつもりの仕事、飲み物と軽食がここにあることなど伝えれば、問題なかったようでコクリと頷かれた。





 宰相であるレオン様は各種会議やら対応やらで、昼間は頻繁に宰相室を出入りする。

 とにかく忙しい人なのは間違いない。

 専任補佐官になったばかりの私が、まだ同席できない会議もかなりある。

 レオン様には「慣れたら少しずつ同席してもらうから。今は宰相室のことを重点的に頼む」と言われた。


 宰相室では、私がひっきりなしに届く書類を毎日確認し振り分け作業。

 私が来る前よりは、レオン様の机の上の書類の山が小さくなった……はず。

 少しはお役に立てている……はず。多分。

 いまだに、特に働きにくさは感じていない。

 噂の『威圧感がどうの』、というのも分からないでいる。


 補佐室を通さずにやってきた書類については目立ったミスがないかその場でざっと目を通し、不備があれば返却。

 直接持ち込まれる書類の不備が多いこと多いこと……!

 これでは通るはずもない。


 そして今日もまた、一人の文官が書類を持って宰相室にやってきた。

 私はそれにざっと目を通し、内心小さなため息をついた。



「──このままではお渡しできません」

「そんなっ! 一刻も早く決裁をもらわないと困るんです!」


 悲壮な顔をした文官に、私とて何とかしてあげたい。

 期限まで時間がなく、切羽詰まっているのも理解できる。

 けれど──。


「心情を強調されたいお気持ちはわかりますが、現状での想定される具体的な被害総額を出さねば即座に却下されます」

「具体的なって言われても…………」

「──よろしければ、財政省3課に相談してみてください」


 うつむき、絶望した顔になっていった彼に提案した。

 パッと顔を上げた彼の目は輝いていた。


「わ、分かりました! ありがとうございます……ありがとうございますっ」

「今、紹介状書きますね…………はい、こちらを3課までお持ちいただきご相談ください」

「はいっ! 本当にありがとうございました!」



 ペコペコと頭を下げ、財政省の方向へ走って行ったのは、農業省のルクサル地方担当の文官。

 それと替わるように入ってきたのは、恰幅の良い地方の領主。

 儀礼的な挨拶を交わせば、すぐさま箱入りの菓子を出してきた。

 ニマニマとしたその目が、何を考えているのか手に取るように分かってしまう。



「ミュラー補佐官。こちら宰相閣下にお渡しください」

「ありがとうございます。ですが食べ物はお断りするように言われておりますので、お気持ちだけいただき宰相閣下にもお伝えいたします」

「えっ、あの、これ……実は下に……」

「まさか、袖の下……などと言うことはございませんよね? 宰相閣下が汚職がお嫌いなのは有名ですものね?」

「っっ! も、もももちろんですっ! し、下に手紙を挟んでいただけですのでっ! 今日は持ち帰ります! 失礼いたしました!」



 途中、チッと舌打ちをして去っていった小さな地方領主の賄賂に、はぁ……とため息をついた。

 きっと「小娘が」と思われていることだろうが、それはまぁ良い。


 ──専任補佐官がいなかった今までは、この状況を一体どうしていたのだろう?


 直接あの案件を宰相閣下に持っていけば一目見ただけで即座に却下され、賄賂を渡そうとした人はきっと処罰を受けるだろうから……


 なるほど、それで『鬼』と言うわけなのかもしれない。

 多分、代替案など教えている暇はないだろうから。





 ──宰相室に勤め始めて一ヶ月。

 


「シャルロット。今日もおいしかったよ、ありがとう」

「いえ、召し上がっていただけて光栄です」

「じゃあ、私は今日はこれをあげよう。目をつぶって口を開けて?」

「は、はい」



 何度やっても慣れないし、冷静を務めているけど動揺しているのがばれていると思う。

 レオン様はその美しい顔で私をじっと見つめた。

 心臓が、どくどくと聞こえそうなほどに音を立てている。


 私はぎゅっと目をつぶり、ゆっくりと口を開けた。




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